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第七章 すべてが許される自由なる世界フリーダム・それがこの無秩序(デス・アライザ) 2

 あと数時間後、奴隷長試験が始まる。

 教会にやってきた俺とユーチェンは、ガナン一団と鉢合わせになった。いつものように嫌味のひとつでも吐き捨ててくるだろうと思っていたが、何も言わず、俺の前を通り過ぎていった。ガナンは、カルナが埋葬されている墓標の前で膝を折る。

「カルナ。どうして死んだ!? なんでだよ!? 俺達は誓い合ったよな。どっちかが奴隷長になったら、負けた方はつべこべ文句を言わず配下になって、共に上を目指そうって。俺、お前がいたから頑張れた。お前を負かしてやりたくて、誰よりも努力をしてきた。お前の彼女……美人だったよな。気品もあって、性格も良くて、スタイルだって……。お前の自慢の彼女だったもんな。お前ののろけ話を聞いて、俺、半分以上キレていたが、心の中では祝福していたんだぜ。なのに、あんまりだ! どうしてラナまで殺されなきゃならない。犯人は、どうしようもない卑怯者だ。俺、お前の武器を売りに来た乞食共を、全員皆殺しにしてやったからな。殺す前に一匹を吊るしあげたから犯人も分かった……」

 ガナンはこちらに振り返った。目尻は恐ろしく吊り上っており、血管が浮き出るほど赤面した顔で怒声を上げた。

「二匹とも汚ねぇアジアンだってさ。例え、闇討ちされようと負けるカルナではない。きっとラナを人質に取り、弱みに付け込んできただろ? ここには卑劣なゴミが混ざっている!」

 ユーチェンは咄嗟に反論した。

「違う! カルナが先に仕掛けてきたんだ!」

「自供したな。カルナを殺しやがったのは、てめぇらか! 絶対に許さないからな。実技試験が始まったと同時にぶっ殺してやる。そしてそこのアシスト。てめぇにはシュージの死体を見せつけて絶望の淵にたっぷり立たせたのち、思いつく最も残酷な殺し方で地獄に落としてやる」

 俺は静かに口を開いた。

「殺意を帯びたまま俺の間合いに入ったら、お前は死ぬことになる。これは忠告だ。弱いものを手にかけるのは好かん」

「なんだよ、それ? あははは、ジョークか!? おい、待てよ! シュージ! 待てよ! 逃げる気か!?」

 熱く吠えているガナンを無視して、しばらく歩いていると、今度はアイリーンと出くわした。

「シュージ。あんたの忠告、面白かったよ。でもきっとガナンは理解していないと思う」

「だろうな」

「もしガナンが攻撃してきたら、本当に殺してしまうのか?」

「あぁ」

 アイリーンはガナンの方へ振り返り、クスリと微笑を浮かべた。

「あいつ。カルナの遺体を目にしているハズなのに、シュージの実力をまったく理解できていないようだ。ヘビーアックスの太い首を、真正面からたったの一太刀で切断している。まるで超高層ビルの屋上から、重量のあるギロチンでも落としたかのように。だがそれは細身の小太刀による、至近距離からの一撃。つまりあんたは、至近距離からそれだけの斬撃が放てるということだろ? なぁ、もし私があんたに刃を向けても、同様に攻撃してくるのか?」

「誰だろうが同じだ。死にたくなければ、俺には近づくな」

「そうか。楽しみにしている」

 懐中時計に視線を落とした。あと二十分程度で午前十時になる。俺は、試験会場として用意された教会二階の大会議室へと移動した。会議テーブルが並べられているその部屋に着席している受験者の数は、ゆうに百名を超えているだろう。皆、目をギラつかせている。

 開始時間五分前になると、試験官が簡単な挨拶と注意事項をしていく。

 試験時間は二時間。終わり次第、挙手をして退出することは可能である。合図と同時に、皆は一斉に、机の上に裏返しにされている問題用紙を捲り、答案用紙にペンを走らせていく。

 俺は、試験に対して特別な勉強をしていない。レオンやコーネルから、これといったアドバイスを受けてもいない。試験前に、コーネルから一枚の手紙を受け取っただけ。それには『Go for it!(思いっきりやって来い!)』と書かれているだけだった。

 これはどういう意図なのだろうか。実戦形式の実技ならまだしも、これは筆記試験。模範解答が存在するはずだ。まともにやって受かる訳がない。思いきりやる――それはつまり、こういうことか? 俺にはシャドー特有の足と目と耳がある。その能力をふんだんに行使して、カンニングをしろとでも言っているのか!?

 問題用紙に視線を落とした途端、俺は唖然とした。

 ――この問題……。

 まさか、ザパンが作ったのではないだろうか? そう錯覚してしまうくらい、醜悪なものだった。記述は英語でしており、様々なケーススタディーが用意されている。


問一)十六歳と十七歳の姉妹の奴隷として入荷した。二人とも外見はAランクの美形である。姉の方は戦闘センスもあることから傭兵として調教することにした。だが妹は運動能力が著しく乏しく、傭兵には向かない。使い道が無く困っていたところ、肉奴隷としてギルドより調教依頼があった。奴隷長のあなたは、どうやって姉に復讐心を抱かれることなく妹を調教しますか?


 なんだよ! これは! ざけんな。だが、ここでキレいては一次試験すら突破できない。斜め前に着席しているガナンの回答に視線を伸ばした。

 ――事故を装い、妹は死んだことにする。もしばれたら姉をクスリ漬けにして、妹の記憶を抹消する。

 奴ならやりそうだ。アイリーンは一向に書こうとしない。時間ぎりぎりまで考えて書くつもりなのか? それともカンニングを懸念して、手を止めているのか? ギルドは、ザパンが思いつきそうな解答を喜ぶだろう。少なくとも政務長のザーパスはそうだった。もう一度レオンの言葉を思い出してみた。

 ――Go for it!

 レオンは劇で、自分の主張をした。俺にもそうしろ――そう言っているのだろうか? そもそもレオンは、俺にザパンのような解答ができないことくらい知っているだろっ! 俺の行動を逐一見てきたのなら、どのように答えるか分かる筈だ。

 俺はペンを取り、ギルドへの怒りを込め、自らの主張を書き殴っていった。

『あなただったら実の妹にそのような事をされたらどう思うのだ? ここではそれ以上言及しない。俺はこのような卑劣な仕事に加担しない。このような事を続けていたら、いつかギルドは崩壊する。断言してもいい』


問五)日々の労働に疲れ果て、奴隷の目は死んでいる。奴隷のやる気を向上させるに、奴隷長であるあなたが用いる施策は何ですか?


 ガナンは、『やる気が無い物を見せしめに殺す』と書いた。酷い野郎だ。

 俺はこのように書いた。『そもそも愚問だ。奴隷は機械ではない。ただひたすら使い捨ての道具のように酷使を続けていたら、いずれ壊れてしまう。夢がないから人は疲れ果てるのだ。今のギルドが行っている奴隷制度でやる気を持たせること自体ナンセンスだ。俺なら夢のある将来設計をしっかりと描き、結果を出せばそれなりの報酬や地位を築けるようにする』

 そして三十分かそこらですべての解答欄を埋めて、席を立った。部屋から退出する前に、ガナンと視線があった。ガナンもすべて終わっており、見直しをしていた。

 奴は小声で、「シュージ。俺の解答用紙を見ただろ? 視線で分かったぜ。ククク。俺の答え、完璧すぎてたまげただろう? カンニングしたってチクってやるから安心しとけ。二次でぶっ殺せなかったのが残念だ」

 退出後、ユーチェンに「できた?」と聞かれたが、「やることはやった」と濁した返答しかできなかった。明らかにギルドが推奨しそうな解答をしていないのだから。

 レオンを信じて、合格発表を待つことにした。合格発表は翌日の同時刻、教会の前に掲示板が設置され、そこに張り出されるそうだ。ひとつ疑問に思う点は、たった一日で百人近くの解答用紙をチェックするということ。この作業、かなり困難を要すると思う。果たして、どうやるのだろうか? だって○×や記号による選択形式ではないのだ。全問が、文章による記述形式である。解釈だって人により様々になるだろう。チェックに複数人導入するとなれば、解釈だって変わってくる。模範解答例はあるにせよ、審査する人間の相性に左右されてしまうのは仕方ない。そう考えてみると、ギルドに物申した俺の選択に不安がよぎる。

 その日は何も手がつかないまま、一次試験発表の朝を迎えた。ユーチェンと一緒に、指定された掲示板の前までやってきた。たくさんの人だかりができている。

 掲示板には氏名とスコアが表記されている。一位、二位は知らない名前。二人とも千点だ。三位に、あのガナンの名があった。奴のスコアは九百九十八点。

「よっしゃ! あったぜ! ふ、三位か。まぁとりあえず、こんなところか」

 続いて九百九十七点、九百九十四点、九百九十点……。俺の名はない。

 三十五位 九百十二点。そこで赤いボーダーラインがひかれていた。もしかして三十五位までが、合格者なのだろうか。 俺は再度、上位から自分の名前を探していった。何度見ても見当たらない。

 ――そんな……。

 目の前が真っ白になった。あの時レオンが手紙で俺に伝えようとした意味は、『カンニングしてでも食らいついていけ』だったのか……。だが、そのようなことをあの野郎が言いそうにない。ガナンが俺を見つけると、鼻で笑いながら、

「よぉ、シュージ。お前の名前なら、あそこにあるぜ」

 奴が指さす先は、下から二番目。 

 Shuji Iga 0点。

「あははは。もしかしてカンニングしたのがバレたのか? おっと、俺がチクったんじゃないぞ。そんなことをしたら、お前を二次で殺せなくなってしまうからな。それよか今から楽しみだぜ。西の姫役の生意気な子。名前はアヤノ=クロセだっけか。絶対俺が、あの子を調教してやる。俺に恥をかかせた報いを存分に味わわせて、その後……。ふふ、あはは、今から笑いが出てしまうぜ。あの片手の子も、お前のダチだったよな。あの子も俺が調教してやる。どうせなら、もう片っぽの手もちょん切ってやろうか。そうしたらあの子、どんな顔するかな? もう最高だぜ。あははは」

 反射的に、腰の小太刀に手が伸びていた。

「やめておけ」

 その声で我に返り、振り返った。そこにはアイリーンの姿があった。彼女は黙ったまま首を横に振った。俺を制止した理由は不明だが、確かにここで奴を斬りつけても、俺が不合格であることに何ら変わりはしない。それどころか、更に悪い事態を招くことになる。熱くなった心を抑えて、柄から手を離した。アイリーンは無表情のままスコアボードを見つめている。

「お前は下から二番目か。あの順位はなんだろうな?」

「……上からスコアが高い順だろ?」

「なら、どうして私が最下位なのだ?」

 俺の下に、アイリーンの名前があった。俺と同様に0点だ。

 実のところ、彼女の事はよく分からない。俺の認識では、いつも自信満々の蒼い目で挑発してくる嫌な女。幾度となく俺とガナンを比較してきた。法務長の推薦状を持っている。かなりの実力者ではあるのだろうが、結局落ちてしまったのか。そういえば、アイリーンは何も書いていなかった。自分が優等生だから、無記入で突破できるとでも思っていたのだろうか。

「もしかしてお前、白紙のまま提出したのか?」

「いや、時間ぎりぎりまで考えて、最高の答えを書いた」

「なんて書いたんだ?」

「この問題を考えた奴は正真正銘のクズだ。たとえ上司であろうと、私はクズの指令は受けない、とだけ。シンプルかつ最高の解答だろ?」

 アイリーンは、ギルド側の人間とばかり思っていた。だけど、真顔で堂々と言い切った。この問題はクズだと。一瞬だけ、ぽかんと口を開けてしまった。しばらくして、何とも言えない笑いがこみあげてきた。あの虫唾が走る問題に抵抗したのは、俺だけではなかったのだから。

 俺達以外にも0点の人間が三名いる。ギルドに意見した連中なのだろうか。この0点組五人の上にも、上位と同様に、赤のボーダーラインがひかれている。

 政務長ザーパスもこの場にやってきた。

「ガナン。よくやった!」

 傲慢な笑みをチラつかせて、ガナンの肩をバシバシと叩く。

「ザーパス様。ありがとうございます。ですが、俺の真価が発揮できるのは二次以降です。俺、必ず奴隷長になってみせます」

「そうか。そいつは楽しみだ。その暁には頼むぞ」

 醜悪な笑みを浮かべるザーパスに、ガナンは威勢よくペコリとお辞儀をして、

「あ、はい。ザーパス様の生誕日には、飛びっきりの美女をお送りします」

「は? ちげーだろ? 毎日だ。毎日送れ」

「え? ま、毎日ですか? まぁ、そりゃ……俺が奴隷長にさえなれば……」

「大丈夫だ。心配するな。一次さえ突破すれば、後は比較的楽だ。正直言うとな、一次試験を一番心配していたのだ。今回の審査はどういう訳か完全に三院が分離していてな、一次が監査院、二次が政務院、三次を法務院が受け持つ事になったんだ。もちろん公平な審査をする決まり事はあるんだが、まぁ、そんなのはどうとでもできる。一次を担当した監査長のレオン殿は、やはりジョークすら言えないただの堅物。バカ正直にやってくれたおかげで助かったわ」

 なるほど。一次はレオンが絡んでいたのか。だったら、この評価には必ず意味があるに違いない。だからアイリーンは、黙って待っているのだろうか。

 しばらくすると、レオンがやってきた。

 皆の視線は、レオンに集中する。簡単な社交辞令的な挨拶を済ませると、本題に入った。

「先日行われた試験は、故・ザパンが作成したものをそのまま使わせてもらいました。そもそも今回の試験問題は彼が担当していたから、それが日の目を見ることなく蔵の奥に眠るのを惜しんでのこと。そしてザパンの作成した評価基準を元に計算した結果が、今張り出しているスコアです」

 ガナンはパチンと指を鳴らした。

「なるほど。確かにザパン様はギルドに貢献した立派な奴隷長ですもんね。さすがレオン様です。すばらしい判断だと思います」

「確か君は、ガナン君だったな。さすが奴隷長を目指しているだけはある。君の解答用紙からは凄まじい執念を感じた。個人的な評価ならば、君は二位だ」

「そ、そうっスか? でも駄目ですよ。俺は政務院派に入ると決めているんですから」

 調子に乗っているガナンに、レオンは軽く笑みを送ると、正面を向きなおした。

「私の評価基準を言おう。それは解答に記載した事項を実行できるか否か。質や善悪を問わない。書いた言葉が、本心かどうか。それしか見ていない」

 一瞬で場は静まり返った。

 ――この人はいったい何を言っているのだ? 皆、そんな表情で顔を見合わせている。

「そして合格者は赤のラインより上の、上位三十五名。そして下部の五名。私が評価した人間は、何とも不思議なことに上下の二極に固まってしまった」

 ザーパスは、「レオン殿。いったい何を言っているのですか? 評価基準が、本音を書いたかどうかって、それはどういうことですか!? 百歩譲って、まぁ、それは良いとしましょう。それをどうやって調べることができるのですか? 審査の時間だって、たったの一日しかなかったのですぞ!」

「ザパン基準の採点には、二十名動員した。だから僅かな時間で片付いた。所詮今回の評価とは関係ないのだ。何かの指標になればと思い、つけさせただけだから。私は、ギルドの役に立つ奴隷長を輩出することに重きを置いている。ギルドの顔色ばかりうかがい自分の意を持たぬ者に興味はない。奴隷長は、確立したひとつの役職である。役を全うするには強い信念が必要だ。私が知りたいのは、上層部の機嫌ばかり伺う犬か、それとも己の意志を持った人間か。それだけだ。ギルドの法も、秩序も、善悪すらも問ってはいない」

「だから、どうしてそのような事が、薄っぺらい紙切れなんかで分かるのだ!?」

「私は監査長。それを生業としている。ザーパス殿が昨夜何を食べたか、今朝の腹の調子はどうだったかまで知っている」

 なるほど。それに参謀のコーネルは、読心術者だ。彼にとっては、容易い作業だったに違いない。

 一人の受験者が、レオンに向かって「納得できません!」と叫んだ。数人が彼に続く。確かに当人としては、一生懸命書いた答えだ。それを唐突に虚実と言われ、納得しろという方が強引である。

「ミルドレッド君。君は問二十三で、『上司の生誕日が近づいている。彼は日ごろから美女の生肉を食いたいと言っていた。どうやったらおいしく奴隷を調理できますか?』 という問題にどのように答えた?」

「……。数日間、新鮮な野菜を食べさせて、臭みを抜き……。そして直前に果物を与え……」

「そう、君はそのあと、新鮮な生の状態で上司の前で、女を切り刻むと書いてあったな。本当にできるのか?」

「……はい」

 レオンが手を叩くと、ひなたがやってきた。

「あ、君は東の国の姫を演じていた……」

「彼女には今朝果物を与えてある。そして本日は役職の一人の生誕日である。彼は日ごろから美女の生肉を食いたいと言っていた。ここはひとつ、サプライズイベントを君にお願いできないかな?」

 ミルドレッドは剣を抜いた。だが、その手は震えていた。

「ところでも君は、彼女の演技を見て泣いていたが、何か情でも? どうして斬らない?」

「あれは試験だから書いたのです。試験でなければ……。だって、やる意味がないじゃないですか!? だってその役職の人、本当に彼女の肉を食べたいのですか!?」

「君は試験だから、本番だから、そういう理由だけで自分の意見をコロコロ変えるのかい?」

 ミルドレッドは黙り込んだ。

「君は、本当は心の優しい人間だ。それは答案用紙を見てよく分かった。文字が震えていた。奴隷長になるために心を殺して書いているのだろう。地位が欲しい、役職が欲しい、それは当然の願望と思う。だから上を目指して、今回、挑戦したんだろ? でも、それでは駄目なんだ。 これは奴隷長を選ぶ試験。もしこういう事態が訪れた時、必ず君は自分を見失うだろう。自分自身が一番苦しむことになる。だから私は君を落とした」

 これ以上、反論する者はいなかった。――決意なき者が、これより先へ行くことは許さぬ。静かに語るレオンの口調の裏には、そのような意図が隠されているように思えた。

 ザーパスは、

「なるほど、なるほど。あなたの偏屈はよく分かりました。でもひとつ、良い事を聞きました。 下位の五名は、ギルドに物申す連中。つまり、反乱分子だと断言したのと同様。ふふふ、これは面白い。二次で行う実技試験のチーム編成には、たっぷりと参考にさせてもらいます」

 俺を和ませようとしてか、ユーチェンが明るく声をかけてきた。

「修二、やったね。合格おめでとう」

 だけど俺の緊張は、高まっていくばかりだ。何故ならこの奴隷長試験、レオンのふるいで、覚悟の無い者は消えた。おそらくここからが本番だ。二次試験の担当は、レオンを一番の目の仇にしている政務院が担当している。きっとザーパスは、レオンの推薦状を持っている俺にとって不利な条件を突きつけてくるに違いない。ザーパスはレオンに横目を流すと、

「さてここから先は、我々政務院の仕事。監査長殿には退席を願おうか」

 レオンはひなたの肩に、軽く手を添える。行こう、と言っているのだろう。

「伊賀君。頑張って! 最終試験で会えると信じているから」

 ひなたはそう言って、レオンと共に教会の中へ消えた。

 ザーパスは、部下を呼んで場を仕切り始めた。

「さぁ~て、一次試験突破の皆さん。合格おめでとう。明日より二次試験を行います。周知の通り、二次は実技形式。おそらくこれで受験者の大半は姿を消すことになるでしょう」

 ザーパスはそこで一旦区切り、グルリと受験者達の顔を見渡した。ザーパスが言った、姿を消すという言葉。それは死という意味も含んでいるのだろう。だが、ザーパスの脅しに怖気付く者はいない。ガナンなんて「よっしゃ! これで派手に殺し合いができるぜ!」と威勢よく腕を上げて叫んでいるくらいだ。ザーパスは話を続けた。

「試験期間は一週間。場所は貿易都市エルザスカ。明日の同刻――午前十時にこの教会にお越しください。一次通過した皆さまには、奴隷調教士第一種仮免許が発行されます。これで奴隷調教の一部を許可されたことになります。詳しい内容は、試験直前にお話します。では、私はこれで」

 説明が終わると、一礼をして姿を消した。

 ザーパスは不明確な言葉を羅列した。ひとつは、奴隷調教士第一種仮免許。そしてもうひとつが、謎の地名――貿易都市エルザスカ。ユーチェンが耳打ちしてきた。

「貿易都市エルザスカは、サード・デス・ステージ以前に出来た、プレーヤーだけで作ったでっかい港町だよ。デス・アライザが最盛期だった頃、冒険者達は全世界を股にかけて活躍していた。もちろん貿易だって盛んだった。その繁栄の象徴として生まれた中継都市の一つが、貿易都市エルザスカ。まったく何もなかった海岸付近の平地に建造していったんだ。だからNPCは一切いないし、街にはモンスターだって侵入する。それでも当時は、たくさんの人が訪れて栄えていた……と聞いたことがあるだけ。私がこの世界に来たときは、すでに廃墟になっていたから、実情は知らないんだけどね」

 ガナンは、上位三十五名の人間に声をかけている。

「おい、みんな! この後、決起集会をしようぜ。ザーパス様の言葉に、二次試験の内容を臭わせるヒントがあった。確かチーム編成とか、おっしゃっていた。つまりこのメンバーを分断して、何かを競わせるってことだ」

 ガナンは俺をジロリと見て笑った。挑発でもしているのだろうか。再びガナンは続ける。

「メンバーの割り方は、ギルド正規軍と反乱軍。この言い方は極端かもしれないが、成績上位と下位を二分して戦わせる構図の可能性は極めて高い。あの五名の中で、一匹はHP80しかない雑魚が混じっているが、あのブルーアイズの女は要注意だ」

 ガナンが声をかけた数人が大笑いをする。その中の一人、大剣を背負った大柄な男が、

「ガナンだっけか? てめぇ、昨日から一人で盛り上がっているけど何様のつもりだ?」

「なんだと!」

「虚勢を張るのはそれくらいにしておけ。俺のレベルをいくらだと思っている? 9だぞ。ちなみに、てめぇはレベル6だろ? 俺には、てめぇのHPだって見えている。それなのにこの場を仕切るなんて片腹いたいわ。ちなみにこの中にレベル9は、俺以外にも、後四人いる」

 ガナンは額に脂汗を浮かべながらも、

「そうかい。じゃぁあんたがとりあえずの隊長でもいい。俺はガナン。あんたは?」

「ウィルだ。まぁ俺の部下になるってんなら、その会に顔くらい出してやってもいいぞ」

 ガナンはヘラヘラと後頭部をかきながら、ウィルに握手を求めた。ガナンは長いものには巻かれるタイプかもしれないが、こう易々と同期の下につくなんて考えにくい。あの薄ら笑いを浮かべた表情は、まるでしたたかにチャンスを狙っている獲物を見つけた蛇のようだ。口ではおどけて笑っているが、目の奥にはあきらかに火を宿している。あいつが考えそうな事――それはアイリーンを倒すまでの一時的な同盟なのか、それとも漁夫の利を狙っているのか、そんなところだろう。

 結局はガナンに乗せられて、上位三十五名は、決起集会とやらをする為に、教会を後にして繁華街へ繰り出して行った。ガナンの推測が正しければ、三十五人 対 五人――人数差7倍のデスゲームが始まることになる。相手にはレベル9のつわものが、五人もいる。なら、こちらも作戦会議をすべきだろう。

「なぁ、アイリーン。俺達も――」

 俺の言葉を無視するかのように、アイリーンは足元に置いていたカバンを肩にかけ、帰りの身支度を始めている。

「お、おい!」

「わざわざ集まってどうするのだ? 仲良しごっこでもしようと言うのか?」

「いや、違う。こちらも作戦や対策を考えるべきだと思う。だからこれから――」

「試験内容も提示されていないのに、そんなことをして何になる? ガナンの発言は憶測だろ? 我々が仲間になる確証などないのに、そのようなことをしても時間の無駄だ。残された時間を有意義に使いたい。やるなら他の連中に当たってくれ」

 皆、アイリーンの意見に同調したのか、誰も俺の声に耳を傾けてくれず、蜘蛛の子を散らすかのように教会から姿を消していった。

 誰もいなくなった教会の一角。

 何とも冷たい一陣の木枯らしが、びゅぅ~と足元を通り過ぎた。

「大丈夫だよ、修二。パートナーは私が勤めるから。明日までできることを片付けていこっ!」

「……すまない、ユーチェン」

 明日までに出来る事は何か、教会の広場の端にあるベンチに腰を降ろして考えていた。

 ユーチェンは、横に座ってアドバイスをしてくれている。なんたって俺には弱点が多すぎる。確かに高い俊敏性や、速さを活かしたカウンター攻撃でそれなりに結果を出してきたが、武器がついてこない。ダガーや小太刀は、すぐに駄目になる。先日カイルの首を落とした刃は、たった一撃で使い物にならないくらいボロボロになっていた。二次試験は、一週間の長期戦。保存食やその他サバイバルアイテムだって持っていく必要がある。それに守りだって弱すぎる。HP80は、おそらく受験者の中でずば抜けて最弱に違いない。一撃でも浴びたらノックアウトされちまう。一週間という期間、常に臨戦態勢で居続けなければならないということか。

 ……あまりにも長すぎる。

 ハイレベルの者であれば武器の調達や体調整備に重きを置くべきだろうが、俺はまだレベル6。このデス・アライザの仕様上、レベルがひとつ上がれば、倍以上のボーナスポイントを手にすることになる。レベル9の連中がゴロゴロいるってことは、逆を返せば俺にはまだまだ伸び代があるってことだ。俺が出来る最善の道は、ギリギリまでレベル上げに費やすこと。

 同時にアイテム確保に必要な、資金調達。どうも自分より弱い敵をいくら倒してもレベルが上がらない仕様のようで、それならと教会内で聞き込みをしていくことにした。モンスターの弱点等は教える事はアシスト行為だから出来ないにしても、強いモンスターがどの辺に生息しているかくらいは教えてくれるかもしれない。コーネルやレオンに聞くのが手っ取り早いと思えたが、どこを探しても姿が見当たらなかった。

 それでも一時間程度の聞き込みで、かなりの情報を手に入れることができた。東の森には、ワイバーン。南の遺跡には、サイクロプス。そして北の高山には、ドラゴンが住んでいるらしい。中でもドラゴンは、群を抜いて強いらしい。

 昔はパーティを組んでドラゴン退治に挑戦した者も少なくなかったようだが、今ではほとんど誰もドラゴン退治に行かないらしい。とても一人で倒せるような敵ではないとのことだ。

 レベル差のある者とパーティを組むと、アシスト行為に繋がりやすく戦闘が困難になる。高レベルの者が手をつけた敵は、必ずそれ同等、もしくはそれを上回る者が仕留めなければならない。低レベルの者は、手負い状態の敵が襲いかかってきても逃げ続けなければならない。同レベル同士だって、冒険中どちらかがレベルが上がると、同様の現象が起こる。まぁ、このようにパーティを組みにくくするのも、ギルド上層部の思惑なのだろうが。こうやって強力な敵に挑戦する者が激減し、強い者が生まれにくい仕組みが出来上がっているのだから。

 ワイバーン、サイクロプス、ドラゴン。今日中に攻略できるとしたら、いずれか一体になる。

 俺には素早い足があるのだが、なんとも情けないことに体力がない。長距離を走り続けることが困難である。とにかく時間が惜しい。

 目標が定まったので、すぐに行動に移した。午前中には街から出て一時間程度、ゴブリンやオークを狩りまくって、作った資金でドラゴン退治に使用する武器を購入した。内訳はナイフ五十本と小太刀十本、そしてダガーを十六本だ。

 昼過ぎ。

 ユーチェンの手料理で胃を満足させ、いよいよドラゴン狩りの為に北の山へ出発することになった。とにかく時間ぎりぎりまで粘りたい。

 ユーチェンは、帰りの転移魔法を快く引き受けてくれた。転移魔法を使うには、移動先を鮮明にイメージする必要があるとユーチェンは言っていた。つまりよくあるRPG同様に、術者が行ったことのある場所以外の転移は不可能。また日にちが空いた場合や、景色が変わっても転移不能になる。瞬発的な速度には圧倒的な自信があるのだが、なんせ距離がある。歩いての移動になると、目的地に着くまでに日が暮れてしまう。

 馬を購入できることを知り、試しに一頭購入してみた。ユーチェンも愛馬を連れてきた。乗馬は初めてだ。だが俺の器用さは高いからと……思っていたが、乗ったと同時に振り落とされた。受け身を取ったのだが、この程度でもHPが減ってしまう。まぁ、一秒もしないうちに回復するけど。立ち上がってケツについた土をパンパン払っていると、ユーチェンがケタケタ笑いながら、「乗馬スキルを上げていないと乗れないよ」と教えてくれた。

 しぶしぶと乗馬スキルに1ずつ投入していく。3投下したところで、まともに馬を操れるようになった。

 ドラゴンの住む山を目指し、馬を走らせていく。なるべくアイテムを温存させておきたい。追ってくるゴブリンやオークを振りきりながらの移動となった。攻撃を最小限にとどめ、とにかく目的地へと急いだ。

 日が暮れる前には、高山のふもとまで到着できた。さすがにかなりの数が追いかけてきている。俺は馬から降りると、追ってくるモンスターの群れへと振り返り、二本の小太刀を抜き一掃させる。モンスターの首が次々と飛んでいく。瞬く間に、ゴブリン四十八体、オーク十七体を殲滅させた。俺は右手に持っていた小太刀を草むらに捨てる。

「力みすぎるとすぐに刃が痛む。雑魚にはもうちょっとスピードを抑えて攻撃しないといけないようだ」

 ユーチェンも馬から降りる。

「羨ましい悩みだよ。じゃぁ私はここで待っている。武器が無くなったら早めに帰っておいでよ。転移魔法で補充してくるから」

「あぁ、すまない」

「すまなくないよ。私には、これくらいしかできないし」

 そんなことはない。大いに助かっている。俺には転移魔法が使えないから、遠出の度に買い込む必要がある。だけどユーチェンのおかげで、必要以上の買い込みを避けることができる。

 ユーチェンは腰からレイピアを鞘ごと抜き取ると、俺の方に差し出してきた。

「この武器も軽量だし持っていく? 予備であと五本はあるから」

「レイピアはどうも苦手でね。でもお言葉に甘えて、護身用に一本だけ貰っていくよ」

「とりあえず、散らばっている金塊を拾って換金してくるよ。気を付けてな」

「ユーチェンも。……さっきから誰かがつけているようだし」

「あれね、多分、かち合わないように距離を取って戦っているだけだと思うよ。あんまり近づくと不本意にアシスト行為になっちゃうから」

「つかず離れず戦って、何のメリットがあるんだ?」

「敵を抱え過ぎないようにできるからね。遠出するときは、ああいったのをよく見かけるよ。見た所、接近戦が得意なハードナックルタイプだから、一度にたくさん抱えるとさばき切れないしね」

 ハードナックル。……洋介と同じタイプか。

「まったく敵意を感じないし、俺の考え過ぎかもしれない。でも妙なことをしてきたら、すぐに転移魔法で逃げろよ」

「了解! 修二も気を付けてね」

 ひとつ頷いてユーチェンと別れると、俺はドラゴンが住むと言われる領域に踏み込んでいった。これから強敵と戦うというのに、何故かワクワクしていた。これが、血が騒ぐというやつなのだろうか。ここ最近、しがらみや、恨み、妬みが乗った対人バトルがあまりにも多すぎた。これから心置きなくぶつかれる敵と戦いができるのだ。ゲーマー時代に望んでいた、ギリギリのせめぎ合いが俺を待っているに違いない。

 ただ、ハードナックルが一定距離をあけてついてくるのが気になる。奴もドラゴン狩りに挑戦するつもりなのか。足音は男のものだ。足音には癖があり、何とも言えない独特な空気を放っている。なんというのだろう。存在感はあるのに、人間味をまったく感じない。

 一次試験合格者に、このような気配を感じたことがない。それに上位三十五名は今頃ガナンと集会をしているだろうし、残り五人だって二次試験を目前に控えている。普通の感覚ならドラゴン狩りなんてしないだろう。だったら、ドラゴン退治の様子を見て攻略法を研究したいのか、それとも興味本位でついてくるのか……。よく分からないが、俺に危害を加えるつもりはないらしい。殺気をまるで感じないのだ。だからとやかく言う必要もないと思い、相手にはしていない。だけどハードナックルの気配を感じる度に、どういう訳か洋介の思い出が次から次へと脳裏をよぎっていく。洋介もハードナックルだったから……なのだろうか……。

 ゴツゴツとした岩山に、ところどころ濃い緑が茂っている。冒険者が滅多に来ないこのような場所に道など存在するわけもなく、険しい急斜面をよじ登っていく。ロッククライミングは腕の力よりも、脚力のばねによる上体移動を使って登るのがコツだと聞いたことがある。腕力だけに頼ると、すぐにスタミナが切れるからだ。指をでっぱりに添える程度ひっかけると、足場を探しては、つま先に力を入れて上へ上へと移動する。

 立てる場所までよじ登ると、あたりを確認した。ドラゴンの気配がないので、また上へと登っていく。ギルドの情報によると、ドラゴンには翼があるそうだ。このようにほぼ垂直な斜面で戦うのはあまりにも不利である。できればところどころ点在している、木々のある平面で戦いたい。

 それにしても、ドラゴンとなかなか遭遇しない。最近挑戦する者がいないせいで、ドラゴンが繁殖しているという情報を耳にしていたのに。ついには陽が暮れてしまった。空には暗雲が立ち込めている。月明かりさえないが、俺には暗視スキルがあるので困りはしない。だから対人なら暗闇の方が有利なのだが、相手は野生の怪物だ。この状況が吉と出るか凶とでるか。

 足元に雪がチラホラ見え始めてきた。山頂近くには雪が積もっており、そこには絶対に行くなとギルドで忠告された。クリスタルドラゴンという化け物が潜んでいるらしい。その実力を知るものは教会で聞く限り誰もいなかった。神クラスのモンスターらしい。レベル6の俺がどうにかできる相手ではない。普段は眠っているらしく、近づかない限り襲ってこないとのこと。きびすを返し、山の反対側を目指すことにした。

 すでに探索を始めて五時間以上が経つ。これだけ探して、何故いないのだ!? さすがに苛立ちが込み上げてきた。ドラゴンがこれほどまでにレアモンスターなら、他のモンスター攻略をすべきだったか。だが、ここまで来て引き返す訳にもいかない――そんな焦燥を胸に秘めながら、断崖絶壁の急斜面を、足場を確かめながら慎重に移動していく。

 そこでだ。やっと見つけた。ドラゴンを、だ。

 岩にできたくぼみの中で、体を丸めて眠っている。目視こそできないが、俺の察知スキルが奴だと確信している。距離にして十メートル。目と鼻くらいの場所に、奴がいる。ここは足場が悪い。下には木々の生える平面が見えるが、ひとっ跳びで移動できる距離ではない。このまま近づくと気づかれてしまう。起きる前に先制攻撃で仕留めるのは不可能だろう。

 だったら!

 俺はつま先を滑らした。指で上体を支えながら、激しく音を立てて下に見える森林地帯へ急ぐ。思った通りだ。ドラゴンは目を覚まし、大空へ舞いあがった。

 見上げると、視界を完全に遮るくらいの巨大翼竜が迫っている。喉をごくりと鳴らす暇すら与えてくれない。地へ着地すると、横へ大きく身をひるがえした。轟音と共に、キーンという耳鳴りが襲ってくる。横スレスレを通り過ぎると、再びドラゴンは上空へ舞いあがった。

 暗雲から、丸い蒼月が顔をのぞかせる。月光に照らされて、奴の全貌が明らかになった。

 それは驚異的な存在として、俺の視界に現れた。

 まるでそれは宙に浮く、羽の生えた要塞のようだ。ドラゴンは赤い眼光を光らせ、俺を睨み、咆哮を上げた。地を揺らすほどの衝撃に、全身の毛は逆立ち、鼓動は加速する。それは心地よい緊張だった。感じる。俺の血が力強く全身へと駆け巡り、強敵の登場を喜んでいる。

 木々に身を隠し、胸に忍ばせているナイフに手を伸ばした。

 いよいよ、奴とバトルが始まる。翼を広げたドラゴンは、まるで宙に浮いた難攻不落の城壁を連想させる。だが、驚異はそれだけではない。奴の動きには、大きさ特有のおごりがないのだ。木々をなぎ倒しながら接近してくると、俺に逃げ場を与えないかのように紅蓮の炎を撒き散らし、またたく間に後方へと通り過ぎ、姿を消す。

 直ちに、次のターンが始まる。木々は激しく燃え盛る。勢いよく広がる黒煙が、俺の視界を曇らせ、肺の動きを鈍くさせる。敵はドラゴンだけではなかった。続いて、爆裂した木の破片が俺に向かって飛んでくるのだ。かわしきれないやつは、ナイフでさばく。

 一見不利と思えた岩山に広がる森林地帯。だが、戦いの地を林に移動させて正解である。シャドーの俺が、真っ向から戦うと力負けするのは火を見るよりあきらか。ドラゴンと渡り合うには、この大自然の要塞を活かさなければならない。

 腹の奥まで響き渡る重音をひっさげて、奴は一直線に突撃してくる。大きく口を開け、ズラリと並ぶギザギザに尖った牙を見せつけ、赤黒い霧状の煙が両方の口角からモワリと漏らす。炎を練っているのだ。

 俺は左右の手に三本ずつのナイフを握り、上空に向けて『雷鳴閃』と叫ぶ。雷鳴閃の発動までの二秒。猛烈に迫り来る怪物を目の前にして、その時間はあまりにも長すぎる。

 天がとどろく。白い放射状の閃光が、俺の両腕にドスンとのしかかる。足が地に埋まりそうな衝撃と共にナイフが光った。同時に俺は、地を蹴った。

 雷鳴閃の衝撃により、HPは50消耗。すぐに『オートヒール』も発動する。HPが急激に揺らぐ。HP 30…… 35…… 40……。

 押し迫るドラゴン。それはまるで時速二百キロで走る特急列車を、真正面から迎えているかのようだ。奴がひっさげてくる音速の衝撃で、木々がなぎ倒されていく。その数本が俺に向かってくる。かわすことは容易。だが俺の目的は、回避ではない。攻撃だ。

 体勢を崩すわけにはいかない。最小限のダメージは覚悟している。小さな破片を左肩に受ける。HPが35減る。HP残、たったの5。左腕に力が入らない。使えるのは右手に握った三本のナイフのみ。俺の射程にドラゴンが入った。全身を回転させて、渾身の力を、その一投に込めた。それは蒼い三本の光線となってドラゴンへ向かって行く。

 俺には、その行方を見ることすら許されない。残されたすべての力を、回避にのみ集中させる。横へ走り、転がるように地に突っ伏して、なんとか猛攻を避ける事に成功した。

 見上げると、ドラゴンの顔から、青白い煙が上がっている。三本とも命中していた。

 ドラゴンは苦しそうに唸り、赤い眼球で俺を睨みつける。俺は左肩に突き刺さった木片の欠片を引き抜いた。赤い血がビュッと噴き出る。ほぼ同時に、俺のHPは全快した。肩当ては全壊しているが、傷口は綺麗に塞がっている。

 いける! 雷鳴閃なら、奴に通じる。あれだけの分厚い鱗だろうが、貫くことができる。

 俺は、腰の小太刀に手をかけた。敵には翼がある。最後の最後で逃げられてしまう可能性だってある。それがドラゴン狩りを困難にさせている理由のひとつ。敵は今、怒りに身を任せているから交戦の意思を見せているが、このまま中距離から少しずつ削っていく戦法は、あまり得策とは思えない。雷鳴閃が通用する事さえ分かれば、後は一気にフィニッシュへもっていくべきだ。炎と煙が充満しているこの場所で、敵が俺の位置を認識できているのは、きっと眼力でも嗅覚でもない。間違いなく耳だ。ドラゴンは、俺の足音を追ってきている。

 俺はサバイバルスキルのひとつ――『罠生成』を発動させた。

 作成可能な罠の候補が、ステータスウィンドにズラリと現れる。それぞれの罠生成に必要な素材がアイコンとして表示されている。その辺りに転がっている木片とナイフを素材にして、『ベアートラップ』のアイコンをタップした。目の前に、狩猟用で見かける大口を開けたトラバサミが現れた。こんなちゃちな玩具で、ドラゴンを抑えようなんて更々考えてはいない。期待しているのは、トラップが発動した時に鳴るガチンという音だ。ベアートラップをばら撒きながら、忍び足で岩山へと移動していく。そしてナイフを握り、仕掛けたトラップへ目掛けて投げつけた。鉄と鉄が噛み合う音が、闇夜につんざく。ドラゴンは反応した。音の方へ急下降していく。俺は岩山から飛び上がった。ドラゴンの背中を完全に捉えた。俺の両手には、移動中に仕込んだ稲妻交じりの小太刀がある。全体重を乗せて、背中から奴の心臓を目掛け、二本の刃を突き刺した。

「グオルゥォルルルゥゥ!!」

 ドラゴンは苦しそうに悶えながら、落下していく。しっぽで俺を払いのけようとしてきたので、俺は身をひるがえした。完全に急所を貫いたようだ。もはやドラゴンは飛び上がることはもちろん、起き上がることすら困難のようだ。ゴリ押しできるヘビーアーマーや、距離を保ちながら渡り合う魔道士系と異なり、シャドーの戦いはまさに一瞬である。隙を見せた方が、すぐに死ぬ。僅かな刻。だが、本当に充実したひとときだった。ここまで俺を熱くしてくれた強敵に敬意を払い、最後の一刀を撃ちこもうとした――その刹那――黒い影が俺の前に躍り出た。

 ――ハードナックル!?

 鋼の拳が、ドラゴンの顔面を崩壊させた。

「て、てめぇ! どういうつもりだ!」

「……ごらんの通り、横取りさ。それが何か?」

 その声は英語だった。だけど俺は目を疑った。あいつだ。あいつが俺の前にいる。

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