6 『ありがとう』
「おい陽歌、俺を褒めろ」
数学で赤点回避をしたにも関わらず、今日ここまで一向に俺を褒める気配の無い陽歌に痺れを切らし、学校の帰り道にてこちらから促してみる。
「あー、今日も今日とて暑いねぇ。すっかりセミの季節だよ」
「誤魔化すな。……ほら、言ってみ? 『佑くん、今日も世界一イケメンだね』って。さんはい――」
「――キモ」
……正反対の言葉が返ってきた。しかも、ガチトーンで。
いや、確かに今の俺の発言はキモかったけど、まさか顔面に対しての反応じゃないよね……?
「「『佑くん、今日も世界一イケメンだね』」」
「……へ?」
肩を落として落ち込んでいた俺の耳に、信じ難い言葉が聞こえてきた。
「は、陽歌、お前今何て……?」
余りの驚きから、思わず聞き返してしまう。
が、聞き返してから気づいたが、今の声は陽歌のものではない。
「いや、私じゃないし……あやちゃんと有紗ちゃんだし」
そう言って陽歌は、同じく一緒に帰宅中の杠葉さんと有紗をジトッと睨んだ。
それに釣られて俺も二人の方に目を向ける。
「な、何よ……? ちょっと言ってみただけじゃない! べ、別に本気で思ってるわけじゃないんだからねっ?!」
お、おう……ツンデレ風だけど、何かちょっと違うような……。
結局、イケメンだと思われてないってことで良いんだよね?
つまり、デレられているわけではないんだよな。
「私は真剣に言いましたからね?」
なるほどぉ、杠葉さんは真剣に俺をイケメンだと――って、
「……はい?」
「ですから、カッコいいと言ったんです。……世界一は言い過ぎかもしれませんが、それは客観的に見たらの話ですので」
それすなわち主観的に見たら――そう考えたら緊張してきちゃった。
「ドキドキと、隠し切れない、音がする。今日は完敗、有紗完敗」
呼吸をするのも忘れそうなくらいには杠葉さんしか目に映ってなかったのだが、どっかの誰かさんの謎の句が耳に入って現実に戻される。
とはいえ、内容は全く頭に入ってこなかったのだが、どうせまたロクでもない句を読んでいたのだろう。
いつものことだから、何か言う気も起こらない。
「ちょっとはるちゃん?! やめてよぉ……」
と、有紗が少し焦ったように陽歌の肩を掴んで涙目になっている。
さしもの俺も、まさか今の句が俺に向けられたものではなかったとは思いもしなかったぞ。
「あはっ、ごめんごめん」
本当に悪いと思っているのだろうか、陽歌は苦笑いを浮かべて有紗に謝る。
「……良し、今日は勝った」
「え、何が?」
「いえ、なんでも。お気になさらずに」
「お、おう……」
杠葉さんは何処の誰と何の勝負をしていたのか、ちょっと気になるが詮索し過ぎて嫌われたくはないからこれ以上聞くのはやめておこう。
「ところで、どうして急に陽歌さんに褒めてほしいとお思いになられたのですか?」
……え、何でそんな怪しむかのような目で俺を見てるの?
そんなこと聞かれたって……、
「そういう賭けだったから。数学で赤点回避したら、俺を毎日一回は褒めるって。逆に赤点だったら俺が陽歌を一日一回褒めるって」
「ふむふむ……」
俺の回答を聞いて、杠葉さんは難しそうな表情を浮かべた。
「ノンノン、その賭けは無かったことになったじゃん。褒めなくて良いから数学教えろって言ってきたじゃん。バカだから忘れちゃったの?」
「バカは余計だ。……クッソが、そういやそうだったわ」
事実、バカだから忘れていたのである。正しく陽歌の言う通り!
「むしろ、教えてあげたんだから褒めてくれても良いと思うんですけどぉ? ほら、言ってごらん? 『陽歌、君は天に浮かぶどの星よりも輝いている。僕にとって、君が銀河一の美少女さ』って」
挑発的な目を向けてくる陽歌だが、言われてみれば確かにそれもそうだなと思えてくる。
あくまで、褒めてあげるという点に置いての話だけどな。
そんな臭いセリフ言えたもんじゃないわ……。
つーか、良く思い付いたな……自己評価高過ぎだわ。良いとこ学園一の間違いだろ。
というわけで、やっぱ褒めるのはやめておいて素直に感謝だけしておこう。
「そーだな。陽歌――」
「――待って」
「え?」
せっかく感謝の言葉を送ってやろうと思ったのに、その前に陽歌に制止されてしまった。
「……やっぱやめて。今言われたら、私の命が危ない」
……なんて失礼な奴だ。
俺の感謝の気持ちに殺傷能力なんてあるはず無いんですけど?
なんて思いながら陽歌から目線を外すと、とある二つのドス黒いオーラが目に飛び込んできた。
「なるほど……」
そういうことかと、陽歌の言いたかった真意は理解したのだが……え、お二人さん? 何でそんなオーラ纏って陽歌を見てるの?
理由がわからないが故に困ったものだが、だからと言ってそれが陽歌に感謝を伝えない理由にはならない。
「でも言うわ。陽歌――」
「――ちょっ?! だからやめ――」
「――ありがとな」
「え……?」
陽歌は少し驚いたような顔をしている。
それから、杠葉さんと有紗が放っていたドス黒いオーラも消えていて、二人ともそれとは真逆の優しい笑みを浮かべている。
「何も驚くことないだろ? お前のおかげで数学赤点回避できたんだ。ありがとよ」
「佑くんの辞書に『ありがとう』って言葉があったのが意外で」
……この野郎。お前に感謝したの、これが初めてでもないよな? 長い付き合いだ。もう何度も言ってやったよな?
もしかして、全部左から右に流れてたの?
「お前の耳、掃除してやろうか?」
「生憎私、掃除は大の得意なので、佑くんの手を借りる必要はございませーん」
「俺が言ったこと、ちゃんと聞こえてなかったみたいだな。やっぱ耳掃除してやらねーとな。帰ったら覚悟しとけよ」
「やれるもんならやってごらーん? その前に家に帰って鍵掛けちゃうもんねーだ」
「あ、待ちやがれっ!」
俺を挑発するかのように舌を出してから走って逃げ出す陽歌を追いかけ、割とすぐに捕まえる。
「あーあ、捕まっちゃった。ざーんねん」
「全然そう見えねえけどな。……二人置いてきちまったじゃねえか」
「ここで待ってればすぐ追いついてくるよ」
「ま、それもそーだな」
なんて思ったものの、結局二人が追いついてくるのには少々時間が掛かった。
そうだった……有紗さん足遅いんだったぁ……。
ごめんなさい……。
と、息を切らしてバテ気味の有紗に念を送ったのだった。




