20 万事解決
夏休みに入ってから二週間近くが経過した今日この頃。本日も当然のように有紗がうちに来ている。
俺の事好きなの? とか聞いちゃった事件により、気まずくなるかもしれないと危惧したものだが、特にそうなるわけでもなかった。それ自体はホッとしているのだが……、
「いや、マジで毎日来すぎな……」
斜向かいに住む陽歌でさえ、毎日来たりはしないぞ? まぁ、あいつも夏休み最初の一週間は毎日来やがったけど……あの日以来うちには一度も来てないんだよな。
その代わりと言っては何だが、入れ替わるように杠葉さんがうちに来るようになったのである。とはいえ、有紗のように毎日では無いが、それでもここ七日間で五日も。
「申し訳ありません……ご迷惑をおかけしていたみたいで……明日以降は、頻度を下げますので」
と、杠葉さんが頭を下げてくる。
「いや、今のは有紗に言っただけだから。杠葉さんは毎日じゃないし」
「どうせ暇なんだから良いでしょ」
「暇なのはお前で、俺は断じて暇ではない」
「例えば?」
例えば、何だろうか……? これといって思い付かない。だって、これといった予定もない暇人だし。
「ほら、やっぱ暇なんじゃない」
回答に困っていたところを、有紗に拍車を掛けられてしまった。
「……いやいや、やる事あるし? 例えば……そうだ、課題。夏休みの課題とか」
「明らかに今思いついた顔してるわよ」
「それの何が悪い。やる事はあったんだ。というわけで、明日以降は来る頻度を減らせ」
「……あんたの邪魔をしちゃってたのね、私……」
え、どうしてそんなショック受けてるの……? もう来るなとは言ってないんだけど?
「え、えっと……邪魔とは言ってなくてですね、あくまで頻度を減らしてとお願いしただけであって……ほら、こう毎日会ってると有紗のお顔を拝める有り難みが薄れると言いますか……」
俺は何を言ってるのだろうか。だが、これ以外に何か良い言い訳が思い付かない。でも大丈夫だ、有紗は自分が可愛いと思っているし、俺が有紗を可愛いと思っているのだって理解しているから。
「ふ、ふんっ……ま、まぁ、あんたがそう言うなら、二日に一回くらいにしてあげるわ」
こいつ、こんなにチョロかったっけ? でもこれで、明日以降は真面目に課題にも取り組まなければならなくなってしまった。言うんじゃなかった……頻度を減らせなんて。
「佑紀さん、ついこの間まで毎日学校で会ってたわけですから、とっくに薄れてますよね? それ」
「なっ……確かにそうね。あんた、テキトーな事言ってんじゃないわよっ! 私が今、どんな気持ちでいたと思ってんのよ!」
ショックを受けてた有紗を良い感じにいつも通りに戻せたはずだったのに、杠葉さんの発言がそれを無に返した。それどころか、有紗がお怒りである。
「ちょっと杠葉さん?! 空気読んでくれる?! 今、全て万事解決の流れだったよね?!」
「私にとって都合が悪い、それはもうただならぬ雰囲気を感じたので、阻止する為に抵抗をさせていただきました」
「言っている意味が分かりません……」
さっきの会話の、どこに杠葉さんにとって都合が良くない部分があっただろう。いや、無いだろ……。
「そうだ、良い案を思い付きました。これで全部万事解決です」
俺的にはさっきので万事解決だったのに、それをぶち壊しておいて何を仰いますか……。
「私が夏休みの課題を手伝って差し上げます。わからないところがあったら何でも聞いてください。解き方を教えますので」
と、杠葉さんから俺にとって願ったり叶ったりの提案がなされた。どこが万事解決なのかは相変わらず理解はできないが、これに乗らない手はない。
「じゃあ、お願いしよ――」
「――ちょっと待ったぁ!」
俺の声を遮るように、有紗が割り込んできた。
「私も教えてあげるわよ……!」
「いえいえ、私一人で充分です。それに、これは私が提案した事ですので、全ての責任は私が持ちます」
「な……私だって……!」
「いいえ、必要ありません」
……何なんだこの空気は。二人の間にバチバチしたものを感じるんだが。
「あ、いや……有紗も教えてくれるならその方が良いかと……杠葉さんの負担も減るし」
「負担なんて元から何もありませんから」
「はい……?」
どう考えても時間を割いて他人に勉強を教えるのは負担そのものだろ。なのに無いとはどういった意味で?
「じゃあいいわよ……だったら私は――勉強で疲れたあんたをマッサージしてあげるわ!」
俺に勉強を教えるのは諦めてしまったのか、有紗は別の提案をしてきた。
マッサージって……え、俺に何かしらの貸しでも作りたい感じですか? 有紗め……何を企んでやがる。
「なっ……それも私の役目です……!」
「いやいや、これは私が提案した事だから、全ての責任は私が持つわ」
「わ、私だって……!」
「必要ないわ」
……だから何なんだこの空気は。どうして意地を張り合ってるんだ。
「だったら私は――」
「――何をぉー! なら私は――」
その後も、二人の意地の張り合いは続いた。内容は、俺に何をしてあげるか、だ。
有紗がこう言えば杠葉さんがああ言う。まるで喧嘩でもしているかのような二人をしばらく眺めていたものの、収まる気配は無く――、
「――だっはっ! 分かったから二人ともとりあえず落ち着け!」
流石にこのままでは埒があかないと思って声を上げた。
「こうしよう。二人とも何もしてくれなくて良いから。はい、これで万事解決」
こうなってしまっては仕方あるまい。課題も全て自力で何とかしよう。そもそも、何でこの二人はこんな事で喧嘩してんだよ……。
「そんなぁ……せっかく巻き返すチャンスだったのに」
「やっぱりあんたの狙いはそれだったのね。でも残念ね、椎名がこう言ってる以上、その機会はお預けよ」
「……あの、何のお話をしてるので?」
「「内緒っ!」」
教えてもらえなかった。何だか置いてきぼりを喰らってる気分だ。だったら何か別の話題でも用意して対処しよう。
「そういえば杠葉さんさ、前に好きなスポーツはテニスって言ってたけど、何か好きになるきっかけとかあったの?」
何となく気になって聞いてみたのだが、この質問は答え次第ではチラ子探しの有力な証拠になりうるかもしれない。だからこそ、一歩前進できるような回答が欲しいのだが――、
「私にとっての初めてのお友達がやっていたので。それを観ているのが好きだったんです」
得られた、有益な情報が。
その初めての友達とやらの人物像に俺は当てはまっている。そしてチラ子は、俺が公園で壁打ちしているのを見ているだけだった。
これで益々杠葉綾女が怪しくなってきたな。
「どうして急にそのような事を聞いてくるのです?」
「何となく気になっただけ。ちなみに、有紗はテニスが好きだったりするか?」
念には念を、もう一人の候補者にも聞いておこう。
「私に好きなスポーツなんてあると思ってるわけ? 運動音痴の有紗ちゃんよ?」
前も思ったけど、何それ可愛い。……じゃなくて、これでチラ子が有紗の可能性は下がったと考えて良いだろう。というか、絶対違うな。
「でも、中学生の頃に一度だけ試合を観に行った事があるわ」
「何だと……?!」
これは一転、やはり候補者として残しておくべきなのか……?
「綾女と一緒に、ジュニア? とかいうやつの試合を」
「懐かしいですね」
「そうね。試合してる選手がやたら凄いのだけはこんな私にも理解できたわ。あ、そういえば……」
有紗は何か思い出したような素振りをして一度考え込んでいる。
「……あの時、会場ではるちゃんを見かけたのよね。ま、まぁ、当時は諸事情により話しかけたりする勇気は無かったけど……」
が、すぐにその内容を話し始めた。
当時は中学生、という事は陽歌と有紗の間に何かしらの亀裂が入っていた時期なはずだから、その対応も仕方ないのだろう。
「……ん? 待ってよ? はるちゃんがいた……? ――まさか試合してたのってあんたなの?!」
「え、いや、分からんけどもしかしたらそうかもしれないし、違うかもしれないし……」
杠葉さんと有紗がどの試合を観ていたのか定かではない以上断言はできないが、会場に陽歌がいたのなら俺の可能性も大いにある。
「違わないわよっ! 絶対あんたよ。そうに決まってる。……ふーん、なるほどねぇ。そっかそっか、そういう事だったのね。……あんたってホントに強いのね」
断言してくる有紗を見て、有紗がチラ子である可能性は捨てた。
話の流れから誘ったのは杠葉さんの方だろう。
これは俺の願望だが、チラ子が俺を見て気付かないわけがない。だから、あの時試合をしていたのが俺かもしれないと今になって気付いた有紗は候補から外れる。
逆に言えば、杠葉さんがチラ子である可能性は更に上がった。だって、俺の試合だから観に来てくれていたのかもしれないから。
思い返せば、前に杠葉さんが言っていた。去年の夏までは度々テニスの試合を観に行っていたと。それで、目的が無くなったから今年は行かないとも言っていた。
その目的が俺であったならば、去年の夏に表舞台から姿を消したわけだから辻褄が合う。
これは……もう、ほとんど決まったようなものかもしれないな。それでもやっぱ不安だから、あと一つ決定的な何かが――、
「そういえば綾女、あの計画はどうなったのかしら?」
「あの計画? あぁ、クラス会の事ですね? それなら、今日辺りに出欠の連絡を回そうと思ってます」
一人考え込む俺を他所に、いつの間にか別の話題に切り替わっていた。
「クラス会? またやんの?」
「ええ、ちょっと曽根さんと色々話し合ってみたのですが、クラスメイトとの距離を戻すきっかけになるかもと思いまして」
……マジか。まさかの曽根の為のクラス会。
「へ、へぇ……ちなみにいつ?」
「今週の土曜日です」
「なるほど。俺はその日予定があるからパスで」
俺は曽根が嫌いだ。杠葉さんには悪いが行きたくないです。
「あれ? おっかしいですね……事前に渚沙さんに予定を確認したところ、『クソ兄貴に予定なんてあるわけないじゃないですか。年がら年中二十四時間常に暇ですよ』って言われたのですけど……」
我が妹は何を勝手に暇扱いしてくれてるのか。そもそも、そんな事を聞かれてたなんて聞いてないぞ? 教えてくれよな、愚妹が。兄を何だと思ってやがんだまったく……。
つか、事前に俺の予定を確認してたって……俺の参加が前提のクラス会ですか?
「あんたの考えはバレバレよ。どーせ、あれの為のクラス会なんて御免だってところでしょ」
「うぐっ……言うなし」
俺の思考を読んだのなら、それをこの場で口に出すのはやめてくれ。杠葉さんの計画に水を差しかねないだろうが。
「なるほど……つまりやっぱ暇ではあるのですね?」
「あ、いや、それは……」
「私としては、佑紀さんが不参加でも構わなかったのですが、美音ちゃんがどうしてもと言うもので……それで事前に予定を確認したのです。ですから、あの子の為にも来てほしいのですが……」
「……ん? ちょっと待って。その言い方だと、美音ちゃんも来んの……?」
「はい。曽根さんが、もう大丈夫だよって美音ちゃんを安心させたいようでして。それに伴い、兄弟姉妹の参加も可にします。そういえば、渚沙さんも参加する事になってるのでした」
え、なぎたん……? それも聞いてないよ? 何を勝手に話を進めてるのかな?
「じゃあ、どの道あんたも参加する運命だったのね」
「やっぱそうなるのか……」
「良かった……これで全て万事解決です」
と、杠葉さんは胸を撫で下ろしているが、俺にとっては全然万事解決などではなかった。




