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第66話 ハプニング

◆ アバンガルド城下町 ホテル メイゾン ◆


「はい、では問題。Bランクの冒険者では指定の宿泊施設が無料になるか」

「えーと……。あ、こっちだ。うん、なるよ」

「ならなーい! というか今、ペン倒して決めたでしょ!

無料になるのはAランクから! 私達が今泊まっているこのホテルだってそうなんだよ?」


 アバンガルド王国に滞在してから一ヵ月半。一度はクイーミルに帰ろうかと相談したけど、またキゼル渓谷を往復するのは大変だという事で、試験の日までこの町にいる事にした。セイゲルの推薦でこのホテルに滞在する事になったけど、Aランクは無料なのにボク達は割引程度。今の問題によると、そうらしい。

 それでも一般の宿泊客よりは、格安だと言っていたけどなんか騙された気がしないでもない。確かに祭りの時に泊まっていた宿とは比べ物にならないくらい綺麗だし、部屋も広い。必要なら部屋に食事を持ってきてくれるサービスもある。

 そんな事よりも今ボクは最大の危機に直面している。Aランク昇級試験、これにはなんと筆記試験があるらしい。合格点は9割以上で、毎年これで半分近くの人が落ちると脅された。


「ロエル、冒険者の試験なのになんでアバンガルド王国が主催なのさ」

「Aランクになるとギルドのバックアップだけじゃなく、この国からの支援も受けられるんだよ。

もちろん、私達Bランクの冒険者には依頼されないような国家レベルに関わるものも回ってくるみたい」


 やっぱり冒険者というには何か違う気がする。Aランクになったら国の兵隊にでもやらせるような仕事でも、押し付けられるんじゃないか。前からボクが抱いていた疑問だ。ティフェリアさんもこの国専属みたいになってるし、冒険者なのに冒険しているイメージがない。

 元々はイカナ村にいく為に目指し始めたものだけど、今では冒険者も悪くないと思っている。それだけにAランクに対する不安は大きい。そして試験に対する不安はもっと大きい。


「ロエル、もう眠たくなってきた……」

「まだ始まって10分も経ってないけど」

「嫌だよ、こんなの地獄だよ。大体、字もろくに読めないボクがこんなの受かるわけないじゃないか」

「じゃあ、Aランクは諦めるの?」


「おーい、調子はどうだ?」


 ノックしてきた相手はセイゲルだ。同じホテルに滞在しているけど、あっちのほうはロイヤルなんとかっていうすごく高い部屋に泊まっている。ロエルが部屋に通すと、ボクを見たセイゲルはやっぱり、とでも言うようにせせら笑った。

 丸いテーブルに頭を委ねて、この世の終わりみたいな顔をしているボクがよっぽど面白かったのか。


「あれ、まだあの件で落ち込んでるの? 剣だけに」

「もう、セイゲルさん。せっかくあれから立ち直ったのに思い出させないで。

あれから魔物討伐依頼の時だって、ウルファング2匹に攻撃されてもボーッとしたままだったんだから!」

「いや、それで平気な方がすげえよ……。あいつら一匹でさえ、Bランクパーティが壊滅しかねないほどなんだが……」


 そうだ、要するに魔物さえ倒せればいいんだ。こんな問題の知識なんて、まぁあるに越した事はないけど、結局力がないと何も守れない。というような事を以前ロエルに言ったら、屁理屈言わないってコツンとやられた。


「ごめん、ちょっと風に当たってくる」

「またさぼる!」

「いや本当、限界なんだよ。なんか顔全体が熱くなってきちゃって」

「ロエル、普段から頭を使ってない奴ってのは想像以上にもろいもんだ。行かせてやりな」


 なんか屈辱とも取れる言い方だけど、何も言い返せない。このセイゲルにどんな問題が出るのか聞いてみたら、過去問題1万問集みたいなのを買ってもらって終わりだ。最近では問題のネタが尽きて、過去の問題から持ってくる事が多いから、暗記しておけば楽だとか言っていた。その結果が今のこの状況なわけだけど。


「じゃあ、すぐ戻るから」

「うーん。それじゃ私も疲れたし、一緒にいこ。セイゲルさんもどう?」

「いや、オレは用事があるんでね。お二人で仲睦まじくどーぞ」


コン コン


 また誰か来たのかな。どうせ外に行くんだし、開けてやろう。


「はい、誰……」


 ドアが開くなり、目の前に果物ナイフの先端が突き出してきた。鼻先にまで到達する寸前、ナイフが握られている細い手を掴む。その後の抵抗を予測していたけど、思わぬ展開に転んだ。あっさりとこぼれ落ちるように、その手からナイフが離れた。あまりにか弱い相手に拍子抜けしたボクは思わずその手を離して、後退してしまう。

 ゆらりとその全身もまもなくドアから姿を現す。それは前のめりになったかと思ったら、部屋の中へと倒れこんだ。


「い、いたた……」

「あ、この人って……」


 ホテルの人だ。綺麗なドレスのような制服を着た中年の女の人が持っていたのはりんご、そして今落としたナイフ。それがボク達の部屋の床に転がっている。よほど痛かったのか、なかなか立ち上がれないで膝をさすっている。とっさに頭だけは守ったようだ。


「た、大変! あの、怪我は?!」

「い、いえ申し訳ございません……。あの、こちらリンゴとナイフです……」

「は、はい?」

「あの、リンゴとナイフを持ってくるようにお客様が……あっ!」


 中年の女性が慌てて部屋の外に出てドアを見る。部屋の番号を確認したのかな。それにしても、なんだってんだ。いきなり危ない事してくれる。ボクじゃなかったら刺されていたぞ。


「すみません! お部屋を間違えました! おっかしいなぁ……」


 猛烈な勢いで謝った後、腑に落ちない様子で女性は出ていった。一瞬の騒動だった。一部始終をロエルとセイゲルも見ていたわけだけど、誰も一言も発する暇もなかった。小さな嵐が過ぎ去った後も、少しの間誰も何も喋らなかった。


「リュアちゃん、危なかったねぇ……」

「うん、ナイフを持ち歩くなら気をつけてほしいよ」

「誰かがリンゴとナイフをフロントに要求したけど、部屋を間違えてここに来ちまったってところか。

ふーん……隣の部屋か? どんな野郎だ」


 ボク達三人がドアから覗くと、隣のドアをノックする女性がいた。何度か呼びかけているみたいだけど、応答がない。根気よく粘っていたけど、とうとう諦めて戻っていった。


「留守なのかな?」

「知らないよ。それよりあの人、危うくボクをナイフで刺し殺すところだったんだよ。

すみませんどころじゃないよ、まったく……」

「これで刺し殺されてちゃ、あのザンギリが浮かばれねえなぁ」


 冗談めかして言ったセイゲルを睨んだ。ただのドジで刺されちゃたまらない。すみませんで済ませていいのか。ここにきてかなり腹が立ったけど、さすがに文句を言う気にはなれなかった。


◆ アバンガルド城下町 冒険者ギルド フリースペース ◆


 レベルチェックがてらに訪れてみたけど、ここはなかなか涼しくて快適かもしれない。人の多さに目を瞑れば、絶好の勉強スポットだとロエルに評された。ホテルの部屋で勉強しているとボクが寝るのでその対策も兼ねたみたい。


【リュア Lv:999 クラス:ファイター Bランク】

【ロエル Lv:67 クラス:プリースト Bランク】


「私、いつの間にこんなに強くなったんだろ……」

「ボクが結構ゴーレム倒したからかなぁ」

「うん、おかげでいろんな魔法が使えるようになったよ。この前もウルファング相手に大活躍できたしっ!」


 それほど強くないファイアロッドで、Bランクパーティを壊滅に追いやるウルファング2匹を焼き殺していたところをみると、魔力だけでもかなり上昇しているみたいだ。それに広範囲にいる人達を癒せる治療魔法や状態異常を一時的に防ぐ魔法など、かなりバリエーションに富んでいる。

 でもボクには状態異常は効かないし、あのゴーレム相手にさえ傷を負う事もなかったのでプリーストとしての出番はない。怪我はないに越した事はないけど。


「よく見たら、ボク達みたいに勉強してる人もいるね」

「ほら、皆必死なんだよ。リュアちゃんもがんばらないと」

「また眠気が……」


 ボクはボクなりにひたすら集中した。字の羅列、文章の大行進がボクをまた眠りへと誘う。


「はい、こちら眠気覚ましに」

「あ、どうも……」


 ボクがダウンしかかっているところに、温かそうなコーヒーが入ったカップが置かれた。苦いから、ボクはコーヒーがあまり好きじゃなかったけど、心遣いに素直に感謝した。ギルドの人だ、がんばってる皆に配って歩いている。

 一口だけ口に含み、飲み干した瞬間だった。持っていたカップが手から落ちる。


「う、うぐっ……ゴホッ……ゴホッ! ハァ……ハァ……」

「リュアちゃん?!」


 舌全体が痺れ、喉から胃を中心に体全体が痺れた。まるで強酸でも飲み干したかのような痛みと不快感。そう、これは毒だ。耐性のあるボクにここまで刺激を与えるほどの毒。喉がヒリヒリして、水をもらいたいくらいだ。

 ロエルに背中をさすられて、ようやく事態を把握した。驚いた皆がボクを見ているけど、あの人達もコーヒーカップを持っている。まだ飲んでないのか、それとも飲んだのかはわからない。ボクはそれほど毒物に詳しくないけど、今の毒はかなり強烈なものだ。毒で苦しんだなんてそれこそ10年ぶりくらいだよ。まだ奈落の洞窟に潜りたての頃は苦労した。

 いつしか毒にも耐性をつけてからは楽になったものだけど、まさかここにきて毒をもらうなんて。


「ロエル、それ飲んじゃダメだ……」

「う、うん、それは大丈夫だけど」

「他の皆も危ない!」


 周りを見るとざわついてはいるものの、同じように毒を飲まされた人はいなさそうだ。それだけに全員が何事かといった様子だ。


「あの、どうなされました!」

「このコーヒーに毒入れたのあなただよね!」

「はい?! 私が!?」


「失礼、どれどれ……」


 割り込んできたのは熟練の風格を漂わせた中年冒険者だった。ウィザードとも剣士とも取れる格好で、クラスが想像つかない。中年の冒険者はテーブルにこぼれたコーヒーの匂いを嗅いだ。


「無臭か。酸でもなければ一体これは……調べてみるか」

「なんだなんだ、毒だって? まさか」


 おじさんが何やら見た事のない道具を取り出して、コーヒーをすくって作業を始めた。よく見ると腰には透明のビンみたいなのが垂れ下がっていて、毒に詳しそうなのが雰囲気でわかる。


「リュアちゃん、平気なの? 毒だなんて本当にあの人が?」

「ボクは平気だけど……」


「こ、これは竜殺しじゃないか。たった一滴でドラゴンすら即死させる……無臭という点でピンとは来たが、今やほぼ入手不可能な超猛毒だぞ」


 さっきのおじさんが驚きの声を上げた。ボクとそれを見比べてるというところにどういう感情を抱いているのか、大体想像がつく。わかってる、ボクだって驚いているよ。

 数人の冒険者に責め立てられているギルドの人。必死に抗議をしているけど、なんだか泥沼化しそうだ。

 結局ギルドの人は善意でコーヒーを配っていただけらしく、毒なんて盛っていないの一点張りだった。他の人のコーヒーには何も入っていなかったらしく、どうやらボクのコーヒーにだけ入れられていたようだ。

 本当なら兵隊に連れて行かれるレベルの事件だけど、ギルドの人が泣きそうになりながら抗議しているのとボク自身が何ともないのでそこは見逃してあげた。

 通常では手に入らない毒物が使われたという事で、あれやこれやと大騒ぎ。結局、兵隊が大勢来て大騒ぎになって解放されたのは夕方近くだった。ホテルで刺されそうになった件といい今回といい、なんだか今日はおかしい。静かに勉強するにはやっぱりホテルの部屋が一番のようだ。



◆ アバンガルド城下町 中央通り ◆


「もう、災難だったよ……。あの人は本当にやってないみたいだし訳がわからない」

「ねー……なんだかくたびれちゃった。でも、リュアちゃんが無事でよかった」


 とぼとぼとホテルに戻るボク達。誰かがあの人に頼んで毒を入れてもらったんだろうか。そうだとしたら、やっぱりあの人は嘘をついている事になるし、一体誰がそんな事を。

 やっぱりこんな日は部屋で寝ているのが一番だ。誰かが訪ねて来ても開けなければいいし、飲み物は自分で確保すれば毒を入れられる事もない。

 

「ふぁぁ……もう、なんでボクが毒なんか」


 大きくあくびをかこうとした時、修繕中の建物の上から何かが落下してきた。丸太に近い木の柱が数本、ひっくり返したかのようにバラけて降ってくる。

 ロエルを乱暴に抱きかかえたままその場から勢いよく離れると、木の柱は乾いた音を立てて次々に地面に激突した。幸い、あの辺りにボク達以外、誰もいなかったようだ。落ちてきたのは3階建てくらいのあの建物の上からだ。

 上を見ると作業中の人が真っ青になって下を覗いている。作業中に間違って落としたのかもしれないけど、ボクじゃなかったら死人が出ていた。


「おぉい! 大丈夫かー! 怪我人はいないかー!」


 慌てて何人かが降りてきて周りを確認し始めた。ボクが近づくと、びくりと体を震わせる。


「すまない! 気をつけていたんだがなぜか手が滑って……おい! すぐに片付けるぞ!」


 ボクへの謝罪も程々にして、作業していた人達はそそくさと散らばった木の柱をまとめにいった。

 うん、何か今日はおかしい。こんな日はやっぱり大人しく部屋で寝、いや勉強していたほうがいい。何せ試験まであと一ヵ月半。ロエルだって気合いを入れているはずだ。当然、怠けるなんて許してくれるはずがない。


「ロエル、ボクほんとにくたびれちゃった……」

「リュアちゃん、大変だったもんね。今日はもう休もうか」

「え、いいの?」

「リュアちゃんが頑丈じゃなかったら猛毒で死んでいたところだよ?

さすがに無理させられないよ……」


 たまには災難にあってみるものだなと思うボクだった。

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