38 次の無いプレッシャー
助けを求められた。
涙ながらに、それでもはっきりと口に出し、目線を合わせ、何かを諦めたくないと目で訴えかけてくるかのように俺を見る。
答えは既に決まってる。
「助けるよ、何としても」
まだ、涙は止まらない。でも、少しだけ表情は和らぎ、俺からタオルとジャージを受け取って有紗に羽織らせ、タオルで髪を拭き始める。
有紗とはまだ、ここに来てから目は合っていない。ずっと俯いており、まるで闇の底にでも沈んでいるかのように表情が暗い。
そこから必ず引きずり出してやらなければならない。
その為にすべきことは何なのか。
今の有紗は殆ど悪い意味で花櫻の注目を集めてしまっている。
予期せぬ形で男どもの興奮を集め、二岡に反発する形で女どもの敵意を集めている。
大前提として、これを何とかしなければならない。だが、どうすればどうにかできるというのだ。まだ、思い付かない。けど、雪葉さんが方法はあると言っていた。
時間はない。体育祭の午前の部も三年生の学年種目を最後に間も無く終わる。時刻は間もなく十二時半になる頃だ。昼休憩を挟んで、午後の部の開始は十三時二十分から始まる男子選抜二百メートルリレー予選だ。
午後の部の終了は十六時三十分頃に終わる三年生の男子選抜二百メートルリレー決勝。
それから閉会式があって、今日という一日が終わってしまうのは恐らく十七時頃。
明日以降ではなく、今日助けなければならない。でなければ、明日以降も有紗の心はこのままになってしまうから。
だから今から五時間弱、この間に何とかしなければいけない。
「陽歌、二人を事務室に連れてって。そこに雪葉さんがいるから。あと、有紗の着替え――」
「――持ってる。予備、持ってきたから」
「そっか、じゃあ陽歌、二人を――」
「――誰もついてこないでっ! 私はもう、家に帰る」
有紗は震えた声でそう言い、一人で歩き始める。
わかっていたことだが、相当精神的にダメージを負ってしまっているようだ。だが、このまま家に帰らせるわけにはいかない。だって、帰ってしまっては助けるも何もなくなってしまうから。
「――おいっ! 待てっ……」
追いかけて有紗の腕を掴む。
「……私は頼んでない。あんたに助けを求めたのは綾女で、私は助けてなんて、頼んでない」
「――っ?!」
思わず腕を離してしまった。歩き出す有紗の背をただ呆然と眺めることしかできない。
俺が直接助けを求められたのは杠葉さんで、有紗には何も言われていない。でも、杠葉さんを助けるには有紗を助けることも必須条件だ。
何より、だったらどうして――悔しそうな表情で涙を流し続けているんだ。
「私が、有紗ちゃんを追いかける。話、あるから――」
陽歌が駆け寄ってきて、そう言ってくる。
「――必ず、連れ戻してみせるから」
最後にそう言い残し、陽歌は有紗を追いかけていった。いつになく真剣な表情だった陽歌が、どこか頼もしく感じてしまう。
「おーいっ! 椎名っち~!」
春田が手を振りながらこちらに走ってくる。
「――ちょっとどうゆうことっ?! 何か、至るところから姫ちんの悪口とか男子の卑猥な妄想が聞こえてくるんだけど?」
女子の話題は有紗の二岡に対する態度で持ちきりということか。改めて、女子の情報に関しての伝染力に恐怖を感じる。男も男で、話題が話題だけに今回に関しては同様みたいだ。
くだらない話ばっかしてるからモテないんだぞ、お前ら。ま、俺もそうだけど……。
「全部、二岡に嵌められた。だから俺が何とかしなきゃならねぇ。とりあえず杠葉さんを連れて、事務室にでも行ってくれない?」
「二岡、くん……? って、あやちん……? ……わかった。行こっか、あやちん」
察してくれたのか、春田は杠葉さんの肩を抱き、この場を離れていく。
杠葉さんも杠葉さんで、一旦心を落ち着かせる時間も必要だと思うから、気の知れた春田がそばにいてくれるのは安心できる。
「んじゃ、渚沙は母さんのとこにでも戻ってろ」
俺がそう言うと、渚沙は珍しく頷いて母さんの元に歩き出した。
もう既に、かなり巻き込んでしまったのが悔やまれる。でも、事が事だけにこれ以上渚沙を関わらせるわけにもいかない。だからこれで良い。これで良いはずなんだ。
「さてと……」
やっと、方法を考え始めることができる。
大好きなあいつらを助ける方法。この不条理から、救い出す方法――。
橘に預けた荷物も回収しなければならない為、一旦中庭に向かった。
※※※※※
「し、椎名先輩……」
中庭に着くと、橘が俺に気付いて不安げな表情を浮かべた。
「悪い、わざわざ危機を知らせてもらったのに、間に合わなかった」
「――それは違いますっ! 芽衣が集合時間のことなんか気にしないであの時椎名先輩に動画を見せてれば……、それ以前に、その前に芽衣がちゃんと確認してればこんなことには……」
確かに、橘が動画を撮っている間にちゃんと内容も頭に入れておけば、それでいて俺と会った時にその内容まで知らせてくれていれば間に合いはしたと思う。
だが、それは所詮結果論であって、そもそも競技に間に合おうとする橘の意思は否定なんてできるわけもない。何より橘は、内容はともかく危機を知らせてくれた。橘なりに精一杯の努力をしてくれたのは疑うまでもない事実。
これがなければ、俺は今頃どうしていただろうか。何にも気付かずに呑気に飯でも食っていたに違いない。
それで、気付いた時にはもう方法なんて考える時間もなくなりそのまま体育祭も終了。
そうならない可能性を残せたことが、非常に有難い。
「サンキュー、橘」
「ありがとう、ですか……? どうして?」
「お前のおかげで、まだ足掻ける。あいつらを救い出す為に、その方法を考える時間が少しでも作れた」
「何か良い案があるんですか?」
「いや、まだだ。だから今から考えなくちゃならねぇ。だからちょっと、一人になれそうな場所に移動するわ」
今日、人気がない場所は第二体育館付近。
そこなら一人になれそうだ。
誰か来るとしたら、それは奴ら――。
今日その場を利用していたのだからまた来る可能性はある。
仮に来るのなら、隠れて情報収集の一つや二つもできそうだ。
まだ何か企んでやがる可能性だって充分にある。だったらその企みを知って、それに対して対策を講じることもできるかも知れないし、そのままあの子たちを救う方法に繋がるかもしれない。
奴らが来たら来たで、来なかったら来なかっただ。場合に応じて考えることができそうだ。
良し、第二体育館らへんに移動しよう。
「椎名先輩……。御影先輩は芽衣を救ってくれました。姫宮先輩は芽衣の悪巧みを食い止めようと必死になってくれました。だから芽衣は、あの人たちのこと、実は結構好きなんです」
鞄を手に取った俺に、橘がポツリと溢し始めた。
「椎名先輩って、杠葉先輩とも仲良いですよね。一年生の間でも結構有名ですよ。転校生だってことを良いことに二岡先輩の彼女に近づくなんて、やりたい放題の怖いもの知らずの生ゴミだ、って女子なんて特に酷く罵ってますからね。椎名先輩を生ゴミ扱いとか、聞く度にイラッとするんですけど――」
そろそろ俺の転校生特権の効果も薄れてきたのか、それとも最初から一年生には通用してなかったのか、クズとかゴミとか通り越して生ゴミとか普通に傷付くんですけど……。
「――でも、今日気付いたことがあります。杠葉先輩は、二岡先輩の彼女なんかじゃないっ! だって、彼女のお友達を傷付けるなんておかしいから。だからこれからは、一年生の女子が椎名先輩の悪口を言ってても笑ってやり過ごせそうです。騙されてるあなたたちが生ゴミなんだよーって」
橘がそのことに自分で気付けたことは良いんだけど、その子たちを生ゴミは言い過ぎだぞ? 意図的に洗脳されちゃってるだけなんだからな。まぁ、俺自身生ゴミって言われてることには怒り心頭だけどね……。
「椎名先輩、芽衣はあの人たちが今日を笑って終われれば芽衣は嬉しいです。きっと杠葉先輩も御影先輩や姫宮先輩みたいに良い人なんですよね? だったら、芽衣は杠葉先輩とも仲良くなりたいです。まぁ、ライバルっぽいんですけどね……」
「はぁ……? ライバル?」
「――コホンッ! 椎名先輩、芽衣には残念ながら何にもできそうにありません。だから芽衣からもお願いします。あの人たちを救ってあげてください。そしたら芽衣も、少しだけお役に立てた気になれるので」
橘が深々と頭を下げてくる。でも、以前とは違って今回は謝罪ではない。橘の思いも背負って、あの子たちを救わなければならない。
だからこそ失敗は許されない。
今まで感じてきたプレッシャーとはまた違う。
テニスの試合では仮に負けたとしても、引退試合でもない限り普通だったら辞めない限りは次がある。
俺は肩の怪我で部活を辞めた、というか転校したけど、当然そんな怪我をすると思っていたわけがないし、次がある中でのプレッシャーに過ぎなかった。
まぁ、テニスを始めたばかりの頃以外は高校に入学するまで負けたことないし絶対勝てると思ってたんだけどね……。
今回は次なんて無いから、方法が思いつかなかったらそれで終わり、思いついても失敗したらそれで終わり。
それでも、絶対に成功したいから、あの子たちを救いたいから――。
「任せとけ。俺ってプレッシャーには結構強いんだぜ」
――そう告げて、第二体育館付近に向かった。




