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第61話 ウィザードキングダム その6

◆ ウィザードキングダム 東の門 ◆


 ひし形の頭に貼り付けられたひし形の目。その無機質な瞳が私達を捉えた。

どれだけの血を浴びたか判別がつかないほど、赤く濡れた球体が連なったその手。それを一振りするだけで、私達の命は終わる。

 ウィザードキングダムには数少ないファイター系の専属冒険者達もいたけど、いずれもその腕に貫かれるか、無慈悲に叩き潰されて肉塊へと変貌していった。

彼らの刃すらも通さず、雷術隊やBランクのウィザードの上位魔法すらも弾いた。そんな未曾有の化け物が、こちらを見ていた頭に合わせて体が半回転して完全に私達と向き直った。


「んんっ、まだまだ数が多い。一体、貴様らはどれだけいるというのか」


 数千人の部隊がたった一匹の魔物に手も足も出ない。詠唱し、その手に溜め込んだ魔力を放出しないまま棒立ちしている面々を見れば、すでに勝敗はわかりきっている。Bクラスや雷術隊のエリートすらも敵わない相手を私がどうこう出来るわけがない。

 ラーシュを抱きしめると共に震えが止まらない私を見て、ボランという小さなゴーレムは嘲るように頭を回転させた。


「んんんんっ! ではではそこで丸くなってる貴様らもびゅぇっ!」


【???がコールドプリズンを唱えた!

ボランに451のダメージを与えた! ボラン HP 3249/3700】


 私達に球体の腕を伸ばした時、ボランの半身が氷で覆われた。その凍てつく冷気は氷上位魔法コールドプリズン。単なる氷で閉じこめるのとは訳が違っていて、その強度は使用者の魔力に左右される。

 ボランの半身を覆った氷が瓦礫と直結して、完全に繋がれた状態になっていた。


「ふぅ、とりあえず黙っていてもらえるかな」


 助けてくれたのはAランクのウィザード、カイエだった。ウィザードキングダムを拠点に活動している氷属性を得意とする冒険者ウィザード。まだDランクの頃、何も知らない私にいろいろ教えてくれた人でもあった。


「ガ、ギギッ! んんん! 小癪な! こんなもの!」

「あがいても無駄だ、その氷は特別製だからな」


 ボランは完全に氷で固定されてしまった。しかも、その氷はボランの残り半身を侵食するように少しずつ覆っていく。手の間接部分まで凍らされ、ボランは攻撃を封じられていた。


「あ、ありがと……」

「トルッポちゃんは逃げな。君が死んでしまったら、ハスト様が悲しむからな」

「で、でもあいつは……」

「こいつはオレ一人で何とかする。同じAランクの二人は親玉退治をやってもらっている」


 遠くでゴーレムマスターと戦っている二人の様子が見られた。さすがAランクといった感じで、ゴーレムマスターも思うように攻められないでいる。それでも、優勢とは言い難い。

 生き残るのに必死な二人、まだまだ余力を残していそうなゴーレムマスター。それでも、私がここにいるよりは遥かに希望が持てる状況だ。もう迷う事はない、私はラーシュの手を引いて、走った。


出来る限り走った。


足が千切れようと何だろうと、力の限り。


息切れでペースが落ちようとも、走るのは止めなかった。


苦しい。なぜこんな事になってしまったんだろう。

私達が何をしたというのだろう。


新生魔王軍。

30年前の事なんかまったく知らないし、どうでもいい。

ただ、ただその理不尽を受け止めるしか出来ない自分が情けない。


「おじいちゃん……私はダメな子……」


涙腺が緩み、ついには涙が止まらなくなった。


「トルッポおねーちゃん、オレもう走れない……」

「ごめん……本当にごめん……」


 なぜ謝っているのか自分でもわからない。それ以外の言葉が出てこない。

こんな子供があんな凄惨な場面に遭遇しなければいけない理由なんかないはずだ。それなのに私もどうにもできない。生き残るには膝をついて息を切らすラーシュを励まして再び走らせるしかない。

 しかし、今の私にそれを強要する事は出来なかった。結構遠くまで逃げたはず、この瓦礫の山を超えればまだ機能している町に出るはず。そしたら、まずは国王だ。国王にお願いしてリュアを出してもらおう。彼女ならこの状況を打破してくれるはず。

 もはや希望といったら、それしかない。私はラーシュの手を取って、再び走り出そうとした。


「んん~、敵前逃亡とは関心しないぞぉ?」


 振り向かなくても、軽快な声を発する玩具のような悪魔がすぐ後ろにいるとわかる。そしてまた一つ命が失われたという事実。

 このまま走ってもあの丸腕にミンチにされるか、貫かれるかのどちらかしかない。少しでも生き延びるには、あの悪魔の話相手をする事。それに何の意味があるのかはわからないけど、私は死にたくない。ただそれだけだ。


「んんんん、賢者という人間以外にも割と骨のある奴はいるものだな。

このボラン、少し手間取ったぞ」


 ボランの丸腕から投げ捨てられたのはカイエの死体だ。腹を貫かれていて右腕から先がなく、頭の半分が潰されていて見るも無惨だった。ボランの体に付着したわずかな氷が少しでも戦いがあった事を実感させてくれる。

 ボランが腕を回転させると、間接部分の氷が完全に剥がれた。その動作の後、丸腕が私に向かって放たれる。完全に知覚できない速度だった、そう認識できたのは気がついたら、目の前でその丸腕が止まっていたからだ。

 丸腕は見えない壁に阻まれて、私に届かない。それでもボランはギリギリと丸腕をねじ込むようにしている。リフレクト、物理障壁魔法が私を守ってくれた。戦いが始まる前に展開されたリフレクトはゴーレムの進行と同時にあっさりと破られてしまったので、雷術隊でも冒険者のものでもない。

 このボランの怪力を防ぐほどの障壁は間違いなくあの人だ。


「ま、間に合ったようじゃの……」

「おじいちゃん?!」

「すまんの、こんな時に何もしてやれない老いぼれを許してくれ」


 腰を曲げたハスト様、おじいちゃんが私の後ろで苦しそうに木の杖を振るっていた。今にも倒れそうで、白髭と白眉の下の顔色は真っ青だ。咳き込んで血を吐くおじいちゃん。今のリフレクトだけでも、相当体に負担がかかっているはず。それでもおじいちゃんは、何ともないとでも言うようにボランを見据えた。


「んんん? んん?」

「このワシがいる限り、好きにはさせんぞ……ウッ、ゴホッ……」

「おじいちゃん、無理しないで……それ以上、魔法を使ったら……」

「ワシのような年寄りに出来る事があるとすれば、それはおまえのような未来の種を守る事くらいじゃ。ワシはなトルッポ、楽しそうに冒険の話をするおまえを見てうれしかった」


 よろめくおじいちゃんを支えてあげていると、また涙が溢れてきた。

おじいちゃんにこんなにも無理させてしまっている。こんな事がなければ、今日も楽しく過ごせていたかもしれないのに。


「それにトルッポ、おまえには才能がある。いつしかワシをも超えてしまうほどのな……。

後は自信を持つのじゃ。そうすればきっと」


 才能、この私に。こんな時におじいちゃんは何を言ってるのか。

 リフレクトに阻まれていたボランの腕がようやく動き出した。真っ直ぐ突き出されたそれはリフレクトによってかなり減速してはいるものの、確実に障壁を破壊しつつある。


「ゴホゴホゴホッ! う……大丈夫じゃ、トルッポ。あと少し、あと少しなんじゃ……

あと少しでおまえさん達は助かる……その為ならこんな老いぼれの命など、いくらでもくれてやるわ……」

「何があと少しなの?! もういいよ……やだぁ……もういいからぁ……」


「あれぇ? まだやってたん?」


 リフレクトを破ろうと奮闘しているボランの後ろから現れたのはゴーレムマスターだ。彼と戦っていた二人がどうなったのかは聞くまでもない。岩腕に頭を鷲づかみにされた虫の息のAランクのウィザード。

 もう一人は見当たらないけど、すでに最悪の末路を辿ったと嫌でも思い知らされる。まもなく、果実を握りつぶすかのようにその頭が潰された。赤い血が飛び散り、頭を失った胴体が地面に落ちた。


「ボランちゃーん。とっとと終わらせて女漁りたいんだけどぉ?

オレっちがこの国の侵攻役を買ってでたのはそれなんだからさぁ。

ウィザードってなんかこう、そそるじゃん?」

「ハ、ハハッ! しかし、思いの他、この老いぼれがやりまして……」


 だらしのないボサボサの頭をかきむしりながら、ゴーレムマスターは欠伸をかいている。そして鳴り響く地響き。後ろで止まっていたゴーレムが動き出した証だった。雷術隊も冒険者も今はどれだけ残っているのかはわからないけど、とてもあれを止められそうにない。

 ゴーレムマスターは絶望に打ち震える私を嘗め回すように視線を這わせた。


「君、かわいいね。名前なんてーの?」

「ト、トルッポ……」

「いいね。さくっとこんな国潰しちゃうからさ、オレといい事しない?」

「孫に手出しはさせんぞッ!」


 おじいちゃんの恫喝にもまるで耳を貸さないゴーレムマスターは、小指を耳の穴に入れてほじくっている。もう片方の岩腕とは対照的でそちらは普通の人間の腕だ。半裸の原始的な姿は、それからして私達を馬鹿にしているとさえ錯覚する。


「あのね、がんばっちゃってるみたいだけど一つぜつぼー的な事言っちゃおうか。

この国ってさ、東西南北に門があるじゃない? で、東にあたる部分がここなわけだけどさ。

残りもすでにゴーレム達に襲わせてんのよね。つか、今頃壊滅してんじゃね」


半笑いでけだるそうに話すこの男の口から絶望的な現実を突きつけられた。北、西、南。すべてがこの有様だとしたら、とっくに町は壊滅状態だ。

 リフレクトを張りながら咳き込むおじいちゃん、そして何もできない私とラーシュ。ゴーレムマスターを追撃するように迫る雷術隊と冒険者達。やはりそこには絶望しかない。


「ハスト様をお守りしろぉ!」


 放たれたライトニングボルトと炎、水、雷。本来ならば相手がフロアモンスターでも、これで決着していたかもしれない。しかし、それらはすべて岩腕の手の平に吸い込まれていく。岩を焦がせない炎、濡らせない水、砕けない雷。やがて弱々しく、消えていった。


「ダ、ダメだ……あの腕にすべて吸収されてしまう……」

「寝る時に邪魔だわ、ナイフとフォークも持てないわ、ケツもふけないわ、女も抱きにくいわでホントこれどうしてくれんのって感じだったけど、役立つ場面も多いのさ」


 片方の腕よりも一回り大きい岩腕の太い指が器用に折れ曲がる。雷術隊12名、冒険者5名がこれから自分達が辿る末路を思い浮かべて、蒼白の表情を浮かべた。Aランクウィザードの頭がない死体が容易に死を連想させる。


「さてさて、ちゃっちゃと片付けますかぁ」

「ジ、ジーチ!」

「シンか? なんだ、こんなところでどうした」

「ぜ、全滅……」

「はぁ?」


 頭部程度の大きさの小さな女の子が遠くの空から飛んできた。赤に彩られた道化のような、ひょうきんな格好をした子だ。あれも魔王軍なんだろうか。

 そんな事はどうでもいい。涙でよくみえない目をこすって、私とラーシュはただおじいちゃんに泣きすがって、リフレクトをやめさせるしかなかった。


「全滅! ゴーレムが全滅! あいつが来てる!」

「あいつって……あ、そういやおまえ確か」


「フフ、間に合ったか……」


 そう力なく呟いたハスト様は意識を失って倒れた。それを支えていた私達ごと、丸腕が襲ってくる。

目を瞑り、死を覚悟した。


「ん、んんんん! き、貴様離せ! 何者だぁ!」


 私は目を開けた。青髪のショートカットが風で揺れている。その後姿は凛々しく、私と同じような歳の娘とはとても思えなかった。

 大地にしっかりと立つその足、そしてボランの丸腕を片手で押さえ込むその力。


「間に合った、のかな……

ハスト様、それにトルッポ、ラーシュは無事、だよね」


 自信のなさげな弱々しい少女の声とは裏腹に、数千人をもってしても押さえられなかったボランを封じている力強さ。一方的に虐殺を繰り返してきた怪物が今度は未知の相手に困惑している。

癇癪を起こした子供のように丸腕を動かそうとするけど、その少女は離す気はないらしい。


「リュア……! 来てくれた……」

「遅れてごめんね……それにしても、ひどいね。ロエル、ハスト様をお願い」

「うん、がんばってみる」


 声がかすれていつも通りに話せない。本当はもっと楽しくお喋りしたいのに、いざとなるとこれだ。

死体だらけの瓦礫の風景を見渡したリュアは、目を細めて一瞬だけ顔をそむけた。


「あわわわ! ジーチ! 逃げたほうが」

「……なーるほど、あいつがリュアちゃんね。なかなか、かわいいじゃん。

つーかボランよ、おまえはいつまで遊んでるわけ?」


 シンという小さな女の子は虫のように空中を飛び回って慌てている。

 ずっと負けじと丸腕でリュアの手を振りほどこうとしていたボランが、我に返ったようにジーチの言葉に反応した。


「ハハー! 今すぐ、片付けます!」


ボランは掴まれていない片方の腕を振り上げた。

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