50 あんたが好きよ
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誰もが固唾を飲んで見守る中、横一線に並ぶ二人が私には想像もつかない世界だと思えるほどの猛スピードでトラックを走っている。
それを見て、私も運動神経が良かったらなぁ……なんて思うのもバカバカしくなるほどの圧倒的速さ。
どんな方法で約束を守ってくれようとしてるのかなんて知らなかった。
何なら、今でも分からないけど――それがどんな方法でも構わない。
私はあいつを信じると決めたから。
いや違う。
私は最初から信じてた。
椎名佑紀は、約束を守ってくれる男だと――信じてた。
人によっては、種目の趣旨を台無しにするようなあいつの行いを非難するかもしれない。
ううん……あいつを信頼してる数少ない花櫻生以外は、二岡真斗が一位でゴールできない要因を作ったのがあいつだと知れば、間違いなく怒りを覚える。
けどそれは、あいつが負けたらの話で――何故だか分からないけど、勝てばきっとそうはならないと思う。
不思議と、そんな気がした。
あいつは今、私との約束を守る為に走っている。
私の為に、戦ってくれている。
分かってる――綾女やはるちゃん、それから相沢や涌井の為でもあって、決して私の為だけじゃないことくらい、分かってる。
それでも嬉しくて、鎮まる気配のない胸の高鳴りが抑えられなくて。
グラウンド一帯から二岡真斗への声援だけが聞こえてくる。
謂わば、あいつにとっては完全アウェー。
千六百メートルでは、まともな応援はしてあげてなかったわね。
だからせめて最後くらいは、ありったけの声を出し切ろうと――、
「佑紀さんファイトです! 絶対勝ってください!」
「そうだよ! 負けるなんて佑くんには全然似合わないんだから!」
そう思った矢先、綾女とはるちゃんが大きな声を出して椎名に声援を送った。
綾女が二岡でなく椎名を応援したことに違和感でも覚えたのか、近くの生徒の視線が綾女に集まる。
けど、綾女は全く気にも留めない。
私だって――、
「椎名ぁー! 約束、分かってるんでしょうね?! 負けたら承知しないわよ?! 頑張って!」
――二人に負けてられない。
あいつがゴールちょっと手前の私たちの目の前を通過する直前、今までの人生で一番本気で応援した。
どうか届いてくれていますようにと、そう思ったその時、あいつが体ひとつ分リードして――、
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無我夢中で、ただ全力でゴールを目指して走り続け、それでも尚、横一線。
だけど諦めるわけにはいかなくて、何としてもこいつには負けられねぇと腕を振り、足を動かしゴールに近づく。
「佑紀さんファイトです! 絶対勝ってください!」
「そうだよ! 負けるなんて佑くんには全然似合わないんだから!」
俺を応援してくれる声が、このレースが始まってから初めて聞こえてきた気がする。
「椎名ぁー! 約束、分かってるんでしょうね?! 負けたら承知しないわよ?! 頑張って!」
また一つ、俺を応援してくれる声が――約束……!
そうだ、それを果たす為に俺は――信じてくれるみんなの為に俺は、こいつに勝つんだ……!
最後の最後、持てる全ての力を振り絞って前に突き進み――ゴールに足を踏み入れた。
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――ゴールした。
「あいつが……勝った。――あっ」
無意識に呟いてしまったが、異常なまでに静かになったグラウンドが、すぐに答えを教えてくれた。
あいつが勝ったのは分かってる。
それじゃなくて――私に向けられた悪意ある視線を逸らす、その意味を教えてくれた。
誰も彼も今日の例の一件を忘れてしまったかのように、今は私でなく、ゴールで跪く二岡真斗に視線を向けている。
しかもそれは、いつものような彼を讃える視線ではなく、まるで信じられないような光景でも見たかのような視線。
誰もが絶句したかのような静けさに包まれているのに、私は心の底から安堵している。
このまま私にとっての悪夢も、綾女にとっての悪夢も終わるのだと、つい笑みが溢れてしまう。
誰かの不幸で自分が救われて、それで喜ぶなんて間違っているのは理解している。
それでも、抑え切れないほどに嬉しくて。
あいつは、約束を守ってくれた――。
そう思うと、思いっきり心臓が跳ねるのを感じた。
何かが芽吹く音。
はぁ……そうね、もう良い加減分かったわ。
いや、分かったというよりも認めるが正しいか……。
今日ママに、愛する椎名佑紀くんってあいつの目の前で言われたけど、その時に認めていたらどんな反応をしてくれたのかしら?
ちょっと気になるけど、その時にはまだこの想いに気づけてなかったから仕方ないわね。
この想いに対しても素直になるとしたら、言えることはたった一つしかない。
――あんたが好きよ。
見つめる先にいるあいつに向かって、心の中から想いを送った。
今はまだ、面と向かってこんなこと言う勇気は無い。
それでもいつか必ず伝えるから、覚悟しなさいよね!
それから綾女も――親友だからって、この想いに嘘はついてあげないんだから!
このヒロインレースは私が必ず勝つと、人知れず決意をした。
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