第86話 日いづる神の国 その6
◆ ダイガミ山 頂上付近 ◆
真っ二つになったダイガミは何かを言いたそうにしながらも足、そして首が繋がった胴体がそれぞれ地面に落ちる。
「や、やっちゃった……リュアちゃんが神様を……」
「これでよかったのかな……」
村人の為とはいえ、ダイガミがこの国の守り神なのは事実だ。これで村人は救われるんだろうか。ロエルがまじまじと切断されたダイガミを覗き込むと、狐の目がかすかに開いた。
「い、生きてるよ! リュアちゃん、まだ生きてるー!」
確認の為にボクも近づこうとすると、ダイガミの体から白く淡い光が放たれた。まだ絶対神域を広げるつもりなのか。だとしたら、ロエルが危ない。
「ロエル、離れて!」
「その必要はない……」
ダイガミが今度はその口で言葉を喋った。脳内に響くよりもその声はずいぶんと弱々しい。そして光が収縮し、ダイガミの巨大な体がそれに応じてみるみる縮んでいく。
そこに残ったのは大怪我を負った白い狐だった。横倒しで息絶え絶えになりながらも、ボク達から目を離さない。
「ダ、ダイガミ様が狐になっちゃった……」
「いや、元々見た目は狐だよロエル……」
「驚いただろう……そう、これが我の本当の姿だ……」
「……どういう事?」
「神などと呼ばれてはいるが、我は元々一匹の動物に過ぎん……」
「長年生きた動物が妖力を持ち、妖怪かはたまた神へと変貌する。まさかダイガミ様の正体がその類だったとはな」
見ると大勢の村人がいた。ナノカとコノカ、そのお母さん。50人以上が駆けつけていた。
「皆、危ないから逃げてっていったのに……」
「すまないな、ダイガミ様は俺達の神様だ。やっぱり見捨てちゃおけねえよ」
村人達が次々にダイガミの周りに集まってくる。傷ついた白い狐にしか見えないのに、村人達はこの狐がダイガミだと確信している様子だ。
「リュアさんに頼んでおいて身勝手なのはわかっている。ダイガミ様を殺さないで……」
コノカは狐の白い体毛を優しく撫でる。開いている目が今にも閉じそうなダイガミの様子からして、このまま放っておけば死んでしまう。どうするべきだろうか、たった今激闘を繰り広げた相手を助けてしまっても平気だろうか。
もう一度、万全の状態で襲い掛かってきたら、今度こそ本当に殺すしかない。
「ダイガミ様。昔、オラが熊に襲われそうになった時、あいつは突然何かにびびったように逃げていった。あれはダイガミ様のおかげですわ」
「何日も日照りが続いて田んぼが干上がりそうになった時、雨を降らしてくれたのはダイガミ様さ。だって私達、女を含めた村人全員で天にお祈りしていたんだからね」
「毎年、天候に恵まれて豊作なのはダイガミ様のおかげだ。村を立てた場所は元々、谷間風が強くて作物が育ちにくい環境だからな」
村人達が涙ながらに訴える姿を見てボクは何を下らない事で悩んでいたんだと馬鹿らしくなった。ロエルにダイガミを回復してあげるように頼もう。
「ダイガミ様、これで平気だよ」
と思ったら言うまでもなく、ロエルがすでに治療していた。傷口は塞がったけどまだダイガミは立ち上がろうとしない。何かを考えているようにも見える。
「……あれからどれだけの時が経ったか。遥か昔、我が人間の仕掛けた罠にかかっていたところを一人の人間が助けた。当時、人間を心の底から憎んでいた我はその人間に介抱されるうちに次第に心を開いていった。おいしい餌を与えられ、再び野山で生きていけるようになるまで世話をしてくれた。
だが人の命というのも儚いもの、その人間は重い病にかかり動く事ができなくなってしまった。
そう、ここにいる誰もが知る灰死病だ。ただの狐に過ぎなかった我にはどうする事も出来ず、その者が弱っていくのを見ているしかなかった。その者は最期、何を話したと思う」
さっきまでとんでもない力を持っていた白い狐はただ、どこにでもなく視線を向けていた。
「人間を信用するなとは言わない。すべての人間を憎まないでくれ、と。それからは年老いても人間を観察した。良いも悪いもすべて……いつしか愛着が沸いてしまった我は人を助ける等……。気がつけば守り神などと崇められていた。
だがいつの頃からか人は守られるのが当然と思うようになり、都合のいい事や悪い事を含めて神に押し付けた。人の行いですら、神の所為。我が作り出した、お前達が千年草と呼んでいるものすらも分け合う事すらせず、独占する始末。気がつけば守る価値など見出せなくなっていたのだ」
ダイガミはきちんと守り神としての役割を果たしていた。それなのにどうしてこんな事になってしまったんだろうか。ダイガミの話を聞いても納得がいかないし、理解できない。
「人が崇めていた神が実の所、ただの狐。神の正体など所詮はこんなものだ。失望しただろう」
ダイガミの瞳に涙が溜まっていた。生贄になった人達の事を考えると深くは同情できない。難しい事はボクにはよくわからないけど、他に方法はなかったんだろうか。村人達がこれだけダイガミを信じていたんだから、自分から歩み寄ればきっといい結果になったはず。
いや、ボクも初めはそれが出来なかったんだっけ。どちらかというとロエルが手を差し伸べてくれた。
「ダイガミ様、もう生贄は……」
「気の迷いだ、もうそのような真似はせん。今まで捧げられてきた者達も返してやろう」
「え、えぇ?」
ボク達がその言葉の意味を理解する前にダイガミはすでに答えを示してくれた。空中に光の玉がいくつも浮かび上がり、それぞれその中に目を閉じて女の子達が膝を抱えている。光の玉ごとふわりと地面に優しく落ちると、光は消えて女の子達だけが残された。
「あ、あ、イツキちゃん?!」
「ん……」
ナノカとコノハが一人の女の子に駆け寄る。イツキと呼ばれた女の子はゆっくりと目を開けた。状況がよくわかっていないらしく、起き上がっても2人の声にも反応せずにいる。
「あれ……コノカちゃん。ここどこ? 私、確か禊で川に……」
「いいの! いいの、今は何も考えなくて……」
まだ何も理解していないイツキに抱きつく2人。他の女の子に駆け寄っている人達は家族だろうか。皆が皆、コノカ達と同じように泣きながら抱き合っている。
「あの、ダイガミ……様。これは?」
「何も命までとるつもりはない。少しだけ懲らしめてやりたかっただけだ」
「そ、それにしてもこの村の人達は何も悪い事をしていないのに……。ただでさえ灰死病で苦しんでいるのにあんまりだよ」
「人の命はいつか終わる。たとえ奇病といえど、それが自然の摂理だ。神といえど、本当は安易な命への介入は許されぬ、しかし……」
言葉に区切りをつけて、ダイガミは口を地面に向けたかと思うと土から芽が出た。一本の緑から葉が次々と生えて、小さな草に急成長する。細すぎて今にも折れてしまいそうなこの草が千年草だとすぐにわかった。
「奇病に冒されたものに、これを煎じて飲ませるがいい」
生贄の解放、千年草。ダイガミの大サービスで、一夜で村は救われた。歓喜する村人達の陰で、ふと暗い表情を見せたロエル。どうしたの、と声をかける前に興奮したナノカとコノハに抱きつかれてその場は流れた。
◆ アズマ 山奥の村 ◆
村人達の喜びは止まらず、ついには宴をやるところまで来てしまった。村の農作物ばかりだから大したものは出来ないけど、生きてきて初めて大喜びしたと皆が騒いでいる。
ダイガミ。いやダイガミ様の言う通り、千年草を灰死病に冒されている人に煎じて飲ませると灰色に染まっている体が起き上がってビックリした。全身が灰色で指先すら動かせない状況だっただけに、千年草の効果を改めて思い知った。まだ体中の灰色は消えていないけど、薄くなってきているので完治するのも時間の問題だとダイガミ様は言う。
「薬一つでここまで治るものなの……?」
ロエルがただ一人、不思議そうな顔をしていた。というのも、千年草を試す前にロエルは何を思ったのか、灰色の体にエンジェルヒールをかけた。もちろん、今みたいに綺麗に完治するなんて事はなくて、体にまったく変化はなかった。
「私の魔法じゃダメなんだね。ティフェリアさんの時もそうだったけど、これじゃいざという時に何もできないかも……」
魔法じゃ灰死病は治せない。ロエルによれば、ウィザードキングダム辺りで不治の病の完治に関する研究も進められているけど、目立った成果はないらしい。そして世界最高峰のハイプリースト、ユユにかかれば大抵の病気はカバーできるけど完全じゃない。それが出来たら各国から引っ張りだこです事のよ、なんて苦しんでいるティフェリアさんの前で言ってたっけ。
便利なように見えて手の届かないところもある、それが魔法だ。ボクも少しだけ攻撃魔法は使えるけど、最近はめっきり使ってない。大体、ソニックリッパーでどうにかなってしまう。
ボクからしたら、回復魔法が使えるだけでもすごい。今までロエルがいなかったら、救われてなかった命もたくさんあったはず。ボクには敵を倒す事は出来ても、傷ついている人はどうにも出来ない。だから、そんなに落ち込む事はないってロエルを励ましてあげたい。でも今はそんな空気じゃないので遠慮する。
「リュアちゃんが風邪ひいちゃったら、私治せないよ……」
「ボク、風邪なんてひいた事ないから安心して。ね?」
「そういえばリュアちゃんが具合悪そうにしているところって見た事ないなぁ……」
「病気なんて一回もかかった事ないよ、やっぱり苦しいんだろうなぁ」
ボクとしては普通の会話をしているつもりだったけど、灰死病から回復した人やその家族含めて半笑いでかなり引いていた。
「リュアさん、リュアさん! あのね、私達でご馳走作るからたくさん食べてね!」
ナノカとコノカ、それにイツキが3人でオオシロカブを一本ずつ持っている。オオシロカブ、白い球体に先端が少しだけ異様に尖っている謎の野菜。この国の農産物としては有名らしくて、煮ても焼いてもおいしいらしい。特に千切りにして火で軽く焦がすと、パリパリしていておやつにも最適なんだとか。
「リュアちゃん、これもうまいべ」
「これも食べてみて」
「これうまいよ」
村人達に取り囲まれて次々にいろんなものを差し出される。それにロエルが張り切って食べるものだから、余計に止まらない。口に近づけただけで魚みたいにパクリと食いついて、そのままもしゃもしゃと吸い込まれていくんだから、差し出すほうも楽しくなっちゃうのはわからないでもない。本当、この小さい体のどこにそれだけ入るんだろうか。
その横ではダイガミ様が細々とオオシロカブを生で噛み砕いてるし、なんだかこの神様と一緒に崇められているようにも感じられて恥ずかしい。この神様、戦っていた時は大きかったのに今では普通の狐と変わらないサイズだ。ロエルのヒールのおかげで傷は治ったけど力の大半を失ってしまったそうで、元に戻るには少し時間がかかるみたいだ。
「リュアといったな、己の力の本質を理解しているか? まぁそれはともかく、ほしかったのはこれだろう」
そしてこのダイガミ様の意味がわからない質問。答えてみれば、フッと狐に笑われてそれっきりだった。本質も何も、ボクが奈落の洞窟で磨き上げてきたものこそがすべてだろうに。
何かついでのように渡された千年草を手にとって、こんなものの為にここまで苦労したのかと改めて思った。
「……まずいな」
突然、座っていたダイガミ様が立ち上がってダイガミ山とは反対の方角を向いた。そっちはボク達がやってきた方角だ。
「人間達が山狩りを始めている。無論、目的はお主達だ」
ダイガミ様の不穏な発言で、これまでのお祭りがピタリと止んだ。密かに心配していた事が現実になった。あの鬼の仮面を撃退したボク達をこのまま、野放しにするはずがない。元はといえばカイ都では一度、捕まりかけていたところを逃げてきたんだ。
「ロエル、どうする? ここにいたら、この村の人達にまで迷惑をかけちゃうし……」
「うん、出ていこ……」
「果たして、この村も無事で済むかどうか」
ダイガミ様が犬のようにお座りをしたまま、視線を地面に落とした。
「お主達、賊に加担したとみなされてしまえばこの村とて焼き討ちに遭いかねん。元々は見捨てられた集落……今更、それを行う事に何の躊躇もなかろう」
「じょ、冗談じゃねぇ! せっかくおっかぁの灰死病が治ったってのに!」
「このまま、逃げるか?」
「どこに? どうやって? それが出来るならとっくにそうしてる! こんな村なんか作らねぇでよ!」
「ダイガミ様、どうかお救い下さい!」
あっという間にパニックになった村を見て、胸が痛くなった。ボク達がこの村に辿り着かなければと思わずにはいられない。
「……いや、ダイガミ様ばかりに頼ってちゃダメだ。オレ達人間の問題は自分達で解決しよう」
「でも、どうすりゃいいんだ?」
「心配するな。ここにお主達を怨んでいる者は一人もおらぬぞ」
周りを見ると、真剣に話し合っている人達ばかりだった。さっきまで灰死病で動けなかった人達も全員が一丸となっている。山奥に閉じ込められ、灰死病にも負けずに戦ってきた人達。本当に強いんだな、この人達は。
「リュアさん、気にしないでね。私達、これっぽっちもあなた達を怨んでないから。むしろ感謝してる」
ナノカが手を握ってくれた。ボク達が思い悩まないよう、やわらかい手の温もりを通して精一杯の気持ちが伝わってくるようだ。
この子達がどうしようか真剣に悩んでいるのに自分だけ村を抜け出そうなんて考えはボクにはなかった。放っておけばこの村の人達まで殺されるかもしれない。そうだとしたら、やる事は一つしかない。でも本当にそれをやっていいんだろうか。
「うん、私もそれがいいと思う」
ロエルは快く同意してくれた。後は村の人達だ、あのまま話し合ってもいい結論なんか出ない。
「私が話してくるね」
ロエルが村人達の中に入っていった。ボク達が考えた提案だけど、あの人達にそれが出来るだろうか。
村を捨てるなんて。
ロエルが話し終えると村人達は一斉にこちらを見た。




