40 重ねられた言葉に加えられた言葉
「――やめてください。自分で自分を、傷つけないでください」
一度体育館の扉を強打した後、何度も何度も握り拳で力無く扉を叩き続けていた時、それが虚しく無意味な行動だと教えてくれる声が聞こえた。
「そ、そうだよ椎名っち……。気持ちはわかるけど落ち着いて、落ち着いて……」
「聞いてたのか?」
「えっと、うん……椎名っちを探してたら、偶然目撃してしまったというか」
「そうか……なら話は早いけど、二人とももう俺に関わるな。良いことなんてないから」
「……嫌だ」
一言、杠葉さんが呟いた。
「話聞いてたんだよね? だったら――」
「――嫌だっ! だって、お友達だからっ……!」
「――っ?!」
重ねられた言葉に加えられた言葉、その二言が胸の奥を熱くする。
友達だから関わる、それを拒否しておきながらどうして俺の心に光が差し込んでいるのだろう。
そんなの簡単だ。俺だって、関わりが無くなるのは嫌だからだ。だからこそ、関わらないことを拒否されて嬉しいのだ。
「椎名っちさぁ、あやちんがどれだけ怒ってたか知らないでしょ? 会話が耳に入った瞬間、今にも曽根っちに殴りかかりそうな勢いだったから止めるのに苦労したんだよぉ? あ、ちなみにあたしも却下だから」
「流石に殴ったりはしませんよ。ただ、佑紀さんがあんな風に言われるのは許せません。だから私だって色々言い返したいことがあっただけです。弥生さんが押さえつけてくるから、それもできませんでしたが」
「ソーリー、ソーリー……」
あの杠葉さんがそこまでしようとしたなんて、想像がつかなくて耳を疑いそうになってしまう。だが、俺のことで怒ってくれているのは素直に嬉しい。
「ごめん……俺が間違ってた。それからもう一つ、曽根に恨まれてる俺に関わると確実に巻き込まれるだろうけど、これからもよろしく」
「曽根さんに恨まれてる佑紀さんに言わなくちゃいけなかったことがあります」
一体何を言い出すのだろうか。曽根と関連があることか、はたまた違うのか。
「今日はっきりとわかりました。恨まれてるのは佑紀さん、あなただけではないんです。私もまた、二岡さんに恨まれてたんだって、気付かされたんです」
「え、それってどういう意味――」
先程の曽根との一件で完全に忘れていたが、動画を見た限りでは今回体育祭で曽根が起こす行動には二岡が確実に関わっている。
では何故二岡が関わっているのか、恐らくそれが今杠葉さんの口から出たことなのだろう。
「あの人は私に言いました。私が全部悪いんだって。大人しくしないなら次は陽歌さんの番だって。変わろうとするなって、言われたんです……」
動画で見たから俺の中では本性は既に理解していたつもりだったのだが、いざ被害者の本物の声を聞くと俺はまだあいつを甘く見ていたんだって痛感させられる。
杠葉さんを自分の物か何かと勘違いしているのではないか? いや、してるんだった。そしてそれを、花櫻の人間に信じ込ませているんだ。
杠葉さんが変わろうとするのも本人の自由だ。何故それを二岡に否定され、縛り付けられなければならない。
杠葉さんが変わって二岡が困ること。それは多分、杠葉さんのことを信じる者が出てくること。つまり、嘘だとバレること。現に相沢や涌井、春田などにはバレている。ちなみにそれを俺のせいだと曽根はブチギレ。
いずれ更に杠葉さんを信じる者が出てくるとなると、いよいよスーパースターの地位も怪しくなってくる、二岡はそう考えているのかもしれない。
だがそれは、自分自身が招いたことであり、だったら最初から嘘など吐かなければ良かったのだ。
にも関わらず、自分の過失に目を瞑り、フラれた相手の人生を縛りつけようとするなんてあまりにも酷い話だ。だったら振り向いてもらえるように努力だけしとけよと言いたくなる。
スペック自体は別次元なんだからよ。仮に一般的高校生が百メートル走らなきゃダメだとしたらお前の場合は五メートル走れば良いようなもんだろうが。
だが、もしかしたらこの嘘自体が二岡の努力なのかもしれない。だとしたら色々間違えすぎだけど。これだけは恋愛経験ゼロの俺でも自信を持って言える。
転校してきたばかりの頃に有紗と陽歌から話を聞いて敬遠していたというのに、ちょっと関わっただけで態度をコロッと変えて、あれ? 結構良い奴じゃね? とか思ってた自分が恥ずかしい。
「だから違うんです。佑紀さんは確かに曽根さんに恨まれているみたいですが、こうなったのは佑紀さんが悪いみたいに言われてたあれは違うんです」
どういうことなのか、理解が追いつかなくて頭が混乱してきてしまう。
「曽根さんは、二岡さんに指示されて動いているはずです。だから、曽根さんの狙いが佑紀さんの心を砕くことでも、二岡さんの狙いが私の心を砕くことであるからには、こうなったきっかけは佑紀さんではなく私なんです」
曽根の恨みを買ったから有紗があんな目に遭わされて、全部俺が悪いんだとばかり思っていた。
だが、そうではなくて曽根のバックには二岡がいる。自分で言うのもなんだが、二岡に恨まれているとは全く感じない。
防げなかった罪は流石に俺の中から消えてはくれないが、今言われた言葉で今回の原因が俺だけではないと思えることができた。
それからもう一つ、最も重要なことも――。
「でも、杠葉さんが悪いわけでもないけどな」
――悪いのは曽根であり、それを裏で操る二岡であるに決まってるのだ。
「そうですっ! 二岡さんからの告白をお断りしただけで、私は悪くないですよね? 悪いのはあの人たちです。流石の私でも、ちょっとだけ仕返ししたい気分になってしまいそうですよ」
杠葉さんも理解していたらしい。俺は自分自身が悪いと思い込んで塞ぎ込んでいたのだが、俺と違って杠葉さんの場合は善悪の判断が簡単にできていたようだ。
杠葉さんの仕返しとか、どんな仕返しかちょっと興味がある。なんだかんだ易しい仕返しなんだろうな。
というか、この子の場合どれほどの仕返しをすれば二岡にお釣りが出ずに済むのだろう。ちょっと考えてみたけど二岡の借金額、高額すぎるんだけど。
「もう、殻の中には帰りたくないんです。佑紀くんから一回、有紗さんから一回きっかけを作ってもらって、でもダメな私は二回とも生かせず。でも、再び佑紀さんが殻から出るきっかけを作ってくれたから、今回こそ絶対に無駄にしたくない。だから改めてお願いっ……! 私を、私たちを助けてっ!」
転校してきたばかりにきっかけを作った? のは確かなんだけど、何か回数が違う気もする。一回では?
まぁ、あれ以降いつの間にか二回目のきっかけを作っていた可能性もあるかもしれないから一々聞いたりもしないが――。
「救うよ、必ず。というか、さっきも言ったけど?」
「改めて、ですよ。私もさっきは衝動的に言ってしまいましたし、ちゃんと理由も説明してお願いした方が良いと思ったので」
「それよりあやちん、椎名っちのこと君付けで呼んだり呼ばなかったり。なんで?」
あぁー、そう言えばそうだったかも。最近良くあるから気にしてなかったけど、どうしてなんだろ?
「――えっ?! 言ってましたかっ?! ご、ごめんなさい……。無意識に……」
「な、何も謝らなくても……特に気にしてないし」
「お母さんに誰に対しても礼儀正しくあるようにと言われていますので」
あの超美人のお母様ですね。今度手土産持ってご挨拶に行きます。
ごめんなさい、冗談です……。
「あやちんは偉いなぁ。それに比べて椎名っちときたら、口は悪いし礼儀もなってないしさ……」
「何? もしかして貶してるつもり? 陽歌のバカに毒されでもした? 言っとくがな、あのバカは豊かな妄想力と想像力で多彩な変化球を織り交ぜつつ、時に直球、スローボールという時間差攻撃などなどありとあらゆる手を使って俺を貶すプロだからな? 真似しようったってそう簡単にいかないからな?」
「いや、別に真似してないけど……。はるちんの毒吐きを最大限に褒めちぎってるあたり、聞いてた通りやっぱドMだったんだね……」
あのクソ幼馴染野郎、俺のいないとこで勝手なこと言ってんじゃねえよ……。
「まぁまぁ、佑紀さんはドMじゃなくてちょっとだけMなだけですから」
「対してフォローになってないからね? てか、杠葉さんまで俺をMと勘違いしてたんだね悲しいよあー泣ける」
「全然悲しそうじゃないけど……あれ? 椎名っち、渚沙ちゃん――」
「ん?」
春田の視線に釣られて目を動かすと、体育館前の階段の下で渚沙がこちらの様子を伺っていた。




