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愛しき者たち 1

 人狼の戦士の軍団は、城の者に見送られて夜明けと共に出陣していった。


 戦士たちは既に人狼の姿を取っていて、街中を抜け次第走り始めるらしい。何とも無茶な行軍に思えるが、現地で使い物になる範囲で早く動くのが鉄則なのだそうだ。


 屈強な背中の数々を見送りながら、エルネスタはただ一人だけを見つめていた。黒い衣装に金の毛並みが映えた、その逞しい後ろ姿だけを。




 それは高い塔であった。裏庭を隔てたところに一つだけ佇むそれは、高貴な罪人を捕らえる監獄だ。

 驚きの表情を浮かべる衛兵たちに案内されて奥へと進む。突き当たりには特等室があって、頑強な鉄格子の向こうに初めて目にする男がいた。


「よお王妃様、あんたが来るって言うから驚いたぜ。イヴァンに止められなかったのか?」


 テオドルは今は人間の姿になって、独房に設えられた寝台に腰掛けていた。この環境にあって真紅の瞳は活力を失ってはおらず、力強い笑みも健在だ。

 エルネスタは衛兵たちに戻るように伝えると、改めて鉄格子の向こうの罪人へと向き直った。


「ええ。絶対に駄目って言われたわ」


「そりゃそうだわな。理由はいくつかあるんだろうし」


「どういう意味?」


 疑問のままの問いかけに、テオドルは眉をしかめて真紅の瞳を伏せた。


「手首に怪我をしたって聞いた。……悪かったな。女に怪我をさせるなんて、俺は最低のクズだ」


 エルネスタはすっかり驚いてしまった。

 まさか自分でも忘れていた怪我の存在を引っ張り出して、わざわざ謝ってくるとは思いもしなかった。やっぱり彼は性質としては善良で、ただ道を違えてしまっただけのイヴァンの友なのだ。


「そんなこと気にしないで! 本当にちょっと痕になってたくらいだし、とっくに治って消えてしまったから!」


「あんたはお人好しに過ぎるぞ。イヴァンが言うことにゃ、あんたを攫って怪我させた事については本人が許しても俺は許さないってよ」


「……そんなことを、言っていたの?」


「ああ。そりゃあ当然、面会なんて反対するに決まってるよ」


 苦笑まじりの言葉に、エルネスタは息を詰めた。

 イヴァンがそんなに怒ってくれていたとは知らなかった。改めて彼の優しさと責任感を思い知り、胸が温かくなるような心地がする。


「けど、そうか。つまりもうここにあいつはいないんだな」


 あいつというのが彼の唯一無二の親友を指していることはすぐにわかった。エルネスタは何とか気を取り直すと、鉄格子越しにはっきりと頷いて見せた。


「ここにいてもある程度の情勢は伝わるのね。そうよ、さっきご出陣なさったわ」


 テオドルからの返事はなかった。直接の仇であろうリュートラビアとの戦に参加できなかったことで、彼はどんな感慨を得たのだろうか。


「……悔しいなあ」


 テオドルはひっそりとした笑みを浮かべた。死んだ恋人に報いる道を選んだものの、そこには計り知れないほどの葛藤があったはずだ。忠義と愛情と、どちらも取ることができたらどんなに良かったのだろう。


「聞いてくれよ。家族全員に、一発ずつぶん殴られてさ」


「まあ! それは大変だったわね」


「ヨハンも、昔の仲間にもだぜ。……そんでさ、揃いも揃って次には笑ってんだよ。生きてて良かったって」


 エルネスタはその光景を想像して柔らかい笑みを浮かべた。彼の親しい者からしてみれば、こんな無茶をしたことに怒りは抱いても、生きていてくれたことが何よりの僥倖に違いない。


「それで、貴方はどう思ったの?」


 あえて厳しい問いを投げかけると、テオドルは参ったとばかりに肩を竦めて見せた。


「あんた相手じゃ、誤魔化しは効かないな。そうだな、嬉しかった……けどそれと同じくらい、苦しかった。俺はどうしたら良かったんだろうな」


 自らの人生を捨ててでも、テオドルには選びたいものがあった。人と交わらない国を望んだことが、彼にとって過去になったのかはわからない。


 けれど、今こうして揺らいでいる。かつての選択を思い返して、正しかったのかどうか考えている。エルネスタにはそれだけで十分だ。


「私は、貴方のしたことは必要だったのだと思う。貴方がやらなければ誰かがやっていたわ。目的を同じくした仲間と時を共にすることで、その分だけ生き長らえた者もいたことでしょう」


 カウツキーは未だに一言も喋らないらしい。彼らの人間への憎悪はそう簡単に消え去るほど生易しいものではないけれど、それが生きる意味となり得た者もいたのだ。


「テオドルさん、貴方に考える機会を貰ったこと、感謝しています。だから、一つお返しをしにきたの」


「……あんた、本当に酔狂だな」


「そうでもないわ。私ができるのは、精々が差し入れをしてあげることくらいだから」


 エルネスタは持っていた籠を掲げて見せた。この中にはできたてのハチャプリや茹で肉、さらには香味野菜とチーズ、そして酒が収められている。質量のある籠に、テオドルは溜息を吐きつつも嬉しそうだ。


「何だ、物で釣る気か? お姫さまの割に、案外粋なことをするじゃねえか」


「ふふ、そうね。お腹が空いてるんじゃないかと思ったの。テオドルさん、よく食べそうだったから」


 エルネスタは小さな窓を鍵で開けて、鉄格子の向こうに籠を押し込んだ。テオドルはさっそく中身を改めている。


「おっ、ハシュラマだ! ツケマリソース付きとは気が利くねえ、あんた」


 言いつつ、テオドルは既に食べ始めていた。なんの躊躇もない食べっぷりに、エルネスタは少々驚いてしまった。


「……毒が入ってるんじゃないか、とは思わないの?」


「ん? 何だ、こりゃ毒入りの飯だったのか」


「いいえ、入ってないけど……随分と人間である私を簡単に信用したものだなと思って」


 テオドルは咀嚼しながら、一旦考えるような表情をした。

 しかし彼はすぐにカラッとした笑みを浮かべると、ハチャプリを手にとって豪快に齧って見せる。


「勘だな! あと、腹が減っててさ!」


「そ、そう……」


「それで? あんた一体何の話があってここに来たんだ」


 不思議なひとだ。子供のように素直な笑みを浮かべながら、他者の心理を読み取るのに長けているように見える。


「テオドルさん。あなた、ここを出たらどうするの?」


「出れること前提かい? あんたからしたら、俺が牢から出てきたら嫌だろ」


「ううん、全然」


 エルネスタはあっさりと答えた。その二つ返事ぶりに面食らったのか、テオドルは肉を噛みながらしばし押し黙る。


「……えーと、理由は」


「陛下があなたに力を貸して欲しいと言ったから」


 エルネスタは小さく微笑んだ。そう、イヴァンはこの友人の力が必要だと言ったのだから、それ以外に理由は必要ない。

 せめて頼れる者が一人でも多く側に居てくれたらいい。テオドルの復帰が皆に認められての状況であるならば、それはエルネスタにとっても嬉しいことだ。


「こうして会いに来れば、王妃が罪人を許したのだという認識が広まるはず。そうなれば裁判だってやりやすくなるでしょう?」


 これは恩返しと罪滅ぼし。これからも過酷な道を歩むであろう国王陛下への、心ばかりの贈り物だ。


「全ての時間をよこせとは言わないから、ここから出たら陛下の力になってあげて」


 切実な響きを伴った願いに、テオドルはしばし口を開けたまま静止した。

 やがて瞬きをして苦笑をこぼした彼は、既にその瞳から迷いを消し去っていた。


「まったく、あんたもなかなか策士だ。一飯の恩はでかいからな」


「テオドルさん」


「俺は仲間の面倒を見てやらなきゃならん。それが終わったら、考えてみるよ」


 濁した言葉の割に、テオドルの笑顔はどこか清々としていた。

 反対にエルネスタの心は罪悪感を増していく。偽物の王妃にできるのはここまで。彼が周囲に受け入れられるのか、そして彼自身がそれを望むことになるのかは、様々な要因が絡み合って決まることだ。


「ありがとう。どうか、よろしくね」


 エルネスタは微笑みを浮かべた。これで出来ることはほとんど終わってしまったのだという実感が、胸の中に淀んでいた。


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