10 金髪ツインテールの手料理
「あぁ、疲れた」
クラス会の翌週月曜日の放課後、慌ただしく過ぎた今日一日に流石に疲れを感じずにいられなかった。
クラス会以来、多くのクラスメイトにメッセージアプリのクラスのグループから勝手に友達登録されメッセージが送られてきたのだが、正直名前も顔も知らない人からメッセージを送られてもどうしていいかわからない。
そろそろ教室の掃除が始まる気配が漂っているし、今日は疲れたから用がない俺はさっさと帰路に着くことにしよう。
あ、帰りにスーパー寄ってこ。
と、教室を出たわけだが、同じく掃除がない有紗も俺が立つのを待ってたかのように同時に立ち上がり、俺の後から教室を出てきた。
まぁ、偶然タイミングが一致しただけか、と思いきや、教室を出てから靴箱まで、そこから更に校門まで、有紗は俺の真横をピタリとくっついて歩いている。
「なんで着いてくんの?」
「いいじゃない別に。途中までは同じ道なんだし。それとも何? 私と帰るのが嫌だって言いたいわけ?」
何か用でもあるのかと思い聞いてみたのだが、特にそういうわけでもないらしい。
「そうは言ってねーけど」
「なら良いじゃない。超美少女の私と帰れるんだからあんたラッキーよ?」
姫宮有紗は自分が美少女であることを理解しているらしい。
まぁ、言動諸々からわかっちゃいたけどね。
「スーパー寄ってくけど良いか?」
「スーパー? 初めて会った場所?」
「そーだけど。夕飯の惣菜とか買いに行こうかと思って」
「惣菜ってあんた、一人暮らしなのに料理できないの?」
有紗は呆れたように聞いてくるが……。
「料理以前に右手使えませんから」
だからそもそも、料理なんてできるわけがないのだ。
もちろん、右手使えても特に料理なんてできませんけどね。
「あ、そういえばそうだったわね。三角巾巻いてないから怪我してるのすっかり忘れてたわ。でもどうせ、使えてもできないんでしょ?」
大半の男は料理なんてできないと思うのだが、それを知ってか知らずか有紗はどうしても俺に料理ができないと言わせたいらしい。
「文句あるか?」
「別に。見るからにできなさそうだし。私も一緒に行くわ。今日は私が腕によりをかけて作ってあげる」
なん、だと……。
あの姫宮有紗が? 日頃ツンッツンしてるこの子が? 料理を作ってくれるだと?
いや、でも待てよ。
「一応聞くけど、料理できんの?」
見るからにできなさそうだけど……。
「――それくらいできるわよっ! 失礼しちゃうわね。つべこべ言うと作らないわよ?」
「すいません! 是非お願いします!」
「まったく……、こういうときだけ調子が良いんだから」
子供を見るような目で笑う有紗に、微かに母性を感じた。
※※※※※
「つ、疲れた……。ちょっと休憩」
スーパーで買い物を済ませ、たくさん食材が入った買い物袋を持ってくれた有紗がリビングのソファーでグッタリしている。
「悪いな……。荷物持たせちまって」
「いいわよ。あんた鞄左手で持ってるし、右手使えないんだし」
スーパーの店内や帰り道すれ違う人達の視線が、俺をクズだと言っていた。
男が荷物を女に持たせる構図、うん、最悪だな。
と、俺も自分をクズだと思う。
「ふあぁ……、ねむ。あ、今日は夕飯いらないってママに連絡しとかないと」
有紗は小さく欠伸をしてから、スマホを取り出して弄り出す。
「眠いんなら寝てもいいぞ。ほれ、ブランケット」
「うーん、じゃあそうさせてもらうわ。六時くらいになったら起こしてちょうだい」
有紗はそう告げ、ソファーに寝転がりブランケットに包まるとすぐに寝息を立て始めた。
気持ちよさそうに眠る顔をついつい見入ってしまう。
それにしてもなんて無防備なんだ。
よくよく考えてみればこいつは女で俺は男だ。欲望に駆られて襲ってしまいました、なんてことになってもおかしくない。
第一有紗は可愛いんだし。
それでも、ここで普通に寝てしまうということは多少は俺も信頼されているはずだ。理性を保てずその信頼を失ってしまうのは気が引ける。
まぁ、それ以上にそんなことしたら本気で殺されそうだしな……。
大きく息を吸って気持ちを沈め、俺は勉強をする事にした。
※※※※※
「おい、六時だぞ。起きろ」
指定された時間になった為、言われた通り有紗を起こそうとしたのだが、反応が返ってこない。
仕方ないので肩をトントンしてみる。
「ん、んん……。ふあぁ……」
有紗の頭はまだ覚醒していないのか、ぼんやりとこちらを見つめてきた。
「六時になったぞ」
「あー、もうそんな時間?」
有紗の体を包んでいたブランケットがスルリと床に落ちた。
その拍子に、見えてはいけないものが目に入ってしまう。
パンツが見てしまった。可愛いらしい水色の。
「あ……」
「どうしたの……? ――きゃっ!」
有紗は大急ぎで捲れたスカートを元に戻してこちらを睨んでくる。
「あ、えと……」
「何見てんのよ! ヘンタイ!」
「今のは事故! 事故だから!」
「言い訳してんじゃないわよ! ――はっ?! まさかあんた、私が寝てる間にエッチなこととかしてないでしょうね?!」
「してない! してないから! 今のは本当にすいません! でも事故なんです! 許してください!」
俺は謝罪の勢いに任せて、全力でヘコヘコする。
「そう、ならいいわ。反省してるみたいだし今回だけは許してあげる」
「ありがとうございます!」
すんなりと引き下がってくれた。いつも思うが、有紗は意外と物分かりがいいから、こちらが素直に接することで大抵のことは水に流してくれる。
俺としてもその方が関わりやすくて助かっている。
「じゃ、そろそろ作りますか。台所借りるわよ」
「おう。あ、なんか手伝うことあるか?」
「別にないわよ。あんた片手しか使えないんだし普通に邪魔よ。テレビでも見てたら?」
ただ作ってもらうだけなのは悪いし、できることがあるなら手伝った方がいいに決まっていると思い聞いてみたのだが、逆に邪魔者扱いされてしまった。
でも確かに、言われた通り今の俺にできることはほぼなさそうなわけだし、素直にテレビでも見る事にするか。
と、テレビを点けると丁度野球のナイターの試合がやっていた。
巨仁対阪伸の伝統の一戦というやつだ。シーズンも始まったばかりで観客の盛り上がりが凄い。
俺は野球に関してはただのミーハーだから、特に好きな球団とかがあるわけではない。
あえて言うなら、今日巨仁のスタメンで出場している坂元選手と阪伸の先発ピッチャーの藤波投手の二人が、華がある気がして好きだ。
ちなみに俺がテニスを始めたきっかけはロジャー・フェデリーに憧れたからである。
元々はテニスに興味なんてなかったのだが、幼い頃にたまたま深夜にやっていたウィンブルドン決勝で観た彼のエレガントで華のあるプレーは、俺をテニスの道に誘導するのに十分な衝撃を与えた。
そして巡り巡って彼が四大大会初優勝から十五年以上も経つ今も、世界の頂点に君臨しているのだからビックリだ。
そんなことを考えながら何となく野球中継を眺めていると、突然インターホンが鳴った。
「誰か来たわよ。早く出てきなさいよ」
「どーせ陽歌だろ」
「え? はるちゃんが来たの?」
「さあな。ただの予想だよ」
立ち上がりモニターを確認すると、予想通り陽歌だった。
「やっぱり」
玄関に向かい扉を開けると、タッパーを持つ陽歌がいた。
「あ、佑くん! これ、お母さんがお裾分けにって」
陽歌は手に持ったタッパーを俺に差し出してくる。
「あぁ、サンキュー」
「――ん?! なんか美味しそうな匂いがするけど、まさか料理してるの?! というか、できるの?!」
「もちろんできねーよ」
「だよねー。右手使えないから無理だよね」
「右手使えても無理だけど」
「うん、もちろん知ってるー。今のは私の優しさだよ。受け取らないなんてやっぱバカだね。でさ、なんで料理できないのに美味しそうな匂いがするの? 料理してる家庭の匂いって感じなんだけど」
家庭の匂い?!
それじゃまるで俺と有紗が夫婦みたいな感じになるじゃねーか。
あいつが知ったらキレそうだな。ここは何としてもバレないようにしなくては。
「あー、いや、これはスーパーの惣菜を温めてるだけだから」
「スーパーのお惣菜を温めるにしては随分と長いよね? 普通こんなに長くチンしなくない?」
陽歌は当然のように論破してくるが、何が何でも誤魔化さなければならない。
「今日のは、ほら! あれだよ! 鍋……?! みたいなやつ?」
「なんで疑問形なの。それに、私が来たタイミングで丁度レンジにねぇ。凄い偶然だね」
「お、おう。本当になんて偶然なんだぁっ!」
「じゃ、私は帰るね!」
「おう! また明日な!」
ふぅ……。助かった。なんとか誤魔化せたみたいだ。
陽歌が帰る為に歩き出すのを見て、俺は額の汗を左手で拭った。
その瞬間、陽歌はピタッと一度静止してからこちらに振り返った。
「……なんて、言うと思った?」
「――えっ!?」
「何驚いてるの? だいたい、どう考えても料理してる匂いなんだし、あんなんで誤魔化せるわけないじゃん。ローファーも見えてるし」
「あっ! しまっ――」
陽歌は俺を押し退け家に上がってしまう。
「さあ誰かな?! 佑くんを誑かす悪女は!」
「――おいっ! ちょっと待て!」
俺の制止も意味はなく、陽歌はリビングに入っていった。
「あ、やっぱはるちゃんだったんだ」
「有紗ちゃん?! じゃあ有紗ちゃんが、佑くんを誑かす悪女ってこと?!」
「――ちょっと?! なんで私が悪女になるのよ! 第一、私がそんなヘンタイ誑かすわけないでしょ!」
「だよねぇ。あ、佑くん遂に有紗ちゃんにもヘンタイってバレちゃったの……?」
陽歌が哀れみの表情でこちらを見てくる。
が、まったくもって目が哀れんでくれてない。
そもそも、お前この前食堂で当たり前のように俺をヘンタイ扱いしやがったじゃねーか。
何が『遂に』だよ。ふざけやがって。
「陽歌、言っておかなければならないことがある。今更だが、俺はヘンタイではない」
「――ええっ?! そうだったの?!」
「何大袈裟に驚いてやがんだ! お前が勝手に言い出しただけだろうが!」
「だって、私のお母さんにあーんしてもらって喜んでたじゃん! 私、佑くんにただの年上なんかじゃない、熟女好きの趣味があるなんて知らなかったから……」
「あんた、熟女好きだったの?!」
有紗も陽歌の発言に食いついてしまう。
いや待て、喜んでねーから。どう見りゃあれが喜んでるように映んだよ。
それに、熟女好きの趣味なんて無えっつーの。
あと、年上好きとか年下好きとかロリコンとか、別に俺はそうゆう趣味があるわけじゃなくて、年上だろうが年下だろうが、美少女が好きなんだよっ!
「違います。全てはこいつの勘違いです。はい」
「そ、そうなの……。ちょっと安心した。そんな趣味だったら距離を置くとこだったわ」
それは困る。学校生活にも大きく影響しそう。
だって有紗は、俺の数少ない花櫻での関わりのある女の子だし。
距離なんて置かれたらぼっち一直線と言っても過言ではない。
「あ、そうだ。はるちゃんも食べてく?」
「私? 今家で食べちゃったんだよねぇ。だからもう入らないかも」
「そっかぁ、それは残念ね」
有紗は作った夕食をテーブルに運んでいく。
「あ、でもでも、せっかくだしお話には混ぜてもらおうかな。あ、私も運ぶよ」
「俺も」
「あんたは邪魔になるから座ってなさい!」
「はい……」
言われるままにテーブルに座り、夕飯が全て運ばれてくるのを待つ。
なんか凄い量が運ばれてくるんですけど……。しかもトンカツにコロッケに春巻きに——って、揚げ物しかねえじゃねえか!
思わず心の中でツッコんでしまうほど、きつね色に染まっていく食卓に額の汗が止まらない。
い、胃もたれしそう……。
夕飯が全て運ばれて、有紗も陽歌も席に着く。
「い、いただきます」
「召し上がれ」
果たしてこんな量食べ切れるのか、そんな恐怖を胸にトンカツを口に運ぶ。
「お! 普通に美味いな! 本当に料理できたんだな!」
「なに? まだ疑ってたわけ? これが私の実力よ」
有紗は勝ち誇った顔で俺を見てくる。相当自分の腕に自信があったらしい。事実料理の腕は本物だ。
「相変わらず凄い量だね有紗ちゃん。そういえば有紗ちゃん、こんな食べるの、この人にバレちゃうけど……、いいの?」
陽歌は心配そうに有紗を見ている。
「あー、もうそいつはいいのよ。以前不運な事にバレちゃったし」
「そうだったの?!」
「えぇ、山根屋でね。まさか隣に座っているとは気づかずに、いつも通り注文しちゃったのよ……」
「それは災難だったね。もう! 佑くんサイテー!」
「なんでだよ! 俺だってラーメン屋ぐらい行くわ!」
全くなんて理不尽な。何故俺がサイテー扱いされなきゃならんのだ。なにもしてないのに。
「にしてもホント美味いな。食べきれねーと思ったけど案外完食出来るかも」
「ホ、ホント……?! ありが……と」
有紗は褒められたことが嬉しいのか、頬を赤らめて夕飯を口に運んでいる。もぐもぐしている姿がリスみたいで可愛らしい。
「んー? 佑くん、なんで有紗ちゃんを卑猥な目で見てるのかなぁ?」
陽歌はニッコリと笑って俺を見てくるが、目が笑っていない。
だからこえーよ。そもそも卑猥な目でなんか見てねーし。
「――ひ、卑猥な目?! あんたまさか、さっきのっ……!」
さっきのって、パンツのこと?
正直に言うと目に焼きつけたよ、うん。
だけど、今は考えてなかったよ?!
……陽歌め、いつもいつも勝手にものをいいやがって。
「――ち、ちげーよっ! そんな目してねーし! 陽歌が勝手に言ってるだけだ!」
「えー、でもいつものヘンタイな顔してたよ?」
いつものヘンタイな顔ってなに?
俺知らないんだけど。
普段こいつの目に俺がどう映ってるのか考えると、やっぱり怖いんだけど。
「いつものってなんだよいつものってよ! 今のはもぐもぐ食べてんのが、なんかリスっぽいなーと思ってただけだ」
俺の発言を聞くや否や赤くなっていた顔が更に紅潮していく。
「な、なに言ってんのよあんた……!」
「なにって、ホントのことを……」
「だから! それをやめなさいって言ってんのよ!」
「お、おう。なんかすまん……」
何故だか知らないが怒られてしまった。理由を知りたいがいつものパターンだと余計怒らせること必至なので聞かないでおく。
「佑くん、有紗ちゃん完全攻略に向けて一歩前進」
「何言ってんだお前」
「なんでもないよー!」
「やめてよはるちゃーん! そんなんじゃないんだからー!」
「ふふっ! ごめんね有紗ちゃん。もう言わないから!」
陽歌と有紗、二人の仲睦まじげな様子を見ていると今日一日の疲れも気付けば感じなくなっていた。




