19 ご褒美
翌日、八月一日――俺は杠葉神社に足を運んでいた。
終業式以来、杠葉さんとは顔を合わせていない。かといって、今日ここに来たからといって会えるわけでもないのだが……何せ、今日はあの三人で出掛けているらしいし。
ここに来た目的は情報集め。チラ子候補の本人がいないのでは何も手掛かりは得られないとも考えたが、入手の可能性がないわけではない。
雪葉さんに会えれば、何かしらの手掛かりが出てくるかもしれないと考えたのだ。
とはいえ、巫女としての職務中かもしれないし、忙しそうだったら即撤退するつもりだ。
ひとまず、石畳の階段を上がって境内に入る。すると、すぐに巫女装束を着た女性が掃き掃除をしているのが目に入った。
それが雪葉さんだろうと近付いていくと――、
「あら、こんにちは」
その女性が振り向きざまに挨拶をしてきた。
だが、雪葉さんではなかった。
え、誰……?
以前体育祭で見た杠葉さんのお母様でも無さそうだ。
「こ、こんにちはぁ……」
とりあえず挨拶されたのだからそれに対して応える。
「お詣りですか?」
「あ、いえ……杠葉雪葉って人に用がありまして」
「雪葉さんのファンのお方でしょうか? 美人ですからねぇ、分かりますよその気持ち」
……どうやら勘違いされてしまったようだ。俺はあの人のファンでも何でもない。
つーかあの人、ファンなんていたんだな……。
「貴方様は高校生? でしょうか。でしたら、何の心配も無さそうなので、宜しければ雪葉さんの所までご案内して差し上げましょうか?」
「お、お願いします……」
この巫女さんは遠回しに言っているが、つまりは高校卒業してそうな雰囲気を感じられていたら不審者認定されてたんだろうな。
良かった、見た目はもちろん中身も高校生で……。
「雪葉さん、ファンの方をお連れしました」
巫女さんに付いていくと社務所の裏口前まで来ていた。巫女さんは扉を開くと、中に向かって声を掛ける。
が、反応は無し。
「おかしいですね。今の時間はここにいるはずなのですが……」
と、首を傾げる巫女さんだが、雪葉さんはここにいる。
だって今、壁の向こうからひょこっと顔出してたし。
「なんだぁ、佑紀くんかぁ。ちょっと焦っちゃったじゃない」
そう言って雪葉さんは壁の向こうから出てくる。
「お知り合いだったのですね」
「そうなのよぉ。佑紀くん私のファンだったのねぇ。だったら最初からそう言ってよぉ」
「いえ、別にファンじゃないんで」
「もぉ、照れ屋さんっ」
あーめんどくさ……一体どこで間違えちゃったのかな、俺。
この巫女さんに話しかけられたところから? いや、その後に雪葉さんに用があるって馬鹿正直に答えちゃったところか……。
それさえなければファン認定なんてされてなかったわけだしな。
「それで、私に何か用?」
「ちょっと世間話でもと思って」
「私、暇じゃないんだけど」
「あ、それなら邪魔しちゃ悪いんで今日は帰ります」
「ちょ、嘘嘘嘘っ……! 暇、暇だからっ……」
俺が帰宅しようとすると、雪葉さんは慌てたように訂正した。
……何でわざわざ嘘を吐いた?
「もーう、見て分からないわけ? 今日は彼女がバイトで来てくれてるから、私はそれなりに暇なの」
いや、神社での巫女の仕事内容なんて殆ど知らないから、見ただけで暇かどうかなんて俺には判断できんし。
「さあ、上がって頂戴」
言われた通りに社務所の中にお邪魔する。
バイトの巫女さんはいつの間にかいなくなっていた。仕事に戻ったのだろう。
「さっきの人に全部押し付けてサボりですか?」
「人聞き悪いわね。私にはお守りを求めてる方に授与するという重要なお務めがあるのです。だからこうして社務所の中にいるんじゃない」
和室の中は冷房ガンガン。絶対暑い外に出たくないだけだろ。
「他にもあるわよ。絵馬とか、お札とか、祈祷の受付とか。でもでも、今日は偶然、まだその機会が無いというか。だから決して、涼みたいとかじゃないのよ?」
「まだ聞いてもないのにわざわざ否定してくるあたり、誤魔化すつもりも無いんすね」
「あ、喉渇いたでしょ? ちょっと待ってて」
誤魔化した……。
「はい、どうぞ」
待つ事一分ほど、目の前のローテーブルの上に湯呑みが置かれた。
「何で熱いやつ……」
「今日はちょっと寒いから、その方が良いかと思って」
「冷房ガンガンだからだろっ……! しかもそれ、しれっと自分のはCOLDだし」
「よくCOLDの意味知ってたね」
「いくらなんでもバカにし過ぎでは? 自販機でよく目にするんですけど」
「てっきり赤か青かで温かいのか冷たいのか判断してるんだと思ってた」
「大多数の人がそうだと思うんですけど」
「ほらねやっぱり。意地張ってインテリアピールしなくていいよ。……インテリの意味は分かる?」
……いい加減ぶっ飛ばして良いか?
クイズ番組とかでよくインテリ軍団とか言ってるから意味くらい何となく分かるわ。
「そういやこの神社に巫女のバイトの人なんていたんですね。初めて見ましたわ」
「あ、誤魔化した。やっぱ知らないんだ」
「張り倒して良いですか?」
「私を押し倒す……? そ、それで何をするつもり?! まさかダメよ……私は神聖なる巫女なのよ? その純潔を奪おうだなんて……しかも、よりにもよってこんな場所で……」
「押し倒す、じゃなくて張り倒す、な?! わざと聞き間違えんなっ!」
世間話を装ってそれとなく杠葉さんについての話題に持ち込んで情報を手に入れたいというのに、まるで思うようになってくれない。
やはりこの人相手だとペースが乱される。
「なーんだ、違ったんだ。私の胸の感触に鼻の下伸ばしてたくらいだから、単純に言い間違えちゃったんだと思ってたわ」
きっと体育祭の時の事を言っているのだろう。チッ……覚えてやがったか。
「さっきの子はね、特別なのよ」
「……急に話が戻った」
「卑猥な視線を彼女に向けてたから、脈でもあるのかなって思って」
「違うわ。ついでに卑猥な視線なんて向けてないわ」
「やっぱ無意識だったか……」
と、雪葉さんは半ば諦めのような表情を浮かべた。
「え、まさかマジでそんな視線向けてました……?」
「いや、特には」
「俺の焦りと不安を返せ」
じゃあ何であんな顔しやがったんだ……。
「毎年八月の終わり頃に花火大会があるじゃない? その時はうちの神社にも屋台が設置されたりするのよ」
「へー、そうだったんですか。……って、何で急に花火大会の話?」
「バイト雇ってる件の話題振ってきたのはそっちでしょ?」
つまりは、その花火大会と関係してると言いたいのか。
「とまぁ、つまりは大勢の人がここに来るでしょ? それで、せっかくだから参拝もしようとか、お守りを欲する人もたくさん出てくるのよ。そうなると流石に人手が足りないわけで、毎年バイトの募集をかけるのでした」
なるほど、そういう事だったのか。それなら初めて見たのにも合点がいく。大変なんだな、この人も。
「さっきの子が特別って言ったのは、ここ数年毎年来てくれててね。本来は花火大会前日当日翌日の三日間の募集なんだけど、なんでも今年の夏休みはずっと暇なんだと。私は、大学生なんだからもっとエンジョイしたら? って言ったんだけど、夏休み中バイトとして働かせてほしいって言って聞かないものだから、特別にね」
と、雪葉さんは嬉しそうに微笑した。きっと自分の仕事が少なくなっているからだろうな。
「知ってました? 大学の夏休みって大体二ヶ月くらいあるらしいですよ」
「佑紀くんさ、私の学歴知ってる? 一応、大学出てるんだけど」
そんなつもりで言ったわけではなかったのだが、少々怒らせてしまったようだ。雪葉さんはムッとした表情を向けてくる。
「杠葉さんは夏休みも手伝いをしてるんですか?」
「当然。でも今日は遊びに行ったみたいだけどね」
雪葉さんは答えた後、口を綻ばせた。
「何か嬉しそうですね。手伝ってもらえないと仕事増えるのに」
「いや、普通に暇だけど」
「そ、そすか……」
まぁ、見りゃ分かるけど……こうして今も俺の相手してくれてるくらいだし。
「まぁでも、嬉しいと言えば嘘じゃないわね。こうしてあの子にお友達がいるなんて、まだ華の女子高生だった頃の私には、想像も出来なかったわ」
「何年前の話してるんすか……」
「失礼ね……まだたったの六年前なのよ?」
と、雪葉さんはジトっと俺を見る。
六年って、だいぶ長い年月だと思うんですけど……もしかして、それでも気分はJKなのか?
「五年前、あの子が中学生になってからしばらく経った頃、お友達が出来たって大喜びで帰ってきた日の事を、今でも鮮明に思い出すわ」
雪葉さんが言うお友達とは有紗の事だろう。それ以外思い付かない。
「そう、七年前のあの時と、同じように――」
「え……?」
七年前のあの時――それがもし、俺の記憶の中にあるあの夏休みの瞬間なのだとしたら、つまり――。
「おっといけない。佑紀くんに話すような事じゃなかったわね。はい、この話おしまい」
「もっと詳しく知りたいんですけど」
「あら、どうしてかしら? 関係無いはずなのに」
「関係なく無い……かもしれないから」
まだ確信しているわけでは無いから、関係あるとは断言できない。だが、詳しく聞ければもしかしたら確信に変わる可能性はある。
だから、その先を聞きたいのだけど――雪葉さんは何故かニヤついて俺を見ている。
「佑紀くんってぇ、もしやもしやの綾女にズッキュンなのかなぁ?!」
「は、はぁ?! そ、そうじゃなくって……」
今の流れでどうしてそうなる……? そりゃ、可愛いよ。可愛いけど……ズッキュンって何だよ?!
表現が俺を小バカにしてるようでムカつくんだが! 聞いてくるならもっとストレートに、好きかどうかにしてもらえますかね?
「あら、違うの? 詳しく知りたがるくらいだから、そうだと思っちゃった。ズッキュンしてる女の子については何だって知りたい的な」
「仮にその、ズッキュンとやらをしてたら杠葉さんの全てを知りたいと思ってたかもしれませんね」
「してるから、七年前の件を知りたがったのでは?」
「全ての過去を知りたいって言ってるんじゃないんですけど……あくまで、その時の事だけ知りたいんです」
なんて誤魔化してみたものの、明確な好意を抱くのとは少し違う意味でなら、俺は日々ズッキュン状態と言っても過言ではない。
それは、杠葉さんだけに限らず、有紗に陽歌にも……何で俺の周りには究極美少女が三人もいるんだ。
神よ、ありがとう。
「ふーん、そんなに知りたいなら本人に聞けば? 悪いけど、私の口からこれ以上は無理ね。だって、綾女のプライバシーに関わるし」
「そうですか」
こう言われてしまっては諦めるしかないか。
とはいえ、根本の内容は分からず終いでも貴重な情報は入手できた。
それは俺の中で、チラ子=杠葉綾女説を強めるものだ。
故に充分な成果とも言えるだろう。
「おっと、ちょっと失礼」
社務所の外に誰かいる。多分お守りを受けにでも来たのだろう。
雪葉さんはささっと窓口にスタンバイ。
「……様になってる」
後ろ姿を見て、ついそんな小言を呟いてしまう。
やはり雪葉さんは巫女だったみたいだ。
いや、別に疑ってたわけじゃないんだけどね……。
「ごめーん、佑紀くん。私これからちょっと忙しくなるから、代わりにこの場は任せた」
「いや、無理だろ……」
ど素人の俺が参拝客にお守り授与なんてできるはずがないだろうが。
「普通に冗談だから。さっきの子が代わりにここに来るから大丈夫よ。……ふぅ、今日は綾女がいないからあの子がバイトでいてくれて助かったわぁ。危うくお母さんを緊急招集するとこだった」
「んじゃ、俺は帰りますね。今日はどうもでした」
「ちょ、ちょっと……! どうして急に忙しくなるのか聞いてくれないわけ?」
「え、だって興味無いし」
そもそも、何故わざわざそれを尋ねなきゃならんのだ。忙しくなると、それだけ伝えられれば充分だから、その内容を知る必要なんて俺には無い。
「これから祈祷を行うのよ。その準備とか諸々でね」
「へー、そうですか」
聞いてないのに勝手に答えてきた。準備があるならさっさと行けばいいのに。
「さーてと、お父さんに連絡っと――」
雪葉さんは電話を掛け始める。
さてと、帰りますか。
と、立ち上がって裏口の方に向かおうとしたのだが、何か雪葉さんがジェスチャーを送ってきた。多分、ちょっと待て、的なやつ。
よく分からないが、とりあえず待ってみる事数十秒後、電話を切った雪葉さんが首を傾げて俺を見てくる。
「……な、なんすか?」
「いや、あのね、いつまでいるんだろうって思って」
「ちょっと待てってジェスチャーじゃなかったのかよ……! 勘違いしてすいませんでしたね、はい」
じゃあ何だったんだよあの仕草は……ややこしい行動しやがって。
「あれは御神楽のイメトレ。この後やるから」
「そーですか。んじゃ、頑張ってください」
それだけ告げてから裏口に向かう。
「佑紀くん」
裏口から外に出ると、そこまで付いてきていたのか雪葉さんから声をかけられた。
「……何ですか?」
いい加減、俺に構ってる暇も無いのでは? 早く準備とやらに取り掛かる必要があるのでは?
「まだ、ご褒美をあげてなかったわね」
「ご褒美? ……あぁ、そんな話もありましたっけね」
体育祭の時に、雪葉さんを納得させられたらご褒美をくれるとかなんとか……どうでも良すぎて忘れてた。
何を納得させれば良かったのかすら知らないが、雰囲気的にそれは成功していそうだ。
「いらないならあげないけど」
「誰がいらないなんて言いました? 何か貰えるなら貰うに決まってるじゃないですか」
でなければ、納得させ損だ。まぁ、今の今まで忘れてたけど。
「そう、ならあげるわ――時が来たら、紐を解いてみなさい」
「……は? あの、何の?」
あの、ご褒美をくれるのでは? 話の流れ的に、紐を解いて開封する物をくれるのですよね?
わざわざラッピングまで……ガチのプレゼントやんけ。
「それは自分で考えてみなさい」
がしかし、雪葉さんは何を渡してくるわけでもない。
「もしかして、おちょくってます?」
「全然。でもまあ、そう簡単に答えに辿り着けるはずがないから、人生って難しいのよね」
「……で、結局ご褒美とやらはくれるんですか?」
「それは今あげました」
俺、何も受け取ってないんだが……けど、雪葉さん的には渡したつもりらしいし、もうそれでいいや。これ以上何か言うのも何か面倒いし。
「そうですか。ありがとうございます」
「どう致しまして」
何だこの会話は。俺は一体何に対して感謝してんだよ。わけわからん。
「……じゃあ、この後のお務めも頑張ってください。さいなら」
「はーい、またね」
手を振る雪葉さんに軽く会釈してから、帰路に着いた。




