第91話 故郷で見たもの
◆ ベアーズフォレスト 北部 ◆
ギガースホースの巨大馬車が通れるのは森の入り口までなので、今はカークトンとムゲン、ボクとロエル、合計4人で徒歩で向かっている。村に住んでいる時はまったく知らなかったけど、イカナ村は広大なベアーズフォレストの近くにあるらしい。ボクがミイを探しに入ったところは西部、ビーズフォレストに隣接する部分だ。
王国が整備したこの辺りの道は比較的綺麗だけど、やっぱりここはベアーズフォレスト。デンジャーレベル30超えなので王国の中でも限られた人しか入れないし、あくまで危険地帯だ。
「済まんのう、リュア殿。本来ならばもう少し、同行させるべきなんだが……。
あいにく、他の者達は出払っていてな。よって調査は拙僧らだけで行う」
「いいよ、かえって気が楽だし」
「それにしても限られた人しか入れないなんて、イカナ村はよっぽど危険な場所なんですか?」
「制限の理由の一つがこのベアーズフォレストなのだ、ロエル殿。
浅いところまではデンジャーレベル30程度なのだが、奥地は50を超えるほどの危険地帯。
まぁイカナ村とは離れてはいるのだが、万が一そこの魔物が出てくるという事も考えられる」
ボクの村はそんな危険なところにあったのか。よく無事だったなと思う。もしかして村から出ちゃいけない理由がそれだったりするんだろうか。危ないから村の外へは出ちゃダメ、お父さんとお母さんはそればかり言っていた。
そしてそんな中、イークスさんがやってきた。やっぱり、あの人はたった一人で辿り着けるほど強かったんだ。
「それにしてもムゲンさんがいると助かりますな。おかげで魔物がさっぱり寄ってこない」
「ハッハッハッ、何のこれしき」
「あ、そういえば全然魔物が襲ってこないね。ムゲンさんのおかげなの?」
「拙僧のスキル『獄圧』は弱い魔物を寄せ付けぬのだ。この辺りならば、まず襲われる事はない」
「へぇ、いいなぁ」
薄々感じてはいたけど、さすがに五高ともなるといろんなスキルを持っている。シンブの姿を消すスキルや分身。ローレルの竪琴による音色。ボクはそういうスキルを一切持っていない。
ロエルがいて助かっている面はあるし、不自由はないけどうらやましくは思う。アズマの鬼神衆が水の上を歩いていたのだって、きっと何かのスキルだ。悔しくてあれからボクも女豹団の船に備え付けられているプールで練習したけどさっぱり出来なかった。
右足を沈む前に左足をあげる、それを素早く繰り返せば出来るはずだと言ったらアマネさん達に呆れられた。それどころか、ロエルなんか恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてうつむいちゃってた。
後で、お願いだからもう二度とそれやらないでと懇願された時はさすがにショックだった。
「リュア殿は何かスキルを持っておらんのかの?」
「ボクはソニックリッパーとソニックスピアしか出来ない……。後は炎と雷の魔法がちょっと使えるくらい。回復魔法だけはどうやっても使えないしボク、スキルの才能がないのかな」
「リュア殿もクラスチェンジすれば多彩な技が身につくかもしれぬ。拙僧のように自分だけのクラスを見出す事も可能かもしれんな。しかしそう焦る事もあるまい」
「む、そろそろ着くぞ」
カークトンが指した先には、古い木の看板が立ててあった。この先イカナ村、ロエルが呟いたのを聴いて、ボクは身震いした。いよいよ、念願のイカナ村に行ける。いや、帰る事ができる。
ボクの10年ぶりの故郷、あの燃え盛る赤い光景を最後に村はどんな風に変わり果ててしまったんだろうか。
「はーい、4名様確認しましたぁ! それではお通り下さい!」
「うむ、ご苦労だったな。キキィ殿」
大きな鳥にまたがったそばかすが目立つ眼鏡の女の子、Aランク冒険者のキキィが上空からボク達を見つけて降りてきた。
立ち入り制限をしているだけあって、この辺りはAランクの人が頻繁に巡回しているとカークトンとムゲンが説明してくれる。
もちろん許可されていない人は入れてくれないし、無理矢理にでも通ろうとすればその場で殺されても文句は言えないと怖い事を真面目な顔をしてカークトンは言う。
「ここがイカナ村……」
ついに目の前にイカナ村が広がった。そして何故かボクよりもロエルが一歩前に出る。ボクが躊躇して入れないでいると、ロエルがなぜか古びた柵を撫でていた。
◆ イカナ村 廃墟 ◆
丸太作りの家は燃えカスになり、壁だけを残し。放置された畑はもう普通の地面と区別がつかなくなっていた。変わらず残っているのはあの日、ボク達が語り合った川の流れだけだ。
ボクは深呼吸して全体を見渡し、そして川原に寝転んで空を見上げた。正体不明の魔物が、と止めるカークトンの言う事も聞かずにボクはひたすら、10年ぶりの故郷を感じていた。
「奴らはいないようだな、カークトン殿」
「ええ、しかしどこかその辺にでも潜んでいるのかもしれません」
ムゲンの言う奴らというのは正体不明の魔物の事だろうか。その魔物について調査をするみたいだけど、ボクに言わせれば魔物なんてどれも正体不明だと思う。火を吐く巨大犬、何もかも飲み込む巨大ヘビ、すべてを消し去るヴァンダルシア。ヴァンダルシアを魔物としていいのかわからないけど。
どこから、どうやって生まれたのかが想像もつかないものばかりだ。
「お父さん、お母さん、イークスさん、クリンカ……」
我慢していたのに涙がこぼれた。ここでこうしているとあの時に戻ったかのように錯覚するほど、この場所だけは変わっていなかった。川のせせらぎ、心地よいそよ風。
「リュアちゃん、どう?」
気がつけばロエルが隣にいた。お座りして、川を眺めている。考えてみれば、ロエルにはイカナ村なんて何の関係もないのにつき合わせてしまった。それでもロエルは何も言わずにこうして隣にいてくれる。
そして指でボクの頬を流れる涙をすくってくれた。クスッ、と優しく微笑むロエル。
「……なんだか、なつかしい」
「なつかしい?」
「私も昔、こういう村に住んでいたような。そんな気がして」
ロエルには子供の頃の記憶がない。今まで気づかなかったけど、それはとても辛い事だ。ボクにはまだその思い出があるし、浸る事もできる。でもロエルはそれが出来ない。そうやって、たった一人でクイーミルで生きてきた。
ボクだけが辛いだなんて大間違いだ。本当、なんで気づかなかったんだろう。なんでボクのほうから、ロエルに協力しようと思わなかったんだろう。記憶が戻るよう、手を差し伸べなかったんだろう。ボクはやっぱりダメだ。人の気持ちだとか、そういうのがまったくわかっていない。
ロエルと一緒にいられるだけで幸せなんて大間違いだ。それはボクの一方的な思い込みだ。ロエルだってきっと辛かった。でもボクの前ではそんなの少しも見せなかった。
こうしてイカナ村に戻れたし、決めた。もう戻らない過去を追うよりも、今度はボクがロエルを助ける番だ。
「あはは、全然関係ないのに妙になつかしく感じるってあるよね。
そういうのって前世で関係があったって、何かの本で読んだ事あるけど本当かな」
「ぜんせ?」
「生まれる前の自分の事。子供の頃は前の人生を少しだけ覚えている人もいるんだって。
それが大人になるにつれて忘れていっちゃう。仕方がないけど悲しいよね、なんか」
「ふーん、ボクもゼンセがあったのかな」
他愛もない話をするだけで幸せを感じる。ロエルが手を握ってくれて、ボクがそれを握り返して。そうしたら、なんだかまた涙が溢れてきた。何度も瞬きをするけど、止まらない。
「リュアちゃん、もう行こう? これ以上ここにいても辛いだけだろうし……調査はムゲンさんとカークトンさんに任せても……」
「違う、違う……わからないけどそうじゃない」
しばらく困っていたロエルだけど、やがてボクに寄り添うようにして寝た。ただ黙っていてくれるだけ。その優しさと肌の温もりが伝わってくる。
「ありがとう、ロエル」
「うん……?」
たったそれだけ言ってボクは今を味わった。
あの頃の思い出。
ボクのお友達と遊んだその記憶がここにきて鮮明に蘇ろうとしていた。今まであやふやだった部分が繋がって、すべてを思い出し――――
「……ッ?!」
朝、ホテルの部屋に兵士が来た時のようにボクは飛び起きた。
殺気。
ほんの一瞬、時間にすれば1秒も経ってない。そんなわずかな間だけど、感じた殺気。
どこから、一体何が。
それで迷うほどボクは鈍くない。奈落の洞窟では寝ている時ですら、気が抜けなかったんだ。今更こんな雑な殺気に惑わされるはずがない。
「リュアちゃん……?」
ボクが立ち上がったと同時に何事もなく、辺りを散策し始めた2人。それまでは殺意の眼差しをおくっていたと思われる2人。気のせいだと思う事にした。
「おーい、故郷がなつかしいのもわかるがきちんと仕事もこなしておくのだぞ?」
ムゲンの太い声がボクを呼びかける。ボクの気のせいだと思いたい。ありえない、ムゲンとカークトンがボクに殺気を放っていただなんて。現に今はまったくそんな気配はない。
「……? そんなに怖い顔をしてどうした、リュア君」
「いや、なんか殺気を感じたから……」
「なに?! しかし、この辺りには我々以外誰もいないが……」
なに、という驚き方は演技なのかそれとも。剣を抜いて本気で辺りを伺うこのカークトンを信じたい。ムゲンも何を言っているんだとでも言いたそうに、自分の頭を撫でている。
「もしや、奴の気配をリュア殿が察知したのかもしれん。皆の者、警戒せよ」
ムゲンの言葉と同時に森の奥から、何か異様な気配を感じた。枝を踏みしめる音、そしてゆっくりとした歩調だ。一歩、そして次の一歩までの間隔が2秒くらい。
ムゲンの言う『奴』が現れた瞬間だった。のっそりと木に手をかけて這い出てきたそいつは全身が真っ黒で人間みたいに二本の足で歩いている。ただし大きさはボク達の2倍近く、背中と肩それぞれから銀色の角。丸い目が赤く光っていて口が裂け、端からは涎が垂れていた。
「ム、ムゲンさん。この魔物は?」
「これがその正体不明の魔物だ、ロエル殿。念の為、支援魔法をかけてほしい。
拙僧とて手加減できる相手ではないのだ、アレは」
【ブラックビーストが現れた! HP 13800/13800】
獣のような咆哮をあげるわけでもなく、黒い怪物はただ静かにボク達を見つめている。迫力はあるものの、今のところ襲ってくる気配はない。
それでもロエルはムゲンの言う通り、この場にいる全員に防御強化魔法をかけた。カークトンは2本の剣を抜いて構え、ムゲンは腕をまくりあげてファティングポーズをとっている。
「ムゲンさん、あいつを倒せばいいの?」
「いや、生け捕りにするのだ」
「いけどり? あいつを? それが調査なの?」
「そうだ」
「どういう事?」
「今は言う通りにするのだ」
納得がいかない。危険な魔物がいれば討伐する、それはわかる。でもあいつは襲ってこないし、しかも生け捕りにするってどういう事なんだろう。もちろんカークトンも何も言わない。
黒い怪物はずっとその場から動かない。少なくとも、あいつは今のところ無害だ。これなら、少し前にボクが感じた殺気のほうがよっぽど危ない。あれは間違いなく、ボクを殺そうとしていた。その件といいこの生け捕りといい、なんだか様子がおかしい。
「あいつ、襲ってこないね」
「うむ、いつもなら全速力であの爪を振り下ろしてくるはずなのだが……妙だな」
「……ア゛……ウ……ア……」
怪物がわずかに唸った。気のせいかもしれないけど、なんだか苦しんでいるようにも見える。それでも構えを崩さない2人に対して、ボクは一歩怪物に近づいた。
「リュア殿、危険だ! そいつは過去にAランク上位を2人葬っている!
黒い体表から名づけた名前は安直ではあるが、ブラックビースト!
その豪腕をひとたび振るえば人間の胴体など、骨ごと持っていかれる!」
そんな危険な相手を生け捕りにしようとしていたのか。そこまでしてこいつを捕らえなきゃいけない理由って何。人が住んでいる場所に出てきて、襲うようなら討伐すればいい。そうでもないのにムゲンやカークトンがこいつに拘る理由がわからなかった。
「ブラックビーストか……」
ボクが接近しても、その豪腕が振り下ろされる事はなかった。その様子を信じられないと呟きを漏らしながら眺めるムゲンとカークトンの2人。ロエルはファイアロッドを握り締めてはいるものの、攻撃には移らない。
「……ウ……ア……」
ブラックビーストの指先がわずかに動いた。その長い爪が生えた指で攻撃するのかと思ったけど、相変わらずこいつに敵意はない。ボクも近づいたものの、ここからどうするかは考えていなかった。
生け捕りとはいっても、それをやるにはこいつの動きと意識を封じなきゃいけないわけだけど。やるとしたら、徹底的に痛めつけて戦闘不能にさせるしかない。たったそれだけだ。
でもボクの中で何かが邪魔していた。相手は魔物、いつも倒しているはず。それなのにボクは何もできずにこうしてブラックビーストと向き合っている。ボク自身、何がしたいのかもわからない。
「……ッ! 誰?!」
ブラックビーストの遥か左方向にそれを感じた。禍々しいとしか言いようのない気配、風が止んで大気を通して伝わってくる痺れるような殺気。イカナ村全体を包み込むように、空気ですら殺しかねない邪悪がそこにいた。
「あ、あの黒い騎士は……!」
カークトンが表現した「黒い騎士」以外にあいつを表す言葉が思いつかない。全身が黒の鎧に包まれていて、顔どころか性別さえもわからない。
黒い騎士はボク達とブラックビーストがいるのにも関わらず、まるで散歩でもするかのようにゆっくりとこちらに歩き出した。
「まさか奴は……いや、しかしなぜこんなところに……」
「ムゲンさん、あいつを知ってるの?」
「……噂でしか知らぬし、奴がそれかは定かではないが。黒い鎧をまとった魔王の側近……」
「十二将魔の部隊ですら攻めあぐねていた、世界最高峰の武力を持つといわれていたクラークス帝国をたった一人で、それも一晩で滅ぼし……
たった一度しか戦場でその姿を確認されていないにも関わらず、その一戦が伝説となり一人歩きするほどの……怪物、その名は葬送騎士!」
「カークトン殿、ここは退くべきか!?」
あたふたしているうちに葬送騎士はだいぶ近い距離にいる。遠くだとおぼろげだった鎧の形も、ここにきて初めて細かく確認できるほどだ。漆黒、闇。そんなイメージしか沸かない全身鎧。
何よりあの兜のせいか、何を考えているのかがわからない。ボク達と戦うつもりなのか、そうでないのか。なんでこんなところに現れたんだろう。
「や、やる気か……?」
二つの剣を握り締めるカークトンの前に葬送騎士は迫っていた。葬送騎士は目の前にいるカークトンには見向きもしないで、ブラックビーストのほうを見た。
「ようやく見つけた」
「待て! そいつに何をするつもりだ、魔王軍! いや、葬送騎士!」
「……邪魔をするなら殺す」
殺す、その一言がカークトンを突き刺した。冷や汗を流して呼吸も荒くなり、剣を持つ手が震えだす。ガチガチと歯の根が合わない音が聴こえてくる。強がっているけど、カークトンは多分わかっている。あいつと自分の実力差が。実力差というのも遠すぎる。ボクが例えるなら、洞窟ウサギがヴァンダルシアに挑むようなものだ。
それでもすごい。だってまだカークトンはその剣を手放していない。普通なら、武器を握り締める力すらなくしているところだ。遠すぎる、次元の違いすぎる相手を前にしてもカークトンは王国の兵隊長としての維持を見せている。
ロエルはボクの隣で恐れる事もなく、あいつを見据えている。ムゲンはまだ拳を作ったままだ。
「これで……」
「待ってよ」
ブラックビーストに手を触れた葬送騎士にボクは後ろから声をかけた。葬送騎士の手が止まり、一呼吸置いてからスローでボクに向き直る。
「魔王軍がそいつに何をするつもりなの?」
「お前が知るところではない、リュア」
「え……? なんで……」
ボクの名前を、そこまでが出てこなかった。何せ彗狼旅団にまで知られてるくらいだ。これまでにボクは魔王軍の十二将魔を倒してきているし、あっちに名前くらいは伝わっていても不思議じゃない。
でもそれだけじゃ片付けられないような違和感がボクを襲った。
「お前達が邪魔をしなければ、何もしない。ただちにここから去れ」
「そうもいかんのう、葬送騎士殿。はいそうですかと、調査を放棄するわけにはいかんのだ。
ブラックビーストは我々が捕獲する」
「捕獲、か。フ……」
黒い兜に覆われた顔が笑った。次の瞬間だった。張り詰めた空気が炸裂したような感覚。
空を飛ぶ鳥、土の中にいるモグラや虫、その場の生物がすべて逃げ出てもおかしくないほどの殺気。
呼吸困難かと思うほどカークトンは立ち尽くし、ムゲンですら後ずさりするほどの怒りが殺気の中に含まれている。怒り、つまりそれは葬送騎士がボク達を攻撃する意志を見せたという事。
「大概にしろ、蛮族が」
「やはり、その声……確信したぞ! お主は……お主はなぜッ!
まずはその気色悪い兜を取ってもらおうか! 顔を見せい!」
【ムゲンは羅刹闘気をまとった! ムゲンのすべてのステータスが限界値まで上がった!
代償としてムゲンの体力が少しずつ失われていく!】
ムゲンの体を黄色い光のようなものが包んだ。自己強化スキル、それも生半可じゃない。下手をしたらこの辺り一帯まで消し飛ばしかねないほどの威圧感。
ムゲンは本気であいつに挑む、そう思った時にはムゲンはロエルやカークトンの目では追えないほどの速度で葬送騎士との距離を詰めていた。そしてその速度を殺さないまま、ムゲンの拳は葬送騎士の兜に叩き込まれようとしている。
「フ……」
動けないんじゃない、動く必要すらないからだ。葬送騎士はまた兜の下で笑った。




