第四十六話「価値観とか文化の違い」
一連の騒ぎが漸く落ち着き、綺麗になった身体で湯船を堪能している頃。ユウリとマットの男児組は女性陣から離れたところでバチャバチャと泳いだり湯の掛け合いをしたりと、楽しそうに遊んでいる。ユウリが頑なにステラ達の側に背を向けている事を除けば、微笑ましい光景だ。
それと言うのも、ステラ達の側に少々問題があった。もっと正確に言うならば、ステラとヘルガのその背後に問題がある。
「あの……ワタシ、冷たいんですけど」
「そう」
「そ、そろそろ手足の先が痺れて来たんですけどお……」
「水の球を独り占め。中々できる体験じゃないから、ゆっくりと楽しみな」
ステラがエルフの少女であるルナを抱き、ヘルガが手足を伸ばしながら悠々と湯船に浸かっているその外側。浴槽の隣には大きな水の塊が鎮座していた。その塊からは上から首だけが水から出ている猫耳と尻尾を持った半獣人の女性、アイリスの姿がある。
この水の塊の正体は、かつてステラがユウリを捕えようと使用した精霊魔法の、ウォーターホールドという捕縛に特化した魔法であった。
場所が浴室であり、尚且つ無限に湧き出る湯と水のお陰で、ステラが使う水の精霊魔法も相応に強化されている。場合によってはヘルガでさえ、拘束を解く事が難しいほどの強度の魔法だ。
そんなものを何の戦闘訓練も受けていない一般人のアイリスが受ければ、身動きなど取れるはずもない。しかもあえてお湯ではなく水で拘束している辺り、ステラも相当にお冠だと言うことがよくわかる。
しかも真水なので透明だ。色々と見えてはいけない乙女の肉体が露わになっており、ユウリが頑なに背を向けたままなのは、彼にとって刺激が強すぎる光景であるからに他ならない。現実逃避とも言うが。
「ワ、ワタシの良さをアピールするなら、ああするしかないじゃないですか~!」
「ここは娼館じゃないんだよ。男女二人きりの時ならいざ知らず、周りにこれだけ居るのに平気でおっぱじめようとする奴を、野放しにしておけるわけがないだろう?」
水の球の中で藻掻くアイリスを一瞥もせず、ヘルガが切って捨てる。
「いやいや、お二人はやってないんですか!? 当然ご主人様のベッドのお相手もされてますよね!?」
「あんな子供を相手にするわけないじゃない。大体、わたし達はユウリとマットの保護者であって、主従関係ですらないわ」
「う、嘘でしょ~!?」
尚も言葉を返すが、ステラから想定外の言葉を貰い、アイリスは絶叫した。
少なくともアイリスにとって、というよりも世間一般的に見てさえも、ユウリ達の関係はあり得ないと言っていいものだったからだ。
「ど、どう考えてもご主人様は普通の御方じゃないですよね!? ヘルガさんはまあ……獣人なので置くとしても、ステラさんのような見目麗しい女性を傍に置いておいて、お手付きなしなんて信じられる訳が……」
「ユウリの反応をよーく見てみなよ。どう考えてもまだ碌に経験した事のない、毛も生えてないその辺のお子様だろうに」
驚愕するアイリスに呆れたように、ヘルガは溜息と混じりにそう零す。大分酷いことを言っているようだが、ユウリは聞かないフリに徹している。顔を真っ赤にしながら、少々涙目になっているかもしれないが、聞こえていない。聞いてない。
「あ、筆下ろしがまだなのでしたら、ワタシそちらのご指導も出来ますけど!?」
「貴女、本当に懲りないわね。その度胸は寧ろ感心するわ……」
「いえいえ。貴い御方の間では割と普通と言いますか、まあワタシみたいな奴隷上がりがお勤めする事は本来ありませんけど、後宮に居たので王子様を数人手ほどきしてますし?」
しれっとそんな事を言うアイリスに、ステラは深い溜息と共に頭を抱える。森の外の世界の風俗とは無縁だっただけに、アイリスは同じ女性でありながら全く未知の存在であった。
「どうしても、そっち方面に話を持って行こうとするね……アンタ」
「それで食ってきてたんですし、それ以外で何を話せと?」
「少しくらい子供の教育に悪くなさそうな話題は無いのかい!?」
「そんな事言われても……どこにでも転がってる話ですし、市井の男の子は隠れてそう言うの見聞きして覚えていくのが普通では?」
潔いほどの割り切り具合に、流石のヘルガも頭が痛い。いけしゃあしゃあと返すアイリスの図太さは、中々に手強いようだ。
「そう言う事じゃないんだよ。高級娼婦なら金持ちを楽しませるために、もっと学と芸があるものだろう?」
「なくはないですが、冒険者なんて危険な事をされてる方が、頭を使った遊びをどれだけ好むかは、ちょっと未知数なので……」
「少なくともアンタの裸を前に、露骨に目を逸らそうとする子なんだから、もうちょっと気を使いなって言ってるんだよ」
「……それもそうですね。今振り返ってみても、ちょっとワタシ自身、余裕がなさ過ぎたかもしれません……」
ヘルガに諭されて漸く我に返ったのか、アイリスは反省するように項垂れた。幾ら余裕がなかったとはいえ、肉食もいいところであろう。幾らこちらで成人扱いの年齢とはいえ、ユウリ相手にあのような迫り方をするのは褒められたものではない。
「ですがそうなると、ワタシが冒険者の皆さんにお役に立てることってないんですよ。また路頭に迷わなきゃ駄目ですか……?」
瞳を潤ませながらの訴えに、ヘルガとしてもどうにかしてやりたいところだが、都合のいい当てもなければ解決方法もない。精々ユウリの金貨を多少持たせて、どこかの街まで送り届けるくらいしか思いつかないのだ。
「べ、別にアイリスさんの事が好きとか嫌いとかはないけど、困ってるんだよね?」
「ルナの事があるから、彼女だけ放り出せないのはわかるんだけど……」
背を向けたまま言うユウリに、ステラも困ったように返す。かなり扱いに困る相手なのは事実で、本来の目的を考えると安易に仲間に入れるべきではない。それでも簡単に放り出せない程度には、彼らは善良過ぎた。
「マットも冒険者としちゃあまだまだ素人同然だから、これから一緒に鍛えるってんなら私は反対しないよ。いい機会だから、ユウリをここらで男にしとくってのも悪くないだろうし」
そんなヘルガの意外な一言に、ステラは目を丸くする。因みにアイリスはユウリが口を挟んだあたりで解放され、風呂に浸かって体を温めている最中だ。唇が青くなったりはしていないが、湯の中で小刻みに震えているのが見て取れた。
「いちいちこの手の色仕掛けに分かりやすい反応を返してると、碌な事にならなさそうだからね。目立たないようには動きたいけれどもユウリが居る以上、どうせある程度は必ず目立つ。それならそう言った手合いの練習相手としても、アイリスは丁度いいかもしれないよ?」
「ちょ、丁度いいってどういう事よ!?」
「落ち着きなよ。ユウリもカッパープレートになった以上は、冒険者としては一人前だ。本人も人間社会では一応成人してる歳だし、いつまでも子ども扱いするのは、あの子のためにならないだろう?」
そう言われてしまっては、ステラも反論できない。確かにユウリは普通とは隔絶した実力があり、肉体的精神的な幼さに不安は残るものの、善良で弁えるべきところは弁えている。
人間社会で成人として扱われるのならば、子ども扱いし過ぎるのは彼への侮辱でしかない。
「で、でもヘルガちょっと待って。その、そう言うのはもっとお互いを知ってからと言うか、少なくとも今日出会ったばかりのアイリスに任せるべき事ではないと思う!」
「それは私も分かっているけど、ユウリも男なんだ。どっかで暴発するくらいなら、とっとと娼館に連れてくなりして正しく発散する方法を教えるのも、私らの仕事じゃないかい? それともステラがユウリの相手をするってんなら、私に異論はないよ。あの子が私でもいいって面白い事言うんなら、喜んで付き合ってやるさ」
味方だと思っていたヘルガの意外な言葉に、ステラが大いに焦ったのも仕方のない事だろう。そんな彼女の様子を気にした風でもなく、ヘルガは続ける。
「アイリスのは場所が場所だから止めはしたけど、二人きりでユウリが合意の上でやりたいってんなら、止める気はないからね」
「うぐぐ……人間がすぐ増えるのって、貞操観念がここまで緩いせいなのね」
「緩いかどうかは知らないけど、普通のヒトはすぐ死ぬし弱いからね。出来るだけ早く多く産んで増やさなきゃ、あっという間に魔物との生存競争に負けてしまうよ」
ヘルガの言う様に、この世界は過酷だ。魔物も獣も自然さえも、常にこちらを試すように襲い掛かって来る。そのどれもが脅威であり、ヒトはその脅威を数で立ち向かうことで、何とか生存圏を確保していると言ってもいい。
逆にエルフはほぼ全員が精霊の力を借りる魔法を習得出来るせいか、彼らの縄張りとなっている森の中では、下手な都市よりも安全だと言える。
元々出生率がそんなに高くないということもあるが、下手に安全であるが故に他の種族よりも焦る必要性がなく、それこそ十年単位で互いの気持ちをじっくりと育てる傾向にある為だ。これはエルフが他の種族と比べても特に長い寿命を誇るが故の、時間感覚の差が文化の違いとして表れていると言える。
因みに森の外に出て他の種族と交流がある場合のエルフは、他の種族と同じような価値観に比較的早く適応していく。やはり外の世界が危険だと、種を残そうとする本能が働くのであろう。
「と、とりあえず。ユウリ本人に決めさせましょう……って、あれ? ユウリは?」
「ユウリだけじゃなく、マットやルナも居ないね」
思わず話に熱中していたとはいえ、彼らが居なくなったことに気付かない程に油断していた事を、二人は内心恥じる。普段ならこのような事は無いのだが、会話の内容が内容だった事と、ユウリの屋敷の中は安全だからと、無意識に警戒を解いてしまっていた事が原因であった。
「……あのー、お二人が話に熱中している間に、みんな先に上がっちゃいましたよ。のぼせるからって」
未だ小刻みに震えているアイリスが、どこか呆れたように言う。それを聞いて二人は、どこか気まずそうな表情を浮かべた。
ユウリとしてはこの手の話題から早く離れてしまいたかったし、マットやルナがとても困惑していたことから、アイリスが気を利かせてそっと逃がしたのである。
アイリスも最初からこういう風にまともな行動をユウリに示しておけば、このような事にはならなかったのだが。
とりあえずこの話は保留することに決めて、ヘルガとステラの二人は子供たちの後を追って浴室から出ていくのであった。
年を跨いで風呂に入ってますね彼ら……。




