第五十四話「熊退治をしよう」
「ユウリ、そっちに行ったよ!」
「任せて!」
目を血走らせ、怒り狂った熊が少年を襲う。黒髪の少年──ユウリはその熊が繰り出す前足の一撃を難なく素手で捌き、あろうことか熊をそのまま投げ飛ばした。
近くの細い幹に叩き付けると、音を立てて木が折れてしまう。熊が態勢を立て直そうと立ち上がった次の瞬間、ユウリの剣が熊の首を刎ね飛ばしていた。
「ふー、これで二匹目? 熊ってこんなに出るものだっけ?」
「そんな訳ないでしょ! 異常よ異常。番でもないのに、こんな風に頻繁に獣と出くわすなんておかしいわ!」
剣に付着した血を振り払いながら、ユウリが何でもないように言うと、ステラが即座に否定する。
依頼を受けて三日、王都から比較的近い森まで来ていたのだが、この森こそが悪名高いデムルの森の一部であり、セタジキス王国の南部に広がる恵みと試練を齎す場所。
本来なら王都に来たばかりのユウリ達のランクでは、この森での討伐依頼など認めて貰えないのだが、そこはヘルガが居るお陰である。
「確かに、こりゃおかしいね。熊だけでなく、豹も一匹仕留めちまってるし、そのどれもがやたらと気が立っている」
「彼らが縄張りから追い出されるような、そんな魔物が出たってところかしら?」
「かもしれないねぇ」
ステラの魔物が出たのではという予想に、ヘルガも同意する。肉食の大型獣が頻繁に出てくるほど、この森の表層は危険に満ちてはいないはずだったのだ。となれば、その原因は別にあると考えるのは当然だろう。
「んー。動物系のモンスターなら、候補としてはレッドホーンベア、アックスグリズリー、ブラッドタイガー、ロックコング、キラーバブーンとその群れ、そしてこの前のネメアンライオンってところかな?」
「どれもこれも凶悪な厄介どころじゃないか」
「それ全部オーガと同じか、それ以上に危険な魔物よ。冗談じゃないわ」
「でも熊や豹が逃げ出すくらいだから、このくらいじゃないとおかしいよ?」
ユウリの言う通りではあるのだが、普通は人里近くにそんなバケモノが出る事は無いし、出てきてほしくはない。ただ何らかの魔物が出たと言う可能性は高く、このまま見過ごす訳にもいかないだろう。
「ところで、植物系の魔物の可能性はないのかい?」
「植物の魔物っていうのは、自分で動き回って獲物を捕まえるようなのは多くないのよ。こんな風に多くの獣が逃げ出すような相手なんて、余程の大繁殖でもしてない限りは現実的じゃないわ」
ヘルガの疑問を、ステラは否定的に答えた。植物系の魔物は基本的に、待ちの姿勢である事が多い。住処に誘き寄せ、迷い込んだところを仕留めるのだ。動けるのも居るには居るが、そういうのは動きが遅いものが多く、肉食の大型獣はすぐに逃げてしまうので、余り脅威にはならない。
因みに彼女たちが話しているその間、ユウリが獲物の血抜きを済ませていた。それが済むとヘルガとステラの指導の下、パーティ全員で獲物の解体を行っている。
とりあえず今日は様子見と、彼らは解体した獲物を持って引き返すのであった。
「怖い気配、ないよ」
気配を確認したマットが仲間に視線を向けると、近くに居たヘルガが満足そうに頷いた。最近は何度も実践して気功を使っているからか、マットの気配察知も精度、範囲共によく成長しているのが伺える。
一行は森の外側の方へと移動している最中だ。とはいえ、このままでは森を抜ける前に日が暮れてしまいそうだった。
「おなか、空いた」
「つ、疲れましたね……」
隊列の真ん中付近にいる、ルナとアイリスの足取りは重い。つい最近まで、体を動かして働くような事もなかったので、体力は一般人のそれ以下と言えるだろう。
何しろルナはユウリとそう年齢が変わらないといっても、体格的にもまだ子供として扱われるべき年齢である。アイリスの方は普通の生活をする分には問題ないが、いきなり冒険者をするには様々なものが足りていない。
言い方は悪いが、この二人の存在によってパーティ全体の移動速度は、明らかに落ちている。
「もうすぐ開けた場所に出るらしいから、今日はそこで休みましょう」
「さ、賛成です。ユウリさんが居なかったらワタシ、本当に生きていけなくなりそうです……!」
森の中で休めそうな場所を精霊から聞くことが出来たステラの言葉に、真っ先にアイリスが賛成する。これまで慣れない森の中を歩きっぱなしだったので、体力的にも相当辛いのは当然であった。
「あんまり場所が広くなくても、僕のセーフハウスカードは使えるから、安心してね」
ユウリがそんな風に暢気に返すと、一行に微妙な空気が流れ始める。
「……便利なのは、有り難いんだけどね」
「エルフとして、大事な物を失いそう……」
「ワタシは失うものなんてないので、ユウリさんのお家で早く休みたいですーっ」
どこか遠い目をしているヘルガとステラとは対照的に、アイリスは早く休みたいと主張しているのはなかなか面白い。
因みに歩き疲れてしまったルナは、ヘルガが抱っこしている。ステラでは体力的に厳しく、ユウリは曲がりなりにも男の子だからだという理由だ。
彼らの空気が緩いのは、全てユウリの持つ反則的なマジックアイテムのお陰でもあり、どんな場所でも安全に、そして快適に夜を過ごせるからだ。
更にステラの精霊魔法と、ユウリ達の気功スキルによる気配察知がある為、危険のある相手が近付いてくるなら、すぐに気付くことが出来る。普通の冒険者が目を剥くほどに、恵まれた環境であった。
王都メイージュにある冒険者ギルド。そこを統括するギルドマスターのロドルフォ・サウセドは、秘書のハーフエルフの男性が持ってきた報告書を見て、小さく笑みを浮かべた。
「そちらは先日、フィンダート王国のベルンの街から異動して来たと言う冒険者たちの一覧ですが、如何されました?」
「いやなに、少々幸運だと思ってね」
「幸運、ですか。確かにこの時期に、シルバープレートがこちらに移って来たのは、有り難いですね」
秘書はシルバープレートがたった一人増えた程度、大した効果は無いと思っているようだが、ギルドマスターにはそうは映らなかったらしい。
「そうではないよ。それだけじゃあない。"あの"ヘルガが帰ってきたんです。どうやら弟子連れらしいけれど、あの女の心境の変化はどうでもいい。【剛剣】の相棒が帰って来た。それはとても大きな意味を持ちます」
「……あっ。【鉄虎の女傑】、亜人では極めて珍しい銀の等級に位置する規格外の実力者であり、【剛剣】をゴールドプレートの地位に押し上げた立役者。なるほど、先のトレアート都市国家群で起きたゴタゴタで、こちらが被りそうな厄介な依頼には、ピッタリですね」
「まあ、それも無い訳ではないが。とりあえず暫くは、彼女の活躍を静観するとしましょう。彼女が功績を挙げれば、それだけで他の冒険者たちも奮起してくれる事でしょうしね」
ギルドマスターのロドルフォは満足そうに笑いながら、次の仕事へと取り掛かるのであった。
ユウリ達が依頼を受けてから八日目。彼らは相変わらずデムルの森に居た。というのも、世界樹が植えられそうな場所を探すという目的もあるため、この機を逃すまいとステラが張り切っている事が理由でもあった。
その間、仕留めた獲物は熊が三頭に豹が一頭。そして魔物のファングボアが二頭と、大猟と言えるだけの数を仕留めてしまっている。
熊は最初の二頭は解体して今後の食糧にと、コテージの中に保存しているものの、他はもう手が回らず血を抜いたら、ユウリの鞄に放り込んでいるだけになってしまっていた。
「しかしまあ、随分な数を仕留めちまったね……」
若干遠い目をしながら、ヘルガが呟く。目立たないと言う目標があったはずなのに、何故こんなにも獲物を仕留めてしまっているのか。全て持ち帰ったら間違いなく、ギルドの上の奴らが目を付けて来るのは間違いない。
ただでさえヘルガにとっては古巣であり、勝手知ったる場所だからこそ、目を付けられるのは避けたかったのだが。とは言え、大型の肉食獣とこんなに頻繁に出くわすのも普通ではなく、原因を探らなければならないだろうとも考えている。
このまま帰って報告した途端、上からヘルガに直接原因を調べるようにと指名依頼が来かねないのだから、なんとも因果な話である。
「昔馴染みの奴らから聞いたけど、あのギルドマスターまだ居たのかい。あの野郎……」
かつてヘルガがとある冒険者と組んでいた頃、その時の功績をギルドマスターが正当に評価したが故に、彼女はシルバープレートと言う、人間の社会において差別されている亜人が、到達する事を許されない称号を得てしまったのだ。
当時は周囲の人間からの嫌がらせも多く、特にローヴィス教絡みのトラブルが絶えなかった。とうとう嫌気がさしたヘルガは、逃げるように当時の仲間と別れ、王都からも離れた。そして流れ流れて、隣国にあるベルンの街へと辿り着いたのである。
「全く……まさかこんな形で戻ってくるなんて、思ってなかったよ。誰が悪いってわけでもないんだけど、ね」
そう小さく独り言ちた後、一つ瞬きをして気持ちを切り替える。ここはまだ危険なデムルの森の中だ。あれこれと難しい事を考えるのは、王都に戻ってからでいい。
それに今は間違いなく楽しいと、充実していると胸を張って言えるのだ。今この森の中を、当てもなく彷徨っている事さえ、かつてなら考えられないほど困難な冒険なのだ。ならば今は思い切り楽しむ以外の選択肢はない。
「ヘルガさん!」
「……まだ随分遠いみたいだね。私じゃ感知できないんだけど?」
「でも向こうはこっちに気付いてる。モンスターって索敵範囲が広い奴も多いから、気をつけてね」
「ああ、今感知したよ。アイリスとルナは下がってな! マットは二人を守っておやり!」
いち早くユウリが敵の気配を察知し、警戒を促す。暫くするとヘルガの方でも察知でき、すぐに迎え撃つ為の陣形を整えるのだが、初冒険のアイリスとルナの動きも、ここ数日で随分と慣れて来ている。
マットとステラが二人を挟むように横に回り、それぞれの武器を構えて準備は整った。ヘルガとユウリも既に準備は完了しており、後は戦うだけだ。
「精霊が言うには熊っぽいようだけど……魔物ね」
「みんな、来るよ!」
ユウリが短く叫んだ直後、それは姿を現した。
赤く伸びた刃のような長い角を持つ、レッドホーンベアと呼ばれる魔物。こうして彼らは、一連の騒ぎの元凶と思しき相手と漸く遭遇、対峙する事になった。
真面目に冒険者……してる!?




