48 験担ぎ。ズレを生じさせ、崩壊予告
「うんうん、来てよかったわ! あの子、良い笑顔だと思わない?!」
と、有紗のお姉様がこちらに笑顔を見せる有紗を見て楽しそうに笑みを浮かべている。
「ええ、ホントに……良かったです」
「もぉホント奇跡的よぉ? あの子が抜かされないなんて、初めて見たわぁ! お姉さんそれが何より嬉しくって……朝から晩までずっと練習してたみたいだから、それが実を結んでくれたみたいで何よりね!」
何とも妹想いな良き姉を持ったものだなと、少し有紗を羨ましく思った。
……俺も渚沙が周囲から羨ましがられるように良き兄になる努力でもしてみようかな?!
そしたら渚沙も、お兄ちゃんは誰にも渡さないんだから! とか言って、多少はブラコン化してくれるだろうか?
……ブラコン化とまで言わずとも、もう少し俺に優しくしてくれ。
「ママッ! 来てくれたのね!」
「あら有紗、良く頑張りました! 流石は私の娘ね、良い子良い子」
有紗が満面の笑みを浮かべながらこの場にやってきて――って、ママだと?!
若々しさから勝手に姉だと判断してしまっていたようだ。
そうは言っても、実際お姉様だって事を否定されなかったし、何なら自分でお姉さん呼びしてきたからここまで気付けなくても仕方ない。
でもまぁ、何か我が子を可愛がるように有紗の頭を撫でている姿を見ていると、母親なんだなぁと思えてきた。
「ほらほら有紗、愛する椎名佑紀くんにも甘えてみたら?」
「――ふぁっ?!」
急に有紗の母親がそんな事を言い出すから変な声が出てしまう。
「――な、ななな何言ってんのママ?! え、はぁ?! 愛する?! 私が、あれを?!」
頭がテンパってしまったかのように有紗は俺を指差した。
……え、有紗のこの言い方、もしかして有紗ママ、テキトーに話作ってません?
「あら、違うの? ママはてっきりそうだと思ってたわ。だってしょっちゅう椎名くんの話してくれるじゃない」
「そ、それはそうだけど……だからって勝手に決めつけないでくれるかしら! 気まずくなったらどうしてくれんのよ?! それも、椎名の前でそんな事言ってくれちゃって……!」
これで決まってしまった。
有紗さん、別に俺のこと好きでも何でもないやんけぇ……。
有紗ママよ、責任取って俺の淡い期待のやり場を用意してください……。
と、まぁそんな冗談はここまでにしておいて、リレーはっと――。
「おぉ、二岡が走ってんなぁ。頑張れー」
「なんて思ってないくせに」
「失敬な、俺は今真面目に二岡を応援していたんだぞ。このリレー、クラスが一位なら他クラスの結果に左右されずに問答無用でクラスの学年一位が決まるからな!」
なんて言ってると、圧倒的大歓声が沸き起こった。
それだけで分かってしまう。
どうやら二岡はちゃんと一位でゴールしたみたいだな。
「……あんた、ちゃんと約束、守ってくれたのね」
「結果としてはそうなんだけど、こればっかりは俺のおかげじゃない。クラス全員で掴んだもの――だから有紗、お前だって誇っても良いんだ」
「……ふふっ、そうね! なんてったって、この私が抜かされずに一位でバトンを繋いであげたんだからね!」
そう言って有紗は得意げに笑った。
「良い雰囲気のとこ悪いんだけど、ママはもう戻んないとだから、そろそろ行くわね。椎名くんも、さっきは教えてくれてありがとね」
「いえいえ、ちゃんと有紗の走るところ観れて良かったですね。それじゃあさようなら、有紗のお姉――じゃなかった……おばさん」
「おば……おばさんですって?! 私はこう見えてまだ三十六よ?! ……って、もうそんな歳か」
やっべ、俺の軽はずみな一言で有紗ママが肩を落としてる……。
「いやいや、三十六なんて全然若いっすよ! うちの母親なんてそれより全然歳いってますし。それに、三十六より若く見えたからの有紗の姉かと間違えたわけで」
「あんた、どう見りゃそう見えんのよ? 流石にそれは無いっしょ」
「そんなことない。並んでたら姉妹に見えるぞ、マジで。杠葉さんと雪葉さん並み――って、それは無いか。やっぱ見えんわ、親子だったわ」
比較した対象が不味かったのかもしれない。
そう考えると姉妹に見えなくなってきた。実際姉妹じゃないから問題ないけど。
「……良いわよぉだ。気持ちだけは有紗並みに若いつもりだし! それじゃ、ママは仕事に戻るわね!」
そう言って有紗ママはこの場を立ち去った。
「さてと……俺もそろそろ験担ぎに行こっかな」
「あっ、待って。これ、返すわよ」
「お、そうだったな」
有紗からお守りを受け取る。
「まだ、終わっちゃいねぇ。約束はまだ残ってる。けど、期待しとけや」
「うん、期待してるわ」
言葉通りの期待が込められていそうな有紗の微笑みを目に焼き付け、校舎に向かって歩き始めた。
※※※※※
験担ぎをする。
そう思ってやってきた場所の前、この先には屋上がある。
目的は屋上じゃなく、そこに繋がるこの扉。
屋上で杠葉さんが有紗に決意を告げたあの日、帰り際に俺は確かにこの扉を元に戻した。
ちゃんと閉まらずにズレていた扉。
わずかに噛み合っていなかった扉――例えるなら歯車。
その狂いを俺は元に戻してしまった。
誰かに言えば、気にしすぎとか、何言ってんのか意味不明とか言われそうだけど、それでも俺はこの扉を歯車に例えたい。
ただの験担ぎなのだから誰にも文句は言わせない。
幸い、今は誰も見ていない。
だから、ドアノブを捻って僅かに隙間を作り――全力で蹴り飛ばす。
「ん? 誰だ――って、何だ椎名か」
……屋上にまさかの人がいた。
「ドアを乱暴に蹴るんじゃない。次は見逃さないぞ? 良いな?」
「は、はい……ごめんなさい、藤崎先生」
「……どうした? 姫宮がやられてむしゃくしゃしてるのかい?」
そう言って藤崎先生は煙草を咥えた。
おい……ここ喫煙所じゃないだろ。
喫煙者だったんですね、知りませんでした。
「むしゃくしゃしてましたよ、すっごくね。つか、知ってたんなら何とかしてほしかったんですけど……あいつら退学とか、要検討願います」
「退学は無理だろうが、停学だったら証拠があれば可能かもしれないな。あればの話だが」
橘に消させちまったあぁ!
とりあえず残しておいて後日提出だけでもすれば良かったと若干後悔した。
「姫宮はちゃんと走れたみたいだな。ここから見ていたよ、良い走りだったんじゃないか? 少なくとも私はそう思う」
「超ナイスランでしたよ。最後の種目で笑って終わってくれて良かったっす。これも、藤崎先生が俺を体育祭クラスリーダーにしてくれたおかげです。まぁ、それまでは全く活かせなかったんですがね」
「礼はいいさ、本来なら全て教師の役目なのだから。何もできないから君に押し付ける形になっているのも否定できないからね。それに、活かせなかったのも気に病む事はない。誰だって予想なんてできないさ、まさか彼らのターゲットが姫宮だったなんてね」
「って、思うでしょ? それが実は、曽根のターゲットは俺なんですよねぇ。で、二岡のターゲットが杠葉さんと。つまり、奴らはそれぞれのターゲットを潰す為に、有紗を狙ったわけです。まぁ、曽根の野郎は俺をターゲットにしてるの二岡に秘密にしてるっぽいですがね……」
だから予想はできなくとも、いくらでも防ぎようはあった。
それができなかったのは俺のミスだ。
「まぁ、それに関しては私も理解していたからこその君を体育祭クラスリーダーにしたわけだが……それで姫宮を狙うのは予想の遥か上をいかれたって話だ。……それで、椎名はここに何をしに来たのかな?」
来週以降の花櫻学園について考えると、ここで藤崎先生には言っておいた方が良いだろう。
何より、転校初日の事務室でこの人が望んでいたこと――いや、それ以上のことか。
「……花櫻の現最強を引きずり下ろす為の験担ぎです。藤崎先生言ってましたよね、このクラスは崩壊するべきだって。今日崩壊させてやりますよ、クラスだけじゃなくて、この学園をね。ふざけた歯車はこの俺がぶっ壊します」
ただ一点、担任教師の目だけを見てそう告げる。
「そうか、やはり今日は嵐、だったのか――」
藤崎先生は煙草を咥えて煙を吹かせ、グラウンドに目を向けてそう呟いた。
「相当な自信があるようだし、見せてもらおうか? テニスという競技において、世界の名だたるジュニアと渡り合ってきた君の運動能力とやらを――」
「……世界って、何かめっちゃ盛られてる気しかしませんが、見せてやりますよ。というか、既に見せてるはずなのに二岡にしか興味ないのか気付いてもらえないんですが……」
「だったら、それ相応の舞台を用意するしかないだろう? それも、既に用意済みとみた」
ご名答、当然用意してあるに決まってる。
じゃなきゃこんな話はできないから。
「まぁ、楽しみにしといてください。んじゃ、ここにもう用は無いんで、戻りますね」
「――椎名」
出口に足を踏み入れたその時、藤崎先生に名前を呼ばれた。
振り返らずに、足だけ止める。
「その後の話は教師の務め、せめてそれくらいは私たちが責任を持つ。だから後先考えずに、全力でやるがいい」
その言葉をしっかりと胸に刻み込み、屋上から校舎内に足を踏み入れ、ドアはそのままに立ち去った。




