第四十一話「邪に連なるモノ」
とある山中の森の中。そこに敷かれた陣はヒトが築いたものではないと、中に居る者どもが主張している。直立した豚としか形容できないバケモノ、オーク達の仮のねぐらであった。
品の無い笑い声と雄叫びが響き、陣の奥ではそんなオーク達とはまた一線を画した鋭い表情のオーク達が集まっている。
オークとは一般に、妖魔と呼称される存在の一種であり、四種の人型の魔物の総称。オーク、ゴブリン、トロール、オーガの事を指す。
オークの姿は直立した豚や猪のような存在だ。鈍重で動きは鈍いが力はあり、身に纏う脂肪は天然の鎧として機能する程。単体から数体程度で行動する傾向にあり、一般的にはそう恐ろしい脅威とはならない。
メスは居らず、他種族のメスを攫ってきて繁殖を行うとされている。それこそ獣相手であっても良い為、オークの被害は後を絶たないのが現状だ。
慣れた冒険者にとってはカモ以外の何者でもなく、一撃の恐ろしさにさえ気をつければ退治しやすい部類の魔物だ。ただ肉は食用に向かないし、それ以外も武具や薬の素材となる訳でもないので、ゴブリン並みに迷惑なだけの魔物であった。
しかしこの陣に属するオークは違う。普通のオークは知能もゴブリン以下で殆ど何かを身に付けたりはしない。だがここのオークは武具を身に纏い、上位種によって統率され規律正しい動きをしている。
それは一種異様な光景であり、知識のある者ならこう捉えるだろう。「王級が現れた」のだと。
ぐちゅり、ぐちゅりと粘液が音を立てる。陣の最奥、最も高貴な存在が腰かける玉座が、音の発生源であった。人間の倍はある身長のそのオークは、自分の股の上で肌色の何かを、上下に動かしている。
ソレは壊れた人形のように、粗雑に扱われている人間の女。既に正気は無く、狂ったようにかすれた声で喘ぎながら、うわ言のように何かをぶつぶつと呟いている。だがその様子に誰も興味を示す事は無い。偉大なる者の手慰みに使われているだけ、光栄だろうとすら思っているのだ。
玉座の隣には、長く毒々しい姿をした槍が立てかけられている。穂先が赤熱しており、玉座の間を照らすように明るい色を放っていた。
「……それで。ネメアンライオンは捕まえられたのか?」
彼らの主たる存在は詰まらなさそうに、下々へと目を向ける。強靭で圧倒的な防御性能を誇る毛皮を持つ魔獣を、献上せよと命じたのだ。そのせいもあって、こんなところで無駄な時間を費やしていると言ってもいい。
しかしその魔獣を手に入れることが出来れば、馬代わりにしてやってもいいとさえ考えている。飼いならすにしろ殺すにしろ、自軍の大きな戦力となるのは間違いないのだ。
「我らが偉大なる妖魔王オルグーン陛下。それについては、残念なお知らせが……」
恐る恐る、といった風情で、オルグーンと呼ばれた玉座のオークに平伏するのは、こちらも立派な体格をしているオークであった。
それは俗にオークキングと呼ばれる、オークの統率者。王級と呼ばれるあらゆるヒト種にとって、不倶戴天の存在。
そのオークキングが平伏する相手である、妖魔王オルグーンはあからさまに顔を顰めると、誰もが震えあがった。しかし恐怖を押し殺すように、オークキングは言葉を続ける。
「彼の不死身の魔獣はなんとか手懐ける事が出来たのですが、いざ陛下の御所へと移動させようとしていたところ、冒険者と思しき人間どもの横槍によって、こちらの奮戦虚しく打ち倒されてしまいました。しかし奴らはその身を半分しか持ち帰らなかった為、残されていた魔獣の半身は手に入れることが出来たとの事です」
「……アレが倒された、だと? 人間如きが、どうやってだ? あれはその辺の魔剣では、傷一つ負わせる事が出来ない化け物ではなかったのか!?」
「そ、それが、とてつもない光を放つ魔剣を持った剣士が居たらしく。その光だけで、あの不死身の魔獣を両断してしまったとの事です」
激昂するオルグーンに、オークキングは平伏したまま動くことが出来ない。その怒気はすさまじく、周囲にいる側仕えの他のオークキングらをも竦み上がらせ、同様に跪くしかなくなるのだ。凡そ王級と呼ばれる、支配層にあるまじき姿。しかしそれが当然であるかのように、彼らは振る舞う。それが摂理だからと。
「光? 光だと? ……聖剣の担い手が現れたとでも言うつもりか!?」
「そ、それについては何とも。冒険者とみられる人間どもは、翌日にはすぐに撤退。こちらも多くの同胞を失ったため、後を追う事も不可能でした」
「チッ、役立たずめ!」
苛立った主は、不意に自分を慰めるのに使っていた玩具を乱暴に掴み上げ、頭から骨ごと噛み砕いた。今の今まで喘ぎ狂っていたソレは、悲鳴を上げる間もなく息絶える。オルグーンはどうでもいいことのように、バリバリとその玩具を食い散らかしながら、あっという間にその腹に納めてしまった。
満足したかのように一息ついたと思った途端、オルグーンの右腕が、立てかけてあった槍に伸びる。
その次の瞬間、オルグーンの前に平伏していたオークキングに、一本の槍が突き立っていた。断末魔の声と共に刺された傷口から肉が溶け、火に包まれていく。
その槍の正体は体を溶かすほどの猛烈な毒と、強烈な熱を帯びた妖魔王の持つ邪槍。聖剣と対を為す存在であると、オーク達は、否。妖魔たちは知っている。
「まあ良い。人間など、どうとでもあしらえるか……邪槍アラドヴァルよ。少しは満足したか?」
最早オークとしてどころか、肉塊としてすらまともなカタチを残していないオークキングを一瞥する事もなく、オルグーンは退屈そうに呟いた。
「ネメアンライオンを半分は回収したのだったな。ならばそれで、この妖魔王オルグーンが纏うに相応しい衣を作れ。あとはそうだな……」
そう言ってオルグーンはゆっくりと立ち上がった。その身が巨大過ぎる為に殆ど衣のようなものを纏っておらず、全裸にも等しい姿だ。でっぷりとした脂肪を蓄えた腹が、僅かに揺れる。だがその下には強靭な筋肉がある事を主張しており、その迫力に全ての配下はただ傅くしかない。
「西のオーガの動向は逐一報告しろ。あちらも邪剣を携えた妖魔王が居る。いずれ雌雄を決することにもなろうからな。まあ、我が邪槍アラドヴァルに敵う物などあろうはずも無いが、念の為だ」
邪槍を掲げ、オルグーンは嗤う。確かに感じる微かな共鳴は、同じ邪剣が複数、この世界に存在する事を示している。ならばそれらを全て集めるのは宿命。邪剣の繰り手として、この世全てを平らげるに相応しき覇王にこそ、強大な力を持つ邪剣は相応しい。
己の力と手にした邪槍の力に絶対の自信を持つが故、オルグーンは哄笑する。そう遠くない内に、役者は揃うだろう。
この大陸の覇権を賭けた、絶対者を決める為の戦いが幕を開けるのだ。そこにヒトが付け入る隙など無い。脆弱で愚かで身内ですら相争い、貶め合う連中がいくら集まったところで、絶対者を頂いた軍勢に敵う道理などあろうか。
例え聖剣の担い手が現れようと、足を引っ張り合って機会を無駄にするだけだと、オルグーンは己の勝利を確信していた。




