死んだらどうなるか?問題・6
ぼくらの肉体を組織しているのは、細胞です。
細胞の内部構造は複雑で、これ自体が宇宙のようなものですが、突き詰めればこれらの物質は原子からできています。
原子にも内部構造がありまして、これは中央に位置する原子核と、その外側を周回する電子とでできています。
原子核にも内部構造がありまして、ざっくり言って、陽子と中性子が何個かずつぺたぺたとくっつき合ってできています。
陽子と中性子(このふたつを核子という)にも内部構造がありまして、どちらもクォークが三つずつくっつき合ってできています。
クォークは素粒子と言いまして、人類が今のところ解明しているところでは、「ミクロのオーダーにおける行き止まり」となります(電子も素粒子)。
これより先の小さな内部構造は、今のところ見当たらないというわけです。
この判明している限りの最小単位であるところの素粒子というのが、実に奇妙なしろものなのですね。
量子力学という科学ジャンルが、この不思議な世界の説明を試みていますが、まだまだまったくもって不十分です。
素粒子の振る舞いにおいて、最も奇妙なのが、「物質であったり、波であったりする」という点です。
例えば、特別な銃で、素粒子一個をポンッと撃ち出すと、それは実体のない「波」の姿をしているのです。
電波とか、音波とか、水面に石を投げ込んだときに立つ、あの波です。
ところが、例えばあなたがこの波を検出しようと観測を試みた瞬間に、なんと一点に集まって(収縮して)、一個のつぶつぶの物質に、すなわち言葉通りの「粒子」になるのですよ。
これは例えでもなんでもなく、上の文面の通りに、空間にひろがった波が「誰かに見つかった瞬間に」物質に変身します。
まったく解せない現象ではないですか。
この極限ミクロの学問を、「素粒子力学」ではなく、わざわざ「量子力学」と銘打っているのは、実際の素粒子には手応えのある実体も定まった形もなく、「量のみを持っている」オバケのような存在であるためです。
ところで、原子モデルである「原子核の周囲を電子がめぐる」図の、本当のスケールバランスを知っていますか?
ものの本の図説を見ると、土星と土星の輪、みたいなことになっていますが、とんでもない誤りです。
いちばんシンプルな水素原子(原子核に陽子が一個、それをめぐる電子も一個)のバランス差で例えれば、原子核をパチンコ玉に見立てると、ケシ粒ほどの電子が、甲子園球場の外周もの軌道でめぐっている、というほどの距離感があります。
原子の内側とは、これほどまでにスッカスカなのです。
しかも、光速で周回する電子が、粒子の形を取っていません。
スピードという名のエネルギー量だけがある、実体のない波として振る舞っているのです。
アインシュタインさんのE=mc2(エネルギーは質量と等価)によって、電子が質量を持つことは計算上ではっきりしているのですが、つぶつぶの姿でおとなしくしていてくれないので、捕まえることもできません。
さて、以上のマクロな外観情報を踏まえまして、いよいよ原子の構造の本当に不思議な点を、ミクロな視点から説明します。
原子核は、陽子と中性子からできている、と前述しました。
これらの核子は、クォーク三つずつでできている、とも。
素粒子であるクォーク同士は、事実上クォークにしか働かない引力である「核力(強い力、とも言う)」によって、強烈に引きつけ合っています。
核力は、超短距離にしか力が及ばないけれど、とてつもなく強い引力です。
このメカニズムを、とりあえずは覚えておいてください。
さて、その核力でゴリゴリに固められたクォーク三つから陽子はできていて、これが水素原子核です。
この原子核は+の電荷を持っていまして、-電荷の電子と引っ張り合っています。
ではなぜ電子は原子核にくっつかないで、その周りを周回できるのかというと、電子が常に光速という超スピードで飛んでいるからなのですね。
要するに電子は、原子核に電磁気力で引っ張られながら、同時に、原子核の元から飛び去ろうとしているわけです。
この引き合う力と遠心力のバランスは、よくハンマー投げの投てき者とハンマーに例えられます。
ヒモの張力(電磁気力)と、回転するハンマーの遠心力がぴたりと釣り合っているので、電子は原子核からちょうどいい距離を周回している、というわけなのでした。
この説明から、スカスカ空っぽ構造である原子(甲子園球場ほどの巨大なシャボン玉の中央にパチンコ玉がぽつねん)の中身が、電磁気力がビリビリと効いている状態であることが理解してもらえたでしょうか?
さて、その原子を二つ並べ、無理矢理に近づけていくと、どうなると思います?
賢いひとは「分子になる」と知っているでしょうが、それをさらにむぎゅむぎゅと押しつけて、ひとつにまとめてしまおう、というくらいに圧力を掛けつづけたら。
原子は、原子核と電子の電荷を相殺し合って、全体で中性の体を保っていますが、今まさに近づきつつある二つの原子の原子核は+同士なので、激しく反発し合います。
それでも無理矢理に近づけていきますと、ついに原子核同士が触れ合ってしまいます。
すると、どうなるか?
ここで、あのクォークにしか効かない核力・・・極端に短い距離でしか働かないという強烈無比な引力が、お隣の原子核同志に向けて発動してしまうわけです。
するとすると、どうなるか?
反発し合っていた二つの原子核は、逆に猛烈に引き合い、ついにはひとつにくっつきます。
ええ、それは「融け合う」というほどに。
これが「核融合」です。
原子核同士が核融合を起こしますと、前にもこんなことを話しましたっけか、相対性理論のE=mc2が予測したところの「質量欠損によるエネルギーの放出」が起きます。
つまり、質量がエネルギーに変換され、大爆発に至るわけです。
これが水爆の理屈です。
ちなみに、原爆・原子力発電の方は、これとは逆の核分裂(原子核内の陽子や中性子が、核力の猛烈な引力を振り切って分かれる)の方です。
これらの例では、質量がエネルギーに変わりますが、エネルギーが質量に変わる例としては、前述した「波が観測によって収縮する」などがあります。
まったく、量子の世界では不思議なことが起きるものです。
が、こんなのは序の口で、もっと不思議なことがぼくらの肉体で起きているのです。
つづく




