15 変わりつつある日々
昼休み、今日もここまで教室の中は普段と変わらない光景が続いている。
二岡が杠葉さんに彼氏ヅラをしながら絡み、杠葉さんが多少困った表情を浮かべながら対応しているいつも通りの光景。
いや、変わっているではないか。以前の杠葉さんは、只々どうしていいか分からずあたふたしているだけだった。
それが今日は、表情こそ困っているものの二岡にそれなりの対応をしている。
何を話しているのかは知らないが、会話自体は成り立っていそうだ。
それともう一つ、普段ならこういう時にすぐに動き出す有紗が今日は席から一歩も動かない。
「おーい、杠葉さんが二岡に絡まれてっぞ。行かなくていいのか?」
その様子をボーッと眺めているだけの有紗に聞いてみると、有紗の眉が僅かに動くが反応は返ってこず、すぐに机に伏せてしまった。
どうしたんだ? 昨日は、一日中唸りながらもこの場合の時だけは思い出したように杠葉さんの元に駆けつけてたのに。
杠葉さんに一応確認しておきたいことがある為、席を立ち杠葉さんと二岡に近づいていく。
「杠葉さん、ちょっといい?」
杠葉さんにひたすら話しかけている二岡を差し置いて割って入ると、教室中が奇妙な静寂に包まれた。
だが、この学校の生徒たちの固定概念を知ってしまえばこんなことは想定の範囲内。この場凌ぎの対策だけは考えてあるからとりあえず大丈夫なはずだ。
「え? はい、大丈夫ですよ」
杠葉さんは少しキョトンとした顔をしているが、俺との会話に応じるつもりでいる。
「椎名、綾女に何か用? あ、よかったら三人で一緒に話さない?」
――なんですとっ?!
耳を疑った。この場合、男だったらとりあえず周りの目が強くそいつを否定すると聞いている。
ここまでは、今のクラス内の空気から考えても、それに近いものがあるから間違っていないと思う。
では二岡はどうだ? 俺はてっきり、お前の態度もガラリと変わるものだと思ってたからちょっと動揺してしまっている。
だが、これは好都合だ。今のところ二岡から俺に対する悪意は感じない。今のうちに用件だけささっと伝えてしまおう。
「いやぁ、用っていうか、用があるのは俺じゃなくて事務室の人でさ。なんでも杠葉さんと知り合いらしくて、弥生日和って店のデザートについて語り合いたいんだと。さっき食堂の帰りに運悪くすれ違っちゃって、杠葉さんに事務室に来るように伝とけって言われてさ。悪いな二岡。せっかくの誘いだったのに事務室の変人のわがままに付き合わせることになっちゃって」
もちろん嘘なんだけどね。だって今はこういった感じにしか杠葉さんを呼び出せないし、仕方ないじゃん。周りの目も怖いし、今もちょっと怖いわ。
弥生日和を使ったのは、昨日相沢から春田も理解したかもしれないとメッセージが来たからで、この場で余計なことを言ったりはしないはずだと思ったからだ。
春田の方に視線を向けてみると、こちらをやや不満そうな表情で見ていた。
すまん春田。この手の方法しか思い浮かばなかったんだ。だって藤崎先生が呼んでたって言うと二岡も付いてきそうじゃん? 学級委員だし。
「へぇ、椎名は事務職員の方と知り合いなんだ」
二岡は爽やかスマイルを浮かべそう言うけど、あの人と知り合いになることはそんな楽しいことじゃないんだよ? むしろ精神がすり減ってしまう事案だよ?
そんなことより二岡、マジイケメンッ……! 男なのに思わずときめいちゃいそう。おっと、今はそんな場合ではない。
「悲しいかな、転校初日の始業式の間はそこであの変人に終始からかわれてたからな……」
俺はその日の出来事を思い出し、あの時感じた感情を前面に押し出す。
「お、おう……。そうだったんだな。ごめん、嫌なこと思い出させちゃって」
変人と知り合いになってしまった俺の悲しみが伝わったのか、二岡は顔を引きつらせ俺の左肩にポンッと手を置き、同情の言葉をかけてくれた。
「って事だけど、杠葉さん、俺は一応伝えたので」
俺はそれだけ伝えて自分の席に戻っていくと、教室の中は再び喧騒を取り戻し、杠葉さんはすぐに教室を出ていった。
さてと、三分くらい経ったら俺もこっそり教室を抜け出しますか。
「あんた、何のつもりよ」
有紗が睨みを利かせて俺に問う。
「別に、呼んでたから伝えただけだけど」
「嘘ね。だってあんた、さっきまで普通に席に座ってたじゃない。そう言われてたなら真っ先に伝えに行かなきゃダメでしょ?」
「この学校の情勢じゃ、俺だって多少は心の準備が必要なんだよ」
そこまで言うと、有紗は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「助けて、くれたの……?」
「別に。そんなんじゃねーよ」
助けたとかそういうのではない。単純に俺が杠葉さんに確認したいことがあった。ただそれだけのことだ。
それよりも、ごく稀に有紗は弱々しい一面を垣間見せる時がある。
それが有紗本来の姿なのか、はたまたもう一つの一面なのか、その答えを今は知らない。
いずれわかる時が来るのだろうか? そんなことを、ぼんやりと考えてしまった。
※※※※※
三分ほどが経過し、俺は事務室に向かった。
未来先生は事情を知らないから杠葉さんが来てビックリしているだろうが、あの人のことだから適当な理由をつけてその場に滞在させるはずだ。事務室に着いて杠葉さんがいないということはないだろう。
事務室のドアをノックすると未来先生が出てきた。
「あらぁ、椎名くんじゃない。おねーさんを口実に綾女ちゃんを呼び出しちゃダメなんだぞ!」
未来先生は人差し指を立てながら俺に一度注意して、事務室の中に招き入れてくれる。
ソファーには杠葉さんが座っている。そしてもう一人……。
「おや? 椎名じゃないか。聞いたぞ、昨日杠葉と弥生日和に二人でいたらしいじゃないか」
「藤崎先生、何でこんなとこにいるんすか?」
「質問の答えになってないぞ椎名。ま、別に良いがな。私はサボってないか心配で妹の監視に来たのだよ」
あ、なるほど。
何故かその心配が理解できてしまう。未来先生って、いつもサボってるイメージだしな。
「私はサボってませんー! ほら、お姉ちゃんはさっさと仕事に戻った戻ったっ……!」
未来先生は藤崎先生の手を引っ張り事務室の外に追い出してしまう。
「あ、ごめんね椎名くん。お姉ちゃんに昨日弥生日和で会ったこと言っちゃった!」
「別にいいです」
「あ、あのー……」
杠葉さんが苦笑いを浮かべながらこちらを見ている。
「あ、ごめん。さっきの未来先生が呼んでるってのは――」
「はい、わかってますよ。私に何かお話があるのですよね?」
バレてたか……。だが、それなら話は早い。
「うん、まあ。一応確認しておきたくて」
「確認、ですか?」
「有紗には今日の放課後話があることをもう伝えたのかなって」
「はい、昨日の夜にメッセージを送りました。ちゃんと来てくれるってメッセージも返ってきましたよ」
杠葉さんは笑顔を浮かべ嬉しそうにしている。
「そうか、ならよかった」
「えっ? それだけなの?」
「はい、そうですけど?」
「私はてっきり、おねーさんも含めて楽しく雑談でもしてくれるのかと思ってたんだけど?!」
「いや、違いますけど。たまたまこの場所を思いついただけですから」
「えぇっー! それだけの為に綾女ちゃんをここに呼んだの?! 普通教室でも良くない?!」
俺だってそれが可能ならそうしたい。俺が女だったら別の話だが、男だから周りから邪険にされる可能性は高い。今のところはそう判断している。
「未来さん、それは私のせいなんです。学校では私に話しかける男子生徒は残念なことに悪者扱いされてしまいます。ですから、私のせいなんです……」
杠葉さんは悲しそうな表情を浮かべ下を向いてしまう。だが、それは杠葉さんのせいではなく確実に周りが悪い。
だから、この子がこんなに落ち込む必要はないと思う。
「あー、そういえばそうだった。相手が椎名くんだからすっかりそのこと忘れちゃってたわ」
「でも、佑紀さんは私とお話しようとしてくれるんです。今日もこうしてここに呼んでくれました。それに最近は、相沢さんも以前に比べて私の見方を変えてくれているような気がするんです。もちろん、なんとなくなのですが……」
杠葉さんの話を聞く未来先生は、普段のおちょくったような態度ではなく真剣そのものだ。
それができるなら普段からそうしてくれよ……。
「良しっ! じゃあこうしよう! 私が暇な時は二人とも今日みたいにここに来ても良し!」
えー、杠葉さんはともかくこの人と必要以上に絡みたくないんだけど……。
「いや、別に来たくない――」
「――ホントですか?! じゃあまた来ましょうね! 佑紀さん!」
「は、はい……」
杠葉さんの勢いに、俺はただ了承の返事をするしかなかった。
その後少しだけ雑談をし、教室に戻る為に事務室を出ると、すぐ側にある玄関の所に陽歌の姿があり、ボーッと外を眺めていた。
「何やってんだ?」
「え? ――わぁっ! 佑くん?!」
声を掛けると驚かれてしまった。
何で俺を見るなりそんな驚くの?
「えっと、その……」
陽歌は何か後ろめたいことがあるのか黙ってしまう。
「あー、なるほど。ついてきてたのか」
「えへへっ」
陽歌はペロッと舌を出して苦笑いを浮かべた。
「陽歌さん、私、陽歌さんにも言わなければいけないことがあるんです」
杠葉さんは陽歌を見るや、いきなりそう切り出した。
有紗だけではなく、陽歌にもちゃんと伝えるようだ。相変わらず律儀ですこと。
「えっ……? な、何かな……?」
陽歌の表情にも緊張が走る。
おう。いい緊張感だぞ陽歌。お前はいつもみたいにフワフワしてないで、今回は真剣に聞いとけ。
「じゃあ、俺は先に戻ってるから」
教室に杠葉さんと一緒に戻ったら対策も水の泡だ。それは現状避けなければならない。
俺はそれだけ告げ、一人教室に戻った。
※※※※※
教室に戻ると、有紗は一人机でポツンとしていた。
席に座りスマホを開くと春田からメッセージが入っていた。
【今日も御来店お待ちしていますね! お客様!】
うげっ……。なんだろう、この文面から伝わってくる怒りは……。
だが口実として利用してしまったのも事実。
お詫びに行くとしますか……。
「あんた、どこ行ってたのよ」
有紗が不意にそう聞いてくる。
いつ時も、そのツンッとした感じは含まれるのね……。
「しょんべん」
「下品な言い方やめてくれる? それにしては随分長かったわね。……ホントは大きい方なんじゃないの?」
「おーう、じゃあ大きいほうだ」
俺がそう言うと――。
「あんた! そこは否定しなさいよね! バカ! 下品! ヘンタイ!」
――有紗の顔が急激に赤くなっていき、俺に勢い良く罵声を浴びせてきた。
なら聞くなよ……。というかどいつもこいつも俺をヘンタイ呼ばわりしやがって。人聞きが悪いんですけど。
「はぁ……。ま、いいわ。少しだけ元の調子に戻ったみたいだし」
「な、なによ……?」
「別にー。お、そうだ。今日帰りに弥生日和行くから有紗も行くか?」
あ、そういえば今更だけど、弥生日和って春田の名前がつけられてんだな。全然気付かんかったわ。
「はぁ、別の日なら行ってあげてもいいんだけど今日は無理ね」
「あっそ」
「なんで聞いてきたあんたがそんな素っ気ないのよ! 普通逆でしょ?! もう……」
有紗の口元が少しだけ緩んでいる。
その口元は、なにかを呟いているように見えた――。




