第75話 Aランク昇級試験 その9
◆ 廃墟の砦3階 元司令室 ◆
第三次試験の時のようにタターカはフォーマスの後ろで踊った。扇を開いて回転し始めるとフォーマスは左に跳躍して銃弾を2発撃つ。あの踊りのおかげか、フォーマスの動きが格段に速くなっている。グラーブは岩の鎧を着たまま、3人を他人事のように眺めている。
まもなく銃弾がグラーブの肘の関節部に当たろうとした時、また同じように岩がそれ以上のスピードで広がり、間接部を守った。岩に守られていない部分を狙おうとしたんだろうけど、あの鎧はその気になれば全身に纏えると思う。続けて数発、今度は目を狙うけど岩がそれに合わせるだけだった。
でも岩がグラーブの目を保護した瞬間、電撃の玉のようなものがグラーブの左右、上と同時に出現する。それらが引き裂くような音と衝撃を放ち、一筋の光になってグラーブを直撃した。でも、岩の小さな欠片が床に転がっただけでまったくダメージになっていない。
人質はベベとジルベルトが部屋の外に誘導していた。並んで歩いている最中、あの音と光にやられた人もいるみたいで目を瞑り、耳を塞いで悶えている人もいる。これ以上の被害を察知したのか、ジルベルトは盾を構えて並んでいる人質の前に出て守ろうとしている。
「人質もいるんだぞ!」
「知らねぇよ! こいつがそんな甘い相手じゃねえのはお前だってわかってるだろ?!」
ジルベルトの言葉にも耳を貸す気はなさそう。そして三人の後ろでボクに投げ飛ばされた手下達が立ち上がった。背後からの不意打ちの企みを読んでいたのか、ブリクナの炎の壁のほうが速かった。一歩踏み出せば確実に焼かれていたのを理解したのか、手下達は呻いて後ずさりする。
その時にはすでにジルベルトとべべが部屋の外へ誘導完了していた。そして二人も出ていく。残ったバームだけが腕を組んで成り行きを見守っていた。
「ファイアーウォール。邪魔するんじゃないよ」
そのファイアーウォールは同時にグラーブを取り囲んでいた。近づかず、遠距離から倒そうとしているのかな。でもやめたほうがいいと思う。その証拠にグラーブは炎に囲まれても、汗を拭う動作を早めているだけだ。
「なんだこれはぁ……惹かれねぇ、ぜんっぜん惹かれねえよぉ」
グラーブはようやく歩き始めた。自動鎧を纏い、岩の怪物みたいになる。炎の壁なんて物ともしないというアピールだ。
「超重力」
ここまでだった。多分、これがなくてもフォーマス達はあの岩の鎧を突破できずに倒れていたと思う。ジルベルトの時以上にあの引っ張られる力が強いのか、フォーマス達はもう床に這いつくばるしかなかった。指先一つ動かせず、今は得意の悪態すらもつけない。潰れ死ぬ、と三人のうちの誰かが言ったのをかろうじて聞き取れた。
「あの男は自分の周囲の重力を操る。そういう自己魔法なんだろう」
「バームさんはどうやって、ジルベルトさんが近づこうとした時に気づいたの?」
「ムゲンさんが言っていたあの男に関する情報と、あのグラーブのさっきの発言を照らし合わせただけだ。何かに押しつぶされたような死体の山だった、そして『こっちに来い』と自分のテリトリーに誘き寄せるかのような発言。一対一で勝負する事を伝えるだけなら、不要な発言だろう」
「リュアちゃんにバームさん! のんびりしてないで助けようよ!」
「うん、そうだね」
別にのんびりしていたわけじゃない。人質の安全も確保されたし、後はべべとジルベルトが砦の外へ誘導してくれる。何よりあのフォーマスが手を出すなと言ったんだ。ボクはそれに従っただけだ。さすがに見殺しにする気はないので、そろそろ助けようと思う。さてと、こいつを生け捕りにしなきゃいけないんだっけ。とりあえず、あいつのところまで近づこう。
「ねぇねぇ、すごい魔法だね。自己魔法って何?」
「ブヘヘヘ、そのまま潰れ……ん? お、お前この重力でも平然と……」
ここでようやく、グラーブは頭だけじゃなくて体もこっちへ向けた。確かに体はちょっと重たいけど、歩けないほどじゃない。これはどうやら、こいつに近づくほど重くなるらしい。これならあまり動かなくても範囲さえ広がれば、勝手に相手が潰れてくれる。面倒臭がりのグラーブらしい魔法だと思う。
「こいつを受けて見ろぉ! 反重力パァンチ!」
岩の怪物みたいになっているグラーブは岩の拳をボクのお腹に叩きつける。拳の威力はまったく大した事はなかったけど、今度はその拳から引き剥がされるかのようにボクの体が後ろへ飛んでいこうとした。
でもその距離はわずか半歩分だった。少し体が宙に浮いて驚く。重くしたと思ったら、今度はボクが軽くなったみたいだった。
「最大出力の超重力だってのに何だコイツ、全然惹かれねぇよぉ……。
こんなところまで歩いてきて引き篭もったってのにこんなのがいるなんて聞いてねぇぇ」
丸い体をのけぞらせながらグラーブはボクから離れていく。ボクが手を出さないでいるのは、どうやったらこいつを生け捕りに出来るか考えていたからだ。こいつの場合、手足を縛ったところでこの重力を発生させられるんじゃないか。こいつの力を封じつつ生け捕りにする。思った以上に難しそうだ。
ひとまずボクはグラーブのお腹の辺りを殴った。自動鎧を破壊してボクの拳はそのままグラーブのたるみきった部分にヒットする。当たった瞬間、ねちゃりという嫌な感触が不快なんてものじゃなかった。多分汗だと思うけど、それに続いて酸っぱい異臭までついてくる。
「げぁっ……」
なんとも言えない呻きを上げてグラーブは膝から順番に崩れ落ちてうつ伏せになって倒れた。前のめりに倒れてきたので当然、ボクは避ける。こいつが気絶した事よりもまず、この手についた嫌な感触をなくしたい。何度も壁にこすりつけてもとれる気がしない。
グラーブはもしかしてお風呂にも入ってないのかもしれない。ボクも奈落の洞窟にいた時はこんな臭いだったんだろうか。
「グ、グラーブさんが負けた……」
「アムル王国攻略戦の時にも大活躍だった幹部だぞ……」
未だに炎の壁に阻まれているグラーブの手下達。リーダーが倒されたんだから、もう解いてあげてもいいと思う。
「ロ、ロエル。何か拭くものある?」
「あるけど、渡したくない……」
グラーブの異臭にロエルまでもが嫌悪感を示している。なんだか拒否されたボクまで傷ついた。
「どれどれ……」
バームがやってきて、布に何か液体を染みこませたと思ったらそれでボクの手を拭いてくれた。驚いた事に嫌な臭いが消えて、それどころか花のような心地いい香りが漂う。思わず何度も鼻でその香りを吸い込みたくなるほどだった。ローレルの試験の時もバームは香りやら変な薬を使ったり、見たこともない生物を呼び出していた。あれは何ていうんだろう、今度聞いてみるかな。
「ク……やっと体が軽くなったぜ……」
重力から自由になったフォーマス達がようやく立ち上がる。そして自動鎧が解除されて倒れているグラーブとボクを見比べている。そんな面白くなさそうに睨まれても困る。悔しい気持ちはわかるけど、そんなのに構うより今は一応、試験中だ。グラーブを生け捕りにして連れて行けば晴れてAランク。よし、こいつが目を覚まさないうちに終わらせよう。
「糞豚盗賊の分際がこのフォーマス様を舐めやがって……」
最大限の罵倒を吐き出したと思ったら、フォーマスは銃でグラーブの腕を撃ち抜いた。同じ要領で手足すべてに鉄の弾が撃ち込まれる。悲鳴を上げて目を覚ましたグラーブに容赦なく、トドみたいな腹の上に剣を垂直に突きつけた。
「フォーマスッ! ボクが勝ったし、もう勝負はついたんだよ! 後は生け捕りにして連れていくだけなんだから!」
「こいつを拷問して彗狼旅団の情報を根こそぎ引き出せば、合格以上のご褒美がもらえるぜ? 特に彗狼旅団のトップは未だ誰も知らない。それ含めて全部吐いてもらうんだよ」
「い、ひぃぃぃ! 惹かれない! 惹かれなーい! こんな事をしたところで絶対に喋らん!」
手足が完全に動かせないせいなのかわからないけど、あの重力を操って抵抗する事もなかった。それをいい事にフォーマスは腹の皮を剣で撫でるように斬った。縦の傷口から血が飛び散り、グラーブはついに涙を流して絶叫した。
「俺はマテール商社の御曹司、フォーマス様だぞ? 豚糞野郎が」
「ぐえぇあああぁぁぁぁ! やめろやめろやめろぉぉぉ!」
腹の次は指を斬ろうとしている。少しずつ力を加えてゆっくり切断しようとしているところでボクが、いやブリクナがフォーマスの手を包み込むように触れた。
「……なんだ、ブリクナ。どうかしたのか?」
「あ、あのさ。その」
「あぁ?」
「や、やりすぎじゃない? なんて……」
間髪入れずフォーマスの平手打ちがブリクナの頬を打った。その勢いで倒れたブリクナの頭を足で2、3回ほど踏みつけただけに止まらないで、今度はお腹を何度も蹴った。
「ブリクナ、なにお前。いつから俺様にそんな口を利けるようになったんだ? 体を弄ばれながら奴隷として生き続けるしかなかったお前を救ったのはどこの誰様だ?」
「フォ、フォーマス……」
「だよなぁ? お前は晴れて奴隷から人になれたわけだよなぁ? 恩を仇で返すのは人のやる事じゃねえよな? 今、お前は自分で何を口走ったか理解してるわけ? それともあの頃に逆戻りするか?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、やめてお願い……何でもするから見捨てないで……」
「聴こえねぇよこの糞売女が!」
「ごめんなさぁい!」
「タターカ! てめぇもだ! 劇団から見放されたてめぇを冒険者の戦闘職として育て上げたのはどこだ?!」
「マ、マテール商社……」
見ていられない。もう何と言っていいのかもわからない。ただあいつがどうしようもない奴という事だけはわかる。殴る、今はそれしか考えられない。力の限り、殴る。
ボクが拳を握り締めてフォーマスに向かうと、ロエルが早足で横から追い抜いた。そしてフォーマスの視界に入る位置に無言で立つ。それに気づいたフォーマスは意外な相手に少しだけ眉を動かして驚いた様子だった。
「もうやめて……」
「……あ?」
「二人はあなたの為に戦ってきたんだよ……それなのにあんまりだよ」
「ロエル、お前誰にモノを言ってるのかわかってるのか? ……そこの化け物娘とペア組んでるから強気ってわけか。舐めんじゃねえぞゴラァッ!」
「も、もう昔の私じゃない。そんな風に恫喝したってダメなんだから!」
「俺があのガキにびびって手を出せないとでも思ったか? マテール商社にかかれば、冒険者一匹潰すのなんて簡単なんだよ。そして、今すぐにでもお前の眉間を打ち抜く事だって出来るんだぞ?」
フォーマスは剣を収めて今度はロエルに銃を突きつけている。助けようとする前にロエルは片手でボクを制した。大丈夫だから、そう聴こえるようだ。この場にいるバームやグラーブの手下達もいつの間にか、成り行きを見守っている。
ジルベルトやベベはもう人質の人達を外まで誘導してくれたんだろうか。ロエルとフォーマスが睨み合うこの状況を本来なら止めるべきだと思う。バームや他の皆にも迷惑がかかるし、そこに倒れて怯えているグラーブも連れて行かないと合格にはならない。
でもボクの殴ってやりたい気持ちはロエルに託したし、何をするにしてもフォーマスの暴走自体も止めなきゃダメだ。
「お前をここで殺して失格になっても構わない。俺が冒険者になったのは何より、お前らがドロまみれになって小銭を稼いで日々食いつないでる姿を直接見たかったからさ。世の中にはこんな哀れな奴らもいるんだなってね。俺はというと、屋敷に帰ればお前らが見た事もないような食事が用意され、身の回りの世話はすべて使用人がやる。明日の食い扶持さえ心配してるような貧民とは根本的にステージが違うんだよ。ロエル、今ならまだ許してやる。命乞いでもすりゃ、俺の女にしてやらんでもないぞ。そこのお友達とセットでな」
「私とリュアちゃんは物じゃない!」
額にまで血管が浮き出たフォーマスがロエルへの発砲を止めようと思えば止められた。でもロエルを信じた以上、それをやってしまえば裏切った事になる。それにまったくボクは心配していない。
弾はロエルの眉間の皮膚にやや食い込んだものの、すぐに勢いをなくして豆でもぶつけられた後みたいに力無く床へと落ちた。さすがにまったくダメージがないというわけじゃないのか、ロエルはひたすらおでこ全体をさすっていた。眉間がほんのり赤くなっている。
恐らくだけどロエルは予め自分に強化魔法をかけていたんだと思う。さすがにレベルが60以上とはいっても、あんな近くから頭に撃たれたら無傷じゃ済まないはずだ。それにしても、強化魔法一つでほぼ無傷に近い状態なのはすごいけど。
バームやグラーブの手下達の目が釘付けになっているのがわかる。驚きのあまり声も出ない、そんな感じだった。
「なっ……こいつ、故障しやがったのか?」
ひたすら自分の銃を疑うフォーマス。本当に故障だと思うなら自分に向けて撃ってみればいいのに、そう言いたかったけど実際にそれをやらないという事は本当はわかっているんじゃないか。フォーマスが自分の銃からロエルに視線を移した時にはもうさっきまでの見下した態度は消えていた。
ボクを化け物娘と呼んでいたように、ロエルも同じような存在になっていた事。瞬時にそれを理解したはずだ。フォーマスだってこれまでの戦いでそれなりに経験を積んできたはず。多少は実力差を理解しているとしたら、もうロエルを馬鹿にしたりは出来ない。
「この愚民の田舎ブスがよぉぉぉぉぉ!」
次から次へとよく口汚い言葉が出てくるなとボクは呆れた。発狂に近い感じでロエルに何度も発砲するけど、結果は同じだった。ただ弾が床に転がるだけ。4、5発受けたところでロエルは撃たれた部分をしきりにぽりぽりと掻いていた。
そして次にフォーマスを見た時は蔑みとも怒りともとれる顔だった。ファイアロッドを握り締めて、今度はロエルが反撃しかねない。
「愚民が俺を見下していいわきゃねぇだろぉがぁぁ! 俺はマテール商社の御曹司だぞ!
ブリクナ、立てや! タターカ、こいつをぶち殺すぞ!」
「……もうやめないか、フォーマス君」
「あぁ?!」
バームが落ち着いた足取りでフォーマスに近づいた。これ以上言い合いをしてもフォーマスが引き下がるとは思えないし、どうするつもりだろう。と思ったら、バームが取り出したのはビン。栓を抜いて慣れた手つきで緑がかった液体をフォーマスの銃にぶちまけた。もちろん、フォーマスの体も謎の液体まみれでこれじゃ、いよいよ収まらなくなる。バームは何をやっているんだろう。
フォーマスが激怒する前に、銃に変化が起きた。角ばったデザインの銃が丸みを帯びて、どんどん形を変えていく。一瞬で立派な銃がフォーマスの手から消えた。正確には銃だったものが今は液体になってフォーマスの手を濡らして、床にしたたり落ちている。
「お、俺の銃が……」
「"アシッドブレイク" 金属製のものだけを溶かす酸だ。これは私が独自に開発したものでね。人体に害はないからそこは安心していい。実戦ではビンごと投げつけるだけでそれなりの効果がある」
「てめぇ今自分が何をしたかぁぁぁぁぁぁ!」
背中の鞘から剣を抜いてバームを斬りつける前にロエルの杖が顔面にヒットしていた。ユユの時みたいに先端が頬と側頭部の中間辺りにめり込み、フォーマスの意識を一瞬で奪う。倒れかかる時にはすでに白目をむいていた。
「ごぁっ……」
気絶する直前にはグラーブと似たような呻きを洩らしていた。そしてそのグラーブの隣にフォーマスが並ぶ。手足を打ち抜かれて動けないグラーブ、本来協力しなきゃいけないはずのロエルにやられたフォーマス。なんでこうなったのかボクの中で整理がつかない。
「も、もうやめてよ本当にッ!」
殴り倒した後に言っても当の本人はもう気絶している。叫んだ後でロエルは涙目になりながら息を切らしていた。残されたのはボクとロエルにバーム、唖然とするしかないグラーブの手下達。そしてフォーマスが殴り倒されたというのに特に心配する様子も見せないブリクナとタターカ。
まずは何をどう処理しよう。本来の目的を見失いそうになるほど混沌とした状況だった。




