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第七十二話「迫る足音」


「……そっちはどうです?」

「駄目だ、ヒトが多すぎる」

「万神殿……話には聞いてましたけど、本当に人間の中に、亜人も混ざっているんですね」


 三人の若者が半ば呆然と見つめているのは、メイージュにある万神殿パンテオンであった。毎日のように神々への捧げものや、神官の奇跡を頼る為のお布施などを抱えた人々が老若男女、種族を問わずひっきりなしに往来している。

 その光景は異様の一言で、ローヴィス教の教えを受け、人間の中でのみ生きて来た彼らでは、大勢の亜人が当たり前のように参拝しているこの光景に対して、思わず足が竦みそうになるのも仕方がない事なのだろう。


「周囲の聞き込みも、特に問題はありません。マクシム司祭様が懸念している、女の獣人は大人しくしている……そうですが」

「バートでもそのくらいしか、聞き出せなかったのか。……フンッ、その女とやらはどうせ、我らローヴィス教を恐れているだけだろう。聞けば【剛剣】の後に隠れて自分は甘い汁を啜り続け、暴力沙汰ばかり起こしていたと言うではないか。飼い主も飼い主なら、飼われている獣もその程度だろうさ」

「カスパル兄さん。貴方の事情は知っていますし、止めるつもりもありません。ですが相手を見誤らないように。司祭様が注意しろと仰ったのは、獣人の女の方であって、その飼い主ではありません」


 両手剣を腰に佩くカスパルと呼ばれた男は、十九歳になる青年だった。この辺りでも珍しいほどの大きな体格をしており、戦士として理想的な肉体をしていると言ってもいい、立派な体格をしている。それ故に威圧感のある雰囲気を放っており、聞き込みでも人々に怯えられてしまっていた。

 そんな彼を諫めるバートと言う青年は中肉中背で、十六歳と年若い。年齢よりもずっと大人びており、聖職者のイメージそのままの雰囲気を纏っている。だが彼の腕には手甲が、足には拗ね当てが装備されており、体格や物腰とは似ても似つかぬ物騒な物を身に付けていると言えるだろう。


「……分かっているつもりだ。だがバート、いざと言う時は俺を止めろよ?」

「嫌ですよ。純粋な力比べでオレなんかが、カスパル兄さんを止められる訳が無いでしょう?」

「だがお前の格闘術は、俺よりも優れている。頼りにしているぞ」

「……善処はしますよ。ですが兄さんも自制するよう、心がけてくださいね。司祭様もその為の試練として、貴方を選ばれたんでしょうから」

「あ、あの。ぼくはどうすればいいですか? カスパルお兄さん、バートお兄さん」


 話をしている二人に、遠慮がちに割って入ってきたのは、まだまだ子供と言える年齢の男の子だった。自身の身長の半分ほどもある、堅い木で出来た棒を腰に差しており、ぱっと見は何処にでもいるやんちゃ盛りの子供のようだ。

 二人が知る普段の闊達な姿は鳴りを潜め、不安げな様子を見せる少年はレーヴィと言い、十二歳の少年だった。

 彼らに血の繋がりはない。目上の者を兄と呼ぶのは、同じ門徒の者達は親兄弟のように接するようにと、教わって来たからである。特に上の二人は上下関係に厳しく、兄と呼ばなければ怒られてしまう。

 特に幼い内は悪さをしたり教義から外れた事をすると、仕置き部屋で裸に剥かれてから台に手足を固定され、細い棒で尻を打たれるのだ。しかも聖句を諳んじながら打たれ続けなければならず、間違えたら最初からやり直しとなる為、殆どの子供が何十と打たれることになる。

 更に反省していないと判断されると、改心するまでローヴィス様の奇跡で傷を癒されながら、何百発でも、時には千を超えて延々と尻を打たれ続けるのだ。

 レーヴィも過去に何度もこのお仕置きを受けており、打たれた回数も最も多いものだって経験している。故にその恐怖は、骨身に染みていると言っていいだろう。だからこそ実際はそんな事は無くとも、このお役目をちゃんと出来なければ、仕置き部屋行きなのではないかと、震えあがっているのだ。


「レーヴィは出来るだけ人間の方へ、聞き込みをしていてください。亜人の方はオレとカスパル兄さんだけで十分です」

「この程度でチビるなよ、レーヴィ。ローヴィス様の聖兵になりたいのなら、俺のようにどんな時でも堂々としていろ」

「は、はいっ。わかりましたカスパルお兄さん、バートお兄さん」


 この中でも特に幼いレーヴィが加わっているのは、彼を守り、決して事を荒立てるなと言うマクシム司祭からのメッセージなのだが、カスパルは血気に逸って気付いておらず、意味を理解しているバートだけが深々と溜息を吐いた。


「とにかく、ここに居ても始まりませんね。万神殿での聞き込みはこれ以上進展しそうにないですし、冒険者ギルドの周りなどにも、聞き込みに行きましょう」

「そうだな、今はやるべきことを優先しよう。俺は先に向かうから、バートはレーヴィを連れて聞き込みをしながら来い。落ち合う場所は、屋台の多い広場でいいだろう」

「は、はいっ」


 そうして一行は人混みを離れ、冒険者ギルドのある方角へと移動していった。そんな彼らを見つめる影がある事に、気付く事も無く。



 冒険者ギルドの近くには、肉体労働者や冒険者相手を目的とした屋台が並んでいる。武器防具の補修用の道具類や、ロープや楔といった野外活動用の消耗品、そして干し肉や干し果物と言った携帯食料などなど。

 その中でもユウリ達は、すぐに食べられる物を扱う屋台の方へと赴いていた。それというのも、万神殿での食事は量が少なく、一日二回だけ。味はステラの努力によって改善されたものの、育ち盛りの子供たちには全く足りておらず、同様にクレストやヘルガのような前衛職も、肉体が維持できないと言う意味でもエネルギーが足りないのだ。


「ううぅ、ちょっと塩っ辛いけど、お肉美味しい……」


 しみじみとユウリがそう零すと、隣にいる普段は食事時でも賑やかなマットも、無言で頷き返している。濃い味付けの串焼きの肉を、味が薄めの麦粥に入れてやれば、塩辛さも和らぎ十分食べられるものになる。

 麦粥の方も大麦を煮込んだだけの物で、多少の塩で味付けされただけの食べ物だ。痛飲した冒険者などの胃に優しいので、それなりの人気はあるようだが、これ単体で食べるのは食べ盛りには厳しいだろう。

 麦粥に塩辛い串焼き肉を入れるのは、意外と色んな人がやっているらしく、串焼き肉を売っている屋台と麦粥の屋台は隣り同士になっており、ちゃっかり売り上げを伸ばしているようだった。

 広場のあちこちには腰を落ち着けて食べられるスペースが設けられており、ユウリ達もその一角で食事を摂っている。


「思った以上に、これまでの贅沢に慣れ過ぎてたんだと、実感しているわ……」

「昔は当たり前だったのに、まさか万神殿の生活がこんなにもきついなんて、思いもよらなかったよ……」


 そんな言葉を零しつつ、ステラとヘルガが項垂れながら、もそもそと塩辛い串焼き肉を入れた麦粥を食べている。クレストが隣で苦笑しつつ、やはり人一倍食べなければ体が持たない為、がっつりと肉に齧りついていた。

 そんな中でルナだけは、万神殿の中でも唯一平気そうにしているのだから、不思議なものである。元々彼女は小食で、好き嫌いはしないが肉よりも干し果物や、野菜などの方を好む傾向があった。

 そのお陰もあってか、万神殿での粗食にも耐えられるのだろう。


「まあ、ユウリ達の社会勉強と思えば、いい経験なんだろうが……」

「このまま勇者とやらが来るまで、万神殿にいるつもりかい? こっちはこっちの目的もあるってのに」

「そうよね。この辺りの土地はちょっと向いてなさそうだし、そろそろ次の場所に移動したいところかしら?」

「正直、私はそこの筋肉達磨を置いて、さっさと旅立ってもいいと思っているんだけどね」


 目的達成のために動き回りたいステラも、そろそろ活動を再開したいらしい。その言葉を受けてクレストの方を見つつ、ヘルガは置いていきたいと言うが、それは叶わないだろう。ユウリ達が嫌がるだろう事が分かっているからだ。

 クレスト自身も置いて行かれるのは本意ではなく、焦ったようにステラとヘルガを交互に見やる。


「大丈夫よ。置いていったりはしないわ、クレスト」

「そういう冗談は、心臓に悪いぜ二人とも……」

「私は本気だからね!」


 彼らはそんなやり取りをしつつ、あーでもないと言い合いながら食事を続けていた。それをアイリスとルナは楽しそうに眺めていると、ステラもそっとルナの隣に移動して来て、二人に混ざってヘルガとクレストのやり取りを、観戦する事にしたらしい。


「ステラさんはあの二人、今後どうなると思います?」

「さあ? エルフ以外のヒトの恋愛模様は良く分からないけれど、離れていた間以上の時間をかけて、ゆっくりと想いを育ませていったら素敵だと思うわ。個人的には三十年くらいかな?」


 早速アイリスがステラに水を向けると、少し考えるような仕草の後、自分の理想を語った。が、やはり種族として気が長い性質であるためか、アイリスは苦笑を漏らす。


「流石にそれは、エルフのような長命種族じゃなきゃ無理ですよ。どうせならこう、クレストさんがヘルガさんを一気に押し倒すくらいの、勢いが欲しいですね」

「それはちょっと性急すぎない? エルフ以外は本当に気が早すぎて、そこはちょっとついていけないわ……」

「エルフの気が長すぎるだけですって」


 そしてアイリスの希望を語れば、ステラからは一足飛び過ぎると言う。しかしそこに険悪な雰囲気などはない。単純に好みのシチュエーションなどを語り合って、楽しんでいるだけなのだ。

 一緒にいるルナにはまだ理解が追い付かない部分はあれど、二人の話を真剣に聞いている。それはそれで楽しいようで、和やかな時間が過ぎていった。

 ダシにされている二人を除いては、だが。

 しかしそんな彼女たちの反応ややり取りに慣れて来ているのか、ヘルガは小さく息を吐いただけで、黙々と食事を続けることにする。


「んー、まだ物足りないなぁ。ちょっと買ってくるね」

「構わないが、迷子になるなよ?」

「はーい」


 最初に購入した分を食べきったユウリが、次を買い足して来るべく席を立つ。クレストたちはそれを見送り、のんびりと食事を続けるのであった。


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