H.M 暗闇に負けない光
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地獄は思い出さないようにしていた。それでも時々思い出す時もあった。
でも、ここ最近は毎日だ。
「そう、あの花火大会の日以来、毎日――」
あの時、あれは突然に私の目の前に現れた。いや、前々からそんな予兆はあったのかもしれない。
銀髪の女――私にとって災厄の存在の特徴と一致している人間に関する話題がここ最近何度か出たりもしていた。
そして、その銀髪の女と私の中での災厄の存在は間違いなく同一人物だ。偶然とは思えないこのタイミングでの接触が、それを証明してしまっている。
『相変わらず忌々しい顔をしているね』
そんな言葉とともに、あれは神楽殿のところにある私達が座るベンチ前に現れた。
顔を見た瞬間、全身の血の気が引いてしまった。どうしてここにいるのかと、それを聞きたくても声が出なかった。
『そっちのパツキンちゃんは……新しいお友達、かな?』
有紗ちゃんの事は覚えていないようだった。いや、覚えてないというよりかは、髪色が金になっているから分からなかったのだろう。
けど、それはもはや問題ではない。だって――、
『それより、一緒に来てるはずの彼はどこに行ったんだい?』
『――っ?!』
災厄が佑くんに興味でも抱いているかのような発言をしたのだから。
どこから見ていた……? どうしてそれを気にする……? 佑くんに何をする気……?
私の頭は負の思考で侵食されていた。
『あれには体育祭でこき使われてね。二岡とかいう奴とのタイマン開始の合図をしてやったんだよ』
『……う、そで、しょ……?』
『疑うなんて酷いなぁ。あたしはあんたに嘘なんて吐いた事は一度も無いのに』
最悪だ。何でよりにもよってこんな奴に頼んでしまったんだ佑くんは。
……いいや違う、そうじゃない。そもそもどうして、この街にいるはずがない災厄がこうして私の目の前に立っているのか。何が目的で花櫻の体育祭に来客として紛れ込んでいたのか。
私の脳内は、益々嫌な予感で支配されていた。
『それで、彼は今どこにいるのかな? 昔のよしみで教えてほしいんだけど』
昔のよしみなんてものは知らない。この女に関して私の中にあるのは絶望の記憶のみ。
絶対に言わないと、口を固く閉じた。それ以前に、そもそも私だって佑くんの正確な居場所なんて知らなかった。
『……それを知って、どうするつもり?』
何も言わない私に代わって、有紗ちゃんが口を開いた。その声は、少しだけ震えていた。
『ん? それはだね、二学期から花櫻学園に通うから、面識ある彼に友達にでもなってもらおうと思って。でも彼の居場所を知らないなら仕方ないね。焦らずとも、新学期はすぐそこまで来ているわけだし。それじゃ、そろそろ失礼させてもらおうかな』
災厄は有紗ちゃんの問いにそう答えた。
それを聞いていた私の心はへし折れかけた。災厄が花櫻学園に転校してくる。それはつまり、私にとっての地獄の再開に他ならない。
そう思った矢先に――、
『あんたには嘘は吐かないよ。本当のところ、別に彼と友達になろうとか思っちゃいない。忌々しいあんたの精神を効果的に破壊する名案を思い付いただけなんだ。期待しててね――』
災厄は私の耳元で囁き、人混みの中に消えていった。
『ゔぅ……』
目の前からいなくなってくれたから安心したわけじゃない。走馬灯ってどんなものか分からないけど、きっとそれに近いような、地獄の日々が頭の中を駆け巡って泣いてしまった。
昔は見捨てられた。
でも今回は、そんな私を有紗ちゃんは抱きしめてくれた。
その胸の中で泣き続けた。
『……佑くんには、言わないで』
そして私は、たった一つ残されている自身の切実な願いの為に、有紗ちゃんに懇願した。
有紗ちゃんは何も答えずに、ただ優しく私の頭を撫でてくれた。
『お、おーい……買ってきたぞ』
それからしばらくすると、佑くんが戻ってきた。まだ泣き止んでいないというのに、絶妙にタイミングが悪い。
私が泣いていたら、優しい佑くんは心配してくれる。何があったのかと聞かれてしまう。
そんな心配をもう二度と掛けるわけにはいかない。
佑くんにはそれ以上に大切な何かがあるはずだ。私じゃなくて、そっちに気を回さなきゃいつまで経ってもその大切なものには手が届かない。
私の望みはたった一つ。私にとって何よりも大切な存在――幼馴染の佑くんの願いが叶う事。
その為だったら、『影』に戻ろうと構わない。佑くんの障害になるものは、この私が排除する。
あの女が何を企んでるのかは知らないけど、佑くんにだけは手出しはさせない。
狙いは私の精神の破壊らしい。でも、私の精神はどこまで擦り減っても、それを完全に破壊するのは不可能だ。
だって、私の心の中にはいつだって、闇から救ってくれたヒーローがいるから。
そのヒーローが無事なら、私は死なない。
私が負けても、彼が勝つなら幸せだ。
そう思うと、少しずつ涙は引いていった。
そんな出来事から二日の時が流れて、今日は夏休み最後の日。
夕食は佑くんと渚沙と一緒だった。でも、二人はちょっと前に帰ってしまった。
だからかな? 部屋に一人になった途端、急に不安が襲ってくる。やっぱり、怖いものは怖い。
リビングに行けば、今日はお母さんがいるから一人じゃないけど、何かの拍子に今の心境を悟られでもしたら、お母さんにもまた心配を掛けてしまう。
体育祭で私は、お母さんに向けて、もう大丈夫だという意味を込めてピースをした。それを嘘にしたくない。
だから今は下に行かない。
外は真っ暗だ。陽は既に沈み切り、地は影に覆われている。
けど、そんな中でも、窓から見えるとある家は部屋中の電気を点けているのか、暗闇に負けない光を放っている。
【電気代が勿体ないから使ってない部屋の電気は消しなよ】
つい、お節介を焼いちゃった。
明日から学校が始まる。それは同時に、私にとって地獄の再開のホイッスルとなるだろう。
けど、耐えてみせる。耐えて耐えて、平静を装い、笑ってみせる。
私がやる事はたった一つ。何があっても――、
「私が守ってあげるからね――佑くん」
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