5 負け犬精神
掃除を終え、今は帰宅中。
「佑くんさ、掃除中真斗くんと一言も喋らなかったねー」
席替えをした事により班も新しくなった。つまり一緒に掃除をする人も変わる。
今回の席替え、唯一の救いと言えるのが陽歌が俺の前の席になった事だ。
二岡の隣だと知り絶望していた時、陽歌が俺の前の席に机を移動させてきた。その瞬間だけは、陽歌がまるで女神様のように見えてしまったのは言うまでもない。
ああ、ここは地獄と呼ぶにはまだ早いと、そう思えたのは陽歌様のおかげです。ありがとう。
ちなみに、陽歌の隣、すなわち俺の右斜め前はは反町和史だ。まともな奴で良かった。ならこれも救いか。
「逆に何を話せと? というか、お前なんて果敢に話しかけてた割に全無視されてたじゃねーか」
つまり、仮に俺が話しかけても同じ結末。余計な労力を使うだけだ。
「残念でしたー、全無視じゃありませーん。最後の方は反応してくれてましたー」
「全然気付かなかったわ。本当に反応してくれたのか?」
「相槌だけね」
それ、絶対うざがられてたやつだな。反応したくないけど、何度も話しかけてくるから面倒だけど相槌だけ返しとこ、的な。
まるで会ったばかりの頃の俺と陽歌だな。うざがられ担当は俺だったけど。
「はるちゃんに話しかけてもらっておいて相槌だけなんて、相変わらず嫌な奴」
「聞き上手とも言えますよ」
掃除が終わって帰る為に陽歌と校門まで行ったところ、そこで待っていて途中まで一緒に帰る事になった二人、有紗と綾女がそれぞれ陽歌の話に反応した。
「あれに限って聞き上手は絶対無いでしょ……」
「それに関しては俺も有紗に同感だな。……ん?」
今日の綾女、何かが変だ。別に頭がおかしいとかそういう話ではなく、容姿に関して俺の記憶とズレがあるような……?
「どうされました? 私の顔に何か付いてます?」
「いや、顔って言うか……あ」
その顔から視線を下に向けると、記憶のズレの正体が分かってしまった。
「エロ視線、ガン見の場所は、その胸だ。湧き立つ妄想、今夜のお供に」
「黙れバカ陽歌っ……! 見てないわっ!」
なんて陽歌に言い返したものの、実際見ていた。だってさ……おかしいじゃん?
「どう、でしょうか……?」
と、綾女は少し恥ずかしそうに尋ねてくる。
「何聞いてくれてんの?! はあっ?!」
相変わらずのヘンタイだ。俺よりよっぽどレベルが高い。
そもそも、『どう、でしょうか……?』じゃないんだよっ! だってその胸――、
「以前より大きくなったと思うのですが。あの……Aから、Bくらいには」
「んなわけ……」
ないだろ。夏休み最終日に会った時は安定のぺちゃだった気がするぞ? なのに逆にどういう原理でそんな急激な成長をするんだよ。まだ夏休み終わって三日だぞ?
つまり答えは一つだよな。それは成長じゃなくて――、
「綾女……あんたまさか……」
「パッドだね」
もう遅いけど、それを言うのやめてあげてぇ……。
「――ひゃうっ?! ……バ、バレてた、がっくし……」
最後の陽歌の一言が、綾女にとどめを刺したのか、綾女はその場に崩れ落ちた。
「逆によくバレないと思えたわね……まあ、その内大きくなるわよ。私みたいに」
「自慢ですか? というか、別にそこまでのサイズになりたいとは思ってませんし」
「なっ……パッドで盛っといてよく言えたわね!」
よく分からんが喧嘩が始まった。
「あーあ、陽歌が真実を言うから」
「元を辿れば、ヘンタイがあやちゃんの胸をガン見してたのが発端なんだけど」
「だからガン見はしてねえし……もうほっといて行こうぜ」
と、立ち止まって言い争ってる二人を置いて歩き始める。
しかしすぐに、とんでもない足音を立てて二人が俺と陽歌の前に回り込んできた。
「私のDと」
「私のA」
「……へ?」
「「どっちが好き……?!」」
「――なななっ?! 急に何なんだお前ら?!」
唐突な質問に、頭の整理が追いつかない俺がいた。
「男性視点から見た意見を参考にしたいと思いまして」
「そうよ、だから答えなさい」
意味が分からない。俺の胸のサイズの好みを聞いて、それが一体何の参考になると言うのだ。
「えっと……よく分からんけど、参考にしたいなら別の男に聞けば良いのでは?」
そもそも、俺が答えたところでそれはあくまで俺の主観。世の男の共通事項ではない。というより、好みなんて人それぞれ。だからどうして参考になるのか理解できない。
それに、ここには陽歌がいる。答えればヘンタイ扱いに拍車が掛かるのは確定だ。既にヘンタイ扱いされているが、わざわざそれを進化させる利点は存在しない。
「「いいから答えてっ!」」
「――は、はいっ! 僕はCカップくらいの胸が好みであります……! ……あ」
が、しかし、二人の圧に押されて反射的に答えてしまった。
色々終わった……俺は何を言わされているのか。三人もの華のJKの前で、どうして胸の好みなんか答えているのだろう。ヤバイ、泣けてきた……。
「ゆ、佑くん……せめてDかAの二択で答えてくれないと……」
俺の答えに対して一番に口を開いたのは陽歌だった。それは普段のような毒吐きとは違っている。加えて、陽歌の顔が何故か青ざめている。
「……私、そのくらいのサイズの胸に心当たりがあります」
「……奇遇ね、私も心当たりがあるわ」
次いで、綾女と有紗が口を開いた。ニコニコしているが、作り笑いのようでなんか怖い。
そして同じく奇遇だな。俺も心当たりはあるぞ。陽歌の胸だな。
「あわ……あわあわ……」
陽歌から落ち着きが完全に失われている。え、まさかこの展開……。
「はーるちゃん? ちょーっと楽しいお話しましょ?」
「私もお伺いしたい事があります」
うむ、どうやら陽歌は嫉妬を買ったらしい。だがそれは理不尽だぞ。だって今の答えって俺の主観じゃん。
「おいお前ら、今のは世の中の男の総意じゃないからな?」
「……必殺、戦略的撤退」
「――へ? ちょ、おいっ……?!」
陽歌に腕を掴まれ、そのまま引っ張られるがままに来た道を逆走。せっかく近付いていた家が、遠くなるのだった。
※※※※※
陽歌による戦略的撤退? というか逃走の末に行き着いた先は弥生日和。
本日も春田と相沢が働いている。将来は夫婦となりこの店を切り盛りするんだろうなぁ……リア充ふざけやがって。
と、つい嫉妬してしまうくらいには羨ましい。
「はい、お待ちどうさま」
注文した品を春田が運んでくる。
「それにしても二人で来るなんて珍しいね。普段は姫ちんとあやちんも一緒なのに」
「ちょっと色々あってね」
陽歌はジトッと俺を見ながら春田の問いに答える。
「あらまぁ、椎名くんまたやらかしたんだ」
「またって何だ。勝手にやらかしたって決めんな」
「いやいや、あそこはDかA、どちらか選んで答えてほしいとこだったんだけど」
「D? A? 何の話?」
「……気にすんな」
首を傾げる春田にそう言って、冷たいお茶を口に含む。
「それか、俺は貧乳巨乳関係なしに全てのおっぱいが大好きだって答えてほしかったんだけど」
「――ゲホッゴホッ! お、お前……場所を考えやがれっ!」
「うっわ……椎名くん、よく平気な顔して女の子の前でそんな話できるね。ついでに汚いし……あ、ちなみに今は他にお客さんいないしセーフだから」
春田はお茶で汚れたテーブルを拭きつつ俺に白い目を向けてくる。だがちょっと待ってくれ……。
「この話始めたの俺じゃないよな? 陽歌だよな?」
「はるちんの口からこの話が出た以上、椎名くんがどこかのタイミングで女の子の前でエロい発言をしたのは明白だから」
「したくてしたわけじゃないけどな。半無理矢理答えさせられただし」
「あ、お客さん。というわけで、今からはそっち系の話は控えていただきますようお願いしますね」
と、春田は入店してきた客を案内する為に入り口の方に向かった。
要らぬ誤解をされたままな気がする。解せぬ……。
「大体さぁ、AもDもCも大して変わらないんだし、あんなにムキにならなくてもいいのにね」
「CとDはともかく、AとCは結構変わりそうだけどな。つーかお前、春田の話聞いてた?」
そっち系の話は控えるように言われたばかりだよね?
「アルファベット言ってるだけだし問題無いっしょ」
「何の話題か周りの客に勘付かれる確率も少しはあると思うんだけど」
「勘付かれない確率の方が高いなら別に良いじゃん。何せ私は確率の高い方を選択する主義なので。でも佑くんは違うか……昔っからテニスの試合ではハイリスクなプレーが多かったもんね」
「じゃなきゃトップレベルでは勝てねーからな」
ゲームにおける重要なポイントを押さえ切れるかどうか、それが勝ちに繋がる。そのポイントを押さえる為にリスクを取る。当然、リスクを冒しても取り切る自信があるからこそのプレーだが。
……そうじゃなくてさ、確率の話に惑わされかけたけど、今この時リスクを冒してるのってお前だよな?
何の話題か他の客に勘付かれないのが正解の今、この話題に関する話をやめる。それこそがノーリスクだろ?
にも関わらずお前はリスクを侵してこの話題を続けてるくせに、何が『私は確率の高い方を選択する主義なので』だっつーの。勘付かれない確率が低い方を選択してるじゃねーか。
「凄いね、佑くんは。一番になった経験が何回もあるんだから」
「そのくらいお前だってあるだろ。直近だと体育祭のハードルの予選とか」
「バカなの? 予選一位通過じゃないんだけど」
「レースそのものの話をしたつもりだったんだけど」
予選何組かは忘れたけど、その組で一着になったよね?
「何かにおける真の一番。そんなの、人生で一度も経験が無いよ」
「それを言ったら俺だって無いけどな。世界ランク一位どころかそもそもランクすら付いてないし」
確か、テニスの競技人口って一億人以上いて、それでプロが一万人以上いて、世界ランキングは二千位くらいまでだっけ? プロでも半数以上の人が世界ランキングが付いてないとか。
冷静に考えると、狭き門過ぎて笑えてくるな。
「テニスの日本ジュニアの元ナンバーワン。正真正銘の真の一番でしょ。勝者のメンタルを持ってる証拠じゃん」
「まあ、そうとも言える」
少なくとも、花櫻では運動においては負ける気がしない。実際、二岡に勝ったわけだし、他に対抗馬もいなそうだし。
「私は昔っから負け犬精神が身に付いてるから、何かで真の一番になるなんて一生無理なんだろうなぁ」
陽歌はどこか諦めたようにそう言い、抹茶ぜんざいを口に運ぶ。
「なーにが負け犬精神だ。こっちは日頃からお前に負けっぱなしだっつーの」
「それは無い」
「口喧嘩じゃ大体負けてる気がするんだけど」
「その昔、遊びで関節技決められて泣いたんだけど。個人的にそれで百敗分はあるから」
「……その節はごめんなさい」
覚えてます。小学生の頃の話ですよね?
でもあれ、お前からふっかけてきたんじゃねえか……。
「というわけで、今日も私の勝ちなのでした」
陽歌は舌をぺろっと出して悪戯に笑う。上手い具合に誘導されたわけか。ムカつくが、その表情が可愛くて憎めない。このクソ可愛幼馴染が……!
「ん? どうしたのかなあ? 宇宙一可愛い幼馴染に負けちゃって、悔しいのかなあ?」
追撃の如く俺に対する煽りが発動。だが慣れている俺はこの程度では動じない。余裕でスルーして抹茶ぜんざいを口に運ぶ。
それよりも……これまでも何度も聞いてきたが、自分で宇宙一可愛いとか言っちゃう辺り、やっぱりこいつには負け犬精神なんて身に付いていないと心底思った。




