51 閉幕
全ての花櫻生が注目する中、俺が勝利した。
数多の悲鳴が聞こえ、やがて止み、無音に近い状態がグラウンドを包む。
「……負けた? この俺が、負けただと……?」
そんな中、地面に跪いた二岡が呟く。
「花櫻学園……こんな狭い世界でてっぺん取って良い気になってた、それがテメェの敗因だ」
とはいえ、正直かなり危なかった。
当然勝てると思って臨んだのだが、ゴール直前で横並びだったことから、俺もまた二岡真斗をみくびっていたのかもしれない。
内心、二岡がハンデなんていらないと言ってくれたことが終わった今となっては救いとなっている。
「――ふざけるなっ、俺は負けてない! 今のは手を抜いてやっただけだ……!」
二岡がそのように声を荒げると、周囲が少しざわつき始めた。
「……みっともねぇな。その言葉を信じるバカな奴もいるだろうけど、でも周りを見てみろよ」
「――っ?!」
二岡は何を驚いているのか、そんなに驚くことでもあるまい。
花櫻のスーパースターだと信じてやまなかった二岡真斗が負けて、更には言い訳をする。
そんな姿、見たかった人なんていないだろう?
これまででは考えられない、二岡真斗を軽蔑でもするかのような視線が周囲にいる生徒のうちの半数程度から向けられている。
「二岡真斗、テメェだけの世界はもう終わりに向かっ――」
『紫音、キミのおかげで計画通り姫宮を潰せた。礼を言う、ありがとう』
『良いよ、わたしは真斗の力になれればそれで良いから。それより、そっちは順調なの?』
『もちろん順調さ。これで杠葉綾女が変わりたいなんて、そんなバカな考えをすることも無くなるだろう』
「……んだよ、これは」
突如としてグラウンドに流れる音声。これには流石に俺も物凄く動揺している。
場所は恐らく司会席。
誰だか知らないが、橘の他にも二岡と曽根の密会現場に居合わせてしまった人がいたようだ。
だが、橘の場合は学年種目の前。
有紗が完全にやられたのは学年種目の騎馬戦後。
つまり、俺が曽根に心をズタボロにされかける直前の出来事なのだろう。
動画なのか音声だけなのか知らないが、これを流している人には普通に怒りが湧いてくる。
これでは有紗が虐められたみたいになってしまうではないか……。
なんて思ったが、周囲から聞こえ始める声は手のひらを返したように有紗を庇うものばかり。
それか、二岡真斗という男に対して完全に失望してしまったかのような、苛立ちをあらわにしたような声。
「……椎名佑紀、これもキミの差し金か?」
俯く二岡から、力ない問いが俺に向けられた。
「ちげえよ。ま、何にせよ、曽根との第二体育館裏での密会を誰かに録音されるなんて、マジで間抜けだな」
「……やっぱり、そのことを知ってるキミの仕業じゃないか」
そう言って二岡は立ち上がった。
「だから、俺じゃないって言ってん――」
「――椎名佑紀ぃっ!」
二岡の怒鳴り声が聞こえたと思ったら、いつの間にか俺の身体が飛んでいた。
いや、飛んでいたというよりは後方に倒れていたと言った方が正しいか。
痺れる左頬が、二岡に殴られたのだと教えてくれる。
「……ってぇなこの野郎。やられたらやり返す……テメェみたいな真のバカは、殴ってやらねえと分かんねえみてぇだなっ!」
すぐさま立ち上がり、拳を引き、二岡の顔に目掛けて突き――、
「――なっ?!」
動く身体が反射的に止まってくれた。
「佑紀さんがこの人と同じになる必要なんて何もありません」
――目の前に両手を広げた杠葉さんが現れたから。
それを見た途端、すぐに冷静さを取り戻し、拳を下げる。
……頭に血が昇っちゃってたのかもな。
「私は一人じゃ変われない。でも、誰かと一緒ならきっと大丈夫。ここまできっかけを作ってくれたのです。だから最後くらいは自分で終わらせなきゃ、ダメなんです」
杠葉さんはそう言った後、二岡の正面に体を向けた。
今から一体何が起こるのか、周囲の人たちも黙り込み、固唾を飲んで見守っている。
「ずっと迷惑してました。告白はお断りしたはずなのに、気づいたら彼女だなんて言われのない話を作られて、それをみなさんに信じ込ませて――」
「――な、何を言ってるんだい? 俺とキミが付き合ってるのは事実じゃないか――」
「――だから、迷惑だって言ってるんです! それに、今更誰が信用するんですか?! あなたはもう、それを失っているんですよ?!」
「そ、それは……」
杠葉さんの言葉に二岡は押し黙ってしまう。
「……私には七年前から想い人がいるんです。だから今も昔も、一瞬たりとも私の心があなたに向いたことなんてありませんし、もちろん今後もあり得ません」
追撃の如く放たれた杠葉さんの言葉に、二岡はただ呆然と崩れ落ちた。
「私はこの人の彼女なんかではありません。それは、今も然り過去も――みなさま、どうか私の言葉を信じてください。お願いします」
杠葉さんが周囲の生徒に向かって頭を下げる。
ここまで現実を見てしまっては、杠葉さんの言葉を否定したり疑ったりする者はおらず、誰もが納得でもしたような表情をしている。
これから、伝染するように真実が広まっていくことになるだろう。
「許さない、許さない許さない……椎名佑紀に杠葉綾女、絶対に許さない……」
怨念のようなものが聞こえた気がしたら、曽根がこの場に姿を現した。
「……許さない? あなたがそれを言いますか? それは本来私のセリフだったのですが、もう良いです。全部終わってくれましたので」
杠葉さんが曽根に向けてそう言った。
「黙れ、黙れ黙れっ……! よくも真斗を――」
「――そう思うのであれば、あなたが彼の心を繋ぎ止め……いや、ちょっと違うか。あなたが彼の心を射止めてください」
そう言って杠葉さんは微笑した。
「……ふざけんな、真斗が好きなのはわたしじゃなくて――」
「――だから何ですか? ほしいのですよね? 彼の心が。私が邪魔だったのですよね? でも、その私は最初からいません。あなただって知っていたのでしょう? ですから、今日からでもどうぞご自由に」
「うるさい、うるさいうるさい……! 真斗が築き上げてきたものを返せっ!」
曽根は激昂したまま、怒鳴るのをやめない。
だが、曽根がいくら怒鳴ろうが何も変わらない。
というよりも、むしろ悪化するだけ。曽根を見る周囲の目は一層白くなっていく。
「有紗さんの努力を奪った人にそんなこと言われる筋合い――」
「――そこまでだ」
曽根に対して杠葉さんが言い返そうとしていたその時、それを制止する声が入った。
「いつまでここに固まっている。とっくに二年の選抜リレーは終わったんだ、全員直ちに退きなさい。最後の三年生の選抜リレーが始められないじゃないか」
二年三組の担任教師、藤崎翔子が腕を組みながらそう指示してくる。
それを聞いて、この場から次々に人が離れていく。
さてと……俺の役目は全部終わったんだ。
俺も退くとしますか――、
「――あっ」
心の底から安堵した瞬間、力が抜けてよろけてしまった。
「――おっとっと、大丈夫ですか?」
杠葉さんが体を支えてくれた。
「え、うん……大丈夫。ありがとう」
「どういたしまして」
「あの……いつまで掴んでいるので?」
「また転びそうになってしまっては大変ですし」
と、ここで強烈な足音が聞こえた。
なんか、物凄い勢いでこっちに走ってきているような……っていうか、さっきのリレーの時より速くないっすか?!
「あ、歩けないなら私が支えてあげるわよ!」
そう言って有紗が反対の腕を掴んでくる。
「えっと、だから二人とも……? 俺、歩けますが? ――はっ?!」
カシャッとした音が連続して聞こえ、正面に目を向けると陽歌がニヤッとしながらスマホの画面を眺めていた。
「……何してんの?」
「両手に花を持ってニヤける幼馴染を記録する作業。渚沙に送信っと」
「ニヤけてねぇし……ニヤけてんのはお前だし……じゃなくて、離してもらえますかね?!」
「嫌です」
「私だって嫌よ!」
そう言っても二人は掴んだ腕を離してくれない。
「何をしている。早く退けと言っただろう」
藤崎先生が急かすように言ってくる。
しょうがないからこのまま歩くことにしますか……。
「おう椎名、ナイスラン!」
両腕を掴まれてると逆に歩きにくいんだけど……なんて思いながらテント付近まで戻ると、相沢から声をかけられた。
その横には涌井と春田、それから臼井もいる。
「お前、スッゲェな! ホントに勝っちまうなんてよ!」
「もうあたし、椎名っちに惚れちゃいそうだったよぉ!」
「ホント、うちも涌井から乗り換えよっかな」
え、やっぱ俺のモテ期到来……?
しかも、これって寝取りパターンでは……。
「「椎名殺す」」
「――ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺にそのつもりはないんだ……!」
「「問答無用!」」
相沢と涌井に飛びかかられ――、
「オラッ、くらえや椎名!」
「こっちもな!」
良くやったとでも伝えてくれているのか、髪をくしゃくしゃにされた。
今日の体育祭、多くの花櫻生から悲しみ、絶望、怒りといった感情が生まれてしまったことだろう。
それは俺が生み出したものだから、今後批判を受けることもあると思う。
けど今だけは、ここにある喜びという感情、これを生み出したのも俺なのだと、そんな自分を褒めてやりたい。
そんな事を思いつつ、俺の今年の体育祭が幕を閉じた。




