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第四十四話「救えた命」


 悲鳴が聞こえなくなった。自分達を閉じ込め、そして今は我が身を守る物になっていた馬車を壊そうとする嫌な音も、何もかもが止み、長い静寂が訪れたのだ。

 静かになったからと言って、安易に音を立てるような真似はしない。二人は息を殺したままじっと待つ。


「こりゃ酷いね。ほぼ全滅じゃないか」


 そんな声が聞こえた。締め切られた馬車の中に聞こえた声はややくぐもってはいたが、間違いなく女性のそれである。

 助けを求めるべきなのか、猫の耳と尻尾を生やした半獣人の美女アイリスは、まだ幼いエルフの少女ルナを抱きしめたまま、決断の時を迫られていた。



「こんなにヒトが……死んで」

「ユウリ、あんまり見るんじゃないよ。無理はしなくていい」

「……う、うん」


 青ざめた顔のユウリを庇う様に、ヘルガが優しく少年の頭を抱き寄せる。

 仲間を守るために戦うと決意し、いくら覚悟を決めたとは言えど、たったそれだけで目の前の惨状に耐えられる訳がない。戦闘中は剣を振るうことに集中していた事で誤魔化していたが、いざ戦いが終わってしまえば、今まで見ないようにしてきたモノが否が応でも目に入ってくる。

 それでもきちんと自分の足で立ち、現実を受け入れようとする少年の頭を、ヘルガは優しく撫でてやった。微かに震え、眼に涙が浮かんでいる。このような現場を見て、平然としていろと誰が言えるのか。

 魔物の死体に関しては自分達がやった事なので、受け入れろと突き放すのは容易い。だが理不尽に殺された人々を見て、平気でいられるような大人になって欲しくはないのだ。


「アンタは良く頑張ったよ。私らが来た時にはもう殆ど、全滅してたようなもんだ。ユウリのせいじゃない。こいつらの仇を討っただけさ。だから今は、少し休みな」

「……うん」


 少しは落ち着きを見せたものの、ユウリはヘルガに抱き着いたまま離れようとしなかった。これまで魔物の死体や大怪我をしたヒトを見る機会は何度かあったが、魔物に殺されたヒトの惨殺死体は今回が初めてなのだ。

 それも一人や二人ではなく、一つの隊商分。魔物の血や臓物と混ざっている物もあり、吐いたり錯乱したり、気を失ったりしないだけでも大したものだろう。

 ヘルガは遥か頭上に浮かんでいる巨大な黒竜であるテュポーンに合図を送り、ステラ達が降りてくるまで間、小さい子をあやすようにユウリを落ち着かせるのであった。



 アイリスは迷っていた。彼女たちが閉じ込められている馬車は、僅かに開いた空気を取り入れる為の隙間以外に外を確認できるような場所は無い。そして当然中から開ける事は出来ないのだ。

 外に居る者に助けを請わなければ外に出られないだろうが、しかし結果としてその者達の戦利品として持ち帰られることになるだろう。アイリス自身は自分の事はいいと考えている。元々子供の時分から客を取ってきた身。後宮暮らしで多少平和ボケしたかもしれないが、そこら辺の男くらい満足させられるだけの容姿と技術には自信がある。

 しかしまだ幼いルナとなると話は別だ。例え最初に客を取らされたころの自分よりも多少育ったくらいの子だとしても、男に組み敷かれる事を見過ごすわけにはいかない。

 だがここで誰にも見つからなければ、自分達は永遠にこの箱から抜け出せないまま、醜く無惨な死が待つだけとなる。選択肢など在って無いようなもの。何時もいつも運命と言う奴は、極端な選択肢しか寄越してこないと嘆息する他ない。


「……ルナ。覚悟を決めましょう。ここから出られても出られなくても、過酷な現実が待ち構えています。だったら、少しでも生き残れる方を選びましょう」


 堂々と。しかし落ち着いて柔らかく笑う。少なくともアイリスは、そう心掛けたつもりだ。恐怖で青褪めているし、今も震えている。そんな彼女の心情を理解してか、ルナと呼ばれた少女も小さく頷く。

 直後、地鳴りと共に馬車は大きく揺れた。



 街道から少し外れた場所に、その巨体は大地を揺らしながら舞い降りる。漆黒の鱗を持つ竜はそのままあっという間に小さくなっていき、その場に残されたのはステラとマット、そして小さくなった黒竜のテュポーンであった。

 テュポーンが一足先にユウリの方へと飛んでいき、それを見送った二人は凄惨な現場に顔を顰めつつ、仲間の所へと足早に向かう。流石に死体を踏みつけて歩く趣味は無かったため、多少遠回りはしたものの、何事もなく二人と合流することが出来た。


「二人とも、大丈夫……でもなさそうね」

「ああステラ、いいところに。ユウリをお願いできるかい? マット、ユウリは疲れてるからアンタが代わりに、周囲を警戒してておくれ。私は生き残りが居ないか、探してくるよ」

「う、うん! おれ頑張る!」


 単独行動を決めたのは周囲に魔物の気配は無かったし、彼らだけでも問題ないと判断したからだ。またマットがこれまでの気功の訓練と実践のお陰で、索敵役を任せても問題ない程度にはなっている。震えるユウリをステラに任せ、ヘルガは一人でその場を離れた。


 幾つかの馬車を見て回ったものの、食料や水、多少の貴金属など以外は特に目立った物は無かった。持っていけそうな財布などを回収しつつも、彼女は生き残り探しを続行する。数々の死体にうんざりしながら、商品を乗せていたであろう馬車へと視線を向けた。

 その頑丈な箱のような特殊な馬車が何であるか、ヘルガは知っている。


「……よりにもよって、奴隷商人とはね」


 そうぼやきながら、うんざりした表情でヘルガは馬車を一つ一つ確認していく。殆どは破壊され、中に居た奴隷は皆殺しにされている。馬車ごと燃やされた物もあり、自分だけで見て回ることにしたのは正解だったと、ヘルガは溜息を吐いた。

 そんな時、彼女の耳が微かな物音を捉えた。音のした方に視線を向けると、外装はボロボロだが中は無事だと思わしき馬車があった。

 作りも他の物とは違い、頑丈で堅牢そうな造りをしている。恐らく一番高価な商品を載せているのだろう事が予想出来た。その商品がヒトでない事を願いつつ、馬車の前に立つ。


「私はヘルガ。通りすがりの冒険者だ。もし生きているなら、開けてやるから返事をしな!」


 中に聞こえるように大きな声で名乗り、馬車の扉をノックする。すると、中からか細い声で答えが返ってきた。


「お、女の人? 冒険者? そ、外はもう大丈夫なんですか……?」


 返ってきたのは女の声。今まで生きた心地がしなかっただろう、その声は明らかに震えている。しかしこの馬車の造りが相当頑丈に作ってあるのか、互いに声が届きにくい。早々に扉を開けて解放してやった方がいいだろうと、ヘルガは判断する。


「これは……鍵が壊れているね。ドアを壊すから、そこから離れておきな」


 そう言ってヘルガはモールを振り上げる。馬車自体はそこそこ大きいし、中のスペースもそれなりに広いだろう。恐らくは相当な上玉を運ぶための馬車だ。他の奴隷たちのように、ヒトが隙間なく詰め込まれていると言う事は無い。

 気功で中の気配を確認し、自分の予想通りであったことに安堵しながら、ヘルガは思い切りモールを振り下ろした。ガキンッと金属がぶつかり合う音がしたのち、ドアはひしゃげてカギは見事に壊れる。

 その後は殆ど力任せにドアを引き千切るように開けて、中に居る者達を確認した。猫の半獣人の女と、エルフらしき少女が一人ずつ。どちらも体がハッキリと見える程に薄い布を纏っており、殆ど裸に近い。

 どちらも同性の自分から見てもとても見目が良く、特に半獣人の方は半ば無意識的に視線が胸へと集中してしまう。確かにこれは高く売れるのだろうと、ヘルガは思わず苦笑した。


「さあ、もう大丈夫だ。生き残ったのは……アンタらだけみたいだよ」


 安心させるように、出来るだけ優しい声でヘルガは語り掛ける。しかし現実だけはちゃんと伝えなければならないと、声色とは裏腹にその内容は若干ショッキングなものであった。


「!? そう……ですか」


 半獣人の女が、なんとか絞り出すように言う。ヘルガの姿を見て驚いたのだろう。いかつい虎の顔をした女が強引にドアを破って入って来たのだから、悲鳴を上げなかったのは寧ろ褒められてもいいくらいだ。


「悪いけど、あまりのんびりもしていられない。このままだと血の臭いに誘われて、他の獣や魔物が呼び寄せられてやって来る。その前に急いでここから離れるよ」

「わ、わかりました」


 ヘルガに手を差し出され、一瞬戸惑ったものの半獣人の女は意を決したようにその手を取る。虎としか言いようのない顔は、よく見るといかついだけでなく、穏やかで優しい表情をしていることがすぐに分かった。

 エルフの少女を抱きしめたまま、彼女はゆっくりと立ち上がり、自分達を閉じ込めていた箱から外の世界へと足を踏み出していった。


 女たちを外に連れ出し、ヘルガはユウリ達と再び合流する。道中は中々に凄惨な光景だったので、エルフの少女は目を瞑らせたままヘルガが抱いて移動していたくらいで、これといった問題は無かった。

 意外にも半獣人の女の方は肝が据わっているらしく、飛び散った血や臓物、死体を見ても取り乱さなかったので、こちらも問題はない。

 寧ろ問題だったのは、合流した後の方だった。


「おかえり、ヘルガねえちゃん!」

「おかえりなさい、ヘルガ……って、えぇ!?」


 マットがいち早くヘルガの帰還に気付き、ユウリをあやしていたステラが遅れて反応する。ユウリはと言うと、まだまだ不安定なようで、ステラの胸に顔を埋めたまま動く気配はない。


「ただいま、今戻ったよ。……ステラがそんな反応をするって事は、やっぱりこの子は」

「なんでエルフの、そんな幼い子がいるの!? 一体何があったのか教えてヘルガ!」


 空いてる手でわしゃわしゃとマットの頭を撫でているところへ、予想通りと言わんばかりのステラの反応に、ヘルガは苦笑する。ステラもステラでユウリを放り出したりせず、器用にこちらに詰め寄ってくるのだから大したものだ。


「何があったもないよ。この隊商は奴隷商のもので、商品の奴隷が運よく生き残れた。それだけさ」

「奴隷って……嘘でしょ」

「悪いけど、現実だ。ユウリの方は私が変わろうか。ステラはこっちのお嬢ちゃんが気になるだろう?」

「……ええ。そうさせて貰えるかしら」


 先手を打つようにエルフの少女をステラに任せ、ユウリを抱き寄せる。ユウリの方も大分落ち着いてきているらしく、まだ表情は青褪めてはいるものの、普通に行動する分には支障がなさそうだ。


「えっと、じゃあこれからどうすればいいの?」

「ああ、急いでここから離れる。とはいえ、ここからは徒歩がいいだろうね」

「うん、わかった」


 努めて普通に振る舞おうとするユウリに、早めの移動を提案する。そうすべき理由はあるし、被害者らの埋葬は時間がかかりすぎて、その前に他の魔物や獣がやってきてしまうだろう。自分達の安全のためにも、残念ながらここは放置する他ない。


 そう決まってしまえば彼らの行動は早く、すぐにその場を後にするのであった。


同行者が増えました。

現場だけ見ると血なまぐさいどころか、一面真っ赤なのでは?と思ってしまいますが、焼けたものもあるのでいっか、と。絵面的には大分スプラッタな感じ。絵にしたらモザイク祭間違いなし。

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