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第70話 Aランク昇級試験 その4

◆ イカナ村 ◆


 緑が広がり、所々に畑があるなつかしい風景。家の前ではあの頃のお母さんが手招きしている。どれだけ望んでも戻らなかったあの頃が今ここにある。昼食の準備が整い、遊んでいるボクを呼び止める時はいつもエプロン姿だ。


「どうしたの、リュア。こっちへいらっしゃい」

「お母さん……」


 涙が頬を流れた。10年前に聞いたその声がボクを優しく呼ぶ。一歩踏み出して、その家へ近づく度にお母さんは微笑んだ。


「お母さん、生きていたんだね……」

「うふふ、こっちへいらっしゃい」


 触れるどころか二度とその声を聴く事は出来ないと思っていた。二度と会えないと思っていたお母さんに会えた。それだけで泣き崩れたい衝動に駆られる。今、こうして立っているだけでも精一杯だ。あそこに行きたい、思いっきり抱きしめられたい。

 でもボクは声を聴けただけでも満足だった。そんな誘惑に負けるわけにはいかない。


だって、ここはイカナ村じゃないから。


◆ ミストビレッジ 廃村 ◆


 頬を思いっきり両手で叩くと辺りの風景が一変した。正確には始めから何も変わっていないけど、ボクだけがそれを見せられた。元々お母さんなんていない。イカナ村なんてない。あるのは水害で滅んだ廃墟だけだ。

 シンブが人を食う霧と言っていたけど、この霧がボクにあんなものを見せたのだろうか。もちろん、その例えの意味はわかる。今、ボクの目の前には今にも腐り落ちそうな家の壁とその先に続く底なし沼がある。あのまま進んでいたら沼にはまって幻覚から覚めないまま、死んでいたかもしれない。

 その程度で死ぬ気はないけど、今の幻覚は的確にボクの心を映し出した。この霧は自然発生したものなのかな。


「リュアちゃん! リュアちゃん、どこ行ったの?」


 霧の向こうからロエルがボクを呼んでいる。途中でロエルがいなくなったように見えたのは、ボクがロエルを見なくなったからだ。無事でよかったと喜びたいところだけど一瞬とはいえ、ボクはこの霧に惑わされた。

 その隙にロエルに何かあってからじゃ遅い。この程度のダンジョンだなんて侮っちゃダメだ。もっともっともっと気を引き締めないと。二度とこんな霧に惑わされる事がないよう、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと強くならないと。


「いた! よかった……突然、走り出すから追いつけなかったよ……リュアちゃん、泣いてたの?」

「え、な、泣いてないよ」

「目が真っ赤だよ?」

「泣いてないっ!」


 ついムキになってそっぽを向いてしまった。余計に怪しまれるところだけど、なんだか情けないやら恥ずかしいやら、ロエルに顔を見られたくなかった。それでも細かい事を聞かずに後ろから抱きしめてくれたロエルはやっぱり優しい。意味はわからないけど、とにかく優しい。


「泣いてないなら、すぐにここを出ないとねっ」

「そうだ、今は試験中だった!」


 こんな陰気臭いところに置き去りにされたのも、試験の為なんだ。この霧は幻覚を見せてくるだけじゃなく、視界も遮ってくる。これ以上濃くなると厄介なので、ボク達はこの廃村から出る事にした。

 そういえばロエルは霧に幻を見せられてないんだろうか。


◆ ミストビレッジ 森の中 ◆


 沼地状態になってるところは避けて、なるべく歩きやすそうなところを探した。霧の奥から、スローペースで歩いてくるゾンビが思いの他多い。それだけここで命を落とした人がいるという事なんだろうけど。

 森というほど木々が生い茂っているわけでもなく、どちらかというと林に近い。まばらに立つ木のおかげで歩きやすかった。問題はちゃんと森の出口に向かっているかというところ。元々、人が住んでいた村があったんだから、どこかに道があるはず。そう言ったのはロエルだ。でも水害のせいで森自体の地形が変わっちゃっていて、それも難しい。

 もうボクがロエルをおんぶしてダッシュしようか。そう考えたところで霧の中から悲鳴が聴こえた。


「リュアちゃん、今の聴こえた?」

「うん、あっちだね。行ってみよう」


 今のは幻じゃない。偽のイカナ村に騙されたおかげで幻とそうでないものの区別がつくようになった。思い起こせば、奈落の洞窟にいた時もこうやっていろんな事に適応していったな。

 いや、そんな事より今はあの悲鳴だ。誰かが魔物に襲われているのか、どっちにしても放ってはおけない。


【霧の追跡者が現れた! HP 3670】


【ボーブスの爆裂パンチ! 霧の追跡者に61のダメージを与えた! HP 3609/3670】


「おい、平気か?! 確かジョッシュとかいったか」

「ボ、ボーブス……さん」

「や、やめろ、逃げろ。あんたでもあのフロアモンスターは倒せない……」

「霧の追跡者……一度、こいつに見つかると森の外に逃げるまで追い回される!

足の速いシーフがこうやって捕捉されちまうほど厄介だってのは馬鹿な俺にだってわかるぜ!」


 そこにいたのはボーブスとジョッシュ、そして足が20本もあるゴキブリみたいな化け物だ。異様に細くて長い足と楕円のような胴体のアンバランスな見た目がちょっと気持ち悪い。

 これはどう見てもボーブスに勝ち目がない。ほっそりしてあまり防御力が高くないように見えるけど、堅い殻で覆われていて生半可な攻撃じゃ致命傷を与えられない。でも先制したとはいえ、あいつにわずかにでもダメージを与えられたボーブスの拳は決して弱くはないんじゃないか。なんて呑気に状況を分析してる場合じゃない。


「てぇい! ファイアロッドっ!」


【ロエルはファイアロッドを振るった! 霧の追跡者に640のダメージを与えた! HP 2969/3670】


 ロエルが我先にとあのゴキブリに攻撃を開始した。激しい炎がゴキブリを包みはしたけど、そこまでの致命傷にはなってない。魔法か炎に耐性があるのか、レベル67のロエルから放たれた炎にも耐えるなんて、あのゴキブリは思った以上に固い。

 ボクより先にロエルが動くとは思っていなかったから、見とれてしまった。


【霧の追跡者の多足乱舞!】

【リュアの攻撃! 霧の追跡者に439566のダメージを与えた!

霧の追跡者を倒した! HP 0/3670】


 放っておけば、何本かの足が伸びて回転を始めて広範囲にダメージを与えていたと思う。あれを食らったらボーブスとジョッシュにとって致命傷になりかねない。攻撃に転じるまでが意外に素早く、霧の追跡者という名前通りの奴なら冒険者にとってかなりの脅威だ。あの速さで追いかけられたら、普通の冒険者ならまず助からない。それどころか、追いかけっこにすらならずに捕まる。

 とりあえず感心はしたものの、跡形も残らずにあのゴキブリは消えた。どうやらボクが剣を振ると、大抵の相手は風圧だけで消し飛ぶらしい。


「ふぇ~、いつ見てもリュアちゃんの一撃は容赦ないねぇ」

「ポイズンゾンビをファイアロッドで蒸発させたロエルに言われたくないよ……」


「な、何だ今の……あの剣の追加効果か?」

「馬鹿言え、ありゃどう見ても普通の剣だ……」


 開いた口が塞がらない二人はしばらく呆然としていた。ジョッシュは剣に仕掛けがあるとでも思っているのか、執拗にボクが持っている剣を見ている。でもこれは安物のバスタードソードだ。そろそろ所々が欠けてきているし、買い換えないと。15万ゴールドもあるから、少しくらいは贅沢を許してほしい。

 ようやく目の前の現実に対して整理がついたのか、ジョッシュはボーブスに向き直った。


「ボ、ボーブスさん、俺……俺……」

「俺の金を盗もうとした事なんてもう気にしてねえよ。後はその手癖の悪さを直せよ」


 霧の追跡者を倒したのはボクとロエルだけど、最初にジョッシュを守ろうとしていたのはボーブスだ。ジョッシュなりにお礼を言いたいんだろうけど、うまくボーブスには伝わってない感じがする。


「ありがとうな。正直、ここで終わりだと思ったぜ。

俺はボーブス、ナックルファイターだ。よかったらあんたの名前を聞かせてくれないか」

「ボクはリュア、こっちがロエルだよ」

「もしかして、闘技大会優勝者で魔王軍撃退に一役買ったあの……。なるほど、それであの強さか」


 それよりも、やっぱり新生魔王軍の存在は知られているのか。そういえばグリイマンも知っていたっけ。勇者の剣が突然公開された事といい、なんだかいろいろと繋がりそうなそうでもないような。


「それより、さっさとここを離れたほうがいい」


 ジョッシュがきょろきょろと周囲を窺う。何をそんなに警戒しているのかと思ったけど、すぐにわかった。ゴキブリが1匹、2匹、3匹。わさわさと足を忙しそうに動かして高速で接近してくる。


【霧の追跡者×3が現れた! HP 3670】


「霧以外にこの森のデンジャーレベルを引き上げている原因の一つがコレさ……」


 1匹でさえ並の冒険者にとっても脅威なのにこの数は危ない。皆、単独で行動したみたいだけど、大丈夫なんだろうか。失礼だけど、あの中にこいつらと張り合えるほどの人がいるとは到底思えない。素早そうなジョッシュにさえ追いついてしまうほどの化け物を皆はどう対処しているんだろうか。

 そもそも、元々人が住んでいる村だったのになんでこんなものが大量発生しているんだろう。ひょっとして水害以外にも原因があるとしたら、これなんじゃないだろうか。


「皆、下がってて。ボクがまた片付けるから」

「いや、待ってくれ! さっきみたいに完全に消し飛ばすよりも、こいつらの甲殻だ! 確かそれなりの値で取引されているし、もしかしたら試験クリアの証として使えるかもしれない!」


 ジョッシュのその発言に誰もが納得した。そういえば、ただ抜けるだけじゃダメなんだっけ。確かにこいつらを倒せる実力があれば、シンブも認めるかもしれない。

 それはいいけど、誰が甲殻だけを残しつつ倒すんだろう。うん、ボクしかいない。溜息をつきながらもまとめて一掃するしかなかった。


◆ ミストビレッジ もうすぐ出口 ◆


 霧の幻覚は複数でいれば、変なところに行こうとしてもお互いで止められるみたい。ボクはもう平気だけどジョッシュやボーブスは危ない。一人で行動している間によく無事だったなと思った。あれからジョッシュの発言のおかげで大分、収集品が集まった。沼スネークの牙なんかも安値で一応取引されているみたいだし、持っておいて損はないとか。

 魔物から盗んだアイテムをジョッシュがボク達に分けてくれたりして、意外といい人なのかもしれない。


「すごいねぇ、こんなに甲殻が集まったよ。リュアちゃんのおかげだね」

「もう、あんなに沸いてくるなんて思わなかったよ……」

「群れるとAランクパーティでさえ危ない相手を一撃で倒すなんて……。

一体、レベルはいくつなんだ?」


 霧の追跡者を瞬殺するボクはどう見ても異常らしい。でもボクに言わせれば、そんな危ない魔物が徘徊している所を一人で抜けようとした人達のほうがすごい。

 でも話によると大部分の人達がパーティを組んで進んだみたいで、単独で進んだ人はほとんどいないらしい。それにしては、あれから他のパーティに出会わない。無事に抜けたのか、それとも。

 ちなみにレベルを知りたいというから冒険者カードを二人に見せたら、何度も目をこすられた。挙句の果てに夢でも見ているかどうか頬をつねってチェックされた。ジョッシュに至っては偽造だとか軽口を叩いてきて、少し腹が立った。


「リュアのレベルはともかくとしてよ、ロエルのレベルにしてもすでにAランクの上位には食い込むぞ……なんで今更、こんな試験受けてんだ?」

「だって、実績がないと試験すら受けられないっていうし……」


 Bランクでも一定の実績がないとこの試験を受ける事ができない。ボク達も新生魔王軍襲撃の時に活躍していなかったら、受けられなかったと思う。ボーブスとジョッシュにはどんな実績があるんだろう。

 そんな他愛もない話をしながら歩けるほど、余裕だった。魔物のレベルも大体わかったし、霧も平気だ。問題はこの収集品だけでシンブが合格と認めてくれるかどうか。

 ジョッシュが言うにはもうすぐ出口だ。近くに大きな川が流れていて、今ボク達はそれに沿って歩いてる。この川が氾濫したのが水害の原因らしいけど、未だにボクにはこの霧とあの魔物達がどこからやってきたのかがわからない。元々ここは人が住むには難しい場所だと思う。


「お、あそこから出られそうじゃないか? 霧も薄くなってきたし、こりゃ出口は近いな……ん?」


 ボク達が同時に見つけたのは、仰向けになって倒れている冒険者だった。見ただけで死んでいるのがわかる。なぜかって、頭には矢が刺さっているから。


「ボーブスさん、危ないッ!」


 状況を把握したところで、どこからともなく薄い霧の中から矢が飛んできた。それは真っ直ぐ、正確にボーブスの頭を狙っている。命中する直前で手づかみしたその矢はどう見ても魔物の物じゃない。魔物の中には弓矢を扱う高い知能を持った種族もいる。奈落の洞窟にもそんなのはいた。

 でもこれは明らかに人間のものだ。そして矢を放った主はボーブスを狙った。


「い、今のは?」

「皆、一箇所に固まって。そのほうがボクが守りやすいから」

「誰だ、今矢を撃ってきたのは?! やるなら正々堂々と出てきて勝負しやがれ!

このボーブスが相手になってやる!」


「勇ましいねぇ」


 木の陰から出てきたのはマリリンだった。その細身の剣がすでに血塗られているところから、大体の察しはついた。男のほうが見当たらないけど、多分あの矢を撃ってきたのがカンクだ。


「なんでこんな事をするのさ。ボク達もおまえも試験中のはずだよ」

「試験中だからさ。さっき殺したそいつはシケていてねぇ。ろくなもの持ってなかったさ。

その点、あんたらはいいモノ持ってるね。そいつは霧の追跡者の外殻だろう?」


 マリリンが卑しく口の端を釣り上げた。こいつらが人を殺してまでやりたかった事。それは他の冒険者を蹴落とすわけでもなく、ただここで待っていて持っていたものを奪う。そこの人は苦労してやっと出口を見つけたと思ったら、こいつらに殺された。

 そこに倒れている冒険者の人が何をしたんだ。その人だって何かしらの目的や夢を持ってAランクを目指していたはずだ。自分勝手な理由でそれを閉ざす権利なんてない。それにそこの人は矢だけが刺さっているけど、マリリンの剣には血がついている。という事は殺したのはこの人だけじゃない。


「黙って置いていくなら見逃してやらないでもないさ」

「こんな事をして合格が認められるとでも思っているの?! 私、あなた達の悪行を今ここでしっかり見たからね!」

「認められるさ。あのクラッシャーヘカトンなんかが上位に居座っていられる席だよ。

この試験の本質だって要は強い奴を見極める、ただそれだけさ」


 ロエルが顔を真っ赤にして叫んでも、マリリンは馬鹿にするようにせせら笑うだけだ。強ければいい、ヘカトンみたいな奴でもそれだけで認められるような世界だ。こんな奴らだって平気でのさばる。


「もしかして抵抗する気かい?

霧の追跡者を倒してご満悦みたいだけど、アタシ達にゃ勝てないよ。

生憎、アタシ達の専門はこっち、魔物退治と人間殺しは勝手が違うのさ」

「皆、下がってて。ボクが終わらせるから」 

「あん? あんた抵抗……そうかい、あんたリュアって奴かい。そうかいそうかい……フフッ」

「何がおかしいのさ」

「いや、自分が置かれている状況がわかってなさそうだからさ。まったく、可哀想な子だよ。

ところで最近、危ない事はなかったかい?」


 マリリンの言葉の意味が少し引っかかったけど、そんなのはどうでもいい。ボクがやる事は一つ、こいつらを黙らせる。それだけだ。ボクは剣を収めて、マリリンに近づいた。


「おっと、丸腰かい。アタシも舐められたもんだね。フフフフッ」


 ボクは体の力を抜いてあえて無防備を装った。人間相手にこんなにも腹が立ったのはヘカトン以来だ。あいつもこいつらも見渡せばどうしようもない奴らが多い。だからボクが教えてあげるんだ。


「いつでもかかってきていいよ、おばさん」


 おばさんという言葉に反応したのか、マリリンは歯を食いしばって詠唱を始めた。そしてまもなく、細身の剣が雷をまとった。

魔物図鑑

【ポイズンゾンビ HP 644】

行き倒れた人間が死にきれずに徘徊を始めた。

オーソドックスなアンデット系の魔物だが、生前腕に覚えがある人間だと手強い事もある。


【沼スネーク HP 503】

沼地に住むヘビ。普段はカエルなどを捕食しているが、人間が近づくと沼の底から強襲してくる。サイズはそれほどでもないが、素早さが異様に高いので思わぬ痛手を負う事も。


【霧の追跡者 HP 3670】

詳しい生態などはよくわかっていない昆虫型の魔物。

細い外見からは想像できないほどの高い防御力を持つ上に恐ろしいスピードを誇るので人間の足で振り切るのは難しい。

音や仲間の居場所に反応して寄ってくるので、倒しても倒さなくても厄介この上ない。無類の肉食なので手持ちの肉を投げてやれば、そちらに食いつくのに夢中になる。

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