7 お分かりだろうか
一学期期末テストも無事終わり、夏休みまで残り十日足らずとなった土曜日の夕食時、俺は人知れず頭を悩ませていた。
「ノーヒントとかマジ無理ゲー……チラチラ渚沙の顔チラ見」
「こっち見るな気持ち悪りぃ。ただでさえ対して美味しくないご飯が不味くなる」
渚沙は不愉快そうな顔をして悪態を吐き、なのに箸を動かす手は止めないでおかずを口に放り込んでいる。
「とか言っちゃって、実は美味いって思ってるの知ってんだからな?」
「は? 寝言は寝て言えや」
「お前、俺が作った飯を、あたかも自分が作ったかのように母さんに写メ送って自慢してるらしいじゃねえか」
「……は? 何の事?」
惚ける渚沙だが、目は泳いでいる。わかりやすい奴め。
「お母さんがそう言ってたわけ? なぎは、お兄ちゃんには言わないでって言ってあるんだけど。そしたら、分かったって。だからそんな事実は無い。テキトーな事言ってんなよクソ兄貴」
お分かりだろうか。渚沙はこれで誤魔化せているつもりなのだ。自分で答えを言っている現実に気付いていないのである。
バカな奴め……バカと言うよりアホと言った方が正しいかもしれんな。何にせよ、流石は俺と同じ血が流れているだけの事はあると感服してしまう。
そして俺よ、それに感服してるだけあってやっぱバカだったんだな……。
「母さんじゃなくて陽歌から聞いたんだぞ。昨日一緒にうちで飯食った時、俺がトイレ行ってる隙に犯行に及んでたらしいじゃねえか」
「嘘付き陽歌の言う事を信じてんじゃねえよ。つーか何? バカ陽歌、なぎのスマホ覗き見してたわけ?」
お分かりだろうか。渚沙が先程と同じ過ちを繰り返している事に。今回も、陽歌を悪者に仕立てながらも自分で答えを言っている現実に気付いていないのだ。
覗き見というよりも、楽しそうに写真を撮っている時点で怪しすぎだからな?
まぁ、陽歌も結局、渚沙が母さんにメッセージ送ってるところを覗いたから知ったんだろうけど……。
「更にこれが一番の問題だ。前々回陽歌がうちで飯食った時の夕食担当お前だったくせに、あたかも俺が作ったかのように母さんに写メ送って貶してたらしいじゃねえか」
「知らねーよそんなの。何でなぎが自分で作った天才的料理を貶さなきゃなんないわけ? ふざけんなよクソ兄貴」
などと自画自賛しているが、お前が作る料理、別に美味くないからな?
自分でも分かってるから母さんに送ったんだろ?
何故か、俺が作った事になっているようだけどな!
「つーわけでさ、チラ子についてなんだけど――」
「――知るかっ! さっさと風呂沸かせやクソ兄貴っ!」
チッ……流れに任せてヒントを得ようと思ったが、流石に渚沙の機嫌が悪くなり過ぎてしまったようだ。
でも夏休みまで残り僅かなわけだし、多少の手掛かりくらいは得た状態で長期休暇に入らないと、八方塞がりになってしまうかもしれないんだよなぁ……。
なんて思っていると、ここでインターホンが鳴った。
「おい渚沙、出ろ」
「めんどくせーからやだ」
頼んでしまったものの、冷静に考えたら今のこいつに出てもらうのは危険すぎる。
機嫌悪すぎて相手に不快な思いをさせる可能性だってあるわけだし。
そう考えると、渚沙が断ってきたのは都合が良い。
まずはインターホンで訪ね人を確認する。
……んだよ陽歌かよ。だったら渚沙でも良かったじゃん。
玄関に向かい扉を開くと、Tシャツに短パン姿の陽歌が立っていた。
「何か用?」
「別に」
「んじゃ帰れ。また来週」
扉を閉めようとしても閉まらない。
「――ちょっとぉ! せっかく可愛い可愛い幼馴染が来たっていうのに何なのその反応は?!」
扉の間に陽歌が足を捻じ込んでいたようだ。
「サンダルだからちょっと痛かったんですけど」
「はいはい、めんごめんご」
「テキトーだなぁ……ついでに服に付いた醤油? のシミがマジ汚い。服が白だからより目立つ。だらしなさで佑くんの右に出る者はこの世にいないね。流石っ!」
「何が流石だっつーのっ! 全然褒められてる気がしねーよ!」
「だって褒めてないもん」
「はいはいそうですかそうですか。言っとくけどな、誰だって醤油くらい人生で一度は服に溢すからな?! 全人類に貶してごめんなさいって謝りやがれ!」
「その前に佑くんがもっと真面目に謝ってくださーい」
陽歌には詫びる様子が一切無い。というよりも、詫びる気持ちすら一ミリも無いのだろう。
はぁ……これが陽歌の通常スタンスなのに、俺はこの程度の事に何をムキになっているのか……。
そもそも、今の場合まず先に謝るべきなのは俺だ。
「ごめんな、陽歌」
「え、何目的?」
「……どういう意味だ?」
何が目的かと言えば許しを得る事だが、陽歌からこの反応が返ってきたという事はつまり……またロクでもない発言をするに違いない。
だからこそ、言葉の意味を聞き返してしまったのを後悔している。
「……もしかして、私の体目的?」
ほらな? やっぱり。真面目に謝って損した……。
「お前、今後一切うち出禁な? じゃ、そういうわけで扉閉めるから、足どかせや」
「佑くん佑くん、頭に虫が付いてるよ」
「――えっ?! うそ?!」
驚きながら両手で髪を払う。
が、それと同時に気付いた。扉から手を離してしまっている事に。
「侵入完了! ふぅ……これで今日の任務も無事完遂であります!」
陽歌はうちに上がり込み、玄関の床に正座して敬礼してくる。
「何ホッと一息吐いてんだ! 出禁だっつっただろ!」
「まぁいーじゃんいーじゃん。虫付いてたの教えてあげたんだし」
どーせそれも嘘だろ? 渚沙の言う通り嘘付き陽歌――、
「あっ……」
玄関の中で虫が一匹飛んでいる。
嘘じゃなかったんだな……。
その虫は、数秒室内を飛んだ後、開いていた扉から外に飛んでいった。
「……で、結局何の用?」
「暇だから来ただけ」
陽歌はそう言って腰を上げ、リビングに入っていく。
「そーかよ……」
その後を追いリビングに戻ると、我が妹が鋭い目つきで腕を組んで仁王立ちしていた。
陽歌はそれを気にせずソファーに腰掛ける。
当然俺もそれをスルーして陽歌の隣に座る。
「……おい、愚兄及びゆるふわビッチ。床に正座しろ」
自分が愚兄である意識がない俺は、渚沙の命令に従うつもりはない。
それより、ゆるふわビッチとは陽歌の事を言っているのだろうか。
仮に陽歌がビッチだったら、めちゃくちゃショックなんですけど。
だってそうだろ? こんな可愛い幼馴染が、どこの馬の骨かもわからん男どもと遊びまくって、あーんな事やこーんな事をしてるって、想像しただけで泣けてくるもん。
「早くしやがれ」
と、指示に従わない俺たちに渚沙は再度命じてくる。
「佑くん佑くん、愚兄は佑くんの事なんだろうけどさ、私は別にビッチじゃないから、あれって私に言ってるわけじゃないんだよね?」
と、陽歌が耳打ちをしてくる。
「おい、俺は愚兄じゃなくて優しい優しいお兄ちゃんだからな? ビッチに関してはお前に言ってんだろうけど」
「……は? 私って佑くんの目にそう映ってるわけ?」
「いや、全く。とにかく、スルーしときゃ良いんだよ。そのうち諦めるだろ」
「それもそーだね」
テレビを点け、それを眺めつつ陽歌と適当に談笑を始める。
今日学校であった出来事とか、他愛もない話。
そんな話をしつつ十五分程度の時が流れた時、突如としてテレビの画面が真っ暗になった。
テレビを消した犯人は言わずもがな、渚沙だ。
「ちょっとぉ、観てたんだけど?」
陽歌が渚沙に不満を言うが、渚沙は般若ばりの怒り狂った表情を崩さずに俺たちを睨んでいる。
「ねぇねぇ佑くん、渚沙は何でこんな怒ってるの? 私たち何もしてないよね?」
「お前はともかく、俺は何もしてない」
「私だって何もしてないんですけどぉ」
俺は理解していた。渚沙がキレている理由を。
それは陽歌がうちにやってくる前の出来事。
俺との会話が、渚沙が陽歌にキレている要因だろう。
だがそれは、俺が喋らなければ始まらなかった事案であるからこそ、それを陽歌に伝えるのはバツが悪い。
「……ごちゃごちゃうるせぇ。おい愚兄、風呂沸かせっつったよな? あれから何分経ったと思ってんだ」
いや、ちょっと待ってくれ……、
「お前、それでキレてたん? え、仁王立ちなんかしてないで自分でやれば良かったのでは? そっちの方がよっぽど疲れるよね?」
「当番はクソ兄貴だろうが」
「ま、まぁ……そうなんだけど」
事実、本日の風呂当番は俺である。
が、別に渚沙がやってくれても良くはないでしょうか?
兄妹なんだし、助け合いの精神で生きるべきでしょう?
「もう、しょうがないなぁ。私が沸かしてきてあげるから機嫌治しなよ。あ、何なら久々に一緒に入る?」
それ、俺も混ざっても良いですか?
……ごめんなさい。ちょっとした出来心です。もちろん本気で思ったわけではありません。
「一人で入るっつーの。入りたきゃクソ兄貴と入ってろや」
「無理。だって五億パーセント襲われるもん」
即答アンド断言?!
いや、即答に関しては当然だと思うけど、断言はしないでもらえます?!
そりゃ、陽歌と一緒に風呂なんか入ったら五億パーセント理性が飛ぶ自信はありますけど……相手から見てもそう思われてるのはちょっと辛い。
「そりゃ、クソ兄貴だもんね。サイテー」
「そーだそーだ。ドヘンタイ」
「俺、まだ何も発言してないよね?! お前らの想像だけで物を語んなや」
「だって佑くんだし」
「そーそー、だってクソ兄貴だし。陽歌ちゃん分かってるぅ」
お分かりだろうか。
いつの間にか、俺だけが渚沙の敵となっている事に。
バカな渚沙は陽歌のペースに巻き込まれ、自分が陽歌にもキレていた事実を忘れてしまっているのだ。
陽歌は陽歌で、自分がキレられていた理由さえ知る事もなく、無意識にそれを回避しやがったのだ。
圧倒的才能、羨ましすぎて嫉妬しそうだ。
その後、クソみたいな俺への罵倒は数分続き、陽歌が風呂を沸かしにいった。
「ふざけやがって……」
ムカついた俺は、心の安寧を確保する為に自室に避難。
イライラしつつもスマホゲーをやっていると、心が段々と落ち着いてきた。
ちょっと喉が渇いたな。
自室に戻ってから三十分ほど経った頃、体が水分を欲し始めた。
喉を潤す為に再びリビングに下りると、そこには誰もいなかった。
冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぎ、それを一気に飲み干す。
風呂場の方からはしゃいだ声が聞こえる。結局二人で入ってんのかよ……。
と、ふとここで俺の思考が覚醒した。
このままここにいるとヤバイ……仮に奴らが今この瞬間にでも風呂から上がってきたら、またヘンタイ扱いされるに決まってる。
覗いてもないのにそれはあんまりだ。ただ声が聞こえてくるだけの事。
それでヘンタイ扱いされる言われなんて俺にはない。
リビングを脱出し、猛ダッシュで自室へと駆け上がる。
ふぅ……これで一安心だ。
額の汗を拭いスマホに目を向けると、何やらメッセージが届いていた。
「杠葉さんから……? 何だろ?」
メッセージを開いて文面を確認する。
【明日の午後二時、図書館で待ってます】
……へ? これは一体……何のお誘い?
普通に遊ぶの? それとも、図書館だから勉強?
それともまさか……デートのお誘い?!
何にせよ、断る理由なんて存在しない。
【分かった!】
と、ウキウキ気分で返信する。
明日は、さっきバカどもに痛めつけられた心を癒してもらおう。
興奮のあまりベッドにダイブ。
反射的に体をグネグネと動かしてしまう。
「……何やってんの? キモいなぁ」
どのくらいグネグネしていただろうか、天使からのお誘いで浮かれていた俺の耳に、もはや悪魔とさえ思える我が幼馴染の、明らかに俺を貶している声が聞こえてきた。
だが、俺はそれには反応してやらない。無視してスマホの画面だけを見つめ続ける。
「ねぇ、さっき洗面所で何してたの?」
「――はぁ?! 何の事?!」
これには思わず反応してしまった。
だが、これは圧倒的ミスである。展開的に、あらぬ疑いをかけられているに違いない。
「まさか、私の下着の匂い嗅いでたんじゃないよね……?」
「んな事するかっ! そもそも洗面所なんて行ってねぇよ!」
ほらな? とんでもない疑いをかけられてるじゃん。
何なら、ただの覗きよりも気持ち悪い疑いだ。
「じゃあ何であんな激しい足音させて階段上がってたの?!」
よもや、ヘンタイ扱いを回避する為の行動が逆にそれを引き起こそうとは思いもしなかった。
「麦茶飲みに下降りて、風呂場の方から声がするなーと思って、それでこのままリビングにいたら絶対またお前らにいじめられると思ったから大急ぎで部屋に戻っただけだわっ!」
「え……いじ、め……?」
陽歌の顔色が悪くなったのが分かる。
別にいじめられてると感じていたわけではなく、普段通りの毒が飛んできてるなぁ……と、幼馴染同士気兼ねなく何でも言い合ういつもの感覚だったのだが……。
今のは大袈裟に言い過ぎてしまったかもしれんな。
「ちょっとだけ間違えたわ。あらぬ疑いをかけられると面倒だから急いで部屋に戻った。それだけだ」
と、何となく壁側に寝返りを打ちつつ言い直す。
「……ちょっと、だけ……?」
陽歌が震えた声で何かを呟いたのが聞こえた。
急にどうしたんだ?
いつもと違って明らかに様子がおかしい。
「おい、何をそんなに気にして――って、あれ……?」
扉の方を向くように上半身を起こしながら、陽歌の様子を確かめようと思ったのだが、そこには既に姿はなかった。
「何なんだよ……調子狂うな」
小学生の頃に陽歌と出逢って以来、もはや俺にとって陽歌からの毒は生活の一部みたいなものだったわけだから、いざ先程みたいにその毒が薄れると物寂しさを感じてしまう。
そして今、玄関? の扉が閉まる音が聞こえた。
恐らく陽歌が帰ったのだろう。
本当に稀に見る、あんな雰囲気の陽歌……そこまで気にした事なんて無かった姿。
だが、その昔まで振り返れば、出逢ったばかりの陽歌は――今みたいな雰囲気の女の子では無かった。
今の姿が本来の陽歌なのか、それとも違うのか。
そんな風に疑問を抱いてしまうほどに、真逆の雰囲気。
もしかしたら当時の暗い雰囲気の陽歌が本来の姿で、現在のお調子者の陽歌は無理矢理作った偽りの姿なのかもしれないと、今考えるとそのように疑ってしまう。
……お分かりだろうか。
もう七年も経つというのに、俺は未だ――幼馴染について知らない事が多すぎる。
果たして今後、陽歌の全てを知る日が来るのだろうか。
それに対する自信は、今の俺にはほとんど無い――。




