6 妹は誤解する
「ふーん、ここがあんたの家ねぇ。ま、普通の家って感じね」
「悪かったな普通の家で」
俺は玄関の鍵を開けて家の中に入っていく。
「別に悪いなんて言ってないでしょ! ――お、お邪魔しまーす」
「そんな畏まらなくても俺以外いねーぞ」
「えっ? そうなの? 車あったからご両親がいるのかと思って」
「んじゃ、今持ってくるからここで待ってろ]
「なんでよ。せっかく来たんだし上げてくれてもいいじゃない」
「……わかったよ。勝手にしろ」
「じゃあ勝手にしまーす!」
有紗はローファーを脱ぎ捨てリビングに入っていく。
脱ぎ散らかされたローファーを整えリビングに向かうと、有紗は興味深げに室内をウロウロしていた。
「何してんの?」
「粗探しよ」
そんなもん探しても何も出てきませんけど。出てこないよね? ちょっと心配になってきた。
「なんも出てこねーよ多分。お茶でも入れてやるからソファーにでも座ってろよ」
「はーい!」
返事だけは良いがまだ部屋の中を物色している。
もう何でも良いやと思いお茶を入れリビングに戻ると、有紗はある一点を見つめていた。
「何見てんだ?」
「あんたのご両親、とっても良い人そうな人たちね~。ねぇ、この女の子は妹ちゃん?」
立て掛けてあった家族写真を見ていたらしい。それは俺が中学三年の時に最後に家族旅行に行った時のものだ。
「そうだけど、それがどうした?」
「かっわいい子ねぇ! このご両親から生まれるんだからそれも当然よねぇ~。それなのになんであんたみたいなのが生まれたのか……。あ、妹ちゃんに良いとこ全部持ってかれたのね」
「聞かなくても貶してることがわかる言い方だな」
「ねね、妹ちゃんなんて名前なのよ?」
「は? 渚沙だけど?」
「なぎちゃんかぁ~! 可愛い名前ね! いつ帰ってくるの? 中学生くらいでしょ? そろそろ帰ってくる? 会いたいんだけど!」
有紗は興奮しているらしく、やたらと高いテンションで聞いてくる。
「帰ってこねーけど。今ここ、俺一人で住んでるし」
「は? どういうことよ?!」
「親と渚沙は海外に住んでっから帰ってこねーよ」
「はあぁっ?! まさかのあんた、一人暮らし?!」
「そうだけど」
「こんな一軒家に?!」
「ここ実家だし」
「ちょっとびっくりしちゃったわぁ。でも残念、せっかくなぎなぎに会えると思ったのに」
有紗は落胆しているが、会えないものは会えないのだ。
というか、呼び方さっきと変わってない?
「じゃ、俺着替えくるわ」
俺の話を聞いてるのか聞いてないのかわからないが、有紗は再び室内を物色し始める。
散らからないか不安になったが、とりあえず二階に上がり自分の部屋に入り着替えを済ませる。
三角巾を巻くのが面倒だな。降りて巻いてもらうか。おっと、その前に……。
スマホを左手に持ち妹の渚沙にメッセージを送る。
ま、寝てるだろうけど……。
「俺の知り合いがお前に会いたがってたぞっと」
メッセージを打ち送信する。
こうして妹にメッセージを送るのなんて何時ぶりだろうか。随分と久しぶりな気がする。
ぼんやりとそんなことを考えているとスマホに通知が入った。
陽歌が二年三組のグループに招待してくれたらしい。
とりあえずグループに入るものの、明日のことを考えると憂鬱になってしまう。
さてと、戻りますか。
と、リビングに戻るとそこに有紗の姿はなかった。
「どこ行ったんだあいつ」
とりあえずソファーに座りくつろいでいると、再びスマホに通知が入った。
【その人イケメン?】
まさかの渚沙からの返信だった。
起きてんのかよ……。しかもイケメンかって……。
【起きてんのかよ】
【休みだからね。で、イケメン? 写真は?】
イケメンかどうかが気になってしょうがないらしい。
渚沙の中では会いたがってる人物が男だと疑っていないようだ。
だがすまん。残念ながらその期待には応えられない。だって女だもん。
【男じゃなくて同級生の女】
【えっ?! 女?! まさか……、お兄ちゃんの彼女?! 写真! 早く!】
は? そんなわけねーだろ? なんでそうなんだよ。
心の中で渚沙の返信にツッコむと、廊下の方からドタバタと足音が聞こえる。
「あんた! 向こうの部屋にメダルとか賞状とかいっぱいあったんだけど、どうゆうこと?!」
「あー、あれは俺の――」
「なんか、全国優勝みたいな見ちゃいけない文字を見たんだけど!」
見ちゃいけないものってなんだ……。あれは俺の中では輝かしい栄光の歴史なんだが……。
「あんた! もしかしなくてもすっごい人なんじゃない?!」
「あ、あぁ、一応テニスだけは……、他の人よりできるかも」
有紗の異常なまでのはしゃぎように、俺は顔を引きつらせていないか不安になる。
「だけってことないでしょ! 運動神経も抜群なのよね! 良しっ! 六月の体育祭ではあんたが二岡を退治するのよ!」
退治とは……。そもそも同じクラスなんですけど。
「いや、意味わかんねーわ。同じクラスなんだから普通は協力するんじゃなくて?」
「いいから! 自信満々なあの面を汚しに汚し切ってやるのよ!」
「なんで俺が火種撒くようなことしなきゃなんねーんだよ。どう考えてもクラスのムード悪くなんだろ。それに、二岡ってどうせ運動もできるんだろ。どうやって退治しろって言うんだか知らねーけど、勝てる保証なんてねーじゃん」
「それは、そうだけど……。でも、あんたなら絶対あいつにだって負けないわ」
有紗はやけに真剣そうな表情でそんなことを言ってくる。
どこでそんな信頼を得たのかわからないが勝てると言われて悪い気はしない。
「まぁ、二岡が何か企んでるとして、それが俺に関わってくるようなら一応考えておく」
有紗にはそう言ったが、二岡が何か企んでいることはほぼ間違いないだろう。
ただ、それが俺に影響を及ぼすかは分からないし、本当にクラスのことを考えて行動している可能性だってある。
そう考えると、簡単に有紗の命令に従うわけにはいかない。
だが有紗は俺の考えは理解してはいないはずだ。
何せ、すぐに笑顔になり俺に近寄ってきたから。
ええい顔が近いとにかく可愛いしいい匂い!
「じゃあ、もしそうなった場合はお願い! 約束よ!」
有紗は左手の小指を絡ませてくる。
ここでもまた、約束か――。
最近は約束が多い。たった一つの約束すら果たせていない俺にはなんだか荷が重い気がした。
「あー、えっと、この三角巾巻いてくんない?」
ここはひとまず了承はせずに誤魔化すことにした。
「良いけど、あんた右腕どうしたのよ」
「三回脱臼して手術した」
「うわっ。わかんないけど痛そうね……」
有紗は顔を引きつらせながら三角巾を巻いてくれる。
「サンキュー」
「あんたも大変そうよね。右手使えないんじゃ不便そうだし」
「最初は大変だったけどな。かれこれ半年以上この状態だし、慣れたわ」
「なっが!」
「でも明日通院だしたぶんこれも外れると思うから少しは融通が利くようになるだろ」
「それはよかったじゃない! それとさ、さっきからあんたのスマホ、何回も通知音なってるんだけど」
有紗は俺のスマホを指さしてそう言う。
渚沙からだろう。先ほどの返信もまだしてないから。
「ま、まあ気にすんな」
「ん~? 怪しいなぁ」
有紗はすぐさま俺のスマホを手に取り操作を始めた。
そう、連絡先を交換した時から有紗は知っているのだ。
俺のスマホにロックが掛かっていないことを……!
「――あっ! おいっ……!」
俺はスマホを取り上げようとするが、有紗はそれをひらりと躱す。
「あ! なぎちゃんからじゃない! えーと、ふむふむ、写真ね」
有紗はぶつぶつと呟きながらまさかの行動に出た。俺のスマホで自撮りを始めたのだ。
「――なっ、何やってんだ?!」
「えー? なぎちゃんが写真欲しいって言ってるからさ!」
そう言いながらカシャカシャと何枚も自分を撮っていく。
「メッセージちゃんと読んだのか?」
「読んだわよ! 私の写真が欲しいって」
「そういうことじゃなくって! あいつ、お前が俺の彼女だと思ってるんだぞ!」
「……え?」
「お?」
「送っちゃった」
「マジか……」
有紗の顔が見る見るうちに紅潮していく。
「あんた! なんで先にそれを言わないのよ! 送っちゃったじゃない! 誤解されたらどーすんのよ!」
「最初から誤解されてんだよ! それに俺はちゃんと言ったよな!」
「だから、言うのが遅いって言ってんのよ! もう!」
有紗は頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
とりあえず誤解を解かねば……。
「あいつに誤解だって説明するからそれをよこせ」
「ちょっと待って!」
有紗はスマホを奪い取ろうとする俺の左手を制止し、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
なんだ急に……。
「これ見てよ!」
「ん?」
俺はスマホを覗き込む。そこにはこう送られてきていた。
【うっそー! 嘘だよね?! 嘘だと言ってよお兄ちゃん! だってお兄ちゃんだよ! こんなめちゃくちゃ可愛い人がお兄ちゃんの彼女になんてなるわけないじゃん! ね? そうでしょ?!】
何これ……。横にいる金髪ツインテールのことはべた褒め、俺のことはボロクソ。ただ俺が傷つくだけじゃねーか。
隣の有紗はやたら上機嫌である。ニヤニヤしていてちょっと怖い。
「なぎちゃんはいい子だなぁ! 私のことをこんなに褒めてくれるなんて! あぁー、もう会いたい! 呼んでよ!」
「いや、来ねーよ」
現実を突きつけると、有紗は顔を下げて悲しそうな表情をしてしまった。
「まあ、夏休みとかになったら来るかもな」
流石にここまで落ち込まれるとこの後が大変そうな予感がする。
気を取り直してもらう為に有紗にとって耳寄りな情報を与えると、有紗の顔は瞬時に満面の笑みに変わった。
「ホント?! じゃあそのときは絶対教えなさいよ!」
「はいはい。んじゃ、誤解を解くからそれをよこせ」
有紗は今度は素直に俺にスマホを渡してくる。
【こいつは姫宮有紗っていう高校の友達。別に彼女じゃねえよ。その写真は渚沙が写真っていうからメッセージちゃんと読まずに勝手に自撮りして送ってたやつだから気にすんな。あとお兄ちゃんを当たり前のように貶すのはやめような!】
「これでよしっと」
「大丈夫よね? なぎちゃんはショック受けたりしないわよね?」
「何が?」
「だって私が彼女じゃないって知って落ち込んじゃうかも……」
「そんなことはない。ほれ」
【だよねー。お兄ちゃんにあんな素敵な彼女ができるわけないもん! 話がうますぎだと思ってたんだよねー。ほんっとお兄ちゃんってサイテー】
「ふぅ……。よかった」
「最後の一文はマジで意味不明だけどな」
「あんたってやっぱサイテーなの?」
「やっぱって何ですか、やっぱって……」
「冗談よ冗談」
有紗は上機嫌に笑っている。
まあ機嫌がいいならとりあえずなんでもいいか。
なんてことを考えていると突然インターホンが鳴った。しかも連打で。
「んだようっせーな」
モニターを確認すると陽歌が映っていた。
「ちょっと出てくるわ」
「うーん、わかったー」
玄関に向かい扉を開けると、そこにいる陽歌は相当急いできたのか、息を切らしていた。
「あのなー、何度も押さなくても――」
「――佑くん! 彼女ができたって本当?!」
「――はいぃっ?!」
陽歌からの突然の質問に理解が全く追いつかない。
どうしていきなりそんな話になるのか。しかも、俺に彼女が出来た前提で。
――っ?! ま、まさか渚沙の奴……。
「あ、はるちゃんじゃん。ヤッホー」
有紗までリビングから玄関に出てきてしまう。
「えぇっー! 佑くんの彼女って有紗ちゃんだったの?!」
「ちょっと! 何でそうなるのよ! そんなわけないでしょ!」
有紗は顔を真っ赤にして全力で否定する。
そこまで必死に否定されると、それはそれで結構複雑な気持ちになってしまう。
「もしかして、渚沙が何か言ってた?」
「そう! 佑くんに彼女ができたっぽいって!」
やはりあいつか……。余計なことをしやがって。
「それは誤解だ。あいつが勝手に早とちりしただけだから」
「そ、そうよ! さっきちゃんと誤解も解いたし!」
「焦ってる。怪しい」
俺と有紗、二人の否定を陽歌は逆に疑い出してしまう。
「だから違うんだってばぁー!」
この後、陽歌の誤解を解くのに夜までかかったのだった。




