機械仕掛けの神(4)
短いスカートから覗く美脚が艶かしく見るものを誘う。
彼女は地上では葉月千歳と名乗っていた。
ソファーに座る千歳は短いスカートにスーツのジャケットを素肌の上から着ており、豊満な胸の谷間には大きなダイヤのネックレスが輝いている。
紅い液体の満たされたグラスを千歳は相手に差し出した。差し出された相手は妖艶たる美貌の持ち主で、昨晩この巨大都市エデンに堕ちて来た。その美貌の持ち主の名はゾルテ――いつか鴉の前に現れた男だった。
キャンサー社の一室で二人は杯を交わしていた。
グラスを受け取ったゾルテは紅い液体を口の中へと流し込んだ。
「懐かしい味だ。楽園では一生呑めぬ味だな」
「この街ならいくらでも上質な聖水が手に入るわよ。特にわたしが好みなのは処女の聖水よ」
「聖水は聖水だろう。味に大差などあるものか?」
「楽園に住む天人たちは本物の聖水の味も忘れてしまったのね、可愛そうに」
濡れた唇で妖しく微笑んだ千歳の口の中に紅い液体が流れ込んでいく。
千歳はわざと液体を口から零すように飲み、紅い液体が胸の谷間にポタポタと滴り落ちる。
グラスに入った聖水を飲み干した千歳を見てゾルテは嘲笑った。
「地上は堕落している」
「だってわたしは堕天者よ。それにここはそういう者たちのために造られた鳥かごだもの」
「なるほど、そのとおりだ。だからこそ私の堕天者となったのだ。だが、私は堕されたのではない、自らの意思でこの地上に赴いた」
「地上を支配するため、楽園でのさばる天人を滅ぼすため、それはつまり神への反逆」
突然、窓の外から眩い光が差し込んで来た。差し込んできたなどと言う生易しいものではなかった。窓の外から光が襲って来たのだ。
千歳は何事かと壁一面に広がった窓から地上を見下ろした。
最上階である三二階――高さは約一一二メートルの一室から見渡す巨大都市エデン。高層ビルの高さは年々高さを増していき、神をも恐れぬバベルの塔を思わせる。
人々は天まで届く巨塔を建設しようとしたのだが、神はそれを見て人間の行為は傲慢であるとして、建設が進まぬようにひとつだった言語を多くに分けて人間たちを混乱させ言葉を通じないようにした。高層ビルの建設は神への反逆ともとれるかもしれない。
千歳は嬉しそうに笑った。
「どの位のノエルが死んだのかしらね?」
「あそこは確か……」
千歳の横に立ったゾルテは巨大都市エデンにできたクレーターを見ていた。その場所は都市の東に位置するスラム三番街の方角だった。
電話が鳴った。千歳はすぐに電話に出た。
千歳のデスクに取り付けてあるモニターに女性秘書の顔を映し出される。
《スラム三番街で謎の爆発が起こり、ユニコーン社のハイデガー社長と連絡が取れなくなりました。詳しい情報が入り次第、折り返し連絡いたします》
「いいわ、連絡しなくて。それよりもクレーターの埋め立てをして、今日から歓楽街の建設をはじめて頂戴」
《承知いたしました。それでは失礼いたします》
モニターの電源が自動的に切れた。
ゾルテはまだ窓の外を眺めている。――そして、呟く。
「あの場所に鴉がいたのを知っているか?」
「あら、そうなの。どおりでハイデガーが派手にやったと思ったわ」
「ハイデガーが生きていると思うか?」
「さあ、わたしには関係ないことよ」
千歳はゾルテの腰に手を回すが、ゾルテは軽くそれを払い、天のその遥か先にある何処かを見つめた。
「なるほど、この都市を影で支配するドゥ・ラエルたちに仲間意識はないか」
「大きな動きをするとヴァーツに目を付けられるわ。奴らはノエルが多少死のうが構わないみたいだけど、堕天者同士の衝突や反逆には厳しく目を光らせているわユニコーン社に仕事を委託したのはこのわたしだから、これ以上は首を突っ込みたくないわね」
あの爆発からしてハイデガーと鴉が衝突したのは間違いないだろう。しかも、あの規模だ。巨大都市エデンを統括する政府組織ヴァーツが動くことは間違いなかった。
ゾルテは不適に笑い部屋を出て行こうとした。
「ヴァーツの奴らに挨拶に行って来る」
「待ちなさい、勝手な真似はしないで頂戴! これからの計画を全て台無しにするつもり!?」
「私が堕天して来たことはすでに知れていることだ。ならば、奴らを少し煽ってやろうと思ってな」
「だから、勝手な真似はしないで!」
ゾルテは詰め寄って来た千歳の腰を抱き寄せて口を塞いだ。
重なり合う唇と唇を離し、何も言えなくなった千歳をこの場に残してゾルテは去って行った。
残された千歳は髪の毛をかき上げてため息をついた。そして、すぐに自分のデスクに座りどこかに連絡をする。だが、モニターには映像は映し出されず、音声のみの連絡だ。
「わたしだけど」
《リリスか、何用だ?》
若々しい男の声がスピーカーの奥から響いた。
「ゾルテが政府に喧嘩しに行っちゃったわ。だから、M計画を早急に進めないと政府にバレちゃうわよ」
スピーカーの奥から失笑が微かに聞こえ、しばらく経ってから再びスピーカーの奥から声が聞こえてきた。
《強大な力を持っていようとも、所詮は長い時を楽園で過ごした天人だな。この地上が牢獄であることを理解していないらしい》
「全くよ、長い時を費やしたM計画が台無しにする気かしら」
《それがわかっているのならば、早くルシエを止めに行け》
ルシエとは楽園にいた頃のゾルテの名である。そして、リリスも同じ――それが千歳の名である。
千歳は返事をしなかった。
《行けと行ったのが聞こえなかったのか?》
「そういうのはわたしの仕事じゃないわよ」
《わかった、ルシエについては泳がしておこう。その間に君は引き続き〈Mの巫女〉を探せ》
「了解。じゃ、またね」
千歳は電話を切り、深いため息をついた。あの男と話しをすると疲れる。だが、全てはM計画遂行のため。
「支配者はひとりでいいのよ……」
千歳は妖艶な笑みを浮かべるとデスクの裏に備え付けてある隠しボタンを押した。
どこからかモーター音が聞こえ、千歳の座っていた後ろの壁がゆっくりと動きはじめた。そう、隠し部屋だ。
千歳は薄暗い部屋の中へ足を運んだ。そこは冷たい壁で囲まれており、静かな息遣いが複数聞こえてくる。
薄暗く、普通の人間にはよく見えないだろうが、千歳には見えていた。そこには複数の人間――年端も行かぬ少女がいた。それも皆、手錠を嵌められ、首輪から伸びた鎖は壁にしっかりと繋がれていた。
「さぁて、今日は誰を頂こうかしら?」
千歳は品定めをはじめてひとりの少女の前に跪く。
「アナタにしましょう」
少女の顎を持ち上げた千歳はそのまま少女の唇を奪う。少女は抵抗する素振りも見せない。もう、泣き叫んでも無駄なことを悟ってしまっているのだ。それに、もう千歳に魅了されてしまっている。
千歳は少女の頬に舌を這わせ、そのまま首筋を舐めた。
少女の身体が一瞬苦痛に歪み、そして恍惚とした表情へと変わっていった。
天人は吸血行為を行うと同時に、相手を快楽に酔わせる『物質』を与えている。その『物質』はノエルの身体に突然変異を与えてしまう。だからこそ必要性がない限りは死を与えねばならない。
「もう、いらないわ」
少女はまだ死んでいない。
ビクンと少女の身体が跳ね上がり、変化がはじまった。
腕が伸び、脚が伸び、胴体からも腕が伸びた。皮膚の色は褐色に変わり、顔についた五つの目玉が千歳を見据えた。その姿は蜘蛛と人間を掛け合わせたような姿をしていた。
怪物の胴体から伸びた手が千歳の首を絞めようとした。しかし、その手は千歳によってもぎ取られ、大量の血が地面に吹き荒れた。
「美しくない娘は嫌いよ」
振り上げられた千歳の手が怪物の胴体にめり込む。そして、心臓を握り締め引き抜かれた。
血の滴る心臓を艶かしく見つめた千歳はそのままかぶり付いた。
口から零れる血が千歳の身体を穢し、彼女は高らかに笑った。




