3 下校は一人にならず
テスト期間に入ってから五日の時が流れ、テスト開始まで残り二日となった翌週月曜日の朝、比較的静かだった教室内が急にざわつき始めた。
どうしたのだろうと、ついキョロキョロしてしまったが、おかげで理由がわかった。
体育祭以後、登校していなかった人物が教室に姿を見せたからだ。
教室の前方の扉の前で硬直するその女は、曽根紫音。
入りにくいとでも言いたげな雰囲気だが、それは自業自得。
曽根は数秒の硬直の後、意を決したかのような顔をして教室内に足を踏み入れ、席に着いた。
「えっと、有紗さん……?」
「ん? 何かしら?」
曽根が登校してきてしまったことで有紗が怯えたりしてないか心配になって恐る恐る声を掛けてみたが、そんな様子は微塵も無く、何なら笑顔を見せてくる余裕すらあるようだ。
「いや、何でも」
「は?! 何よ! せっかく話しかけてもらえたと思ったのにっ!」
「何言ってんのお前? 転校したての頃の俺の胸中代弁してくれてんの?」
「ち、違うわよっ、バカッ」
悪態を吐かれてしまったが、いつものことだからムキになって言い返さずにスルーしておこう。
そう思って教室の前方に座る曽根に何となく目を向けてみると、まるで別人にでもなってしまったかのような静かな雰囲気が身を包んでいた。
その曽根を見る周囲――いや、教室中から曽根を見る目は腫れ物に対するものだ。
その曽根の更に一つ前の席は未だ空席。
曽根が登校してきたのだから彼も来ると思ったのだが、どうやら違ったみたいだ。
始業のチャイムが鳴り、藤崎先生が教室に入ってきた。
今日もこうして、超短い朝のホームルームが始まる。
※※※※※
中間テストの勉強の時のメンバーに涌井と臼井を加え、結局大所帯となっていた放課後の図書室でのテスト勉強を終え、帰宅する為に校門に向かって歩き始める。
「みなさん、このまま別の場所で追い込みの勉強をしませんか?」
「お、良いんじゃね? それ」
「がははっ! 俺は頭悪いからウェルカムだぜ」
杠葉さんの提案に相沢や俺と同じくバカな涌井は乗り気みたいだ。
それに加え、春田や臼井も頷いている。
「なら、ファミレス行きましょ!」
どさくさに紛れて飲食店を提案する辺り、流石は食い意地が張った有紗である。
……お店にとってはめっちゃ迷惑な気がするけどな。
「では、決まりですねっ」
杠葉さんの一言で決定してしまったようだ。誰もが納得した表情をしている。
だが俺は納得していない、というよりも……行きたくても行けないのだ。
「えっと……俺はパスで」
致し方なく、空気が読めていないであろう発言をする他無かった。
「おいおい椎名、一番バカなお前が参加しなくてどーすんだよ?」
涌井がそんなことを言ってくるが、学力が俺と大差無さそうなこいつだけにはバカと言われたくはない。
「何かご予定があるのですか?」
俺が若干イラッとしたのを悟ったのか、杠葉さんが気を回すようにそう聞いてくる。
「帰って飯用意しないと渚沙が暴れる」
これこそ俺が参加できない嘘偽りのない理由なのである。
「なぎちゃん?! 相変わらず天使ねぇ!」
目を輝かせるように有紗は言うが、どこが天使だと全力で反論したい気分だ。
「では、仕方ありませんね。渚沙さんにご迷惑をお掛けするわけにもいきませんし」
「うむ、迷惑以前に自分で用意しろよって話だけど、先日夕食当番すっぽかした罰としてその日から一週間は俺の担当になってしまったのでした。と言うわけで、帰るわ……」
そう言って一人、家に向かって歩き始める。
有紗と山根屋に行ったあの日、せめて渚沙に連絡ぐらいしておけば、厳重注意くらいで済ませてくれたのかもしれないなぁ……。
だとしたら俺もみんなと一緒に家の反対方向に歩けてたかもと思うと、あの日のミスを悔いてしまう。
……いや、渚沙だから厳重注意で済むわけないわ。
当初は一ヶ月って言ってきやがったところを、あれだけ全力で謝罪して何とか一週間って話にしてくれたくらいだからね。
そこは三日だろって思ったわ。
なんて考えながら歩いていると、後方からドタドタと足音が聞こえてきた。
「ゆーうーくん!」
その声と呼び方から、足音の主は陽歌だと簡単に分かる。
「どうした? みんなと一緒に行ったんじゃ――」
「――とうっ!」
「おっと……って、危ねえだろうが。転んだらどうすんだ」
振り返りざまに用件を尋ねたのだが、陽歌が俺目掛けて体当たりらしき行動をしてくるのが目に入り、反射的に避ける。
「躱したくせに」
それが不満なのか、陽歌は拗ねるように口を尖らせた。
「で、何でここにいんの? ファミレス行ったんじゃないのかよ」
「また数学だけ赤点取られちゃ教え損だからね」
「陽歌、まさかお前――」
「帰ってからも数学の特訓だよ、佑くん」
「――俺を褒めたいの?」
だとしたら感動そのもの。だって、陽歌が俺を貶すじゃなくて褒めようとしてるなんて、奇跡と言っても過言じゃないから。
「は? 何で私が佑くんを褒めたいになるわけ?」
「だって、そうゆう賭け話あったじゃん。俺が次の期末テストで数学の赤点回避したら、お前が事あるごとに俺を褒めるって」
「……あぁ、忘れてた。そんな話もあったっけね。やっぱファミレス行く」
陽歌は頭を抱えながらそう言った後、来た方向に体を反転させて歩き始めてしまった。
「え、ちょちょちょちょっと待って! 帰って数学教えてくれるんじゃないの?!」
陽歌がその気で俺を追って来てくれたのなら、是非とも教えに乞いたい……が、このままだと俺の余計な一言が原因で陽歌がファミレスに行ってしまう。
故にそれを防ぐように陽歌の正面に回り込む。
「別に褒めてくれなくてもいいから教えてください数学を……! ね? お願いしますよ陽歌様!」
そして、あれこれ考えるまでもなく、土下座で頼み込む。
「……そうやってスカートの中を覗かないで、ドヘンタイ」
「ありがとうござい――って、覗いてないけど?!」
「冗談冗談、ファミレス行くのも冗談。沙紀おばさんにも頼まれてたからね」
「ってことは……」
期待を込めて陽歌を見つめ――、
「今、覗いたでしょ?」
「――覗いてねえわ!」
ゴミを見つけた目を向けてくる陽歌に反論する。
そんな目を向けられる覚えはないのだ。本当に覗いてないし……。
「ほら、さっさと帰るよ、ドヘンタイ」
そう言って陽歌は家の方に向かって歩き始めた。
「『ド』を付けて強調するのやめてもらえませんかね? 普段通りに戻して欲しいんですけど」
陽歌の横に並んで、不満に感じていたそれを伝えてみる。
「あれれえ? 普段通りって、ヘンタイって呼ばれるの嬉しかったんだ? やっぱドMだね」
「だから『ド』を付けるなって言ってんだろ! あと、嬉しくねえよ!」
「佑くん、帰りにスーパー寄ってこっか」
急に話題が変わったけど、やめてくれるって考えても良いのだろうか。いや、良くないだろう。
何なら、これからも続けますって宣言とさえ言える。
クソ幼馴染め……。
「……何で?」
「夕飯を作ってる余裕なんて佑くんには無いでしょ? 私が作るから、その時間を勉強に充てなさい」
「え、ホントに? マジ助かるわ」
「それじゃ、行こっか」
俺って良い幼馴染を持ったなぁ。良かった、陽歌が幼馴染で。
なんて思いながら、陽歌とスーパーに向かった。




