誓いの言葉
「いやあ、あのミーナが結婚するってだけでも衝撃なのに、まさかその結婚式の牧師役をやる日が来るとは。人生何があるかわからないものだわ」
「もしかして、シェリフィーン?」
「そうだわ。『前』の残滓が『今』に干渉し過ぎるのは良くないことなんだろうけど、友達の晴れ舞台を祝うくらいなら『勇者』という仕組みを構築した百合ノ女神様だって許してくれるはずだわ」
『勇者』であることを示す純白の着物を脱ぎ去り、牧師らしく質素な服装の(特に身体の一部が)グラマラスなエルフの女ではあったが──現在その肉体を操っているのは六百年前のぺったんこ、すなわちシェリフィーンであった。
「あの、ミーナ。彼女は『勇者』リンシェル=ホワイトパレット様ではないのでございますか?」
「今はシェリフィーンなんです、セシリー様。ああ、シェリフィーンというのは六百年前の『勇者』で、殺し合った仲で、アタシがここまで辿り着く最初の一歩を示してくれた大切な人です」
「大切な、でございますか」
意識せずに頬が膨らむのはセシリーの心が狭いのか、それとも結婚式という晴れ舞台でセシリー以外の女を大切だなんて言ってのけるミーナにデリカシーがないのか。
「セシリー、で良いのだわ? そう膨れなくとも、ミーナに『好き』を教えたのは貴女だわ。それは六百年前には誰もしようとすら考えなかった偉業で、そして本来ならば殺意よりも先に示すべき当たり前ですわ。それができた貴女を、六百年前において殺し合う以外の道がなかったミーナにこんなにも幸せな道を示してみせた貴女を、私は尊敬するのだわ」
「そっ尊敬だなんて、そんなっ。わたくしは、ただ、ミーナのことを好きになっただけでございますから」
「ふ、ふふっ。好きになった『だけ』って、ふふふっ! そうだわ、別に『魔王』を無力化したいだとか何だとかそんな話じゃなかったんだわ。そういう小難しい話を抜きにして、むき出しのミーナを見てあげたからこそなんだわ。だったら、確かに不釣り合いな言葉だったわ。──二人とも、おめでとう」
言って、笑って。
牧師風の質素な服装の『勇者』シェリフィーンはその手に持った──結婚式用の形式ばった言葉が並べられた──本に視線を向けて、嘆息と共にそこらに放り投げる。
「では、ミーナっ」
「はい」
「どうせ法的にはアウトなことなんだし、健やかなる時もだなんだ形式ばったものは省略するとして──貴女は『衝動』以上に優先すべきものを手に入れたんだわ。だったら、もうごちゃごちゃ悩む必要なし。過去のアレソレがどうであれ、その手に握った『好き』だけは最後まで手放すことなく幸せになると誓うんだわ」
「はい、誓います」
「そして、セシリー。私なんかよりもよっぽど分かっているとは思うけど、ミーナってば色々と抜けているんだわ。そのせいで苦労することもあるだろうけど、その手を離さないと誓ってほしいんだわ」
「はっ、はいっ。誓います!」
それでは、と。
目元を緩めて、シェリフィーンはこう続けた。
「誓いのキスを」
…………。
…………。
…………。
「き、きす? え、なん、ええ!? そんなことするのでございますか!?」
「あれ? 現代の結婚式ではしないものだわ???」
「もちろんでございます!!」
そこで、ようやく。
セシリーは周囲を見渡す。
まだ序盤だというのに涙で化粧が崩れているメイド長、キスという単語に大はしゃぎなメイド連中、いずれは自分がアリスとあそこに立つんだとぶつかり合う少女たちに向かって(冗談の一種とでも受け止めているのか)『それじゃぁ、みんなであそこに立っちゃおうかぁ』と人生を左右するジョークをかます兵士長、ネコミミ女兵士に一目から隠すようにそれでいて絡み合うように手を掴まれて真っ赤になっているキアラや悪魔の群れに初夜の予行練習だなんだと揉みくちゃにされているミュウといった『魔の極致』、流れで付き合わされたとはいえ女同士の結婚式という非公式ながらに心踊る光景に各々想いを馳せる仲良したち、とそれはもう大勢がセシリーたちに目を向けていた。
そんな中、キス?
六百年前がどうだったかは知らないが、そんなことできるわけが──
「セシリー様はアタシとキスするのは嫌ですか?」
「えっ!? そ、そんなことはないでございます! というかしたいに決まっていて、でもっ」
「それは良かったです。アタシもしたいに決まっていますから」
いつも通りの平坦な声音を僅かに感情的に揺らしたミーナの両手が伸びていた。そっと、セシリーの顔を覆うベールを上にあげたのだ。
漆黒の瞳が真っ直ぐにセシリーを見つめる。
それだけで、でもの先を口にすることはできなくなった。
距離がゼロとなるその瞬間まで、セシリーはその瞳に痺れ、捕らえられていた。唇が触れた瞬間、その熱や柔らかさに全身がびくっと震えた。
何度かしたことはあった。だからといって慣れるわけがなかった。唇が焼けるのではと錯覚するほどの熱にどこまでも沈みゆく柔らかさ。脳内麻薬でも過剰分泌されたように思考がぐじゅぐじゅとなり、幸せ以外の気持ちが取り払われる。
貪る。
触れて、溶けて、混ざって、堪能せんばかりに。
セシリーの中で人に見られるのは恥ずかしいなんてものはとうに吹き飛んでいた。だって気持ちいいから。好きな人と触れ合っているのだ、それ以外の些事に思考を費やす必要なんてどこにもない。
溺れる。溺れて、満たされる。
そこまで溺れられるぐらい、好きなのだ。
呼吸や食事といった生物的な制約がなければいつまでだって溺れていただろう接触は、しかし肉体的には優れているはずのミーナが先に根をあげる。
唇を離したミーナは、はふうと甘く熱い吐息と共にこう漏らした。
「幸せすぎて、死んじゃいます……」
「そんなの、わたくしも一緒でございますよ」
そして。
そして。
そして、だ。
ぶぢり、と。何か大事な一線が、切れた。
どこまでも甘い好きは当人たちだけでなく、周囲にまで酔いにも似た状態を誘発させることもある。
結婚式という場も後押しとなったのか。甘く、幸せな急接近の中にキャットファイトというエッセンスが組み込まれた──まあつまり乱痴気騒ぎの開始であった。




