第六章 力こそ秩序 ならば俺は……4
そろそろ集会の始まる時刻になる。
礼拝堂の前にある受付を前にして、ユーチェンは立ち止まった。
「修二、気を付けてね。それよか、さっきはありがとう。アイリーンの手をはたいたのは、あの子達が私を侮辱したからだろ? 本当にうれしかったよ。だけど、これからはなるべく敵を作るような行動は慎んだ方がいい。長い物に巻かれた方が早く出世できる。やっぱり数は力だ」
ユーチェンの言いたいことは分かる。心配をかけたくないので、コクリと頷いておいた。ユーチェンと別れ、メイド服を着たホールスタッフの女性に、入室前に受付を済ませるように告げられ、とりあえず列の最後尾に並んだ。すでに長蛇の列が出来上がっており、受付の人間は十名もいるというのに、なかなか俺の番がやってこない。
しばらく待っていると、初老の男性に声をかけられた。グレイのスーツ姿で白髪混じりの短髪。額や口元には歳相応の年輪を刻んでいるが、その精悍な顔つきは出来る人物を想像させた。
男は俺と目が合うと一礼した。
「ミスターシュージですか?」
「あ、はい」
「お待ちしておりました。わたくしは監査院事務補佐官のコーネルと申します。本日レオン様より、あなたのエスコートをするように仰せつかっております。どうぞこちらへ」
「え、受付は?」
「あなたは推薦者。必要ございません。どうぞ」
コーネルと名乗った男は、俺を礼拝堂の中へと案内してくれた。
そこはなんとも煌びやかな世界だった。ギルドの集会と聞いていたので、ろうそくの炎を囲んで辛気臭い会議でもするのかと想像していたのだが、俺の目に映った景色は、まるで貴族達の宴のようであった。椅子はすべて片付けられており、点在する丸いテーブルの中央には皿が重ねられてある。立食形式のようで、部屋の隅には、食べ物や飲み物が並んでいる。
コーネルは、「わたくしは今期の奴隷長選出試験の審査員のひとりでもあります。だからミスターシュージに特別な情報をお教えする訳にはいきません。ですが、あなたはまだこの世界に来て数日しか経っていないご様子。その状態で試験を受けるのはあまりにも不利です。なので、ギルドでの最低限の常識を説明させてもらいます。レオン様からもそのように仰せつかっておりますのでご安心ください」と一礼し、礼拝堂の中を案内してくれた。
コーネルの役職は監査院事務補佐官。レオンは監査長。この二人の関係を問うと、コーネルは分かりやすく、ギルドの構成まで説明してくれた。
まずギルドは三つの院で構成されており、レオンが長を治めている監査院。そして司法院。最後に政務院。この三院が、それぞれの立ち位置から奴隷長を監視している。奴隷を束ねる奴隷長は力を持ちやすく、故に三院の監視下にあるとのことだ。そして六万人いるユーザーの内、レベル2以上の人数は約五千人いる。ギルドは彼らのことを『市民』と呼んでいる。その中でギルド加盟者は、約四千人。五人中四人はギルドの構成員と思って間違いないらしい。加盟しない者の理由は、やはり税金を払いたくないからだろう。俺が真意を問うと、
「それもあるでしょう。ですがご心配いりません。納税の義務がある者は、アシストのみです。ミスターシュージはマイスターです。あなたは支配する側の人間に位置しております」
ユーチェンはこの部屋に入ることが許されない。つまりアシストが支払った血税で、マイスターは贅沢三昧をしているって訳か。
突然、会場内の光源がすべて消えた。照明は会場最前列にあるステージの隅へと集まる。そこには蝶ネクタイをした司会者の姿があった。
「本日は多数のご出席、誠にありがとうございます」
司会者は挨拶を終えると、会場横を指差す。そこには忘れもしない、あいつの肖像画があった。――奴隷長ザパン。
位牌の前には、ジャパニーズコミックが山のように供えられている。
「先日、奴隷長ザパン様は奴隷調教中に不慮の事故でこの世を去りました。ザパン様は皆の憧れの存在であり尊敬される人物でもありました。ザパン様に影響されて奴隷長や調教師を目指した者は多数いらっしゃることでしょう。ですが、もうあのザパン様は戻ってきません。ザパン様のご冥福を祈り黙祷を捧げたいと思います」
胸の前で十字を描き祈る者、手を合わせる者と様々。
俺のすぐ近くで、ザパンの話をしている二人組がいた。ザパンと同年齢くらいで、胸にはたくさんの勲章がある。役職持ちなのだろう。ザパン同様に醜悪なヒゲ面をしている。
「ザパン奴隷長殿は本当にいいヤツだった。いい奴程、早死にするって言うが本当だったんだな。俺の生誕日の夜。こっそり奴隷の美女を五人も部屋に送り届けてくれたんだ」
「わしもザパン奴隷長には本当に世話になった。惜しい人を亡くした。――お、これはコーネル殿。もしやその若造は、奴隷長を目指しているのか?」
俺を指差してそう言った。
コーネルは一礼し、「はい。レオン様の推薦者でございます」と応える。
「そうか、小僧。俺の生誕日は狼の月の三日だ。覚えておくように。ザパン殿は必ず俺の寝室に美女を届けてくれたぞ。あっはっは! 期待しておるぞ」と俺の肩をバンバン叩いて、男は立ち去った。コーネルは、
「あのお方は、政務長ザーパス様。ギルドでは、虎髭の知将と称されている文武両道のつわもの。仲良くして損はございません。奴隷制度を確立させた立役者なのですから」
……気分が悪い野郎だ。
「今、あなたは嫌悪感を抱きましたね?」
……何でわかる? 表情にでちまったか。
「ふふ、分かります。わたくしがこの世界に入る前から培っていた能力がそれなのですから。こんな力を持ちながら、機械の心まで読めずにこの世界に迷い込んでしまいました」
もしや読心術者!?
「――左様です」
もしかして、俺の心の内まで見破られちまったのか!? ギルドなんて、レオンもろともいずれぶっ潰すつもりだ。そのことまでバレたのか。――どうする? 状態負荷は解除されている。今の俺には、シャドーの足がある。知られた以上、やるしかないのか。
コーネルは微笑を浮かべているだけだ。やはり、こいつもレオン同様に強いのか。
「わたくしの力では、到底あなたに勝てません。……どうか心をお鎮めください。ミスターシュージ。御覧なさい。この館内でたくさんのメイドや黒服が働いていますよね。皆、奴隷です。奴隷長の調教が終わった者は、こうやって仕事を与えられ、ギルドに従事することができます。もし奴隷にならなければ、浮浪者としてのたれ死ぬしかない者を、こうやってギルドは救っているのです」
……よく言うぜ。力なき者の弱みを握り、平伏させているだけじゃねぇか。反吐がでる。
「それがあなたの本心ですね」
……そうだ。てめぇらの御託なんて聞きたくはない。
「あなたは、レオン様とほぼ同じ方向を向いている。今日わたくしがあなたと接触したのは、レオン様に命を受けて。それには、表と――」
それはどういう意味だ? ――裏があるっていうのか? 先日から分からない事ばかり起きる。ユーチェンはレオンを救世主と言っていた。されどそのレオンは、アシストを侮蔑している。矛盾ばかりだ。――もしや……。
「そうです。レオン様は監査長。……それは誰よりも監査する力に長けているから抜擢されました。常にあのお方は監視しています。誰かよからぬ事をせぬかと」
監査という言葉を執拗以上に連呼する。もしかしてそれは含み言葉か? 何か俺に伝えたいのか? ――監査長は監視されている? つまりレオンは、誰かに見張られている。だから言葉や行動に規制がある。そう言いたいのか?
「察しが良くて助かります」
では聞く。何故だ? 何故、レオンは俺の仲間を……俺の大切な人を奴隷にしやがったんだ!
「ひとつは、あなたを土俵に上げるため。そしてもうひとつは、彼女達にとってそれが最も安全だからです」
確かに俺が牙を剥けば、まっさきに狙われるのがひなた達だ。それにもう俺は、ギルドの幹部を殺っている。その気になったら、昼夜問わず刺客を送り込むことだってできそうなものだ。
レオンはもしかして、俺達を守ってくれているのか? だけど、あんなに強いレオンが、ギルド内では雁字搦めにされているというのか? 『オーラ』という規格外の壊れスキルがあるというのに、どうして?
コーネルは何も言わない。今は言えない理由でもあるのか?
最後にもうひとつ教えてくれ。レオンの目的は何だ? このギルドをぶっ潰すことか? それとも改革し、繁栄させることなのか?
「後継者を創ることです」
――それは一体……。
「明日から行われる奴隷長試験。三院の野望が入り乱れています。きっとあなたの探している答えが、そこで見つかる筈でしょう。そろそろレオン様のショーが始まります。舞台にご注目ください」
近くのテーブルではユーチェンに酷い事を言ったあのガナン一団が、政務長ザーパスを囲んで持ち上げている。
「まぁ飲めや」
「ありがとうございます。あ、ザーパス様もどうぞ。あれ? 舞台が暗くなりましたが、これから何が始まるんですか?」
「がはは。新規入荷した奴隷のお披露目会よ。わしが担当だったときは、選りすぐりの美女を裸にして晒してやったわ。犬コロの真似をさせたり、会場の連中に弓で射殺させたりして、場は大盛り上がりよ! がははは!」
「是非見たかったです。今回もそのような趣向で?」
「さぁな。今回の担当は、堅物のレオン殿だ。奴隷を裸にするとは到底思えん。どうせ地味な見世物をして葬式みてぇにしめやかに終わるだけだろう。つまらん男よ。まぁ、どうでもいいがな。もしおまえ好みの美女がいたら、俺様の権限で脱がせるように命令してやる。何なら持ち帰るか?」
「え? いいんですか。ありがとうございます。俺はザーパス様に一生ついていきますから」
暗くなった礼拝堂内では、会場にいる連中たちは醜悪な目でニタニタ笑いながら、正面に設営されたステージに注目している。
ユーチェンは入室前まで、しきりに恋話をしていた。ガナン達に酷い事を言われた直後だったし、明るく振る舞いたいのかと思って黙って聞いていた。暖の効いたこの部屋では裕福な連中が卑劣な宴を貪っているというのに、外では貧しいものがそれでも夢を語っている。
降ろされていた幕がゆっくりと開かれていく。あの幕の向こうには、きっと先輩達がいる。もしザーパスが言っているようなことが起きたら、俺は冷静でいられるだろうか。幕が上がるにしたがって、数人の足が見えてきた。裸足だ。何もはいていない。
ザーパスは、「ほぉ、あのレオン殿も分かるお人だったか」と、言ってニタニタと笑っている。もし先輩達に酷い事をしていたら……。俺は熱くなる衝動を必死にこらえていた。
だが次の瞬間、ザーパスは激怒した。
「なんだ! これは!」
ステージにいる人数は総勢四十名前後。老若男女と様々。その中央にはレオンの姿があった。まるで劇団を連想させるような華やかな衣装を着ている。ひなたは戦国時代の姫を連想させる着物姿だ。ターニャは西洋の王女。黒瀬先輩はまるでクレオパトラのような恰好をしている。
誰かがふと、「美しい」と漏らす。
ザーパスは真っ赤な顔で立ち上がる。
「さっき美しいと言った奴はどいつだ! おい、レオン殿! これはいったいどういうことだ。奴隷のお披露目会は、すなわち奴隷長になりたいものを増やし、奴隷長試験のレベルを向上させる意味もあるのだぞ。大量の税金を使い、そのような衣装まで用意し、あなたはいったい何を考えているのだ!?」
レオンは一礼だけして、ショーを始めていく。
それはミュージカルだった。即興で作ったところも多く、素人くさいところも散見しているが、彼らの必死な演技は胸を打つところがたくさんあった。
特に注目すべきは、ひなただった。あいつ、あれだけの台詞を良く覚えられたな。天才肌の黒瀬先輩や、器用に何でもこなせるターニャとは違って、ひなたはかなりの天然。ただゲームだけは、デタラメに飲み込みが早い。やりたいこと、興味があることなら遺憾なく能力を発揮できるタイプだ。数時間の練習だっただろうに、よくやっている。
だけど、あれだけの事をされたレオンと、どうして!? そういう疑問も少なからず湧いている。ザーパスは不機嫌そうにテーブルの料理をつまみ、チラチラと舞台を見ている。
ガナンは、「ザーパス様、俺は、あの子がいいです」と黒瀬先輩を指さした。
「分かっておる。この三文芝居が終わったら、俺がヌードショーに変えてやるわ」とピザを鷲掴みにとって、口に突っ込んで、ワインで胃の奥へと流し込んだ。
劇は佳境に入った。
隣接する三国は睨み合っており、民は苦しんでいる。黒瀬先輩、ターニャ、ひなたは、争っている三つの国の王女を演じていた。三人は絶世の美女という設定。そして最終戦争に踏み切ろうとしている独裁者たちに対して、必死に仲裁をしている。
されど、この戦争はもはや誰にも止めることはできない。このままだとすべての民は死に絶えてしまうだろう。三人の王女は、密に会い、力を合わせて戦争を止めようとするが、権力者の手にかかり一人、また一人と、火刑で命を落とす。
その姿を見て、会場内では涙する者もいた。最後に残ったのは、ひなただけになった。ひなたが演じる東の国の王女は、国から追放され、着ていた服もボロボロになり、それでも懸命に戦争を止めようとしている。そんなひなたを後押しする者は徐々に増えてくるが、それでも権力者達の欲望の刃が止まることはない。三国は兵をあげ、いよいよ戦争に突入しようとしている。――この先どうなるのだ!?
会場内の皆は、言葉すら失ってステージに注目していた。ガナンはもちろん、あのザーパスまで食事の手を止めていた。そこでだ。一人の男が立ち上がった。
「やめろ!」
その声は、最後列にあるテーブルから上がった。声を発したのは、四十代半ばの白い法衣をまとった男性だった。その隣にはアイリーンの姿もある。もしかしてあいつが、アイリーンを推薦したという、司法長ガーネスなのか?
「レオン監査長。この芝居は、どういうつもりなのだ?」
レオンは芝居をやめようとはしない。憤慨している司法長ガーネスを見て、ザーパスまで我に返ってレオンを非難し始めた。そこでようやくレオンが二人に応えた。
「意味? それは私の調教スキルを披露しているだけだ。たったこれだけの時間で、ここまでのショーをやれた者はいるか?」
コーネルは俺に、「表の意です――」と耳打ちした。
真の意は、司法長ガーネスが懸念する通り、このショーを通じて訴えたいことがあるんだな。つまりレオンなりの先制布告というやつか。三国とは、きっと抗争しているギルドの三院を差していたに違いない。
「左様です」
レオンは口角だけで薄く笑う。
「それにしても前回のショーは本当に酷かった。調教する者の能力が皆無であるということを露呈するだけのくだらぬショーであった」
前回の担当者だったザーパスは、真っ赤な顔でレオンに指を向けた。
「だ、黙れ! 俺はだな! 奴隷長になったらこんなにおいしい思いができることを存分にアピールしただけだ。その結果、試験にはたくさんの奴隷長志願者が集まっただろうが!」
レオンはさっと指差した。その先は、ザパンの肖像画を向いていた。
「そして生まれたのが、彼、か……」
「何を! 死者への冒涜は許さないぞ!」
「このショーで出てきた一人の女性を覚えているか? 兄の仇をとった妹役を演じていた女性のことだ。名演技だったと思わなかったか? あなたも目を赤くしていたぞ」
「話をそらす気か!? ……まぁ、家族をあれだけ苦しめた悪党を殺った時は、そりゃぁ気持ち良かったさ。迫力のある名演技だった。大女優の資質があるぞ、あの子」
「私は彼女にこう言っただけだ。仇相手をザパンだと思え、と」
「……ぐぅ。てめぇ! その言葉は高くつくぞ。もう良いわ。俺は政務長。この三院の中でもっとも強い。いいのか? 俺がその気になったら、お前の権力をはく奪することだって可能なんだぞ!」
「それは、私がギルドの法を侵した場合のみ施行されるルール。私がいつ、ギルドに牙を剥いた? 私はこうやってレベルの高い奴隷調教術を手ほどきしてやっているだけだ。奴隷はギルドの宝。扱う者によって輝きもすれば、光を失いもする」
「黙れ! もうよいわ。おい、ガナン、手伝え! お前が欲しいと言った西の国の姫役だったあの黒髪の女を脱がしてやる」
「……え、あ、でも……」
「なんだ? 俺様の命令が聞けないというのか?」
「い、いえ。とんでもございません」
ザーパスはズカズカとステージに上がり、ガナン達一団もその後ろへと続く。いつの間にか、アイリーンが俺の横まで来ていた。
「今日はおいしい事ばかり起きる。いよいよレオン様の力を拝見することができそうだな。あんたも、加勢に行くのか?」
「俺が行くまでもない。あんなクズ共に負けるレオンではない」
ザーパスの乱入で、場は一層盛り上がる。野次や歓声が、吹き上がる。ざっと見渡しても軽く三百人以上はいるだろう。そいつらが、一斉に加熱していく。
「ザーパス様。やれぇ!」「美女の裸が見てぇ」「やりてぇ」「脱がせろ!」
ザーパスは薄気味悪く笑う。
「ククク。レオン殿、どうですか? 俺に向けて巨大コールが巻きあがっとるでしょう。先程は俺に能力がないようにおっしゃいましたが、皆は俺に期待しているのです! 間違っているのはどちらですか?」
そして腰の大剣を引っこ抜くと、ガナンに手渡す。
「おめぇ。やれ! こいつで脱がせてしまえ」
「え? え? 俺ッスか?」
「あたぼうよ。お前、裸が見たかったんじゃねぇのか?」
レオンの鋭い眼光とザーパスの無茶振りに、両ばさみにされたガナンだったが、さすがに引き返せなかったのだろう。黒瀬先輩に向かってジリジリト近付いて行く。




