第92話 その名は葬送騎士
◆ イカナ村 ◆
決着といえるほどのものですらなかった。そもそも、戦いとして成立していない。戦いですらない。
そこに起こっている現実はそれほど無惨だった。黒い小手を装着した手で貫かれるムゲン。今では羅刹闘気すらも消えて葬送騎士に貫かれ、高々と掲げられている。
「満足したか? といっても、もう聴こえていないか」
別に葬送騎士が何か特別なスキルを使ったわけじゃない。ただ葬送騎士のほうが遥かに速かった。それもムゲンの拳が黒い甲冑に命中する寸前に動いても、間に合うほどの速度。
五高のムゲンでさえ、葬送騎士の背中の鞘に納まった剣すら抜かせられなかった。ただそれだけの無惨な現実。
「もういいだろう」
そう言って葬送騎士は手に刺していたムゲンを地面に投げ捨てた。腕を軽く振って血を落とし、その視線はボクに向けられている。
「まさかこんなところで会えるとはな……?!」
自分が投げ捨てたはずのムゲンがいない。辺りを見回す葬送騎士の様子からわかった事は、こいつもボクの速度を追えていないという事。ボクが血を流して倒れているムゲンをロエルの前に持ってきた。ただ、それだけの流れだ。
「……なるほど。十ニ将魔では手に負えないわけだ」
「ロエル、回復をお願い。死んでないよね?」
「うん、大丈夫。普通の人なら死んでいるけど、ムゲンさんは頑丈だからまだ生きてる」
ロエルがムゲンに回復魔法をかけてあげているのを確認してからボクは改めて葬送騎士を睨んだ。まず初めに思ったのは、ボクが出会った人達の中でも飛びぬけて強いという事。今の時点で五高最強のムゲンですら、手も足もでなかった。もしかしたらティフェリアさんよりも上かもしれない。
でもボクが一番、不思議に思ったのはあいつの周り。さっき近寄ってわかった事だけど、変な気だるさがあった。その証拠にさっきのボクの速度は少し遅かった。
スキルなのかはわからないけど、もしかしたらムゲンもそれにやられたのかもしれない。
「その子……」
「ロエルがどうかしたの?」
葬送騎士はそれっきり何も言わなかった。出てきた時は凄まじい殺気を放っていたと思ったら、今は穏やか。兜に覆われた金属の中から発せられる響くような声のせいで、かろうじて男の人だとわかるくらい。
葬送騎士、こいつは人間なのかな。十二将魔と同じように人の姿から化け物になるんだろうか。
「すぐにこのブラックビーストとやらを捕獲して帰還するつもりだったが、気が変わった。
少し相手をしてやろう」
そういって葬送騎士は背中の鞘から剣を抜いた。その剣の刃、柄ですら黒に染まっている。
「バッドスレイヤー。見る者に不吉をもたらす凶刃」
武器の名前と共にそれが戦闘開始の合図だった。ボクの背後をとるつもりの全速力、うっかりしていたら危うくそうなるところだった。それに失敗しても葬送騎士はまた旋回してバッドスレイヤーを水平にして斬りつけてきた。
この間、1秒も経ってない。葬送騎士の速度がボクの速度を上回る事はない。葬送騎士もそれを理解しているのかバッドスレイヤーを盾にしつつ、攻め立ててくる。攻めてきたと思ったら、斬りにこないでバッドスレイヤーを盾に。それの繰り返しだった。
「その武器、危なそうだね」
「ほう……?」
葬送騎士の反応からしてボクの予感は当たっていると確信した。葬送騎士はあのバッドスレイヤーにものすごい自信を持っている。さっきから葬送騎士は一撃当てる事に集中しているように見えるからだ。
だから迂闊に攻め込んでこないで、機会を伺っている。それはつまり、一撃でも当てればボクを何らかの形で戦闘不能に出来る武器という事。
「うん……?」
それからさっきから感じている違和感の正体がわかってきた。葬送騎士の近くにいると、わずかだけど体中から力が抜けていくような感覚に陥る。そのせいでボク本来の速度を出せないでいるわけだけど、だからといってこの葬送騎士に捕まるような事態には絶対にならない。
「チッ、これは思ったよりも……」
早くも焦りを見せてきた葬送騎士。でも、思ったよりは余裕そうに見える。だってこいつはボクから力を吸収しているから。スキルなのかあの鎧のせいかはわからないけど、少しずつあいつの速度が上がっている。そしてボクの速度がわずかに落ちてきている。それに加えてこの倦怠感。なるほど、これが葬送騎士か。
「さて、いつまで持つかな」
わからないけど、多分兜の下でニヤリと笑った。だけど、気づいているんだろうか。ボクはさっきから一度も攻撃していない。気になる事があるから、ボクはこいつを倒そうとしていないだけだ。
それにはまず、ムゲンがやろうとした事を実現しなきゃいけない。葬送騎士のバッドスレイヤーとかいう不吉な名前の刃をかわしつつ、ボクは黒い兜を掴んだ。そして力を込めるボクの腕をほどこうともしないで、隙ありと言わんばかりに葬送騎士はボクのお腹目がけてバッドスレイヤーを突き刺そうとする。
だけど、刺されてあげるわけにはいかない。得体の知れない武器だし、何かとんでもない追加効果があるかもしれないから、ボクはその切っ先を自分の剣の側面で受けた。
左手で葬送騎士の頭を掴み、右手の剣でバッドスレイヤーを止める。もちろん、こんな状況をいつまでも葬送騎士が許すはずがない。隙が出来るのは一瞬でいい。
その間にボクは葬送騎士の兜に力を込めた。すぐ壊れるかなと思ったけど、想像以上に堅い。手加減して壊せるものじゃないとわかったボクは最大限まで握力を振り絞った。
「なっ……!」
葬送騎士が驚くのも無理はないと思う。兜には亀裂が入り、そこから粉々に砕けるのはまさに一瞬だった。黒い破片が飛び散り、正面を覆っている仮面のような部分が割れて、その素顔がむき出しになった。
「――――ッ!」
一気に心臓が跳ね上がるのを感じた。バッドスレイヤーを止めている最中なのに、ボクは何歩も下がってよろめく。あまりの衝撃に立っていられなかった。
だってその現実はあまりにもありえないもので。
また夢を見ているのかとさえ思うほどで。
でもこれは現実。
「よう、久しぶりだな。正体をばらすつもりはなかったんだがなぁ」
その声は10年前に聞いた時のものとまったく変わらなかった。片手をあげて、陽気に挨拶するあの人の仕草。
「凄まじく強くなったもんだな、リュア。どうだ、冒険者は楽しいか?」
ウソだ。こんなのありえない。ボクが戦っていたのは魔王の側近、葬送騎士だ。あいつはどこにいったんだ。ミストビレッジの幻覚じゃあるまいし。
「まさか死鉄の兜が割られるなんてな。またあいつに作ってもらうかぁ」
なにいってるの。おかしい。こんなの絶対におかしい。
「ウ、ウソ……だ……」
「……ま、信じられない事盛りだくさんだろうよ。だが、この場で語る気はない。
元々俺はお前らに用があってここに来たわけじゃないからな。
おっと、言っておくが感動の再会だからといってお前らと馴れ合うつもりはない。何せ俺は魔王様の忠実なる側近……」
やめて、それ以上言わないで。
「葬送騎士、イークスなんだからな」
「……リュアちゃん!」
膝から崩れ落ちたボクを支えようとするロエル。苦しい、何が起こっているのかさっぱりわからない。イークスさんはあの時、死んだはずだ。それなのに、どうして。
「お、お前はイークス……生きていたのか……」
「よう、カークトンさん。昔はいろいろと世話になったな」
「聞きたい事は山ほどあるが要点は絞らせてもらう! なぜ、なぜお前ほどの者が魔王軍にッ!」
「それをあんたが聞くか?」
「……!」
葬送騎士、いやイークスさん? いや、葬送騎士。どっちでもいいや。押し黙ったカークトンとのやり取りを見てもまるで夢の景色のようにしか感じられなかった。まだ現実とは認めたくないボクがいる。
だけどこれは現実だ。目の前にはあのイークスさんがいる。黒い鎧を纏って、魔王軍と名乗るイークスさんがいる。やっと会えた、逃がしたくない。
「イークス……さん」
「とんでもなく強くはなったみたいだが、泣き虫は直ってないみたいだな」
「だって、だって! 生きていたんなら会いたかった! でも、こんな形で会いたくなんかなかった!
なんで魔王軍なんかにッ!」
「……だよな。知りたいか?」
「知りたいよ! 魔王軍がどんな事をしてるか知ってるでしょ?!
ボク達の相手をしてくれて、頭を撫でてくれたイークスさんはそんな人じゃない!」
「一度、激情に流されると止まらないところも昔から変わらないか。
この分だと、剣を握る器もまだ完成していなさそうだ。いくら強くてもまだまだ子供だな」
イークスさんはバッドスレイヤーをボクに向ける。それはもちろん、ボク達と敵対しているという意思表示だった。涙でぐしゃぐしゃになったボクが近寄らないよう、牽制している。
「お願い、イークスさん……魔王軍なんかに協力しないで……」
「俺は魔王様の側近、葬送騎士イークスだ。俺は魔王軍として世界を滅ぼす」
そこまで話した後、イークスさんは一歩、二歩、三歩とボクに近づいてきた。手元のバッドスレイヤーを振り下ろす気なのかはわからない。でも、ボクはもう防がない。あのバッドスレイヤーが恐ろしい武器だったとしても、イークスさんがボクを殺すなんて事をするはずがない。
クラーク帝国だかを滅ぼしたという話も何かの間違いに決まっている。あの十二将魔とは違う。
そうだ、違うんだ。
この人は優しいんだ。
「嫌なら、止めてみろ。そして魔王城に来い」
そう言うと、イークスさんは一瞬だけ笑った。そして黒い邪悪にまみれた小手をつけた手でボクの頭を撫でる。
「あ……」
10年前に感じたあの優しさ。温もり。それを今、確かに感じた。こんなに温かいのにイークスさんは遠くへ行こうとしている。
「魔王城に辿りつけたなら、すべてを話してやる」
イークスさんが指をパチンと鳴らした後、地面からすり抜けるように土色か黒色ともわからないような細長い体をした竜が出てきた。真っ直ぐ引き伸ばしたらこの村を囲めるほど長い体の竜は、イークスさんの横にしなやかに止まった。
【漆黒の地竜ドグラが現れた! HP 18100/18100】
「おっと、構えるなよ。俺はこいつに乗って帰るだけだ。これももらっていく」
イークスさんがこれと指したブラックビーストは、竜の長い尻尾に優しく巻かれた。ブラックビーストは暴れる事もなく、空中を浮いている竜にされるがままだ。
「ま、待て! たとえ世界の敵となっても果たすべき事があるというのか、イークス!」
「だから言っただろう。俺は世界を滅ぼす。カークトンさん、アバンガルド王国にはそのうちたっぷりとお礼参りしてやるよ」
竜の背中からボク達を見下ろすイークスさん。さっき優しく頭を撫でてくれたイークスさんとは別人みたいだった。さっきボクと戦っていた葬送騎士のソレだ。黒い甲冑の奥からボク達を捉える冷たい視線、イークスさんじゃない。完全に新生魔王軍、魔王の側近葬送騎士イークスだ。
「リュア、何が正しくて何が間違っているのか。その目で見て、たっぷりと知っておけ。
そして答えを出してみろ。それがお前の憧れる冒険者だ。
それからそこのお前の相棒……」
イークスさんがロエルを見た。びくりと体を震わせたロエルはかろうじてファイアロッドを構える。
「……いや。気のせいか」
そしてイークスさんは小さくあばよとだけ言い残して手をあげ、空の彼方に消えてしまった。曲がりくねった竜の体が真っ直ぐになると、遠目からだとヘビのようにも見える。イークスさんはあんな魔物を従えているんだ。
イークスさんは本当に魔王軍なんだ、そう諦めさせるかのような光景だった。
「む、うう……。み、皆の者、無事か? 葬送騎士は……」
目が覚めたムゲンがボク達と周りを見比べている。そう聞かれてもボクには何も話す元気はなかった。ただイークスさんが消えたあの青い空を見つめている。もう涙さえも枯れ果てそうだ。それだけこの短時間で泣いた。
魔物図鑑
【漆黒の地竜ドグラ HP 18100/18100】
細長い胴体が特徴で、世界の果てにしか存在しないと言われる伝説の竜。
見たものにはとてつもない幸運か不幸が訪れると言い伝えられてきた。
自分の体を透過して地面に潜んだり敵からの攻撃を無効化するなど、戦闘能力も極めて高い。
恐ろしい魔物だが、自分が認めた相手なら背中に乗せるようだ。




