短編 シェリフィーン、その過去
「ミーナ、新婚生活はどうだわ?」
「最高です。アタシ、もう、幸せすぎて死にそうですう」
「……、それは良かったわ」
ーーー☆ーーー
シェリフィーンは普通の女の子だった。ちょっとばかり歴代『勇者』の魂と力を受け継いではいても、本質は夜一人でトイレにいくこともできない普通の女の子なのだ。
『お姉ちゃんー……。ちゃんといるわー?』
『ふわあ』
『あくびで返事しないでだわあ!!』
『はいはい、いるからさっさと終わらせてよね。くっそ眠いんだから』
今年で十歳になるシェリフィーンの二つ上の姉、そして嵐の夜に捨てられていた赤子のシェリフィーンを拾い育ててくれた両親の四人暮らしであった。両親は姉もシェリフィーンも変わらず愛してくれていたし、姉もぞんざいに感じるくらいに近い距離で接してくれた。
姉妹。
その距離感。
気軽に言い合える関係性がそこには確かにあった。
『むう。私は生まれながらに純白の着物を羽織っていた生粋の「勇者」なのに、だわ!!』
『歴代「勇者」の過去を夢と見て飛び起きる怖がりがなんだって? いくら「勇者」の証である純白の着物を生まれながらに羽織っていたとしても、戦争の記憶の一つや二つに怯える奴に「勇者」なんて務まるわけないじゃん』
『むーうー! 気にしていることをズバズバと酷いんだわーっ!!』
『そう、そうよ。「勇者」なんて務まるわけないんだから、ちゃんと隠し通すこと。わかっているよね?』
『……、うん』
言葉そのものはぞんざいでも、そこには確かに姉妹の絆があった。怖いなら戦う必要なんてないと、いくら『勇者』の資格と力があってもそれを振るうか否かは別問題だと、シェリフィーンは普通の女の子として生きていいのだと。
扉を開けたシェリフィーンを見て、姉は肩をすくめる。純白の着物など絶対に着せやしないと自分好みの可愛らしい服装に染めた妹の頭にぽんと手を置き、
『あんたは夜一人でトイレにも行けない怖がりな私の妹、それ以上を強要されるいわれはないのよ。望むなら何にだってなれるんだからね』
『うん、うん。お姉ちゃんありがと』
『当たり前のことにお礼なんて必要ないわよ、さて、もう本当に眠いからさっさとベッドに帰るとしますか』
『うんっ』
ーーー☆ーーー
ざ、ザザザッ。
『う、そ……』
それはいつのことだったか。
歴代『勇者』の力の一つがシェリフィーンの意思に反して発動、遠く離れたどこかまで飛ばされたせいで十日ほどかけて家に帰ってきた、そんな時だった。
家どころか、街がなくなっていた。
まるで街そのものが『消去』されたように、綺麗さっぱりに。
『うそ、嘘嘘嘘っ!!』
歴代『勇者』の魂は危機を察知していたのだろう。そして、今のシェリフィーンでは『彼女』に勝ち目はないと判断したからこそシェリフィーンだけは逃がしたのだ。
こうなることがわかっていたから。
シェリフィーンを拾い実の娘と同じだけを愛を注いで育ててくれた両親、隣に住む幼馴染みの女の子、食事処のステージで歌や踊りを披露している旅芸人の妙齢の女性、そしてシェリフィーンが『勇者』の亡霊を引き連れていようがお構いなしにいつだってそばにいてくれたお姉ちゃん。
みんなみんな、消えてしまった。
死体として残ることもなく、この世界に生きていたのだという証の一つも残らず、消え去ったのだ。
『う、あああ……』
もしも、シェリフィーンが歴代『勇者』の魂を受け継いでいることを受け入れ、その力を万全に扱えるよう特訓していたならば、こんなことにした『敵』を殺すこともできたのだろうか。
亡霊どもに振り回されることなく、大切な人たちを守るために戦うこともできていたのだろうか。
『敵』を殺して、いつもと変わりない日常を失うこともなかった、のだろうか。
『あ、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!』
その叫びに引き寄せられるように、姉の好みの服装が純白の着物へと変じる。まるで普通の女の子というガワを塗り潰すように。
その日、シェリフィーンは『勇者』となった。
誰かのため、ではなく、己のために。
胸にぽっかりと穿たれた穴を埋めるように、憎悪と殺意を詰め込んだ、およそ絵本の中で語られるようなものとは正反対の『勇者』へと。
ーーー☆ーーー
魔族侵攻。
千とか万とか、そんな大勢ではないようだが、少数ながらに人類の軍勢を蹴散らしていき、複数の国家が支配を維持できず崩壊していく、そんな時代。
人類は、しかし蹂躙されるだけで終わりはしない。
『ひ、ひぅ、うう……』
女の子であった。
尻餅をつき、彼女は目の前の光景を見ていた。
女の子の両親だったモノがあった。の親友だった女の子だったモノがあった。女の子の教師や学友だったモノがあった。それらが束ねられ、巨大な赤黒い怪物と変貌していた。
死体をこねくり回し、四足歩行の猛獣と変える。悪趣味極まりない手駒を侍らせ、魔族の男はニヤニヤと尻餅をつく女の子を見つめていた。
『選べよ。見知った顔どもに殺されるか、俺の手で見知った顔と生きたまま一つとなるか。まあ一つとなったって血が混ざって拒絶反応で死ぬんだがなっ。はあーっはっはっ!!』
『や、だ……こんなの、もう、やだよ』
女の子が残ったのは全くの偶然……というわけでもない。人里があった場所から遠く離れた、生き残りたちの隠れ里に魔族が侵入して、戦士たちが皆殺しとされた時点で生き残る可能性が低いことは誰もが理解していた。
そこでせめて未来ある子供たちだけでも、と命を賭して抗った者たちがいて、それでも守りきれず女の子だけがこうして残ったのだ。
それも、これまで。
命を賭した抵抗も虚しく、魔族の魔の手は女の子へと伸びる。
そして。
そして。
そして。
『ふざっけんな! 死ねよ、クソ魔族がァ!!』
黄金が唸る。
一閃でもって魔族の男が縦に両断されたのだ。
『……、え?』
いつの間にか、そこには黄金の剣を片手に握った同年代の女の子が立っていた。
彼女は人々をこねくり回して作られた異形を見つめ、小さく言葉を漏らす。
『また間に合わなかったんですね。ごめんなさい』
再度黄金が唸り、異形を両端する。
それが女の子と『勇者』シェリフィーンとの出会いだった。
ーーー☆ーーー
まるで猛犬のようだというのが女の子のシェリフィーンに対する第一印象だった。普段は女の子が話しかけても最低限しか返さない無口さんなのだが、魔族の目撃情報を耳にすると途端に殺意を全開として飛び出すのだ。
根気よく話を聞いたところによると、女の子と同じようにシェリフィーンもまた魔族に大切な人たちを殺されたらしい。現場に残る独特の力の波動から『敵』は相当上位の魔族であることはわかっており、それこそ魔族の頂点たる『魔王』が『敵』である可能性が高いのだとか。
『私は魔族を許しません。必ずやこの世から一人残らず殺し尽くしてやる』
そう吐き捨てるシェリフィーンはまさしく憎悪と殺意の塊だった。人格さえも憎悪と殺意の炎に燃やしくべて力と変えているのではと思うほどに。
『あらあら、イリュナちゃん何か悩み事でもあるのかしら?』
『チューベリーさん』
『そこはお母さんと呼んでほしいのですが、そうすぐには無理でありますよね』
エプロン姿の妙齢の女性が頬に手をやる。
チューベリー。腰まで伸びた黒髪に目元には二つの泣きほくろ。孤児となった女の子の里親となってくれた女性である。
『あ、あの、チューベリーさんには感謝していて、でも、その……』
『ああごめんなさい、困らせたいわけじゃなかったの。ただこうして「違う道」を選べば今とは違う何かを獲得できるのでは、と思っただけでありますから。しかし、あんなことを言い出すほどには変わったということでありますか。悪い気はしないでありますね』
そんなことより、とチューベリーが豊満な胸の前で両手を叩き合わせて、イリュナとの距離を詰める。
馴染みの街で迷子となる、料理が乗った皿を運んでいる途中にひっくり返す、何もないところで転ぶなどドジっ子な妙齢の女性ではあるが、変なところで鋭くもあった。
どうせ言い訳しても無駄だと諦めるくらいにはチューベリーのことを知ったイリュナは素直に白状する。
『シェリフィーンのことなんだけど、さ。気持ちはわからないでもないというかわたしにもシェリフィーンくらいの力があれば同じことをやっていたかもしれないからあまり強くは言えないんだけど……復讐「だけ」なんて生き方、どうかなって』
『なるほど、イリュナちゃんは「勇者」のことが心配なのでありますね。なら答えは簡単、その想いをそのまま伝えればいいのでございますよ』
『……いいのかな』
『ん?』
『シェリフィーンは、多分復讐に燃えることで辛い過去に押し潰されないようにと抗っているんだよ。それ取り上げちゃって、本当にいいのかな』
『だったら、イリュナちゃんは今のままでいいのでありますか? これは復讐とは少し違いますが、似たようなものに振り回されていた私だからこそ言えることでありますが──そんなものに振り回されて、殺しを貫いても、その先には何もないのでありますよ』
『でも、辛いんだよっ。わたしだって復讐できるだけの力があれば魔族どもを殺してやりたいっ。そうすれば、そうしている間は、胸の奥で蠢くものを忘れられそうだから!!』
『それでは、代わりを用意すればいいのであります』
『か、わり?』
ええ、とチューベリーは一つ頷き、
『イリュナちゃんは「勇者」が今のままでは嫌であり、でも復讐を取り上げることができたとして過去に押し潰されるのは阻止したい。ならば復讐の代わりに「勇者」を支えてくれる何かを用意すればいいのであります』
『そんなの、どこに……?』
『ここに、でございますよ』
トン、と。
イリュナの胸を指を突くチューベリー。
『私がイリュナちゃんのおかげで変わることができたように、今度は「勇者」が過去に押し潰されないよう手を差し伸べてやればいいのであります』
『わたしに、できる……かな?』
『できますよ。シェリフィーンのために何かしたいと、その想いさえあれば絶対に』
ーーー☆ーーー
ザ、ザザザ、ザザザザザッ!!
魔族は殺し尽くす。
そうしないと自分と同じように誰かが大切な人を失うのだから。
魔族を殺すのは正義で、魔族を殺すのは誰かのためで、魔族を殺すのは世界を平和にすることで、魔族を殺すのは何よりも優先されることで。
なのに。
なのに、だ。
『シェリフィーン、女の子なんだからもっとおめかししないとっ』
『シェリフィーン、すっごいよ今の時代にお菓子が売っているんだって!』
『シェリフィーン、お風呂いつ入っている、のかな? いやいつでもいい、とにかく今すぐ入ろうもうそれ女の子としての尊厳が粉々だから!!』
毎日、何度だって、イリュナがやってくるのだ。もう失わないと、魔族を殺す『勇者』としての機能さえ果たせればいいと、誰とも関わらずに一人で剣を振り生きて死のうと、そう決意したはずなのに──跳ね除けることができなかった。
復讐の邪魔にしかならない、ノイズ。
魔族を殺すためだけに時間を使いたいのに、一緒に遊ぼうとのたまうノイズを跳ね除けることができないのだ。
『勇者』の力があれば逃げることも、追い出すことも簡単なのに、どうしても力を行使することはできなかった。
甘え。
大切な人たちを失ったあの日に思い知ったというのに、シェリフィーンの中にはここで引きずられるだけの甘えが残っていた。
切り捨てようと、何度だって思ったのに。
どうしても、できなかった。
『やめて、ください』
『シェリフィーン?』
『も、もうっ、やめてください! 迷惑です、邪魔なんです、お願いだから私を復讐を達する「勇者」以外の何かへと引きずらないでくださいよお!!』
爆発するように。
歴代『勇者』の魂と力を受け継ぎながら、まるで迷子の女の子のように泣き叫ぶしかないシェリフィーンへと、しかしイリュナは真っ直ぐに踏み込む。
『絶対に嫌だ』
『なんで!?』
『そんなのシェリフィーンのことが好きだからに決まってんじゃん!! 好きな人には笑っていてもらいたいもん、わかったかこんにゃろーっ!!』
『す、好き、ふへえ!?』
突然のことにのけぞるシェリフィーンの胸ぐらを掴み、イリュナは叫ぶ。
『復讐「だけ」のために生きるなんて許さない。絶対に、絶対に! 私が幸せにしてやる!!』
『え、え? なにこれ、なんで、ええ!?』
『うん、そうよね、だからこそよね。やっと気づいた、だからわたしはこんなにも!! は、はは。そうか、一目惚れだったんだ。だったら、ははは!! 人の初恋復讐なんかで台無しにされてたまるものかって話よねえ!!』
『うわ、うわうわうわっ!!』
その後?
『勇者』の力を使うことすら忘れて逃げ出したシェリフィーンをとっ捕まえて復讐『だけ』なんて死んでも言えないほど猛烈にアタックしたに決まっている。
ーーー☆ーーー
『シェリフィーン、大好き!!』
『まっ待って、ちょっとは加減して欲しいのだわ!!』
ーーー☆ーーー
ざざっ。
ザザザザッ!
ジジッ、ザザザザザザザザッ!!
魔族だけが悲劇を生み出すわけではない。
そのことをシェリフィーンが気づいた時には手遅れであった。
『魔の極致』第十席チューベリー。
裏切り者を始末するために派遣された魔族どもには勝てたが重傷を負った彼女へと人類側は軍勢を差し向け、あろうことかイリュナを盾としてチューベリーの抵抗を封じた上でトドメを刺したのだ。
イリュナ自身もチューベリーに通じ人類を裏切ったのだろうと(人類が考える)適切な処理ののち死したのだが、最後のその瞬間までシェリフィーンが間に合うことはなかった。
それはこの戦争が終わった後は一緒にお花屋さんでもやろうと、そんな話をイリュナとするくらいには復讐以外をシェリフィーンが取り戻したある日のことだった。
ーーー☆ーーー
魔族だとか人類だとか、そんなものは関係ない。この世界はどうしても、どうあっても悲劇しか誘発しない。いがみ合い、奪い合い、殺し合い、誰もが不幸となるようにできているのだ。
シェリフィーンがその手で魔族どもを殺したように、魔族もまた人類を殺してきたが、別にそれだけということはない。
魔族が魔族を殺すように、人間が人間を殺すこともある。チューベリーが魔族どもを返り討ちとしたように、シェリフィーンが人類側の軍勢を殺したように。
『……、くっだらないわ』
なら、どうする?
ここから、シェリフィーンは何をすればいい?
その時であった。
独特にして強大な力の波動、すなわちシェリフィーンの両親や姉が住む街を跡形もなく消し飛ばした『敵』の気配をすぐ近くに感じたのだ。
『…………、』
復讐『だけ』だったならば、迷わず殺しにいけたのだろう。今はもう、復讐『だけ』を胸に生きることはできなくなっていたが。
『せめて、終わらせないとだわ』
それがどんな形であれ、これ以上魔族との戦争が続いても双方失うのみ。であれば、どちらが勝つにしても最後まで戦うしかないだろう。
……その先にシェリフィーンが守りたかったものはもう全て失われているとしても、それでも。
ーーー☆ーーー
『ようやくたどり着いたわ! さあ「魔王」、人々の笑顔のためにお前を倒してやるわ!!』
ああ、なんと軽い言葉であるか。
本当は、そんなこと、これっぽっちも考えていないくせに。
ザザザザザザザザッ!!
ザザザザザザザザザザザザザザザザッ!!
……ブツンッ!!




