16 親友と決意
放課後、俺は杠葉さんのお願い通りに屋上に来ていた。
空を見上げれば、雲が太陽を隠しており、辺りは少しだけ暗く感じられ、時折吹く風が肌を冷やす。
指示された通り屋上の物陰にスタンバイ。
後は杠葉さんと有紗の両者の到着を待つのみなのだが……。
「で、何でお前もいんの?」
何故か当たり前のように隣に一緒に隠れている陽歌に尋ねる。
「へっへーん! なんででしょうね! あやちゃんにはちゃんと許可もらってるから!」
「その自慢げなドヤ顔はうぜーけど、それならいっか」
「あ! あやちゃん来たよ!」
先に到着した杠葉さんの表情はやや硬いが、その目にはしっかりと意志が宿っているように見える。
あの様子なら、しっかりと自分の決意を有紗に伝える事はできるはずだ。
「そーいや、陽歌は昼休みに杠葉さんの決意を聞いたんだよな? なんて言ってたんだ? 俺、詳しくは聞いてないんだけど」
「えー? そうなの? ここにいるからてっきり聞いてるもんだと思ってたよ。でも教えないよ。そうゆーのはちゃんと本人から聞くから意味があるのです!」
「あー、まぁ、確かにそうだな。でも、じゃあなんで俺ここにいるんだ?」
「そんなのこっちが聞きたいくらいだよ! でもあやちゃんに頼まれたなら気にしなくていいんじゃない?」
杠葉さんがここで見守っててほしいとお願いしてきた理由は定かではないが、そう深く考える必要はない。そう判断し壁を背もたれに座り込む。
「ちょっと、汚れちゃうよ?」
「あー、まあブレザーならもう一着あるし」
「この無頓着。ちゃんとクリーニングに出すこと。わかった?」
「はいはい」
少し気怠げに返事をすると陽歌はジト目でこちらを見てくるが、とりあえず一旦スルーする。有紗が屋上にやって来たからだ。
「有紗さん」
杠葉さんの目は有紗を真っ直ぐに捉えている。そしてそれは、有紗も同じ。
「今日は時間をとっていただきありがとうございます」
「良いわよ。それで、私に話って?」
今から何を言われるのかという不安、恐怖、はたまた期待といったところか、有紗の表情からは緊張がうかがえる。
杠葉さんは一度小さく息を吸って呼吸を落ち着かせ、胸の鼓動を確かめている。
それから一瞬の間をおいて――。
「嬉しかったです」
——遂にその口を開いた。
「中学生の時、初めて有紗さんと会った日、幼い頃から人見知りで全く同年代の方と関わることが出来なくて、ずっと一人ぼっちだった私に手を差し伸べてくれたこと。悪口を言われたり、少し嫌がらせをされていた私をいつも真っ先に助けてくれたこと。有紗さんはいつも私に話しかけてくれるのに、なかなか上手く話せず口籠ってしまう私に、それでもずっと話しかけてくれたこと。嬉しかったんです。私は、有紗さんのことが大好きですよ」
杠葉さんの話を聞く有紗の瞳から涙が流れ出す。
その様子を見ると何故だかこっちまで目頭が熱くなってしまう。
親友って良いもんだなと、心が温まってくる。
「泣いてるの?」
「泣いてはないけど。とゆうかお前が泣いてんじゃねーか」
「えへへっ、ちょっとね……」
陽歌は困ったような顔をしながらも、隠そうとはしない。
「有紗さんはずっと私を助けてくれました。それは感謝してもしきれません。ありがとうございます。でもだからこそ、私の決意を知れば有紗さんはまた必ず助けてくれる。そう思ったんです」
「そんなの、当たり前じゃない」
有紗は杠葉さんに優しく微笑みかける。
「それじゃ、ダメなんです。いつまでも有紗さんに助けられてばかりで、何も返せない。有紗さんに大変な思いばかりさせてしまっている。だから、有紗さんに助けてもらっちゃダメなんです」
そう、ダメだと思っていたんだ。
だが、それも昨日までの話で、今は違う。
「綾女……?」
有紗は今言われたこと、これから言われることに恐怖を感じているかのように声を震わせながら、唖然とした表情をしている。
「……そう、思っていました。でも、私はわがままなんです……。私は有紗さんに助けてほしいんです。例えそれで、有紗さんに迷惑を掛けることになるとわかっていても、有紗さんに助けてほしいんです。こんなわがままな私でも、これからも助けてくれますか……?」
杠葉さんは弱々しくもはっきりと言葉を口にし、その瞳には薄っすらと涙が浮かんでいるように見える。
「そんなの、さっきも言ったじゃない。私にとってあんたは大切な親友なんだから、助けるに決まってるじゃない」
有紗は杠葉さんの手を両手で包み込み、やや膝を曲げ目線を杠葉さんと同じ高さにして優しく囁くと、向かい合う杠葉さんの瞳から流れ出す涙が頬を伝い地面に落下した。
「綾女の決意、聞かせてくれる?」
「はい。聞いてください、私の決意……!」
ある決意を胸の奥に秘めた杠葉さんの表情からは、これまでにない覇気を感じる。
そして、無意識の内にその決意に興味を持っている俺がいた。
気が付けば、いつの間にか太陽を隠していた雲はどこかへ流れ、辺りを温かい春の光が照らしている。
普通なら眠くなってしまうが、今はそうはならなかった。
視線を空から杠葉さんと有紗の二人に戻し耳を傾ける。
「有紗さんも知っての通り、私は子供の頃から地味で、周りとも全くお話もしてこなかったせいで嫌がらせをされたり、陰口を言われたりしていました」
杠葉さんにそんな過去があったとは知らなかった。花櫻学園での生活ではそんな様子は全くなかったから驚きだ。むしろ二岡の彼女として崇められてるわけだし。
「本当はとっくの昔、小学校高学年くらいの頃には気付いてたんです。周りの同世代の人達に馴染めないのは自分に原因があるってことに……。自分から殻に閉じこもってそこから出ようともしないで、ただそこに居るだけで。きっと周りの人たちも私が殻から出てきさえすれば普通に接してくれるって気付いていました。でも私は、出るのが怖くてそのことから目を逸らしてしまいました。だから、中学校に上がっても一人ぼっちでした」
俺はいじめにあったりしたことはないが、その気持ちは理解できる。俺が杠葉さんの立場でも、一度そのような目にあったら植え付けられた恐怖で表に出ていくのが嫌になってしまうと思う。
「中学生になってもそれは変わらずでした。でも一年生の夏に有紗さんがずっと一人ぼっちでいる私に手を差し伸べてくれました。それでまた思ったんです。私が殻から出れば周りも普通に接してくれるって。でも……、それでも怖くて殻から出るのは有紗さんと居る時だけでした。有紗さんはそんな私でも嫌な顔一つせずに今日まで一緒にいてくれましたね」
杠葉さんが言葉の最後に嬉しそうに微笑むと、有紗は小さく相槌を打っている。
「でも、高校生になると殻に閉じこもっていたツケが回ってきました。間違っている噂が流れても、いえ、皆さんにとっては噂ではなく事実なんでしょうけど、有紗さんと陽歌さん以外には誰も私の話には耳を傾けてくれませんでした。だから、有紗さんが頑張ってくれているのにどうしていいのかわからなくて、怖くてまた殻に閉じこもる以外に思い浮かばなかったんです」
間違っている噂とは、二岡のことで間違いないはずだ。
二岡には杠葉さんが今更殻から出たところで到底及ばない人望がある。
それは当然のように有紗や陽歌の発言すら打ち消すほどに強力なものだった。
だから諦めてしまっていたのだろう。
「新学期初日、私は学級委員に推薦されました。私のことを信頼してるからって……。でもそんなの嘘に決まってます。私は一年生の時、特に何をする訳でもないお飾りの学級委員でしたから。だから、最初は断りたかったんです。でも、断ったら周りの方にどう思われるんだろうって考えると中々切り出せませんでした」
やはり杠葉さんはあの時困っていたんだ。周りの目には決して映ることのない萎縮した後ろ姿は、間違いなく本物だったのだから。
「あの時も有紗さんは私の為に発言してくれましたね。流石に佑紀さんを学級委員に推薦したのはびっくりしましたけど」
「まぁ、私もあれは流石に無理があるってわかってはいたんだけどね」
杠葉さんと有紗はあの時のことを思い出し笑い合っている。
いや、ホント無理ありすぎだからな? ありえねーだろ転校生がいきなり学級委員なんてよ? というか、無理だってわかってんなら最初から推薦すんなや! 変に目立っちまったじゃねーか。
「私が推薦された後、有紗さんは私の代わりに学級委員になろうと立候補してくれましたね。それに、私があの時困っていることに気付いてくれた人もいました。佑紀さん……、それに陽歌さんも。嬉しかったんです、誰も気付いてくれない中で、本当の私に気付いてくれる人がいたことが」
そんなことを言われるとこっちまで嬉しくなり照れてしまう。
有紗と陽歌は元々本当の杠葉さんに気付いているわけだから、今の発言ピンポイントで俺のことじゃん。
「佑くん、顔が赤いよ? もしかして照れてる?!」
「うっさい」
「――っいったぁ!」
いつものことながら、からかってくる陽歌の頭を左手でペシっと叩いてから杠葉さんと有紗の方に向き直す。
「私の心は救われました。まだ殻から出ることができるかもしれないって勇気をもらいました。きっと、この機会を逃したら私は一生殻に閉じこもったままです。だから私は決意しました。ここで学級委員をやって、お飾りなんかじゃなくてちゃんとクラスの方たちと向き合って、私自身の存在を認めてもらいたいって」
杠葉さんの瞳には一切の迷いはなく、本気で自身を閉じ込め続けてきた殻の中から出ようとする意志が伝わってくる。
「本当は一人でできればそれが一番良いのですが、今の私ではそれはできません。だから、お願いします有紗さん。私をこれからも助けてください!」
杠葉さんが頭を下げてお願いすると、有紗は慈愛に満ちた表情を浮かべた。
「ほら、頭なんか下げなくても良いから顔を上げなさい」
有紗にそう言われると、杠葉さんはゆっくりと顔を上げた。
「あんたの決意、ちゃんと受け取ったわ。こんなこと、真正面からぶつけてきたのは初めてよね。凄い嬉しいわ。……約束よ綾女、ちゃんと殻、破ろうね。私ももちろんあんたを助けるから」
有紗が杠葉さんの小指に自分の指を絡めると、杠葉さんはブンブンと頭を上下させ頷く。
その様子を眺める陽歌が、少しだけ寂しげな表情をした気がした――。
「どうした?」
「――えっ?! な、なに?!」
「え、いや、なんか涙が切なそうに見えて」
陽歌は慌てて手で涙を拭いてしまう。
「そりゃ感動するじゃん! 逆になんで泣いてないの?」
「なんでと言われてもな……、感動的場面のはずなのにな。あれ? なんでだ?」
「私に聞かないでよ! そんなの知らないよ!」
「まぁ、話聞くのに夢中になってたから意識がそっちにいかなかったんだろ、多分」
「相変わらずテキトーだねぇ」
ジト目でこちらを見てくる陽歌に、先程の面影はもう残っていなかった――。




