第51話 初めての船旅 その1
「リュアちゃん、早く早く! 船がいっちゃうよぉ!」
「そ、そんなにせかさないでよ」
油断した。今まで寝坊なんてした事なかったのに、ここにきて初めてやってしまった。
魔王軍との戦いやリッタの件が重なって疲れていたんだろうか。思えば奈落の洞窟を離れてから、どうも緊張感が欠けてきた気がする。
今一度、気を引き締めなければ。だからここは気合いを入れて何としてでも、間に合わせる。
ロエルを抱っこして、全力疾走。
闘技大会受け付けに行く時にも同じ事をやったけど、今回は注目度が段違いだ。闘技大会優勝で一躍有名になったのか、町の人達のほぼ全員の視線が集まってくる。ヒューヒューだの、よくわからない冷やかしみたいなのまで受ける始末。
ロエルは手で顔を覆い隠して、貝のように閉じている。恥ずかしいのはわかるけど、乗り遅れるよりマシだ。
「着いたッ!」
「うん! よかった! 降ろして!」
よっぽど恥ずかしかったのか、着いたと同時に言われてしまった。船着場には何隻もの船が並んでいて、これを見ただけでは、どれがボク達の乗る船かわからない。
船に乗る人だけじゃなく、見送りの人までいるみたいで船着場は混雑していた。チケットに書かれている番号を確認して目的の船を捜す。
「ウィザードキングダムへ行きたければ、あちらの船ですよ!」
明るい声で教えてくれたのはリッタだった。今日は休みなんだろうか、それよりもう動いて大丈夫なのか。何より、ボク達がウィザードキングダムへ行くってなんで知ってるんだろう。
「すみません、一言お礼を言いたくて探し回ってました。そしたら、ガンテツさんが教えてくれまして……」
「そこまでしなくても……別にお礼を言われるほどの事はしてないよ」
「いいえ、本当にすみませんでした。特にリュアさんの事情も知らないで私ばっかり、弱い子と思い込んじゃって……リュアさんだってきっと苦労したんですよね」
正直言って、あの時は少しだけ腹が立った。でもほんの少しだけだ。
無力を嘆く気持ちはボクにだってある。奈落の洞窟でなかなか進めずに涙した事なんて一度や二度じゃない。深手を負って命からがら逃げ出した事もある。
そして強くなったつもりでいたけど、魔王軍が襲撃してきた時は、たくさんの人が死んだ。今だって出来ない事がある。
もし、ボクが守れずに大切なものを失ってしまったらリッタのようになってしまうかもしれない。
あの槍のせいとはいえ、多分あれはリッタの本当の気持ちだと思う。弱い気持ちに付け込む何かが、あの槍にはあったのかもしれない。
「あっ、そろそろ出航みたいですね。足止めしちゃったみたいで……」
「そうだ、急がないと……リッタ、元気でね」
「はい! 次にリュアさん達が帰ってきた時には立派な兵士になってますから!」
◆ 定期船 ハリアート大陸プラッツ港行き 一日目◆
港から手を振るリッタ、甲板からそれに応えていると船が動き出した。てっきり木製かと思ったのに、これは鉄製なのかな。船には詳しくないけど、かなりしっかりした作りに見える。一見、遅いように見えるけどかなりのスピードが出ているようで、あっという間にアバンガルド城下町の港が見えなくなった。
今は見渡す限りの海だ。波の音がなんとなく心地よい。
「ロエル、これ鉄だよね? なんか戦いにでもいくかのような船だなぁ」
「あはは、リュアちゃんらしい発想だね。この船もそうだけど、一部の物資はメタリカ国製のものなんだよ。私達が使う日用品なんかにも、あそこの国の発達した技術が使われてるものが結構あるの」
「メタリカ国……前も聞いたな。そんなにすごいものを作れる国なんだ」
「これから私達が行くウィザードキングダムが魔法、メタリカ国は科学が発達した国だね」
そう、世界にはいろんな国や町がある。そこによってまったく知らない文化があるわけで、ボク達はこれから、それを見にいくわけだ。ボクとロエル、二人っきりで。今更だけど、なんだかこうしているとすごく安らぐ。
「ずっと海だね。ボク早くも飽きてきたかも」
「うん、だって船旅だもん」
「他の人達はどうやって過ごしてるのかな」
「海を見たりとか?」
「退屈だね」
あくびをして周りを見ると、甲板でくつろいでいる人達が結構いる。見るからに冒険者だとわかる人もいれば、普段は何をしているのか想像もつかない人もいる。家族連れをぼんやり見ていると、十年前まではボクもあんな風に団欒を過ごせていたんだと思い出してしまう。
はしゃぐ子供に両親、幸せそうな笑い声がボクの胸に響く。そんなボクをロエルが困ったような顔をして見ていた。
「リュアちゃん?」
「うん? いや、どうもしないよ」
物思いにふけっていると、客室へ続くドアが開いた。中から出てくる中年の男達。
何事かと思ったけど、すぐにわかった。
「えー、皆様。プラッツ港までは我々がこの船を守ります。どうかご安心して快適な船旅をお楽しみ下さい」
そう言った真ん中にいるおじさんは黒い髭が口の周りを覆い、丸い目をしている。
にこやかな笑顔をボク達に向けていて、尚且つ自信に満ち溢れた表情だ。やっぱりこの船の警備として雇われた人達だった。
「王国の兵士も何人かいるみたいだけど、ああいう人達も雇われているんだね。
ボクもやってみたかったなぁ」
「定期船の警備っていうのをギルドの依頼で見たよ。でも、引き受けちゃうとプラッツに着いた後、またアバンガルド王国に戻らないといけなくなっちゃう」
「あ、そうか……」
髭のおじさんが背負っているのは槍だ。他の二人のうち一人はウィザード、残りの一人は弓を持っていて、全員が薄着のシャツ一枚という涼しそうな格好をしている。無愛想な表情で腕を後ろに組んで立っていた。おじさんだけがテンション高い。
そのおじさんがボクに気づくなり、驚きの声をあげた。
「ほぉっ! もしや、闘技大会で優勝した子かな?」
「そ、そうだけど」
「なるほどなるほど! しかし、変に気をつかわなくていい。我々は定期船警備専門の冒険者、この仕事を始めた二十年前からただの一度も、魔物に襲わせた事などない。よって君達の手を煩わせる事など決してないので、安心して船旅を満喫してくれ」
勝手に話を進めて納得してしまっている。二十年も警備の依頼を請け負っているってなんかすごい。ボクが生まれる前からこの人は冒険者だったのか。ガンテツさんよりは若そうだけど。後ろの二人も全員が髭のおじさんくらいの歳だ。
「後ろの二人はまだBランクだが、Aランクの素質は十分にある。ぜひとも戦いぶりでそれを証明したいものだが……いや、魔物が襲ってこないに越した事はないか! ハァッハッハッハッ!」
何が面白かったのかわからない、おじさんは声を張り上げて必要以上に笑っている。
海にも魔物はいるだろうし、もし襲われたら危ないなんて思っていたけどこの人達がいるなら大丈夫か。本音を言うと海の魔物を見てみたかったけど、おじさんが言うように現れないほうがいい。
「マーマー、あれなーに?」
「どうしたの? あ、あれは……もしかして」
家族連れの中の女の子がむじゃきに指をさした先に何かいた。
海面から突起物を突き出して、この船と並走するように何かが泳いでいる。それが二つ、三つと海面から姿を現したと思ったら、こちらを向いて何かが水しぶきを上げて飛び掛ってきた。
【キラーシャーク×3が現れた! HP 190】
乗客の悲鳴が飛び交う前にすでに事は動いていた。飛び掛ってきた鮫に矢が連続で突き刺さる。弓を構えたおじさんの後ろに詠唱が終わったウィザードが一人。すぐさま電魔法が浴びせられた。
【シルバの攻撃! キラーシャークに84のダメージを与えた! HP 106】
【ジジニアはサンダーボルトを唱えた! キラーシャークに111のダメージを与えた!
キラーシャークを倒した! HP 0/190】
髭のおじさんは向かってくる鮫の口に槍を刺し込んだ。刺したと思ったら素早く抜いて、また刺す。
そして最後には蹴りで海に叩き出した。残りの一匹にも矢が突き刺さり、同じ手際で雷魔法で処理された。
【シルバとジジニアの総攻撃! キラーシャークに193のダメージを与えた!
キラーシャークを倒した! HP 0/190】
【ボートムの攻撃! キラーシャークに206のダメージを与えた!
キラーシャークを倒した! HP 0/190】
乗客が恐怖する前にすべては終わった。この間、多分10秒もかかっていない。詠唱速度といい攻撃の切り替えといい、すごい手際だ。何より、鮫の死体を海に叩き出している髭のおじさんの力。
筋肉が盛り上がっていて、いかにも普段から鍛えている風貌だった。
「のどかな船旅ですなぁ。ハッハッハッハッハッ!」
何事もなかったかのようにおじさんは笑っている。乗客の人達はようやく自分達が助かったと認識できたようで、蹴り出された鮫の死体を確認するかのように甲板から海を覗いている。
一連の流れを見て、ボクも黙っていられない。確かにこの人達は慣れているみたいだけど、任せっぱなしというのも癪だ。
その日はそれ以外に何事もなく、一日が終わった。夜になっても船は海を進んでいる。ボク達が寝ていても、動いているという事は誰かが寝ないで船を動かしているという事。少しだけ気になって操縦室というところにいってみたけど、中には入れてくれなかった。
船では夕食もきちんと出るみたいで安心だ。食べ終わり、甲板から海を眺めると辺り一面が暗黒に染まっていた。先頭のほうではあのおじさんが海を見張っている。残りの人達はいなかった。
邪魔をしたら悪いので、ボクはそのまま部屋に帰った。
「どのくらいで着くんだろう? ボクも警備してたほうがよかったなぁ」
「約4日だって。昔の船だと、三ヶ月くらいはかかったみたい」
「さ、三ヶ月も?! 退屈すぎて死んじゃうかも……」
「でも甲板から見た感じだと、この船かなりスピード出てたよ。三ヶ月かかったところを4日に短縮できるってすごい事だと思う。メタリカ国の技術は驚きだねぇ」
「うん、いつか行ってみたいかも」
「そうだね、私もこうやって誰かと世界中を旅したいって思ってたんだ」
その言葉でふと、遠い昔にクリンカと同じような事を語り合っていたのを思い出した。外の世界を知らない二人、いつか見ると信じたこの世界。結局、それも叶わなかった。すべてを奪われたあの日の事を思い出すと、ふつふつ沸きあがってくる黒い感情。
決して片翼の悪魔を忘れたわけじゃない。でも冒険者としての日々がその憎悪を忘れさせてくれる。
無機質な船室のベッドで眠りに落ちる直前まで、昔の事をずっと考えていた。
◆ 夢の中で ◆
「そうか、二人はまだこの村から出た事がないのか」
剣士のお兄さんはよくボク達二人の頭を撫でてくれる。ボクとクリンカはお兄さんが話してくれる外の世界のお話を聞くのが楽しみだった。難しくて理解できない事もたくさんあったけど、楽しかった。
「ねぇ、ボクに剣をおしえてよ」
「リュアちゃん、前にもだめだっていわれたじゃない」
「ハッハッハッ! そうだよ。何より、君の両親に固く禁止されているからね。二人や村の人達には感謝しているから、尚更約束は破れないさ」
「けちんぼだ」
いつもの流れ、お兄さんはいつも笑っていた。でも、あの時見た顔はまるで別人だった。
村の隅で一人立っているお兄さんに話しかけようとした時、その横顔が恐ろしかった。でもそれも一瞬でボクに気がつくと、途端に笑顔になる。お兄さんは優しかった。
そのお兄さんが貫かれた。
片翼の悪魔。
ボクを逃がしたばっかりに、お兄さんは死んだ。
裸足に山の尖った地面が突き刺さる。
どこに逃げようとしているのかもわからない。
ただひたすら走った。
魔物が襲ってきた。見た事もない、自分の何倍も大きい怪物の腕をしゃがんでかわした。
必死に逃げ惑っていただけのはずなのに、その魔物の攻撃はボクに当たらなかった。
そして突然の心臓の高鳴り。
逃げるのをやめて足に力を込める。そして向かってくる怪物を――――
いつもの夢から覚めると船室の小窓から明かりが漏れていた。




