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科学コラム  作者: もりを
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死んだらどうなるか?問題・完結

さて、これで最後です。

「ひとは死んだらどうなるか?問題」なのでしたよね、すっかり忘れてましたが。

そこは、実はもうすっかり説明しきってると思うのですよ、ぼくとしましては。

つまり、こういうことです。

遺伝子の命ずるところに従う生命機械は、神経系を発達させて中枢部(脳)をつくり、感覚器が拾ってくる情報を統合して世界像を構築するのでした。

そしてその世界像が、一方的に流れ込んでくる情報へのカウンターとして「行為者としての自分わたし」という主観をつくりだすのでした。

つまり、「生命機械・世界・わたし」は入り乱れた三位一体なのであり、密接に相関し合ってるどころか、イコールなわけです。

だとしたら、わたしの主観がつくりだす生命機械(1)が世界像の中で物理的に滅びるとき、生命機械が神経系の通電の同期によってつくり出す物理世界(2)は立ち消え、物理世界が世界像の中につくり上げたわたしという幻影は永遠にデリート(消去)されることになります。

(1・脳内から見た外環境に立ち現れる生命機械もまた、世界像の中のわたしがつくり出す幻影なのです)

(2・生命機械の感覚器が対応できる限界が解釈する物理世界は、外環境そのものではなく、それに対応したデコヒーレンスなのです)

物理世界は「わたし=主観」が練り上げた概念であり、わたしは世界像から練り上げられたものであり、世界像は生命機械の感覚器が集める情報の集大成であり、生命機械は物理世界における観念(量子の置き換え)に過ぎないのだという、抜け出しようのないメビウスの輪の中に、わたしの概念は組み込まれてるのです。

ややこしい話ですが、わたしが感じるこの世のすべてはわたしの創作(外環境とのデコヒーレンス)なので、本来は無であるところに生み出されたこの解釈(物理世界)は、わたしが失われれば誰のものでもなくなり、誰にもあずかり知らぬものとなります。

脳内の配線を流れる電気信号が途絶えれば、エリア内の電位として存在したわたしの記憶、経験、観念は喪失し、それはわたし自身はもちろんのこと、わたしが築いた世界もろともです。

その意味で、非物質世界に存在するとされるタマシイ、幽体、抜け出た生気は、通電と化学物質のやり取りをする系を持たない(「わたし」の概念を持ち得ない)ので、はじめから議論の対象には含まれないのでした。

さて、わたしの感覚器がつくり出す物理世界の、その外に存在する真の外環境は・・・これもまたわたしがつくり出した人間社会が考え及ぶ限界の世界観なのですが・・・最新の知性による最もうまい解釈によれば、波が震えるばかりの荒野なのでした。

何度も説明を試みた、不確定性原理と波動関数が幅を利かせる量子場です。

わたしが死ぬと、わたしが所有するところであった古典物理学上の(観念上のと言ってもいい)生命機械は霧散し、波に帰ります。

すべてはエントロピーの導くところに従い、物質はエネルギーとなり、記憶や思考は現象となり、外環境の波に流れ出て散開し、収束し、平衡状態に落ち着き、永遠の沈黙に向かうのです。

それと同時に、わたしが所有するところであった世界も解体され、素粒子にまで刻まれて(コヒーレント)、深宇宙に溶け入ります。

わたしの築いた世界像とは・・・ここもまたメビウスの輪に閉じ込められるロジックとなりますが・・・脳内の物理世界における、そのまた内側に存在する生命機械の、そのまた内側に存在する脳内の、神経系の配線を走る電気の道すじにすぎなかったのですから。

システムが失われれば、その所産であるところの世界が滅形することは自明です。

「ひとは死ぬと、エネルギーに帰る」とはよく使われる言い回しですが、その表現は間違ってません。

ただ、ひとつ付け加えると、世界そのものがエネルギーに・・・波に帰るのです。

生まれて以来、連綿と築き上げた、ぼくの感覚による独自世界が、です。

そうしてぼくは量子場の中にひらき、もつれ、宇宙と一体化していくのでしょうね。

だから、あなたはぼくの創作物であることから、ぼくが死ぬ際にはあなたももろともなのです。

ただ、ぼくもまたあなたの創作物ですので、その意味ではおあいこというか、言葉通りの相殺ですね。

なるべく死なんといてくださいね、あなたの中のぼくのために。

ぼくの中のあなたのために、ぼくもなるべく生きようと思います。

・・・はい、最後まで気持ち悪かったですね。

だけどこれは、最新の科学がもたらすリアルな世界像の論理的な帰結なのだということだけは、知っておいて損はないと思いますよ。

つわけで、ぼくはまだまだ狂い、この先も考え、文章にし、書きつづけますので、みなさま、うんざりしてくださって結構ですよ。

また別の形式でお会いしましょう。

ばいばい。

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