第二十六話「変わらぬ日常 動き出すモノ」
あれからすぐに、ユウリ達は冒険者業を再開していた。
マットの訓練はすぐに、それなりの形にはなったと判断されたのだ。意外な事に剣術はともかく、初歩の初歩とは言え、マットは気功スキルを発動出来ており、ステラとヘルガの二人を驚かせている。
スキルとは超常の力。一流や超一流に手が届いた戦士だけが到達しうる可能性がある、不可思議な現象。ヒトの肉体の限界を超え、不可能を可能にするような、魔法に並ぶ奇跡の力。魔物に対抗するため、ヒトの生存圏を護る為に必要なモノ。
それを僅かな期間で、初歩の初歩と言えども身に付けてしまったと言う事に、驚愕しない者はいない。何故ならスキルの習得方法は千年以上も昔に失伝したとされ、最近はるか南の帝国で習得法が復活したという、眉唾物の噂が流れてくるようになったばかりなのだ。
今まで多くの者が挑戦し、しかし完全な習得法の確立にまでは至らなかった。簡単に信じられる訳がない。
ヘルガは、ユウリが南の方からやって来たと言う確信を強め、そしてこの事を隠し通さなければと決意する。こんな風にユウリのような子供が、スキルの使い方を教えられると誰かに知られれば、あらゆるモノが敵となり、奪い取ろうとするだろう。
そんなことになれば、大惨事間違いなし。あの黒竜が黙っているはずがない。そんな恐ろしい未来を実現させぬよう、ヘルガは即座に箝口令を敷いたのだった。
マットが使えるようになった気功は、今はまだ非常に効果は小さいものの、マット自身の脆さと非力さを多少はカバーできるようになった。今後鍛えて行けば十分な戦力として期待できると、ヘルガが太鼓判を押した事で訓練を終え、冒険者稼業に精を出しているのである。
そんな訳で旅立つ資金を稼ぐ為、ユウリ達は依頼を受けて頑張っているのだが、流石駆け出しのノービスプレートと言うだけあって、実入りがよろしくない。
あの訓練からすでに二十日ほどが過ぎているが、結果として未だにベルンの街から旅立てずにいたのだ。
ユウリの持っている金は、この旅では極力使わない事に決まっている。それと言うのも、彼が持っている金額はとんでもない物であり、殆どが金貨だ。金貨は悪目立ちする上、一般には最も高額でも使われるのは銀貨であり、普通の生活では銅貨以下の通貨ばかりなのである。
またいくら初依頼で魔物を狩ってきたとはいえ、それで一足飛びにランクが上がるほど、冒険者は楽ではない。なので地道に依頼をこなす事にしているのだが、そこはユウリが居る以上、戦闘が発生しそうな依頼を選んでいたのはお約束と言うものだろう。
しかし毎回毎回魔物が出るはずもなく、今回も大した問題に遭遇しないまま、無難に仕事が終わるのであった。二日ほどかかった仕事とはいえ、平穏無事に済んだことでユウリ的には随分と肩透かしだったのだが、保護者であるヘルガとステラは、寧ろ何もなかった事に胸を撫で下ろしている。
ユウリが目立つ事を避けるためとはいえ、駆け出しの冒険者パーティにあるまじき心労である事に、保護者二名は苦笑を禁じ得ない。
漸く街に戻ってきた時、その門の前が何やら騒がしい事に気付いた一行は、何事かと興味を持ちつつも、しかし厄介事に巻き込まれぬよう、遠巻きに見る事に決定した。ユウリが変な事に首を突っ込まぬよう、ヘルガとステラの気持ちが即座に一つとなった瞬間である。
「一体、何してるんだろうね?」
そんな事とは露知らず、いつも通り暢気で幼げな雰囲気の少年は、肩車しているマットと一緒にどうにか騒ぎの内容が分からないか、首を伸ばしていた。
「それが分かれば苦労しないさ。それに私らには関係が無いんだから、あんまりジロジロ見るもんじゃないよ」
「ヘルガの言う通りよ。わたしたちは今後の為にも、余り目立たないようにしなきゃ」
息を合わせたように牽制してくる二人の勢いに気圧され、ユウリは何度も頷く。その動きにマットが頭の上できゃあきゃあとはしゃいでいて、周囲からは子供が騒いでいるだけだと、興味を持たれる事は無かった。
冒険者ギルドに戻って成果を報告し、報酬を貰う。最初の時とは違いあっという間に手続きが終わって、ユウリが少し拍子抜けをしていると、ギルド職員が居る方の奥が少々騒がしくなっていた。
しかし自分達はただの冒険者。あちらにはあちらの仕事や忙しさがあるのだからと、幾ら興味を持とうと二人の保護者に背中を押され、彼らはそのまま立ち去ってく。
「この後はどうしようか?」
まだ陽は高く、そろそろおやつの時間だろうかと、ユウリは己の腹具合を考えながら口を開く。その隣をマットが歩き、二人の前を保護者であるヘルガとステラが先導していた。
「ああ、しまったね。アンタ達はノービスなんだから、このまま次の依頼を受けるだけ受けておいても良かったんだった」
「そうは言っても、たった今仕事から戻って報告したばかりだし、これからギルドに戻るのも気分的には……って感じじゃない?」
「まあ、それもそうだね。今回はノービスにしちゃあ、珍しく時間がかかる仕事だったし」
その分、実入りは悪くなかったのだけど。ヘルガがそう付け加えて、ステラはふと違和感を覚える。振り向くと、後ろを歩いていた筈のユウリとマットが居ない。
ヘルガもそれに気付いて、二人が慌てて周囲を見渡せば、彼らの姿はすぐに見つかった。
そこは美味しそうな匂いをさせている、串焼き肉の屋台。肉が焼ける音も耳に心地よく、食欲を刺激する。相も変わらず、ユウリは買い食いをしようとしており、油断も隙も無い。
「あの子ら……目を離すとすぐにこれだよ」
「ユウリがすぐにお腹を空かすの、どうにかできないかしら?」
「……あのくらいの子は丁度食べ盛りだし、あれだけの能力を持った肉体を維持しようって思ったら、相応の量が必要なんだろうってのは私でも解るけどさ。それにしてもよく食べるよ、ホント」
「ワイバーンのお肉が沢山あって、良かったと思うべきかしらね?」
「貴族ですら滅多に食べられない高級珍味を、毎日のように食べてるってのは、今考えても気が遠くなるけどね」
周囲に聞かれぬよう、保護者二名が声を落としながら言い合う。流石に十メートル級の生物の肉である為、たった四人しかいない彼らのパーティで食べ尽くすには、まだまだ時間を要するだろう。ユウリの食欲が底なしに見えても、ちゃんと限界は存在しているのだ。
例え食べ尽くしたとしても、ユウリが昔狩ったまま手付かずだった、肉類や魚類も色々あるのだが、ユウリ自身も自分の魔法の多機能鞄に突っ込んだまま、すっかり忘れてしまっている。今後彼らの食卓で供されるのは、もう暫く後の事になるだろう。
何時ものようにユウリが自腹で買い食いをし、マットはそのおこぼれに与っているのだが、最早慣れたものである。いつも通り、食欲の赴くままに行動する二人を保護者が捕まえて、一行はすっかり顔馴染みになった銀の羽飾り亭へと帰るのであった。
猛々しい咆哮が響く。それは一頭の獅子。その獅子を前に構える男達は皆、顔を真っ青にして目の前の脅威に震えていた。
その獅子は、獣としての獅子よりも二回り以上巨大な体躯を誇り、「ありとあらゆる攻撃が通じない」ほどの強靭な肉体を持つ、金色に煌めく不死身の魔獣。
そんな獅子に対して、普通の剣や槍が通じるはずもなく、半ば遭遇戦にも近い状態で戦いを強いられ、為す術など無かった。
彼らは元々、近頃ロクセイル山の魔物が活発化して、麓の村々にも被害が出ている事を知った冒険者ギルドから、指名の依頼を受けて原因の調査のため入山したところに、この獅子と遭遇したのだ。
どうにか撤退しようと試みるものの、相手の動きは巨体に見合わぬほどに素早く、散り散りに逃げたところで各個撃破され、全滅する未来しか見えなかった。
それでも、誰か一人でもこの情報を持ち帰らなければならないと、彼らは覚悟を決める。この危険な魔獣が万が一、人里に降りるようなことを許せば、どれほどの被害が出るか分からない。
じりじりと後退し、撤退する隙を伺う。相手もこちらに対して余り興味がなさそうに振る舞っており、上手くやり過ごせるかもしれないと微かな希望を感じ取った、そんな時だった。
彼らの行く手を阻むようにどこからともなく複数の、オークと呼ばれる直立した豚のようなバケモノが、背後から襲い掛かって来たのだ。
相手の数は男達とほぼ同数。戸惑いと混乱。しかし敵が待ってくれるはずもなく、すぐに怒号と剣戟が鳴り響き、彼らには死力を尽くすほかに道はなかった。
誰かが叫んだ。「何で上位種が!?」と。答えられる者など、居るはずがなかった。ただ目の前の化け物と戦うほかに、思考を割く余裕などなかったのだから。
脂肪で出来た天然の鎧の上に、更に鉄と魔物の革で出来た鎧に守られたオークは、魔法などの特別な力を持たないただの冒険者には、余りにも荷が重すぎた。もしこれが碌に武装もしていないのであれば、例え上位種であろうとも何とか戦えた事だろう。
だがそれは意味のない「たられば」でしかなく、現実には彼らでは太刀打ちできぬ相手として、暴威を振るうだけの存在だった。
重い鎧に身を包み、盾を持った一人がオークに向かって切りかかる。だがそれを鎧を着たオークはただ盾を突き出し、殴り飛ばした。
やや低い、しかし大きくはっきりと聞こえる衝撃音と同時に、切りかかった男は無様に吹き飛ばされる。顔面に直撃したのであろう。衝撃で欠けた歯と鼻血も一緒に宙を舞い、そのまま地面に叩き付けられた。そして倒れたまま、ピクリとも動かない。息があったとしても、間違いなく気を失っている。
助け起こそうにも、他のオークがそれをさせてくれそうにない。あのままでは例えオークがトドメを刺さなくとも、あの巨大な獅子によって食い殺されかねないのだが、自分達も目の前の相手の事で精一杯なのだ。
誰もが顔を歪ませ、歯を食いしばり、襲い来る敵対者を打ち倒さんと、全力以上の力を振り絞った。しかし戦いとは数こそ力であり、既に一人が戦闘不能になっている冒険者達は、最初の劣勢を覆す事など出来はしない。
いつの間にか、獅子は小高い岩の上に移動していた。つまらぬ戦いだと言わんばかりに、見世物を見物する王侯貴族のように、岩に寝そべり、静かに観察している。
誰もそれに気付くどころか、一人また一人と地に倒れ伏していく。そろそろ彼らの命懸けの足掻きも、終わる頃合いだろう。
仕留めた獲物を引き摺って去っていくオーク達にも興味を示すことなく、獅子は大きくあくびをした。
保護者によってフラグは折られていくが……?




