死んだらどうなるか?問題・4
タマシイ論には、まだ問題があります。
その内部構造における「情報管理システム」の謎です。
言われているところのタマシイは霊的な存在で、非物質であるわけですが、それがどんな素材を用いたいかなる機構で思い出を保存し、思考し、自発的な運動を可能にするのか?という点です。
見てきたように人類は、脳内におけるタンパク質間での電気と化学物質のやり取りによって情報を管理しており、これらのシステムは当然、物質から組み上げられています。
ところが、肉体を抜け出たタマシイは非物質であるために、この方法論を採用することができません。
エネルギー供給の問題も生じます。
システムを動かすには、それを駆動させるための熱量が必要なのです。
「霊的なエネルギー」という概念まで想定してしまうのもよろしいが、この茫漠とした考え方に関しては、のちに論じましょう。
ここではひとまず、タマシイの乗組員の無限後退という矛盾と、上に見たような情報管理システム構築の困難さから、「ぼくの中身は、ぼくの肉体と不可分のものである」と仮定します。
これはつまり、肉体が滅んだ以上は、脳内に蓄積された情報がそこから独立して離脱することは許されない、ということを意味します。
となると、ぼくは死ぬとどうなるか?
ようやく、最初に提示した問題にたどり着いたわけです。
まず、機能を完全に喪失した肉体は、動かぬ物質と化し、エントロピーの法則に素直に従いはじめます。
ぼくのしかばねが土の上に横たわっているのなら、微生物による分解が開始され、肉体の構成物は有機物となって自然界に還元されます。
そして、主として動植物の栄養分になり、他物質と結びついて燃焼され、霧散していきます。
ほぐされた有機物となったぼくは、体内にたっぷりのエネルギーを蓄えていて、周囲に対して優位なポテンシャル差を持っているのです。
その「高低差」がならされることで、ぼくは使用可能なエネルギーを余さず宇宙にお返しし、土となるわけですね。
あるいは、ぼくのしかばねが火葬場で焼かれるのなら、ぼくを構成していた物質(主に炭素)は酸素と結びつき、熱を放出し、光となり、音となって(おつりとして二酸化炭素を出し)、地球環境へと放たれます。
どちらの例を取っても、ぼくを構成していた物質は熱(と残骸)になり、エネルギーとして仕事をして、エントロピー値を押し上げます。
ところで、アインシュタインさんがひねり出した「E=mc2」(エネルギーは、質量×光速の2乗に等しい)は、このことを言っているように見えて少々違うので、注意が必要です。
ぼくの燃えかすと発生したガスとを足した質量は、燃える前のぼくのしかばねとまったく等しく、相対性理論が言うところの「質量欠損によるエネルギーの発生」とは別ものなのです(別の章で語ると思います)。
話はそれましたが、いずれにしても、物質であるぼくのタマシイもまた、分子レベルにまで解体されるわけです。
なにも残らないわけですね。
だけどこれだと悲しすぎるので、仮に霊的なものも想定し、ぼくの死にともなってタマシイが肉体を抜け出る、の線も考えてみましょう。
ぼくから抜け出たタマシイは、定番通りにぼくの動かぬ肉体を上空から見下ろし、生前の経験を反芻し、思い出に耽るわけです。
こうなりますと、どうしても、このタマシイの内部における情報管理がどんな形態を取っているのか、を考える必要が生じます。
非物質であるタマシイとて、「古い記憶ファイルを引き出して読み込み」「新たな感覚情報を生ぜしめ、新規に書き込む」という作業をする以上は、構造を持った装置のはず。
生きている間のぼくの肉体のそれは、純粋に物理的な現象を使ったものでした。
では、物質で構成されていないタマシイは、どこからどのエネルギーの供給を受け、どの機構を働かせ、いかなるメカニズムで情報をこねまわすのでしょうか?
まず、Wi-Fiの着想があります。
しかばねとなったぼくの肉体には構造が残っているため、そこから上空のタマシイへ向けてなんらかの目に見えない波が飛んでいれば、情報出し入れの遠隔操作ができそうです。
眠っている間に見る「夢」は、その内的世界を構成するすべてのものが非物質ですし、睡眠中のぼくは、そこにいる登場人物に乗り移って操作をすることも可能でした。
そこでは、自分の振る舞いを第三者的な立ち位置から見ることさえできます。
タマシイを、夢の中に出てくる自分の化身と考えれば、両者の質は類似しているように思えます。
ところが残念なことに、この夢さえも、物質による仕事の産物なのです。
ひとは、寝ている間(レム睡眠中)にも脳内の神経コネクションを活発に働かせており、電気信号と化学物質のやり取りをし合って、夢をつくり出しているのでした。
脳が永遠に活動を停止した今、脳からのWi-Fiが空間を飛ぶことはあり得ないと考えた方がよさそうです。
この点で痛恨なのが、情報の物質固定化概念です。
記憶が脳細胞内の一部位に「物理的な形で」刻まれて固定されていたのなら、一物体となった脳からでもそれを引き出す、なんらかの手段もなくはなかったかもしれません。
ところが見てきたように、情報の一切は、神経系ネットワークにおけるその場限りの化学反応の相互作用であったために、記憶媒体(「記憶場所」ではなく)につながる方法がまったく見当たらないのでした。
スマホが壊れて、ネットに書き込んだ情報を引き出せない状態です(スマホ機の裏面にマジックでメモっておけば、情報は残ったはずでした)。
肉体が機能を失い、脳が一切の化学反応を停止した時点で、情報は永遠に失われるのでしょうか?
ぼくの記憶も、経験も、思い出も、再現不可能なのですか?
では、ぼくのアイデンティティはどこへいくのでしょうか?
つづく




