49 最後の大勝負へ
男子選抜二百メートルリレー決勝。
一年生の決勝が終わり、次はいよいよ俺たち二年生の決勝。
刻一刻と迫る運命の瞬間を前に、俺の心は意外にも落ち着いていた。
「知ってるかい? 椎名。二年三組、喜ばしいことに学年一位が決定したみたいだ」
待機場所にて、二岡に話しかけられた。
俺が有紗と仲が良いのを知っていて、よくもまぁこうも当たり前に話しかけてくるものだ。
「まぁ、一応体育祭クラスリーダーなんで」
「そうだったね、なら知ってて当然か。今日までクラスが一致団結してこられたのも、クラスが一位になれたのも椎名のおかげだ。改めて礼を言うよ」
お馴染みの爽やかスマイルでそう言ってくるが……。
なーにが一致団結やねん。ぜんっぜん団結なんてしてないから。
しかも、何か当たり前に感謝してきて笑っちまいそうになっちゃった。何とか堪えたけど……。
「そんなことないよー! 騎馬戦では司令塔役だったにも関わらず即死したからね! 俺なんて全然、偶々持久力だけはあったから個人種目の長距離で一位を取っただけで、その他はなーんの役にも立ってないから! それに比べて二岡はやっぱ凄いね! 何から何まで大車輪の活躍じゃないか! よっ、流石は現花櫻最強!」
今だけはひたすら上げといてやるよ。
すぐに落とすけどな。
「……いやいや、そこは素直に受け取っておいてくれよ」
上げたつもりが、そんなに上がってなかった。
めっちゃ冷静に返されてしまった。
「……どうもです。二岡に褒められて光栄でございます」
「ははっ、相変わらず面白いね、椎名は。この調子で最後のこの種目も、ワンツーフィニッシュを狙おうか!」
俺の何が面白いのか、しかも相変わらずって……。
あと、残念ながらこの種目はワンツーフィニッシュ不可能です。
まぁ、勝手に期待するのは構わないけどね。
なんて思いつつ、指定の位置に向かって歩き始める。
「……そういえば椎名。どうしてリレーの走順を入れ替えたんだい? そのままでもクラスの学年一位は決まってたけど」
二岡が歩く俺の横に並んできて、答えなんて一つしかない質問をしてきやがった。
「……安泰ねぇ。確かにそれはそうかもしれないけど、理由は二つある。一つ目は何としてもこの種目の前にクラスの一位を決定させる為。二つ目は、そうだな……レースが始まったら教えてやるよ」
「おぉ、引っ張るね。ハードルが上がっちゃうよ? ……って、レース中って、そんな余裕無いんじゃ……それに、あれ? 一つ目の答えって、この質問の答えになってなくない?」
「楽勝で飛び越えれるから大丈夫。それに、そんな余裕もできるし。え、答えになってなかった……?」
えぇ、クラス対抗リレーの走順入れ替えた理由でしょ?
だから、この種目の前に一位を決定したかったって答えたのに、答えになってないとか言われちゃった……。
「全然なってないよ……って、もしかしたら聞き方が間違ってたのかな? 俺が聞きたかったのは――」
俺と二岡、それからその他の勝ち上がったチームの選手が、指定の位置に待機する。
「――どうして二走のはずの椎名が、アンカーなのかってことだよ。もしかして、本気でワンツーフィニッシュを狙う為の作戦かな? だったら、その作戦が上手くいくと良いなって思ってさ」
あぁ、そっちか……この種目のリレーの走順の話だったのね。
理解し間違えちった。バカでごめんごめん。
「どうして俺がここに、か――」
ホント、お前らがあんな真似さえしなけりゃ、俺だってここにいねぇよ。
今、目の前で二走としてトラックに立ってる涌井の位置にいたっつーの。
「その理由を教える前に、クラス対抗リレーの走順を入れ替えた理由を教えてやるよ。一つ目は、今言った通り。二つ目は――」
号砲とともに、二年生の最終種目、男子選抜二百メートルリレー決勝の口火が切って落とされた。
「――姫宮有紗、あいつに努力の成果を発揮させてやりたかったから。あいつにもこの体育祭を笑って終わってほしかったから。それは、変更前の走順じゃ絶対に叶わない」
「……そんなことなかったんじゃないか? だって、姫宮は紫音と仲良くやっていたじゃないか」
俺だってそう思っていたし、有紗本人だってそう思っていただろう。
だが、こいつは全部知っている、というよりも企てたのはこいつなはず。
今、全ての二走の選手にバトンが渡り、アンカーたる俺たちがトラックに入る番がやってきた。
「……あのさぁ、飼い犬の手綱ぐらいちゃんと握っといたら?」
そう言いながらアンカーとしてトラックに足を踏み入れる。
「ん? ……飼い犬?」
二岡のそんな疑問を置き去りに、会場中が騒然とし始める。
それもそのはず――、
「曽根紫音、あいつバカだから林間学校で俺に喧嘩売ってきてんだよね。知らなかったっしょ? そして今日も、勝ち誇った顔で楽しそうにベラベラと計画を話してくれましたが?」
――二走、相沢忠仁と涌井猛が走るのをやめ、歩き始めたのだから。
俺と二岡以外のアンカーは、その光景に驚きを隠せないのか相沢と涌井を眺めたり、でも自分のクラスの位置を確認しなきゃだったりでそちらに気を取られて、俺と二岡には全く意識を向けていない。
「……そうか、そういう事だったのか。じゃあ、椎名は林間学校から俺を警戒して――あの女、余計な真似を……だが、それを椎名が知ったところでどうにもならない」
「はぁ……本気で警戒したのは今日が初日だよ。それまではマジで良い奴だって思ってたんだけど……残念だよ二岡くん、曽根は全部自分一人で考えた天才的計画だって自画自賛してたんだけど、やっぱテメェの計画だったんだな」
「……俺を誘導したのか?」
途端、二岡の冷徹な眼差しが俺を射る。
「……何が狙いだ? 相沢に涌井、奴らが歩いてやがるのも椎名の差し金なんだろ?」
「正解。これでクラス対抗リレーの走順を入れ替えた、一つ目の理由にも納得してもらえたかな?」
「ふざけるな……聞こえないのか? 花櫻生たちの悲鳴の嵐がっ!」
藤崎先生が言ってた嵐もあながち間違ってはなかったみたいだな。
って言っても、予想通りすぎだけど、甲高い悲鳴があちらこちらから聞こえてくる。
もう、二岡が一位でゴールするのは不可能だと、他チームにつけられた距離から誰もがそう理解してしまったのだろう。
「聞こえてるよ。マジでくだらねえ悲鳴、うるさすぎ。ま、こうなるのは想定内だけど」
「……だったらどうしてこんなことを」
「自分の胸に手を当ててよーく考えてみ? 逆に自分は何であんなことをしてしまったのかってな」
「……してしまった? それは違うな、俺の行いは間違ってなどいない。自分にとって、正しい選択をしているだけだ」
二岡はそう言い切った。
「――だったら、今の俺の行いも間違ってなんかねぇよな? 俺も、この学園にとって正しい選択をしてるつもりだからな」
「これの何が正しい選択だ?! この学園は俺の――」
「なーに焦ってんの? こんなの、誰がどう見たって一位でゴールできないのは当たり前だし、それで二岡を責めたりする奴なんていないだろ?」
「この学園に入学して以来、負けたことなんてないんだぞ!」
二岡は激昂したかのように怒鳴り散らした。
流石にこれには他のアンカーたちも気づいたのか、視線が一斉に二岡に集中した。
が、それも束の間、他チームのアンカーは三走からバトンを受け取り、次々にゴールに向かって走りだす。
そして遂に、ここに残るは俺と二岡の二人のみに。
「……嘘だね、お前は一度負けている」
「……俺は一度たりとも負けてなんかいない」
あくまでそう言い張るつもりなら――、
「じゃあ言い換えるわ。杠葉綾女、あの子に告って振られてる。さぞかしプライドがズタボロになったんだろうな、それで人望を利用して勝手に彼女ってことにして……」
「……今久しぶりに、自分に対して怒りを覚えているよ。椎名、キミのことは転校初日からもっと警戒しておくべきだった。……だが、それを椎名が信じたところで何も変わらない」
「あぁ、変わらねえよ。俺を信じてくれる人なんて、この学校には十人程度しかいないからな。でも、杠葉さんが変わればどうだ? あの子の言葉を信用する人が増えれば、テメェは徐々に失墜する」
「それもない。何故なら今日、そうならない為の計画を実行したからな」
見るからに余裕そうな表情でそう言う二岡だが……。
「残念、杠葉綾女の心はまだ死んでない。屈服なんかしちゃいねぇし、今後もテメェの思い通りなんかにはならない」
そろそろ頃合いか――涌井が相沢より先に三走にバトンを渡し、俺の元にバトンが近づいてきている。
「彼女も分からず屋だね、姫宮があんな目に遭ったにも関わらず、また犠牲者を出してでも変わりたいだなんて……良いだろう、この際だから椎名にも忠告だ。次は御影の番――」
「――そうはさせねえよ? テメェは今日、ここでビリになることで運動に関して最強じゃなくなる。つまり、花櫻のスーパースターの地位から転落する」
「……は? あり得ない話だ。馬鹿も休み休みに言え」
二岡は本気でそうはならないと信じて疑っていないかのような表情をしている。
「どこまで転がり落ちるか知らねえけど、スターくらいには踏みとどまれるように精々今から祈っとけや。まぁ、スターで踏みとどまろうが負けという現実は花櫻生に強烈なショックを与えるし、多少はテメェの人望も落ちるっしょ。そうなりゃ杠葉さんの言葉を信じる奴だって増えてくる。つまり嘘がバレる、覚悟しとけよ?」
ここまで言っても、二岡の表情は変わらず余裕そうだ。
「いいや、もうこのレースは無意味なもの。俺が一位でゴールできなくとも、誰がどう見てもそれは仕方がないこと。だからそれで俺の地位が落ちたりはしない。これはさっきキミが言ってたことだし、冷静に考えればまさにその通りだ」
ここで、俺の元にバトンが届けられた。
「どうした? 行かないのかい? キミの望み通り、俺をビリにするチャンスだよ?」
行くわけがない。
ここで走り出して二岡より先にゴールしたところで何も変えられやしないし、有紗に向けられた視線を緩和してやれない。
「……俺がアンカーに変わった理由を教えてなかったよな」
俺がまだ走り出さない理由、それは――、
「――二岡真斗、今からテメェは全花櫻生の目の前で、この俺に負ける」
――この偽られた世界に終止符を打つ為。
「……ふはっ、ふははははっ! キミがこの俺に勝つ? バカもここまで来ると笑いが出てしまうよ」
「そんなバカから大サービス、バトンを受け取る際の加速くらいさせてやるよ。ちなみに俺はもう受け取ってるからそれはできない。どうだ? ビビったりしないでもちろんこの勝負を受けるよな?」
二岡のプライドを刺激するように言葉を選ぶ。
「リードなんていらない。キミからハンデを受けるとか、俺のプライドが許さない。……良いだろう、その勝負、受けて立とうか――椎名佑紀、異分子であるキミを完膚なきまでに叩きのめして、俺は俺の為の世界を完成させる」
二岡に対して一歩出遅れてスタートして抜かしてやるつもりだったけど、お互いハンデ無しのスタートを提案されてしまった。
でもそれでも別に良い。
結局のところ、二岡に対して敗北を突きつけられれば問題ないわけだから。
ここで、二岡の元にもバトンが渡った。
「そっ……んじゃ合図は……そこの方! よーいどんの合図をやってもらえませんかね?!」
観客の中にいた他校生っぽい銀髪の女の子に駆け寄りながら頼んでみる。
「……なーんかおもしろそーだし、別にやってもいーよ」
銀髪の女の子はそう言いながら観客の中から抜けてトラック内に入ってきた。
一瞬、ちょっと不良っぽい人に頼んじゃって失敗したって思ったけど、普通に了承してもらえた。
「ありがとうございます。じゃあ、俺たちが横に並んだら合図お願いします」
そう言い残して、二岡の横に立つ。
予定通り、今グラウンドにいる全ての人から圧倒的注目を集めている。
教師陣なんてきっと顔が真っ青なことだろう。
でも、今だけは許してください。
「恨みっこ無しだぜ、花櫻のスーパースターさん」
「恨むも何も、勝つのは俺だ。キミこそ、負けた時の言い訳は考えてあるのかな?」
静寂に包まれた花櫻学園のグラウンド――、
「位置について、よーい――――――どんっ!」
――あいつらの想いを背負って、最後の大勝負へとスタートを切った。




