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第59話 ウィザードキングダム その4

開いた木のドアの影からのっそりと出てきたのは、白髭と白眉毛で顔を覆った小さなおじいさんだった。

小さく見えるのは腰が曲がっているせいだと思う。木の杖をついて、それを頼りに立っている。

女の子もボク達と同じくらいの背丈だけど、それよりも少し小さいおじいさん。

女の子から、かごを受け取って中身を確認して満足そうに何度も頷いた。


「おぉおぉ、ようやった。ありがとう。

最近は足腰が脆くなってのう。外出するのも一苦労なんで助かったわい」

「いえいえ、おじいちゃん。賢者ハスト様のお役に立てるならなんでもしますよぉ!」

「ええのう、ええのう。あと5年ほど経ったら別の事でお世話になろうかの! カッカッカッ!」


白髭だらけの口が大きく開いて笑った。

あのおじいさんが賢者ハスト様なのはわかったけど、女の子はやっぱりトルッポなんだろうか。

あの時は帽子とマフラーに覆われて顔もほとんど見えなかったけど、あの声は間違いなくそうだ。

でも今の様子を見ていると別人としか思えない。


「じーちゃん、連れてきたぜ!」


ラーシュがハスト様にボク達を紹介した。今まで気づいてなかったのか、ハスト様はボク達を見ると白い眉を吊り上げて目を開かせてボク達を見た。

それよりも女の子の反応だ。ボク達を見るなり、顔を赤くして慌ててマフラーと帽子で顔を隠した。

うん、これでボク達が見た事のあるトルッポになった。

今の今までいた明るい女の子はどこかへいってしまったようだ。


「リュ、リュアとロエル……来ていたのか……」

「ト、トルッポだよね? 久しぶりだね」

「久しぶり……」


なんか声まで低くなった。元々よくわからない子だったけど、ますますよくわからなくなった。

今では目元しか見えない。


◆ ハストの家 ◆


暖炉に小さなキッチン、お風呂場とトイレに繋がるドアが取り付けられた白い壁。

棚の上にはよくわからない動物の置物がたくさん置かれている。一番目を引いたのは大きな本棚だ。

天井まで届きそうなほどの本棚に隙間なく本が詰め込まれている。

読まないし、読めないボクにとっては本というものの価値がわからない。ロエルが楽しそうに読んでいる横から見ていても、字ばっかりで一体ロエルは何をしているんだろうかとさえ思える。

試しに手にとって読もうとした事はあるけど、10秒くらいで瞼が重くなってきた。寝付けない時に便利かな。


「ささっ、適当にくつろぎなさい」


厚い木のテーブルの上にはハーブティーとジュースが人数分並べられている。

ハーブティーはあまり好きじゃないので、ジュースを出してくれたのは助かった。


「まずはあのファイアレイン突破、おめでとう」

「あれ、本当にじいちゃんが指示したのか?」

「心配はしておらんかったが、あれを突破できんようではゴーレム討伐などお願いできんからのう」


元々そのつもりだったけど話がすごい進んでる気がする。

ボクはともかく、ロエルはレベルが上がっていなかったら危なかった。もしもの事があったら、ボクはこの人を絶対に許さなかった。

賢者ハスト、見た目よりもずっと怖い人かもしれない。


「もうわかっておると思うがワシが賢者ハストじゃ。

そちらはリュアとロエルじゃな、孫のトルッポから聞かされたぞ」

「孫? トルッポが……」


ボクがトルッポを見ると、顔を伏せてしまった。さっきまでのトルッポは本当になんだったんだろう。


「かわいい孫じゃが、ちと人見知りが激しくてのう。

魔法の腕よりもそっちが心配じゃったから、修業の旅に出させたがどうやら正解じゃったな。

楽しそうにおまえさん達の話をする孫が見られたのじゃから」

「じいちゃん、オレにも修業とか課題とかそんなのくれよう。

弟子とかいいつつ、じいちゃんなーんにもオレに教えてくれないじゃん」

「ワシも歳でのう」

「ごまかすなや」


トルッポは賢者ハスト様の孫、ラーシュは弟子なのか。

こんな事ならもっと早くトルッポに聞いておけば、なんて思ったところでどうしようもない。


「話は聞いておるぞ。まさか孫の口から奈落の洞窟などという単語が飛び出すとは思わんかった」

「おじいさん、奈落の洞窟を知っているの?!」

「ワシも歳じゃから、記憶の彼方に追いやられていた。知りたいかの?」

「知りたい! それと片翼の悪魔がどこにいるのかも」

「リュアちゃん、ちょっと落ち着いて……」


興奮しすぎてテーブルの上にまで乗っかっていたボクをロエルが止めてくれた。

こぼれたジュースを静かに拭き取るトルッポ。ありがたいけど、静かすぎてちょっと怖い。


「おまえさんはその奈落の洞窟に潜ったそうじゃな」

「うん、ヴァンダルシアもボクが倒したよ」

「ほう……?

本来ならばあそこには結界が張られていて、普通の人間が立ち入る事はまずないのじゃが……。

まずおまえさんがどこで奈落の洞窟という言葉を知ったのか、ワシとしてはそっちのほうが謎じゃ」


奈落の洞窟。そうだ。

なぜか当たり前のようにボクは知っていた。

ぽっかりと口を開けているその洞窟のどこにも名前なんて書かれていなかったし、そもそもボクは字が読めない。どこで知ったんだっけ。


「ワシが知ってる範囲でよければ話そうか。

奈落の洞窟とは、この世界を暗黒に陥れた怪物を封印しておる場所じゃ。

時代が違えど、奴らは世界を壊し、支配した。

じゃが、いつの時代もどんな者でも終わりは来る。その時代の英雄と呼ばれる者にことごとく封印された。歴代を通して奈落の洞窟を封印場所と定めたのかはわからん。

そう、ヴァンダルシアは最後に封印された怪物じゃ」

「それじゃ、ボクが倒した首がたくさんある犬も巨人も?」

「それは確か……」


ハスト様が席から立ち上がって、本棚をあさり始める。目的の本が天井に届くほど高い位置にあったので、ハシゴを使って取った。


「これじゃ、いずれも人々の記憶から置き去りにされるほど遠い昔の化け物じゃからな。

寝入る子供に聞かせるお話として伝わっておるのが、ほとんどじゃ。ほれ」


分厚い本に描かれていた絵。それは結構違ってはいたけど、ボクが倒してきた魔物に似ていた。

えーと、ギーガアトラス、ヘルベロス、ヨーツンガンド。

首が四つあるあの犬はヘルベロスっていうのか。難しい字ばかり使われていてさっぱり読めないから、ロエルに読んでもらった。

かつて大陸中を焼き尽くし、地獄の化身とまで言わしめたヘルベロス。

大足で国を踏み潰して歩いたギーガアトラス。

すべてを飲み込んで無に帰すヨーツンガンド。

そして全世界の人々を絶望の淵に落とし、恐怖で支配した破壊の王ヴァンダルシア。

他にもボクが倒した魔物がほとんど載っていた。

誰がどうやって倒したのか。どれも勇者によって倒された、封印されたとしか書いてない。


「そういえば、トルッポが幼い頃に読み聞かせてやったのう。すっかり忘れておったわい」

「それでどこかで聞いた事が……」


トルッポは納得した様子だった。

こうして聞いていると、ボクが倒したあの魔物達はとんでもない奴らだとわかる。

地下100階にも及ぶダンジョン。ただそれだけの認識でボクは戦っていた。

確かに手強いどころじゃなかったし、何度も死にかけた。それでも勝てたのは何でだろう。

今まであのダンジョンを制覇したという自信と誇りがあったけど、ここにきてわからなくなる。


「ハストさ……いえ、ハスト様。私達、これまでに新生魔王軍と名乗る人達と戦ってきました。

アバンガルド王国もその人達の襲撃を受けました。ハスト様はあの人達について何かご存知ですか?」


ロエルが丁寧に聞くと、ハスト様は眉を少しだけ吊り上げた。

驚いているのか何なのか、表情からはまったくわからない。


「なるほど、奴らはすでに派手に展開しておったか」

「えっ、ハスト様はあいつらを知ってるの?」

「知ってるも何も、今この国に侵攻しているゴーレムの親玉がそう名乗っておったからの」


薄々わかってはいたけど、やっぱりあいつらなんだ。

こんなところにまで現れて本当に迷惑な奴らだ。そうとわかったら、ますます協力しちゃうぞ。


「そうじゃな、おまえさん達は30年前に起こったあの戦いを知らんだろう……。

アバンガルド王国軍と争った魔王軍の存在もろともな」


ボク達は何も質問せずにその話に聞き入る。余計な口を挟んで話が進まなくなるより、少しでもすべてを知りたい。同じ思いかどうかはわからないけど、この場にいる全員が物音すら立てずに座っている。

家の外からかすかに聴こえる町の音だけが流れ込んできた。


「30年前、突如現れた異形の集団。そやつらは魔王軍と名乗り、アバンガルド王国に侵攻した。

魔王軍の力たるや、凄まじくてのう。

当時のAランクの冒険者を含めた王国軍との激突はアバンガルド王国北のパッチナ高原で起こった。

一進一退の攻防、互いに譲る事のない接戦。

王都までの侵攻を許さなかったのは今考えても大したもんじゃて。

そんな日々じゃったが、突如希望の光が舞い降りた。どこをどう見ても平凡な少年が、仲間と共に魔王軍に立ち向かった。

あれよあれよと言う間に少しずつ魔王軍を押し切り、1年もかからずについには魔王を討ち取ったのじゃ!」


討ち取ったのじゃ、のところで急に大声になってびっくりした。

ハスト様は軽く咳払いをしてまた話を続ける。


「人々はその少年と仲間達を称えた。彼らを勇者と呼び、称賛した。

勇者、そう。彼は歴代において、世界を救ってきた勇者の末裔じゃった。

ギーガアトラス、ヘルベロス、そしてヴァンダルシア。こやつらを倒し、地の底に封印したのが勇者一族なんじゃよ」


正直、頭がおいつかなかった。ロエルはわかっているのか、うんうんと頷いて話を聞いている。

魔王、勇者。頭の中で少し整理したいけど、多分待ってくれないだろうな。

あ、でも勇者って確かあのヴァンダルシアも言っていた気がする。


「あの、お話は理解できました。しかし、30年前にそんな事があったなんて全然知りません。

私は生まれてないですけど、誰もその話を知らない様子でしたし……」


ロエルが当然の疑問を投げかけるけど、ボクは一つだけ知っている。

ガンテツさんだ。あの日、バルツが魔王軍と名乗った時に少しだけ怯えていた。

あの人は何か知っているんじゃないだろうか。

でも多分教えてくれない。王様も誰もが魔王軍については話してくれなかったから。

だからこそ、この人の話を聞こうと遥々やってきた。

もちろん、片翼の悪魔の事だって忘れてない。ここであいつの居場所がわかれば、絶対に万歳すると思う。


「ふむ、それもそのはず。王国は当時、奴らを魔物の集団としか報じなかった。

魔王軍などと不吉な名を民に広める必要もないと考えたのじゃろう。

戦いに参加した者が口外しなかったのか、疑問は残るがの……」

「そんな事があったんですか……まったく知らなかった」

「30年前に現れた魔王軍、そして現在の新生魔王軍。恐らくじゃが、30年前の生き残りと考えるのが妥当かのう」


まったく知らなかった、ボクもロエルと同じだ。

それじゃ、30年前に負けたから仕返しで攻めてきてるのかな。


「それより、そんな事を聞きにおまえさん達はこんなところまで遥々来たのではなかろう?」


ハスト様の白眉の下に隠れた目が鋭く光る。またこの目だ。

メタリカ国のジーニア、そしてハスト様。大人独特の射抜くような視線。子供のボク達の考えなんて丸分かりだとでも言わんばかりの目。

思い過ごしかもしれないけど、ボクはこの目が好きになれない。

ボクの村で起こった事、そして片翼の悪魔の事をすべてこの場で話した。

ハスト様は黙ってボクの話を聞いている。話し終えて少しの間、ハスト様は腕を組んで考え込んでいた。

そしてようやく口を開く。


「知らん」


期待していただけにショックが大きかった。魔王軍の事まで知っていたなら、きっとこの人なら。

勝手にそう思っていただけだった。


「今の話だけでは何も言えん」

「そうだよね……」


シン、と静まった室内。せっかくここまで来たのにボクは何をやっているんだろう。

ここにきて未だに何の手がかりも掴めないなんて。握りこぶしが痛くなるほど、悔しい。


「ワシも魔物博士じゃないのでのう。

ここは一つ、ゴーレム討伐に奮起してくれたら、ワシも一肌脱ごうと思うのじゃがどうだろう?」

「それはそうでなくてもやるよ……。でも一肌ぬぐって?」

「片翼の悪魔とやらも含めて、ワシも探ってやろうというわけじゃ」

「ホ、ホントに?!」

「魔王軍の事だってワシにかかれば先程話した通りの情報が揃う。賢者ハストを頼るがよいぞ」


立ち上がった反動でイスを跳ね飛ばしてしまった。

その一瞬の興奮後にノックされたドア。


「ハスト様、すぐにそちらにいる娘二人を引き渡して下さい」


全員がドアに注目する。外からは知らない男の人の声。

娘二人というのは多分、ボクとロエルだ。すごく嫌な予感がした。


◆ ハストの家の前 ◆


道いっぱいにずらりと並ぶウィザード達が家を取り囲むようにして、逃げ道を塞いでいる。

訪ねてきたのはウィザードキングダムの王様だ。茶色の髪を全部後ろに伸ばしているので、額が広く見える。

アバンガルドの王様よりかなり若いと思う。

赤いマントに宝石のようなものが飾り付けられていて、手には黄色く光る大きな宝石を乗せた杖。

この人自身もウィザードだとすぐにわかった。


「勝手な真似をされては困りますな、ハスト様。

火術隊を動かしてまで、なぜその二人を入国させたのです?」


ボク達にファイアレインを放った人達の隊長が申し訳なさそうに顔を下に向けている。

王様は刺すような視線をボク達に向けながら、杖で地面を強く突いた。その乾いた音で隊長がびくりと体を震わせた。


「ゴーレム侵攻の被害も馬鹿になっておらんじゃろう。

これ以上、意地になってまだ犠牲を出すつもりか?」

「この国の王は私だ。

あなたには何の権限もない。よって、その二人を不法入国者として処罰する」

「なっ! ちょ、おいコラ! 待てよ!」


ラーシュが抗議しようとした途端、王様の杖から電撃が放たれた。一筋の細い雷は光の速度でラーシュに直撃する。くらりと頭が回り、そのままラーシュは崩れ落ちた。


「ラ、ラーシュ……ハスト様……ラーシュどうしよう……」

「気絶しておるだけだ、案ずるなトルッポ。それより……」


聞いていた話と大分違う。王様はハスト様には頭が上がらないんじゃなかったのか。

アバンガルドの王様も確かに近寄りにくい雰囲気だったけど、この人はそれを上回る。

人を人とも思ってなさそうな、冷たい雰囲気を全身にまとっている。現に自分が攻撃したラーシュに目もくれていない。


――――ザジール、ワシのかわいい弟子に何をしたのじゃ


その言葉と同時だった。腰の曲がったおじいさんから、とてつもない冷気が放たれる。

いや、実際に冷気が放たれたわけじゃない。

ハスト様の喋った言葉の一つ一つが王様と兵士達に氷の刃となって突き刺さった、そうとしか思えないほど兵士達は気圧され、倒れた。

呼吸を荒げて立ち上がろうとする人が数える程度で、なんとか立っているのは王様だけだ。

でも、その王様も思わず防御姿勢をとるほど警戒している。

後ろにいるボクはなんともなかったけど、ロエルとトルッポは身を守るようにして家の壁を背にするほど後ずさりしている。

震えが止まらないのか、歯の根を打ち鳴らす音が聴こえる。


「し、しかし国を導く者として、と幼い頃に何度も私に説いたのは貴方だ、ハスト様!

私には私のやり方がある!」

「ふむ、それはそうじゃな」

「そ、そうでしょう?」


拍子抜けするほど、普通のおじいさんに戻っていた。王様も呆れたようなホッとしたような表情だ。

なるほど、確かに頭が上がらないはずだ。今のハスト様ならボク以外の、この場にいる全員を皆殺しに出来た。

王様もさっきまでの威厳がどこへいってしまったのか、今はハスト様の顔色を窺うように言葉を選んでいる。いつの間にか杖を両手で握るほど、焦っていた。


「まー、ここは仕方あるまい。リュアにロエル、おまえさん達はちょっと捕まれ。

抵抗はせんようにな」

「は?」


ゴーレム討伐はどうなるのか。捕まって処罰されたらどうなるのか。

聞きたい事は山ほどあるはずなのに、惚けたおじいさんのあっけらかんとした調子にボク達は何も言えなくなった。


「じゃがのう、ザジール。ラーシュの件についてはワシ個人の怒りが収まらんくてのう」

「はい、調子に乗りすぎました……ゴメンナサイ」


片言のごめんなさいが恐怖によって王様から引き出された。

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