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第四十二話「混乱の後始末」


 ベルンの街は大騒ぎだった。突如、南の空に巨大な黒い何かが現れたのだ。それは劇や御伽噺などで語られる、ドラゴンそのものだったのだから、大騒ぎになるなと言う方が無茶だろう。

 誰もが仕事を忘れ、漆黒の竜の背中を見つめていた。どうかこちらを向かないように。どうか街に気付かぬまま飛び去ってくれますようにと、心の底から祈る事しか出来ない。

 聖職者たちですら、自分達の神々に祈る事を忘れ、強大な力の気配を感じさせるドラゴンに、気付いてくれるなと祈っていた程なのだから、その恐怖が如何ほどか分かると言うものだろう。


 そんな中で比較的落ち着いていたのは、冒険者ギルドだった。支部長のグインさえも表に出て、その存在をじかに確認するくらいには混乱していたが、それ以上に覚えのある気配に頭を抱え、そしてあの少年がとんでもないモノを連れていたのだと、改めて認識する。


「……あの容赦ない気配、間違いなくあの時ユウリが連れてたチビドラゴンだよな。魔法で姿を変えてるってのは本当だったか」


 呻くように、グインは小さく呟いた。視界の端に、ダグ達のパーティが口を開けたまま、空を見上げているのが見える。彼らもあの竜の本当の姿を見て、慄いているのだろう。

 元々どれほどか弱い姿に見えようと、その内側から滲み出る本質が余りにも強大で、心臓を鷲掴みにされているような感覚を覚えた程だ。だからこそ決して手出しをしてはならない存在だと、否が応でも感じ取れていた。

 それが蓋を開けたら、こちらの予想がどれほど甘かったのか。希望的観測に過ぎなかったのだと、思い知らされる。

 同時に、あのドラゴンと共に居るユウリと言う少年が何者なのか、尚更分からなくなってしまった。少なくとも、彼の機嫌は損ねていないお陰で、こちらは安全なのだと思いたい。

 あのヘルガもついているのだから、上手く手綱を取ってくれるはずだと信じる他ないのだから。

 そのような都合のいい妄想に縋らなければならない程、遠く離れているはずの漆黒の竜の姿とその気配は、強烈過ぎたのである。



 何事もなくすぐに竜が飛び去った事で、街の人々も少しずつ落ち着きを取り戻していく。それでも有り得ない巨体を持った存在を目にした事で、誰も彼もが浮足立っているのは間違いなかった。

 そんな混乱から幾日かが過ぎ、ロクセイル山の現状を調べさせた調査報告書を手に、再び領主の下へと訪れようとしていた。


「……はあ。気が重い。行きたくない。どうせユウリとあのドラゴンについて、聞かれるに決まっている。あの日すぐに、こちらに説明を求めて来なかったのは不可解だが、どうせ大した理由じゃない。ああ、報告書だけ届けて帰れねえかな……」


 そんなことをぶつぶつ言っている間に、領主の館に到着していた。深呼吸をして思考を切り替え、門番に用向きを伝える。ほどなくして、いつも通りに屋敷の中に通されて見慣れた応接室に案内された。

 すると驚いたことに、応接室には既に領主が待っていたのだ。いつもならアレコレ理由をつけて、暫く待たされると言うのにだ。あちらとしては忙しい合間を縫って会ってやっていると言うパフォーマンスであり、貴族が下々の者に軽々しく会ってはならないと言う、非常にどうでもいい見栄であった。

 例え向こうが呼びつけて来た用件であっても、必ず待たされるほど徹底していたのに、今回はどういうことか。グインはすぐさま姿勢を正し、いつも通りの定型文となった挨拶をすると、領主は挨拶もそこそこにこちらに座るよう勧めてきた。

 何か碌でもない事が起こるのではと思わず身構えそうになるが、そこは彼も一つの組織の支部とは言え、長を務める者。表面には一切出さずに領主の進めるまま、下座に腰を掛けた。


「改めてよく来た、グイン。ロクセイル山の調査結果だったな。報告書は後で読ませてもらうとして、簡単に聞かせてくれ」


 普段の尊大な態度が鳴りを潜め、どこかやつれたような雰囲気すらある。目の前に居る人物は、本当にこの街の領主であるエルンスト・バルテルス伯爵なのだろうかと、グインは思わず自分の目を疑った。

 しかし何時までも驚いている訳にもいかないため、グインは小さく咳払いをしてから口を開く。


「では、早速始めさせていただきます。此度のロクセイル山での異常は、オーク達と不死身の魔獣ことネメアンライオンの、縄張り争いに端を発していたのではないかと予想されます。根拠としてはオークの上位種が複数確認されており、待ち伏せのような野盗や山賊紛いの統率された襲撃方法を取っていた事。これはネメアンライオンと、何度も衝突を繰り返した結果ではないかと推測されるからです」

「……所詮は魔物の浅知恵だが、実に迷惑な話だな」


 冒険者ギルドからの報告に、エルンスト伯爵は深い溜息を吐く。グインも静かに頷き返し、言葉を続けた。


「オークはその大半は討伐され、ネメアンライオンも同様に討伐されたことで、現在ロクセイル山は魔物とも殆ど遭遇しない程、静かな状態だそうです。しかし未だオーク達の巣が未発見であることが気がかりであり、未だ予断を許さない状況だと考えるべきでしょう。とはいえ、ロクセイル山は我々冒険者ギルドでは手出しするのも難しい場所。本来ならば国からも立ち入りを禁じられている場所ですので、以後は……」

「いい、わかった。あとはこちらの領分だろう。ああ、領分だとも。あんなドラゴンさえ居ないのであれば、オークの相手など天国みたいなものだろうさ」


 大きく左手を振り、半ば自棄になったような口調と仕草で、伯爵は報告を遮った。その口から洩れたドラゴンと言う単語に、グインは身を硬くする。とうとう本題が来たのだと、心の中で身構えた。


「街の中からも、はっきりと見えましたからね。恐ろしく巨大なドラゴンでした。何事もなく飛び去ってくれて、本当に助かりましたよ」


 一応、誤魔化すように愛想笑いを浮かべ、グインは相手の出方を見ようとしたその時。


「あんなものが居るなんて、誰も言わなかったじゃないか!? なんで、あんな、あんなバケモノが子供と、ヒトと一緒にいるんだ! 金も権力も通じない、あんな……」


 グインの言葉に被せるように、エルンスト伯爵が叫んだ。すまし顔で相手を見下すような視線を向け、余裕たっぷりに振る舞う何時もの領主の姿は無い。どんな時でも決して取り乱さぬように教育を受けてきたはずの、貴族である彼が恥も外聞もなく吐き捨てるように叫んだのだ。

 それに驚くなと言う方が無理があるだろう。部屋の隅で控えていた執事も、沈痛な表情を浮かべている。


「グイン、貴様は知っていたのか!? あの少年があのようなバケモノを連れ歩いていた事を! あんなものが人の住む領域に居てはならん! それを、見過ごしたのか!?」

「お言葉ですが、仮に最初から知っていたとして、伯爵閣下はアレが街に入るのを止められましたか? 我々脆弱なヒトにとって、あの存在は天災と同義です。アレに触れることなく、アレが何もせずにいると言う気紛れに感謝しながら、息を殺して通り過ぎるのを待つ以外には方法など無いと、一庶民である私は考えます」


 食って掛かるエルンストに対して、グインは静かにどうしようもないと言い切った。

 そんな事を諭されずとも、頭の中では分かっているのだ。エルンストはあの日、間近であの存在を見た。その時の不安を、苛立ち紛れに発散しなければ、気が触れてしまいそうになるほどの恐怖を植え付けられた。

 頭上を埋め尽くす黒。漸く朝日が顔を出そうかと言う時に現れた、闇そのものとでも言うべき強大な姿。あの日、二度と朝は訪れないのだと錯覚さえしたほどに、あの姿は強烈で鮮烈であった。


「彼らは、特別な使命があるのだと言っていました。あのドラゴン……いえ、テュポーン殿はその為に一緒にいるのだと」

「……あのドラゴン、名前まであるというのか。それで使命とはなんだ、グイン?」

「さあ? 私も知らされてません。ですがあんな人知を超えた存在が姿を現し、今回のロクセイル山でのような事件が起こった。全くの無関係と見るべきなのか、それとも我々の知らないところで、何か想像もつかない事態が進行しているのか。神のみぞ知る、というやつですね」

「……そうだな。願わくば、我々に関係のないところでやって欲しいものだよ。例え世界に大きな変化が訪れるのだとしてもね」

「本当に、そう願いたいものですな」


 疲れ果てたように、しかし落ち着きを取り戻したエルンスト伯爵がそう呟く。それに同意するように、グインは深く頷いた。それこそ、本心からそうあって欲しいという願いを込めて。


 表面上は、ベルンの街は落ち着ている。だが今も人々の口々に上がる話題は、あのドラゴンについてだ。未だ熱に浮かされたように、人々の心に焼き付いている。だがそれも、そう長くは続かないだろう。

 偶然通り過ぎただけのドラゴンよりも、今日の食事の方が大事なのだ。未だ大騒ぎしている様々な組織の上層部を他所に、街に住まう人々は今日も逞しく生きていく。


 近い内に、王都からも何か言ってくる事だろう。国王陛下へご報告する為に登城し、あの権謀術数渦巻く蟲毒の壺の中に飛び込まねばならない。一体何処まで話すべきか、伯爵は頭を悩ませる日々が続くことにうんざりだとばかりに溜息を吐いた。


幕間はこれにて終了。

次回から本編再開です。飛び去った彼らは何処へ向かうのか……?

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