22 銀の接触
家庭教師陽歌様から夏休みの課題の解き方を学び始めて、早くも八日。
「良し、今日はこれで終わりにしよっか。この調子なら、後二日もあればいくらバカな佑くんでも余裕で終わりそうだね。まぁ、渚沙の方はとっくに終わってるけど」
「悪かったな、渚沙と頭の出来が違って。……何か飲むか?」
「いちごミルク」
「冷蔵庫に無い物をチョイスすな……分かった、買ってくるからちょっと待ってろ」
「え、わざわざ買いに行かなくても」
「良いから、買ってくる」
そう告げて自室を出て階段を駆け下りる。
「どこ行くの? まさか課題が辛すぎて逃走? せっかく陽歌ちゃんが教えてくれてるってのに」
玄関で靴を履いていると、リビングから渚沙が出てきて声をかけてきた。
「違うわ、ちょっとコンビニ行ってくるだけ。陽歌がいちごミルク飲みたいって言うから」
「んじゃ、なぎはコーヒー牛乳とアイスとプリンね」
「何でお前の分まで買ってこなきゃならねーんだよ……しかも注文多いし。陽歌には教えてもらってるお礼も兼ねて買ってくるわけでな、俺からお前に礼なんて特にねえんだよ」
「なぎという存在そのものに対して感謝したまえよ、お兄ちゃん」
……いや、偉そうだなおい。益々買ってくる気失せたぞ。
だが、俺はお兄ちゃんだ。クソ兄貴ではない。
渚沙も今回はクソ兄貴呼びではないし、仕方ないなぁ、優しいお兄ちゃんである俺が買ってきてやりますか。
「はいはい、なぎたん生まれてきてくれてありがとう」
そう言ってから外に出て、歩いてコンビニに向かう。
体感五分ほど歩いてコンビニに到着。
さてと、さっさと買って家に戻ろ――えっ?! あの子は、確か――。
顔とか忘れてたけど、今見た事であの時俺がスタートの合図を頼んだ子なのではないかと、あの瞬間の出来事がぼんやりと脳裏に浮かんでくる。
別人かもしれないが、恐らく同一人物。
金のラインが入った上下のジャージに、健康サンダル。
雑誌コーナーで蹲み込んで、週刊漫画雑誌を読んでいる銀髪の女の子。
いや、この不良っぽさ……絶対あの時の子だ。
一応この子があの録音を流した犯人である可能性も少なからずあるが、見なかった事にしよっと……。
だって怖いし……話しかけでもして痛い目に遭わされたら堪ったもんじゃないしな。
と、そそくさと買う物をカゴに入れてレジに並び、退店。
「ふぅ……これで一安心」
「なーにが一安心なの?」
「――っ?!」
背後から誰かに話しかけられた気がして振り返ると、そこには銀髪の女の子が怠そうに立っていた。
「え、えっと……どちら様で?」
「酷いなぁ。よーいどんの合図をやらせといて、忘れちゃったの?」
やっぱあの時の子だったぁ……やっべ、この後どうしよう。とりあえずお礼でも言っとくか。それでそれとなく帰宅しよう。
「お、思い出しました……! あの時の方だったのですね! その節はどうもありがとうございました。では、おやすみなさい」
良し、完璧だ。相手に時間を与えない究極のプレー。テニスをやっていたのがこんなところで役に立つとは。
「おい、ちょっと待てやオラッ」
帰ろうとした俺の肩を掴んできて、力尽くで体の向きを変えられた。
うっそーん……! 何が究極のプレーだ。全く通用してねえじゃん。
誰か助けて……って、何でこんな時に限って俺たち以外に利用客が居ねえんだよ!
「え、えっと……何でしょう?」
「椎名佑紀くん、あんたが望んだ通りにタイマン開始のコールをしてあげたんだから、そのお礼が欲しいんだけど」
「ど、どうして俺の名前を……?」
何でこんな怖い人に名前まで覚えられてるんだ……勘弁してくれ。教えたの誰だよ。
「そりゃ、タイマンの後にそこら中からあんたと二岡っつー名前が聞こえてきたから、嫌でも覚えるっしょ。特に、あんたには直接絡まれたわけだし」
うわああああっ……! あの時の俺のバカアホマヌケ! 頼む相手間違えてんじゃねえよ。
「で、くれるの?」
「えっと……逆に何が欲しいのでしょう?」
「今一番欲しいものは、あんたかな」
「はい……?」
何を言ってるのかなこの人は。まさか、今ここでテメェの命をもらうとか、そんな物騒な話じゃありませんよね……?
「聞こえなかったかなぁ? あんたが欲しいって言ったんだけど」
「いや、聞こえてますけど、どういった意味ででしょう……?」
「そうだねぇ、全てを奪うって意味かな」
やはりとんでもない意味だったぁ……せめて、愛の告白とかだったらまだマシだったのに。
まぁ、かなり容姿が良かろうとこんな怖い人嫌だけど。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……! 命だけはどうかお助けを……!」
いや、もし殺られそうになったらソッコー逃げるけどね。絶対追いつかれるはずないし。
「ぷぷっ、あんたってバカなの?」
「は?」
「だって、あたしに殺されるって思ったんでしょ? そんなわけないでしょ。マジウケる」
じゃあどんな意味で全てを奪う、だったんだよ。紛らわしい言い方するなクソヤンキー女。
「まぁ良いや。今日のところはそのいちごミルクで勘弁してやるから、早く寄越しな」
「あ、いや、これは……ダメです」
陽歌の為に買ったのだから渡したりはできない。
つーか、今日のところは、とは……もう二度と会いませんけど。もちろん、ただの俺の願望だけどね。
「……へぇ、あたしに逆らうなんて、あんたって珍しい生き物だね」
「人間以外の別の生物みたいな言い方しないでもらえますかね?!」
「あ?」
「……いえ、あの、じゃあこれなんてどうでしょう?」
クッソ……もう何でも良いから早く帰りたい。
そう思って袋の中からリンゴジュースを取り出す。
「これは?」
「いやぁ、好きなんすよこれ。帰ってから飲もうと思ってたんですけど、この前のお礼という事であげます」
嘘だ。特に好きなわけではなく、何となく気分で買っただけ。お礼というのも、この場凌ぎの言葉。恩とか関係無しに、早く解放されたいだけだ。
「なるほど。これなら少しだけあんたを奪った気分になれるよ」
と、納得したのか銀髪の女の子は俺からリンゴジュースを受け取る。
「そ、それでは俺はこれで……」
「また、近々あんたの前に顔を見せるよ。その時忘れてたら次はしばくからちゃんと覚えといてよ」
「りょ、了解でーす……」
ふざけるな。俺の前に二度と現れるなよ強奪女。クソ……ムカつく事に完全に顔を覚えちまったよ。早く俺の記憶から消えてくれぇ。
その帰路、どうにかして記憶から消し飛ばそうと頑張ってみたが、当然無理だった。




