第324話 真世界
◆ ??? ◆
「リョウホウよ、そなたはこの世をなんと心得るか」
教祖ゼダ様のお加減はよろしくないようだ。マディアス様のお声を唯一お聴きになれる方故、心労も激しい。そんな時は決まって私に真理を問う。勇者一族でありながら、かつては災厄に身を落としてまで己の理想を貫こうとしたお方だ。私には到底、到達できぬ志。本来ならば私のような人間が傍にいる事さえ許されない。だがゼダ様は私に問う。
「……至らぬ身ゆえ、回答には時間を頂く事をお許し下さい」
「正直。飾った大言を吐こうものならば容赦はしなかった」
「日々邁進いたします」
「マディアス様は大変、苦しまれておる。真理と理想の狭間にその身を落としておられる。リョウホウよ……」
静寂の中、ゼダ様の震えたお声が浸透する。なんとお労しい、この世界で最も純真なお心を持つが故にこうまで苦しまれるとは。
「何故、世界はこうまで汚れた。それは一重にヒトの所業故ではないか。ヒトが成せば世界は汚れる。ヒトの文明とはかくも罪だと、そうは思わんか」
「自然との共存、ウーゼイ教の到達すべき境地です。我々が成さなければいけないのは文明の発達等ではありません。人とは”自然”であるべきなのです」
「文明の発展こそがヒトの弱さよ」
聖都内でよからぬ噂が立っているのは耳にしている。ゼダ様が人間を滅ぼそうと画策しているなどと、不届き千万な吹聴を行う輩がいる。だがそれは教えを真に理解していない者達の戯言だ。ゼダ様は人を導く。そのお心が純真であったばかりに結果的に災厄を引き起こし、同じ一族によって封じられたのだ。それはつまり人が不完全であったから。
もし人がゼダ様を理解し、賛同していたならば永久の霊帝ルルドなどと呼ばれていない。すべては未熟な人が悪い。
「成すべきは自然回帰。ウーゼイ教を起点とし、人をあるべき姿へと導く。人を自然とする。そうなれば人は川を海を大地を汚さぬ。野山を狩らぬ。我は……いつまでも見ていたい……美しきこの世界を……」
「ゼダ様……」
仮面の下から涙が零れる。たまらぬ、その身を支えたいが至らぬ私にそれが赦されるはずもない。このお心を理解しない下賤な輩が憎い。いや、憎むべきは罪であって人ではない。罰を与えるのではない。導くのだ。
「人は救われます。かのラコンも聡明な勇者様によって救われ、このウーゼイ教が広まったのです。すべてはウゼ様……いえ、ゼダ様が紡いで下さった事。リョウホウ、この身が朽ちようともお供致します」
「その足掛かりとする選別の時が迫っておる」
「はい。悲しくも、洗う価値のない者達もいます」
「知らぬ口と思ったか。あの男……たかだか100年も生きぬ小僧が我を欺こうとは笑止。目に物を言わせる時は来ている」
この場にいないあの男に向けた怒気は私の芯から焦がしかねないほどだった。呼吸が乱れ、立つ事すらもままならくなり。気圧され、己が小さな生き物である事をひたすらに恥じる。並みの者ならば、その矮小さを悔いて命を捨てるだろう。それほどまでにゼダ様と私の距離は計り知れない。
このゼダ様に一撃を入れたと噂される者がいるなど信じられなかった。更にその者を倒したのがあのリュアであるなどと。断じて、あってはいけない事だ。敬愛するゼダ様を傷つけるなどと、上回るなどと。罰を与えぬ信条だが、こればかりは己の修業不足を痛感すらしないほど怒りが収まらない。ゼダ様を、ウーゼイ教をどこまで貶めれば気が済むのだ。
「時間が来た。かの地へ赴く」
私の返答など間に合うはずもなく、空気に溶け込むようにしてゼダ様はいなくなった。とてつもない練度のそのスキルに、私は再度身震いする。こんな未熟がご同行したいなどと願うのはおこがましい。私はこの大聖堂で一人、膝をつくしかなかった。
◆ アバンガルド王都 中央通り 城門前 ◆
イカナ村にも届いた、裸の王様が発令した真世界宣言。今日はボク達も招待して、その全容を明かすらしい。ハッキリ言って行きたくなかったけど、嫌な予感がするからこそ見なきゃいけない。その予感はだいぶ前から感じていた。
「魔物さ……ほとんど見なくなったよね。特務隊の人達が討伐しているから、かな」
「いくらあいつらでも、この辺りから魔物全部を絶滅するとなると何十年どころじゃないよ。ボクの勘だけど、それが真世界宣言に何か関係しているんだと思う」
王都中の人間が集まる中、まだ裸の王様は姿を見せない。クリンカが言った通り、今じゃキゼル渓谷すら誰もが護衛なしで安全に通れるようになっていて不気味だった。それどころか、ここ最近の天気がおかしい。心地いい気候がずーっと続いていて、まったく変化がない。毎日が眠たくなるようだ。
「よう、お前ら。久しぶりだな」
「あ、ガンテツさん。本当にすごく久しぶりだね」
「そりゃほとんど家から出てねぇからな。出る必要すらねぇって話だ」
「ど、どういう事?」
どこか老けたおじさんだなと思ったらガンテツさんだった。元々歳はとっていたけど、前よりも皺が増えていて筋肉に張りがなくなっている。顔もわずかに丸くなっていて、家から出ていないという言葉を裏付けていた。
「魔物討伐もなーんにもなくなって、冒険者ギルドも廃業寸前ときたもんだ」
「魔物討伐以外の依頼は……?」
「ないな」
「なんで……」
「やーやー、皆元気ー?」
その声だけを聴くことにした。視界に入れたくない。テラスにあの裸が現れて、これからその真世界宣言とかいうのをするつもりだ。
「早速だけどさー、真世界についてざっくりと説明しちゃうよー。はい、それじゃ今日のゲストー」
相変わらず間延びしていてハッキリと物を言わない奴だ。聴いているだけでもイライラする。ついてきたプラティウなんか、もう立ちながらコックリコックリと寝そうだし。支えてあげないと倒れちゃう。で、ゲストって何。
なんてふざけた態度も、そのゲストの登場で改める。のっそりと現れた独特のヘビ模様のローブ、何重にも重ね着しているかのようにも見える大袈裟な衣装。極め付けにその仮面、忘れもしない。
「ウーゼイ教の教祖様だよー」
「お初にお目にかかる、アバンガルド国の民よ」
誰もが息を呑んだと思う。ほとんどの人が初めて見るはずだし、何よりその異様な恰好だ。あの変な仮面のせいで余計に怪しい。というか悪人なんだけど。さて、ここでソニックリッパーを撃つべきかな。待て待て。あのブランバムと同じくらい強いなら、一撃で倒せる保証もない。それにあの裸の王様もいる、あっちに関しては完全に未知だ。もしボクの一撃が仇になるようなスキルを持っていたら、一気に立場は悪くなる。
「うん。ボク、攻撃はしない」
「なんかすごく考えていたけど、やめてよね……倒さなきゃいけない相手かもしれないけどさ……」
ボクとクリンカが変なやり取りしている横でプラティウが本格的に倒れ込んできた。寝るなら村にいてほしい。本当についてきたがるんだから。
「国王の紹介に甘え、自己紹介は割愛させていただく。すでに周知ではあるが、ここアバンガルド国と神聖ウーゼイ国はさながら同盟という関係に当たる。名ばかりで終わらせるわけはなく、より強固なものにする事によって諸君らにも安寧が訪れるのだ」
「布教活動か……?」
「その類と捉えてよい」
「き、聴こえて……!」
ボクの近くにいた人のポツリとした呟きだった。それをルルドが拾ったんだから驚くなんてものじゃない。これだけ大勢の人がいるのに、誰が何を喋っているのかがわかるなんて。
「百聞よりも一見、これより神聖ウーゼイ国は真世界を築くとここに宣言する」
ルルドが両手を広げ、片手に持った杖で円を描くと空に何かが現れた。攻撃かと警戒するも、それの正体がわかって拍子抜け。それはパンだった。パン。ポコポコと現れては振ってくるパンが皆の元に落ちる。
「これは……どこから降ってきた?」
「何なんだ……?」
「例えば諸君が生きるのに必要不可欠である食料。本日よりその手で掴む必要はない」
またルルドは同じポーズで杖を回すと、今度も何かが上に出現する。今度は色とりどりの服だ。毛糸で出来た服やら皮のパンツやら、ひらひらと舞い降りてくる。
「なんだなんだ!」
「これ本物だよ……しかも超がつく高級ブランド!」
「あの教祖がやったのか?」
「衣も思うがまま」
今度は何をする気だ。杖を一回り大きく丸く振るけど何も起こらない。皆が空を見上げていると突然、奇声が聴こえる。
「お、おおぉぉ! これは! きてるきてる! 二週間ぶりにきてるぅぅ! で、出る出る! そこをどけてくれぇぇ!」
「あれ……目が……見える?」
「ウソだろ……腰の痛みがない……何十年と悩まされてきたのに……」
奇声というか、いろんな場所から信じられない言葉が出てきた。パンと服を握り締めて興奮気味になり、目が見えなかった人は近くの人の体を触りまくっている。
「衣、食、住。人はこれらが初めから与えられてないが故にもがく。その過程で争いが生まれ、時として間違った文明を築き上げてしまう。我はそのような悲劇を望まぬ、諸君もどうか。メタリカを見よ、超文明を誇る大国も自滅の一途を辿ったのだ。それは何故か……弁えんとするのはいわば人の業。誰もがそのような業を克服するのは至難である。故に本日、我がここに立ったのだ」
気がついたら生唾を飲み込んでいた。見入っている、その得体の知れない力に。スキルだとかそんなレベルじゃない。何かを生成するスキルはボクも知っているけど職人ががんばって作るような、いろんな種類の服を出すなんてあり得ない。極めつけに一瞬で多くの人の病気や障害を治した。トリックなんてない、ボクが断言する。あれはその場で生まれたんだ。
「我は人を支え、あるべき道を示す」
もうこうなったら歓声が上がるしかない。ボク達だけが取り残され、王都中の人達が感動で打ち震えている。ジーニアが演説していた時なんて比較にならない。まるで暗闇から解放されて、生きている事を実感したような。お腹の底から叫んでいる歓声だ。
「力の一端を見せつける形となったが、これは教祖たる我の力ではない。いわば加護……ウーゼイ教の主神たるマディアス様を信仰し、極地に至ったものであれば容易な事。すなわち主神マディアス様のお力である。アバンガルドの民よ、信仰せよ。さすれば救われるものがそこにある」
「オオオオオォォォォ!」
「ウーゼイ教ってすごい!」
「ウーゼイ教万歳!」
「万歳!」「ウーゼイ教万歳!」「万歳!」「ウーゼイ教万歳!」「万歳!」「ウーゼイ教万歳!」「万歳!」「ウーゼイ教万歳!」「万歳!」「ウーゼイ教万歳!」「万歳!」「ウーゼイ教万歳!」「万歳!」「ウーゼイ教万歳!」「万歳!」「ウーゼイ教万歳!」
あいつ、ルルドはこの短時間で王都中を魅了してしまった。クソ、何が狙いなのかまったくわからない。一番重要なのはこれでよりあいつに攻撃できなくなったところだ。誰もがあいつを信用していて、逆らえる雰囲気じゃない。
「あのメタリカ国がプロパガンタに使われちゃうなんて……リュアちゃん、あの力って……」
「ルルドの言う通り、あれはマディアスの力だよ……。どういうわけか、ルルドはマディアスの力を使えているのか……それともマディアスが直接やったのか……もう、わけわかんない」
「何かにすがり、魔の影に怯える事もなし。すがられた者よ、その身は自由ぞ。強さを磨き、競うな。本日より、強さは意味をなさない。それを自我としているならば捨てよ。繰り返す、それに意味はない」
あいつ、これは間違いなくボク達冒険者に向けていっている。磨くな、競うなだって。ふざけるな、それがなかったら今のボクは何なんだ。あんな奴に否定されてたまるか。
「民よ! ここからは真世界である! 業の呪縛から解き放たれよ!」
耳が痛くなるほどの歓声の中、ボクの胸がズキリとした。なんだろう、この不安。孤立しているのはこの状況だけじゃない。ボク達そのものが世界から切り離されたみたいだ。
――――君に味方なんてもういないよ
今になってジュオの言葉を思い出した。
◆ シンレポート ◆
おかし たべほうだい!
なんたる しんせかい!
うーぜいきょう ばんざい!
ひゃぁぁぁ!




