9 想起
絵本コーナーのある部屋に入室すると、中には小学校低学年くらいの児童がチラホラといた。
……おい、読み聞かせして差し上げますとか、マジで言ってんのか? 流石に冗談だよね?
こんな中で読み聞かせされるとか、クソ恥ずかしいんですけど。
「あ、綾女お姉ちゃん!」
一人の女の子の一声で、中にいた子供たちが瞬く間に杠葉さんに群がっていく。
「こんにちは、みんな」
それに対して杠葉さんも笑顔で対応している。
「今日も読み聞かせしてくれるの?」
「良いですよ。但し、今日はあのお兄さんも混ざりますからね?」
子供たちの視線が一斉に俺に集まる。
「え……あ、いや……」
に、逃げたい……俺、このガキどもに混ざって杠葉さんの読み聞かせを聞かなきゃならんの?
というか、もしかして杠葉さん、俺の事小学生か何かと勘違いしてる……?
「誰だお前!」
「きっと綾女お姉ちゃんの彼氏だよ!」
「えー、そうなのお兄さん?」
と、少年少女が俺を見てそう言う。
「だからえっと……」
事実ではないから否定すれば良いだけ。
なのに、突然の展開に頭の中がパニックで言葉が出てこなかった。
「彼氏ではありませんよ。このお兄さんは私のクラスメイトで、今はまだ仲の良いお友達です」
まるで助け舟を出してくれるかのように、杠葉さんが冷静に答えてくれた。
ふぅ、これで一安心――、
「なーんだ、つまんないのー」
「てっきりそうだと思ったのにねー」
「俺は絶対違うと思ってたぜ! だってこの兄ちゃん全然カッコよくねえし、綾女姉ちゃんに全く釣り合ってねーもん!」
子供は正直だ。思った事を何の考えもなしに発言しやがる。
俺にもこういう時代があったんだろうなぁ……って、今は過去を振り返る時間じゃない。
「おいクソガキッ! 誰が全然カッコよくないだと?!」
「まぁまぁ、落ち着いてください。子供の言葉にそんなムキになっちゃダメですよ?」
とある少年の発言に対して荒ぶる俺を、杠葉さんが宥めてくる。
「やーい、怒られてやんのー! そんなんだからモテねーんだよ!」
「このクソガキ……」
せっかく杠葉さんのおかげで落ち着きを取り戻せそうだったのに、追撃の一言を放ちやがって……。
「全くモテない、なんて事はありませんよ。このお兄さんは少なくとも二人の女の子から好意を抱かれていますから」
俺とクソガキの間に不穏な雰囲気が漂う中、杠葉さんが大真面目な顔してそう言った。
これにはクソガキだけじゃなく、その他の子供たちも口をポカーンと開けてしまう。
そしてもちろん、俺も……初知りの事実に衝撃を受けている。
「あの、杠葉さん……? それ、マジ? マジなら誰?」
ついに俺にも春が来るのだろうか。今にも期待と興奮が爆発しそうだ。
「マジですけど、誰なのかなんてまだ言えるわけないじゃないですか。多分……その子たちにとっては一世一代の大勝負なんですし」
「うおおおっ! モテ期来たぁっ!」
苦節十七年、長い道のりだった。でも、神様は俺を見捨ててなかったみたいだ。母さん、俺を産んでくれてありがとう。
「うぇー、この兄ちゃん泣いてるぜ……だっせーの」
何とでも言いやがれ、クソガキが。今の俺は気分が良いから何でも許してやるよ。
「というわけで、これ以上はこの子たちの教育上あまり良くありませんので、そろそろ始めましょうか」
杠葉さんは本棚から一冊の絵本を取り出し、そのままその場に足を崩す。
すると、子供たちが半円を作るように杠葉さんの周りに座っていく。
……俺はどうすれば良いのだろうか。しれっと部屋から出たら怒られるかな?
「何をぼっ立ってるのですか。さっさと座ってください。始められないじゃないですか」
杠葉さんは、悩んでいた俺に有無を言わさんとばかりにやや強めの口調で言ってくる。
仕方ない……ここで抵抗して嫌われでもしたら後の祭りだしな。
ようやく観念した俺は、子供たちの半円の後ろに足を崩す。
すると、杠葉さんは本を子供たちに見えるように開く。
「昔々、ある所に――」
かくして、杠葉さんによる絵本の読み聞かせが始まったのだった。
その心地良い声とテンポに、俺も思わず聴き入ってしまう。
いや、それだけではなく、どこか懐かしさを感じてしまっている。
その懐かしさの正体なら分かっている。
七年前の小四の時、俺はこの場所でとある少女に絵本の読み聞かせをされているのだ。
その少女は俺が今、探している人物――チラ子。
そして今、何の巡り合わせか、七年前と同じ場所で絵本の読み聞かせを聴いている。
果たしてこれは単なる偶然か、それとも――。
「――おしまい」
懐かしい時間は終わりを告げ、杠葉さんが絵本を閉じた。
「わあっ、今日もありがとね、綾女お姉ちゃん」
同時に、子供たちが杠葉さんに礼を言い始め、それに対して杠葉さんは笑顔を浮かべている。
「まさかな……」
俺は今、杠葉綾女にある疑いをかけている。
もしかしたら、この子がチラ子なのではないか、と。
よく考えてみれば、その証拠になり得る材料は絵本の読み聞かせだけではない。
もう一つ挙げるとするならば……杠葉さんが図書館で座っている席は、決まって例のあの席だ。
まぁ、これに関してはサンプルがまだ二回しかないから証拠としては弱いのかもしれないが、可能性はあると思う。
ただ、この二つの証拠だけで杠葉綾女=チラ子だと決めつけるのは無理がある。だからあくまで疑惑止まりだ。
この先、更に新しい証拠が出てきたとしたら、その時は――、
「――さん? おーい、佑紀さーん」
「ん……? ああっと……何かな?」
「どうでした? 絵本の読み聞かせ」
「えっと、お上手でした。聴きやすかったし、ちょっと懐かしかったし。……あっ」
全て本音だが、それが出過ぎてしまった部分がある。
必要以上に感想を述べてしまったかもしれない。
そう思ったのだが、感想を聞いて杠葉さんは嬉しそうに頬を緩めた。
「なら良かったです。それに、今日お呼びした甲斐もあったみたいですし」
もしも今日俺が呼ばれた理由が、過去を想起させる為だったとしたら――杠葉綾女は、自分がチラ子だと俺に気付かせたいのかもしれない。
彼女がチラ子だと決まったわけでもないのに、少しだけそのように期待してしまっている俺がいた。




