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第十三話「因縁をつけられました」


「ちょいと待ちな、坊や達。お貴族様の道楽で冒険者ゴッコをされて、変な騒ぎでも起こされたら迷惑だ」


 そう言って依頼を受けようとするユウリ達の前に立ち塞がったのは、一人の女性。

 直立した虎という表現がしっくりくる、しなやかで、しかし女性らしい身体のラインが特徴的な冒険者だった。スラリと伸びた細く長い指には、しかし虎の鋭く頑丈な爪が見えている。身長はユウリと比べても頭一つ分以上は大きく、女性としても長身だと言えるだろう。

 その装備は動きやすさを重視した鎧で、要所のみを金属で守っている。だと言うのに背中には両手持ち用の重たいモールが背負われ、しかしそれを持ち歩くことを少しも苦にしていないところを見ると、よほどの力自慢だと見ていいようだ。


「……おいヘルガ。幾らお前が亜人では特に珍しいシルバープレートでも、お前にそんな権限はねえからな」

「ハッ、ラッセも随分心配性になったじゃないか。わかってるさ、私は優しいからね。こんな何も出来なさそうな坊ちゃん達が、悪い奴らに唆されて野垂れ死ぬくらいなら、ここで現実ってもんを教えてママのところに帰ってもらう方が、世の為人の為ってもんだろう?」

「……好きにしろ。暴れるなら裏の訓練所でやれよ。銅貨五枚だ」


 ラッセと呼ばれた受付の男性とヘルガと呼ばれた、直立した虎のような女性が勝手に話を進めているが、周りの冒険者は火の粉が降りかからぬよう、遠巻きに見ているだけのようだ。

 ユウリの見立てでも彼女──ヘルガはこの中では圧倒的に強い。他が弱すぎるとも言えるのだが、少なくとも彼女の所作は歴戦の戦士であることが伺える。


「ちょっとユウリ。なんかあいつら勝手な事言ってるけど、無視しましょう。喧嘩を買うなんて馬鹿な真似はしちゃ駄目よ?」


 エルフであるステラが、ユウリとマットの二人を庇う様に立ちはだかる。ヘルガに向けられる視線は敵対者へのそれであった。


「えっと……これ、どうすればいいの?」

「ハハッ、エルフのお嬢ちゃんへの躾はちゃんと出来ているってことかい? 折角手に入れた玩具を見せびらかしたいんだろうけどね、場所と相手はよく考えな!」

「うん。わけわかんない」


 何が何やら状況が掴めていないユウリを他所に、ヘルガが吼える。その眼は、静かな怒りで満ちているようにも見えた。その様子を敏感に察知したマットが、ユウリの足にしがみついて震えている。


「躾? 馬鹿言わないで。どっちかといえばこのわたしが、あの子達の保護者よ。森や平原に住まう一族の一員でありながら、森の民たるエルフへの侮辱。黙っている訳にはいかないわ」

「……はんっ。私はそんな一族になった覚えはないね。エルフだからってお高く留まっているようだけど、所詮は人間の飼い犬に違いないだろうに。お前こそヒトとしての誇りを忘れたか!」


 既に一触即発の空気で、ステラの周りにはユラユラと、薄っすら魔力の揺らぎが見えている。恐らく既に何らかの精霊が彼女の周りに集まっているのだろう。このままでは喧嘩どころか戦闘に発展しかねない。


「ちょっとちょっと、ステラさん! 喧嘩は駄目って言ったのはステラさんでしょ!?」

「って、貴方が前に出たら……ちょっと! マットをわたしに押し付けて何する気なの!?」


 思わずユウリが二人の間に入る。そのついでにマットを抱き上げてステラへと押し付け、そうする事で彼女が動くのを制限するという小狡い真似をしていた。


「えっと、僕の何が気に入らないのか分かんないけど、どうしろって言うんですか?」

「……やっと前に出て来たね、人間の坊や。私はヘルガ。こう見えてシルバープレートの冒険者さ」


 問いかけるユウリに、ヘルガは自分の階級を示す銀の板を見せる。一般には最高位の冒険者。そんなのが自分達に何の用なのか、ファンタジー小説や漫画などによる予備知識のない少年には、不思議でならなかった。


「僕はユウリ。久我山勇利です」

「ふうん……じゃあユウリ。私と一つ、手合わせしないかい? アンタらはまだ冒険者ってものがどんなものか、全く分かってないだろう? それを教えてあげようっていう、先達としてのちょっとしたお節介だよ」

「わかった。でも戦うのは僕だけで、二人には手を出さないと約束して。それなら手合わせしてもいい」

「へぇ。随分と男前な事を言うじゃないか。いいさ、でも私を失望させないでおくれよ?」


 双方が合意に至ると、ヘルガは受付へと向かい金を払う。訓練所とやらを利用する代金だ。


「ちょっとユウリ。何を考えているのよ!」

「あんちゃん、凄く強いから大丈夫だよね……?」

「うん、多分大丈夫だよ。あの人強いと思うけど、多分悪い人じゃないと思うし」

「そんなの、何の根拠にもなってないわ!」

「でも、もうやるって言っちゃったもん」


 ヘルガの後ろでユウリ達がそんな風に言葉を交わす。ステラとしても、何故亜人であるヘルガがこちらに突っかかって来たのか見当もつかない。だからこそ酷く警戒しているし、ヘルガは気配からして只者ではない。

 マットも怯えてるし、出来るなら魔法で動きを封じてさっさと逃げてしまえればよかったのにと、ステラは考えていたのだ。

 そんなステラに申し訳なさそうに、ユウリが「ごめんなさい」と頭を下げる。


「もういいわよ。ちょっとくらい怪我してもわたしが治してあげるから、勝てないと思ったらさっさと降参しなさ……いや、貴方の強さを考えたら、相手を怪我させたり殺さないように手加減なさい。いいわね?」

「え、あ……うん」


 なんだかんだで、朝の出発時に見せたユウリの出鱈目な実力を思い出し、やり過ぎないようにとステラは釘を刺す事で納得するのだった。


「……あんまり酷い怪我させんじゃねえぞ?」

「痛めつけたいわけじゃないんだ、勿論さ。それにあれだけ青臭い、立派な事を言える程度には、正義感ってもんはあるんだろう。現実ってものを知れば、大人しく親元に帰るさ」


 二人は小さく言葉を交わし、手続きを済ませる。そしてヘルガはユウリ達を伴って、ギルドの建物の裏にあるという広場へと向かった。

 そこはなかなかの広さになっていて、手入れも行き届いているように見える。端の方には武器が立てかけられているが、どうやら刃を潰して、訓練用にしているらしい。


「ここは冒険者が金を払って訓練をしたり、新しく入ったパーティメンバーとの連携を確かめるために使われる訓練所さ。私の武器は見ての通りこのモールだけど……ここには訓練用の丁度いいのがないからね。まあそこの両手剣で我慢するさ」

「じゃあ、僕もここの両手剣を使うよ」

「言っとくけど、いくら刃が潰されてるからって、当たれば良くて打ち身か骨折、打ちどころが悪けりゃ最悪死ぬこともあるんだ。素直な坊やに免じて手加減はしてあげるけど、どうなっても恨むんじゃないよ?」

「……ん。わかった。早くやろう」


 互いに広場の中央で少し距離を取って構えた。彼我の距離は凡そ七メートルほどかと、ユウリは大まかに目測する。遠くも無く近くも無く、互いに切り込めば一瞬で詰められる距離。


「へえ、意外と様になってるじゃないか坊や。それじゃあ、先手はそちらに譲るから、打ち込んでおいで」

「うん。それじゃあ……いくよ!」


 正眼に構えた剣を振り上げ、ユウリは「自分なりに」ゆっくりと相手に向かい、剣を振り下ろす。


「!?」


 余りに自然で、しかし相手を切ろうと言う覇気の無さに、ヘルガは一瞬反応が遅れる。相手の剣の速さは彼女ならば十分に反応できる速度ではあれど、予想していない動きに仕方なく、相手の剣を自身の剣の腹で受け流した。


「くっ!」


 重い。有り得ない程に、相手が振り下ろした剣が重いのだ。あんな小さな少年が振るう剣の一撃ではない。

 仮に貴族の嗜みとして基礎が出来ているのだとしても、所詮は箱入り。必要以上に危険な訓練はしてこなかったはずだろうと、ヘルガは考えていたのだ。

 だからこそ心配した親がつけたのであろう、魔法が使えるエルフと、斥候役として優秀なリリルトという亜人の奴隷を、パーティメンバーとして連れているのだろうと思っていた。そしてそれは、間違いだったのではという疑問へと変わっていく。

 かろうじて受け流し、ヘルガは素早く距離を取るが、ユウリは追撃などすることなく、少し後ろに下がった。


「……驚いた。やる気のない一撃だと思ったら、とんでもない。これ程の技、一体どんな稽古をしてきたんだい、坊や?」

「んーと、一応教えてくれた人たちはいっぱいいる、かな? そんなのいいから、お姉さんも攻撃して来てよ。僕がどれくらい本気を出していいか、わかんないじゃん」


 ヘルガの言葉に不満そうに返すユウリは、両手剣を片手でブンブンと振り回している。剣に身体が振り回されず、一切重心が乱れることなく、ごく自然にだ。それが出来る者が一体どれだけいると言うのか。


「……はっ。こりゃとんだ大物を引き当てちまったかね? ちょっとばかり本気で行くよ、坊や!」


 裂帛の気合と共にヘルガが走る。一瞬で距離を詰め、ユウリに袈裟斬りで切りつけると、少年は受けることなく軽々と身を躱した。それも、軽く体を捻っただけである。


「ちぃっ!」


 素早く切り返すが、ユウリが今度は距離を取ったので当たる事はなかった。だがそれで終わりにするヘルガではない。すぐに追撃を放ち、ユウリはそれを剣で真っ向から受ける。

 そのまま打ち合う姿は、一見して互角の様にも見えた。しかしヘルガは本来の武器種、戦い方ではないと言うのに、素晴らしい剣の腕前だと言えるだろう。

 それに対してユウリも驚くほど冷静に、しかし呼吸も動きも一切乱れることなく、ヘルガの剣と打ち合っているのだ。誰がこのような小柄な少年に、そんな事が出来ると思えただろうか。

 この剣戟を見て息を飲むのはステラとマットだけでなく、いつの間にか出来ていたギャラリーの誰もが、彼らの戦いに魅了されていた。

 いくら優れた身体能力を持ったとしても、使う本人がついていけなければ意味が無い。それを当たり前のように使いこなし、適度に加減しながら戦えているのは、偏にゲーム内でのキャラクター「ユウリ」として動き回ってきた経験によるものだ。

 遊びでとは言え、時間をかけて磨き上げてきた技術は、それを生かせる肉体を加える事で十全に発揮される。だからこそ熟練の冒険者を相手に剣戟を重ねたとしても、それについていけるのだ。


「……ハハッ。いいねいいねぇ。いや、びっくりしたよ坊や。私と互角に打ち合える男なんて、そうは居ないと思ってたのに……こいつはいい意味で裏切られたってもんだ」

「うん、お姉さんは強いよ。僕も凄く戦いにくいもん。ちょっとパワー不足なのと、スキルなしで戦ってるから物足りないけど、単純な技術は僕なんかより全然上だね」

「へえ、面白い事を言ってくれるじゃないか。でも坊や……いや、ユウリ。スキルなんてもんは、そう簡単に使える代物じゃないよ。まあ何でもずっと南の帝国じゃあ、スキルの習得法が確立したって噂もあるけど、所詮は眉唾ものさ」

「よくわかんないけど、まだやるんだよね?」

「はっ、お喋りは無粋だったかい? そりゃすまなかったね」


 そう言ってヘルガが距離を取ってゆっくりと息を吐くと、次の瞬間には雰囲気がガラリと変わる。それは見る者が見れば、身体の周りに立ち上る白い湯気のようなものが見えたことだろう。

 それを見たユウリが、少しだけ笑った。


「お姉さんも、気功スキルを使えるんだね。じゃあ僕も遠慮なく」



 その気配は、全ての音を消した。絶対的な強者のイメージが、抗う事を許さぬ死が、そこに具現化したかのように。呼吸する音さえも許さぬように、その者は現れた。

 最初から居たのに、誰も気付かなかった。最初から見ていたのに、視えてなどいなかった。小柄で幼げな少年の容姿に、意味など無い。そこに居るのは、決して手を触れてはいけない、破壊そのもの。


「お姉さんも気功を使えるんだし、このくらいは平気だよね?」

「なっ……」


 言葉と共にユウリが片手で、無造作に剣を振るう。互いに距離があり、刃が届くはずがない。だが剣を振るっただけで、風が荒れ狂い、衝撃となってヘルガを襲った。


「くっ!」


 オーラを全身に巡らせ、剣の腹でその衝撃を受け止める。しかしそれでも受けきれずに、地面に長い二本の線が彼女の足で刻まれた。壁際まで押され、漸く止まる事が出来たが、それで限界だった。

 ただ剣を振っただけの衝撃で、全力で防御せざるを得なかったのだ。手にした剣はオーラで強化していたというのに、細かい罅が幾つも走り、剣として使う事はもう出来まい。


「……ははっ、まいったね。可愛い子犬だと思っていたら、ドラゴンが出てきやがった」


 勝てるビジョンが見えてこない。それほどまでに、彼我の差は圧倒的だった。おまけにあの衝撃を受け止めるだけで、全力を出さざるを得なかったのだ。

 そう。彼女は全力で防いだというのに、少年は悠々と自然体で立っている。ヘルガの眼には黄金のオーラが彼から立ち上っているのが、ハッキリと見て取れたからこそ、彼との力の差を正確に把握出来ていた。

 あの一撃を受けなくても解る。今の一撃は、彼にとってはごく自然な事。全力どころか、何一つ力を使ったと言う意識さえない、自然現象に等しいものだったのだと。


「あれ、久しぶりだから、オーラの加減を間違えちゃったかな?」


 ヘルガの様子に気付いたユウリは、軽い調子で零す。すると彼が今まで纏っていた、圧倒的強者の気配が霧散した。


「ねえ、お姉さん大丈夫?」

「……ああ、怪我はないよ。でもここまでだね。今の坊やの一撃で、見ての通りこの剣はもう使い物にならない。細かい罅があちこちに入ってて、戦闘を続ける事は不可能だ。つまりこの勝負、私の負けだよ」


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