短編 デートの日 後編その一
・シェリフィーンの場合
「だわ、だわ、だわなのわーっ!!」
「テンション高すぎよ」
今代の『勇者』リンシェル=ホワイトパレットの肉体を借りて現世に顕現している六百年前の『勇者』シェリフィーンへと悪魔イリュナが呆れたように声をかけていた。
場所は喧騒溢れる大通り、その一角。
衣服店まで(人間の頃の姿に見えるよう擬態した)悪魔イリュナを連れ込んだ『勇者』シェリフィーンはそれはもうでれっでれに浮かれた様子で、
「テンション上がるに決まっているのだわっ。何せイリュナとのデートなんだし!!」
「ぶぇっばふっ!? なんっなに!? でっででっデートってばっかじゃないの!? わたしは悪魔よっ。憎悪に身を焼き、復讐に魂を差し出し、人類を皆殺しとするためだけに再誕した『人間イリュナの残滓』なのよ!? もうシェリフィーンが知っている人間イリュナはいないってわかっていているくせに!! つまらない自慰にわたしを巻き込むなって話よねっ!!」
人間イリュナは魔族との戦争が勃発していた六百年前に殺された。それも魔族にではなく人間に、それこそストレス発散のためだけに。
あの時、人間イリュナは死んだのだ。
あの人間の死亡をトリガーとして憎悪と復讐の化身は悪魔として再誕した。
だから、イリュナは憎悪を振るう。
だから、イリュナは復讐のために生きる。
アリス=ピースセンスを筆頭とした戦士たちに敗北、捕縛されていなければ今頃憎悪を晴らすための復讐を人類に──
「あ、今日はそういうのいいから。それよりほら、ほらほらイリュナこれ着るんだわっ!!」
「なっなんっわっひゅう!!」
どんっ!! と。
何やらシリアス顔で、何なら禍々しい漆黒のオーラを噴出していたイリュナの体を『勇者』シェリフィーンが突き飛ばす。
衣服店の一角、試着室へと。
「とりあえずメイド服は外せないわ。というわけで、はい」
「いや、はいって、え?」
差し出されるは本格仕様なロングスカートタイプのメイド服。困惑から目を瞬くイリュナからはこの時点でシリアス顔も禍々しい漆黒のオーラも吹き飛んでいた。
「いや、だから、はい。試着するんだわっ」
「まっまってっ。なんで、こんな、わたし悪魔だからっ。いくら『勇者』シェリフィーンに身柄を預けられたとはいえ、そう簡単に絆されるわけないからっ」
「つまりメイド服を試着する気はない、と?」
「そうよ!! ……なんで悪魔と『勇者』が顔を合わせていてメイド服を試着云々なんて話になっているのよ?」
「へえほおふうーん。イリュナってばそんないじわる言うんだわ。なら仕方ないわ」
「ハッ!? 言うこと聞かないなら力づくでって感じ!? よっしゃ力と力をぶつけ合おう悪魔と『勇者』らしく血生臭い殺し合いで決着をつけよう!! ようしこれでこそ悪魔と『勇者』の関係よねシリアスおかえりなさい!!」
「ちなみに歴代『勇者』の力の中には敵の防具のみを溶かす粘液タイプのスキルがあるわ。つまり服だけ溶かすことができるってことだけど……力づくの無理矢理がお好み?」
「大人しく着替えさせていただきます!!」
シリアスさんがおかえりなさいなどするわけがなかった。その辺は六百年前に胸焼けするくらい放り込まれていたのでもうこれ以上は勘弁なのであった。
というわけで。
一日中、イリュナが試着する度にシェリフィーンが歓声をあげるだけの何でもなく幸せなデートが繰り広げられた。
という様子を(そういえば具体的にどういう経緯で同族裏切ってイリュナの親代わりになったのか不明な)『魔の極致』第十席チューベリーが観察していた。
『魔の極致』第五席や『クイーンライトニング』兵士長から免許皆伝、もう何も教えることはないと認められた一流のストーカーは今日もまた元気に娘とその恋人同然の女を見守っていた。
「あらあら。イリュナちゃんってばそんな、かわいすぎーっ!! えへ、えっへっへっ」
なんというか、もう、色々ともうであった。『まずは』、『勇気が出ないなら』、といった本来の目的なんて忘れに忘れていた。まあ正しい方向から全力で脇に振り切って再会から遠ざかるのも本質的に悪意を極めた魔族らしいのかもしれないが。
ーーー☆ーーー
・ミュウの場合
それは無駄に大仰なマントを靡かせ、怪我してすらいない片目を眼帯で塞ぎ、見た目は立派だが実際はナマクラな大剣を背中に担ぎ、龍や髑髏を模した装飾品の数々を身につけた魔族であった。
彼女こそ『魔の極致』第九席ミュウ。見た目こそただのちんちくりんだが、七十二を超える悪魔を使役することで序列を覆す可能性を秘めているとされている。
第十席チューベリーがストーキングに忙しく、第八席ノールドエンスは自身の美貌を磨くことに専念しており、第五席ルルアーナがメイド長に夢中で、第三席ネフィレンスがあんまりといえばあんまりな現状に世界征服に乗り出す段階じゃないと嘆いていて、第二席キアラや第一席ミーナが好きに骨抜きとされていれば──それこそ七十二プラス一もの悪魔を抱え込んだミュウの動きこそが平穏を崩す最大の要因となるのかもしれない。
何せ彼女は悪魔を手駒と支配している。淫魔イリュヘルナに取り憑かれたアイラ=ミルクフォトン男爵令嬢がどれだけの被害を撒き散らしたかを振り返れば、望みを叶える代わりに世界に災厄をもたらす悪魔の存在が人類にとって脅威以上の何物でもないことがわかるだろう。
だから。
しかし。
件の『魔の極致』第九席ミュウが猿轡、手錠に足枷、鎖どころか鋼鉄の棒を力づくで全身にぐるぐる巻きという状態で青空の下に転がっていた。
いいや、正確には人里離れた崖の上、加えてベッドの上というオプション付きである。
「んーんぅーっんううううっ!!」
いかにちんちくりんとはいえ仮にも『魔の極致』、普通の猿轡や手錠に足枷、鋼鉄の棒でぐるぐる巻きにされようとも簡単に引き千切ることもできただろうが、そこに悪魔の力が付与されていれば話は別だ。七十二プラス一。悪魔王から分化した特製の悪魔さえも加わった『彼女たち』の総力を注ぎ込まれた拘束である。いかにミュウといえども力づくでの突破は困難なのだ。
そんな彼女を中心にこの世の地獄が炸裂する。悪魔、その軍勢。淫魔があれだけヘグリア国の中枢に影響を及ぼしていたことからもわかる通り、やろうと思えば国王さえも掌握して国をかき乱す邪悪が激突していたのだ。
七十二プラス一。
怪物も怪物、ともすれば単純な暴力を軸とする『魔の極致』よりも人の世に混乱をもたらす『欲望を蕩かす脅威』が席巻する。
では、どうしてそのようなことになっているのか。七十二プラス一。ミュウという共通の軸でもってある意味結束していた彼女たちが決定的に敵対するようになった理由はやはりミュウに直結している。
きっかけは昼食でも抜けば買えるような道具であった。『ベルゼクイーン=レプリカ』。同性同士での子作りを可能とする機能、具体的には子種を作り放出する機能を生命に付与する道具を悪魔の一柱が手に入れたのが全ての始まりだったのだ。
前述の通り、七十二プラス一はミュウという共通の軸でもって結束している。正確には互いに互いを牽制することで妥協点を探り合う関係なのだ。
それが、どうだ。
デートの最中だったというのに『ベルゼクイーン=レプリカ』などが登場してはニコニコ笑顔の下で今か今かと出し抜く機会を窺っていた悪魔たちが強引にでも動き出すのも無理はない。
人間の欲望を(多少歪めてでも)叶えた代償に肉体だ魂だと要求する悪魔が好むもの、そう生贄において選ばれる条件として上位にくるものは何かと考えれば答えは自ずと見えてくる。
生娘。
そう、処女といえば生贄の代名詞ではないか。
悪魔との契約において生贄と捧げられることが多いということは、裏を返せば悪魔はそれだけ生娘を好んでいると推察される。
そんな処女厨の群れに『ベルゼクイーン=レプリカ』なんて放り込めば、妥協に妥協を重ねて『そこ』だけはと我慢していた悪魔たちがプッツンするのも無理はない(逆にいえばミュウの『そこ』以外はもうめちゃくちゃのぐっちゃぐちゃなのだろうが)。
これまでは『そこ』を正規ルートで破り、その先の『結果』を得ることはできなかったからこそ互いに牽制し合うだけで済んでいたが、正規ルートが開拓されようものならもう駄目だ。欲望に歯止めなんてきくものか。
そんなわけで、だ。
今のミュウはもうかんっぜんに生贄まっしぐらであった。
だから。
だから。
だから。
「いい加減に! するであるぞおーっ!!」
ゴッッッバンッッッ!!!! と。
七十二プラス一。いかに激突の最中とはいえ、単体でも国家を引っ掻き回すことが可能な悪魔たちの力が込められた拘束具が木っ端と弾け飛んだ。
ゴギッ、と首を鳴らし、ベッドの上に立ったミュウは驚き顔で見返してくる悪魔たちを睥睨する。
「この大馬鹿者どもが」
この世の地獄がそこにはあった。これまでの小競り合いなんかではない、最後の一柱となるまで殺し合う勢いさえあった激突。
仲良く、とまでは言わないし言えない。たった一人だけを愛することができない世間一般では悪の側でしかないミュウにも責任はあるのだろう。
だけど、今だけは。
全て脇に置いてでもやるべきことがある。
「我はお前たちを背負うと決めたのであるぞ。一緒にいると、そう誓ったのであるぞ。ゆえに傷つけるとなれば何がなんでも止めてみせる。それが他ならぬお前たち自身であったとしてもだ!!」
その両腕は内側から破裂するように壊れていた。いかに『魔の極致』第九席とはいえ七十二プラス一もの悪魔の力を真正面から打ち破るためには相応な無理を重ねる必要があったのだ。
それでも、押し通した。
七十二プラス一もの悪魔を背負うと決めたから。そんなどうしようもない悪党がミュウなのだ。悪魔たちの気持ちを踏みにじってでも己が意思を貫くに決まっていた。
そう、ミュウは悪党だから。
普段悪魔たちに散々翻弄されていようとも、その本質は悪意の底から生まれた魔族そのものである。
「さあ、かかってくるであるぞ」
ゆえに己がことは棚に上げてでも悪党は笑う。笑って貫く。
「まだ我が『大切なもの』を殺そうという奴は我が相手をしてやろうぞ!!」
これが『魔の極致』第九席ミュウ。
悪魔という欲望の化身を手駒として既存の序列を覆さんと異界へと侵攻、気がつけば好意を軸として悪魔たちを使役するに至っていたちんちくりんである。
そういうところが、殺し合いの末にだろうとも共に歩む道をつくってきた。ミーナやキアラのようにたった一人のためなら世界だって壊せるのとは違う。アリス=ピースセンスと似通った、だけどクソッタレとも致命的に異なるその道。
語られぬ道の果てに悪魔王から分化した悪魔の一柱さえも好意を軸として使役、プラス一と加えたミュウは一時的に七十二プラス一の悪魔を敵と回すことにさえ躊躇はない。
ミーナやキアラでは絶対に不可能なことであり、アリス=ピースセンスであっても多少は迷うそれを即断できるのがミュウなのだ。
だけど。
そこで終わらない。
「うんうん、それでこそミュウ様ですねっ」
一歩踏み込む影が一つ。
ミュウを本気で怒らせちゃったと早くも戦意を消失してびくびくしていた七十二の悪魔をかき分けてプラス一が君臨する。
悪魔王から分化した悪魔、その一角。
悪魔の左脚シンフォニア。
ひらひらとした漆黒のドレス、頭には一輪の漆黒の花を模した髪飾り。足下まで伸びた純白の髪に猫のように光る金の瞳。すらりとした長身のまさしく『大人のお姉様』はうっとりと緩んだ頬に手をやり、
「ミュウ様がそうおっしゃるのならば甘露を蹂躙する最初で最後の幸せを奪い合うのはもうやめとしたほうが無難ですねっ。下手に固執して嫌われでもしたら目も当てられないですし、そもそも最後まで勝ち残ったとして一柱だけでは本気で怒ったミュウ様の相手をするのは厳しいから無理矢理というのも難しいですしねっ」
無理矢理ができそうなら固執するのもアリと考えていそうな悪魔の左脚シンフォニアであった。その辺りはやはりミュウに懐柔されようとも悪魔であるからだろう。
それこそ長編小説まっしぐらな物語の果てにミュウに傅くこととなったシンフォニアは軽やかに、歌うように続ける。
「でもでもっ、ここまでそそられて何もなしで引き下がれってのも無理があるよねっ。そんなの悪魔じゃないってねっ。というわけで『結果』だけでも手に入れるってことで手慰めとしたいんだけど、ミュウ様いいよねっ?」
「む。よくわからぬが、これ以上くだらない殺し合いをしないために我にできることがあるなら構わぬぞ」
「うんうん、それでこそミュウ様っ。警戒心皆無で可愛いねっ。……いや、本当、そんな軽く安請け合いしちゃって可愛い過ぎなんだから。口約束だろうがなんだろうが、悪魔との『契約』は容易く破棄できるものじゃないのにねっ」
つまり。
だから。
あの悪魔王から分化した悪魔は踊るように明るく、心の底から喜びを溢れさせて、こう告げた。
「ミュウ様『に』お願いしーますねっ」
…………。
…………。
…………。
「う、ぬ?」
嫌な予感がした。
それはもう致命的なまでに、先ほどまでのシリアス顔なんて木っ端微塵に吹き散るまでに。
「そもそも争いの発端は一つしかない甘露の奪い合いだよねっ。だったら発想を逆転すればいいよねっ。『ベルゼクイーン=レプリカ』。生殖機能を付加して性別に関係なく子作り可能な道具。それを使って甘露を蹂躙するのではなく、してもらう。つまり私たち『が』、じゃなくて、私たち『に』突っ込んでもらえば最上ではないにしても『結果』は授かれるというものだよねっ」
「ちょっ、待っ」
「本音を言えば甘露を蹂躙するのをみすみす逃せってのは本当に、ほんとおーうに悲しいことだよねっ。だけど、だからといってミュウ様を本気で怒らせるなんて本末転倒も甚だしいってものだよねっ。だったら、せめて、手慰めとなる代替えを用意してもらわないとねっ!! というわけで、ふっふ。『契約』通り手慰めよろしくねっ、ミュウ様!!」
「まっ、ままっ、待つであるぞ馬鹿者っ!! そんな、だって、普段でもあんななのに、そんなことって、我一人でお前たち『に』相手されるのではなく、お前たち『を』相手するなんてことになれば、そんなの、だって、搾り尽くされるのであるぞ!?」
そっそうだっ、と。
先の勇ましさはどこにいったのか、募るようにミュウは叫ぶ。
「代替え方法なんかで納得などできぬよな!? こんなのが手慰めとなるわけないよな!? だって違うのであるぞ、蹂躙するのが目的だったはずなのだぞ!? だから!!」
「ミュウ様」
「ひぅっ!?」
気がつけば、詰め寄っていた。
悪魔の群れ、七十二プラス一。欲望に生きる怪物どもが先のびくびく意気消沈がどこにいったのか、それはもう欲望まっしぐらないい笑顔で詰め寄りに詰め寄ってきていた。
「そもそもミュウ様が殺し合いなんてするなーって甘っちょろいこと押し付けてきたせいだからねっ。何かを叶えるには何かを捧げないといけない、こんなの世界の真理ってねっ」
だから、と。
皆を代表して悪魔王から分化したシンフォニアはこう締めくくった。
「みんなが甘露をとりあえず今は我慢できるまで、そう、満足できるまでからっからに搾り尽くすから覚悟してねっ☆」
「うわああんやっぱり搾り尽くされるのであるぞおおおおおおおおおおっ!!!!」
おあつらえ向きに用意されていたベッドの上に立つミュウへと悪魔の群れが殺到する。さながら祭壇に捧げられた生贄が貪られるがごとくであった。




