第315話 離れ行く日常
◆ アバンガルド王国 国境付近 ◆
【クリスタルドラゴンはオーロラブレスを吐き出した!】
虹色の煙が渦巻いて周囲を飲み込むと草木が焼かれ、あるいは凍結する。灼熱と零度を一度にもたらすオーロラブレスは上位種のドラゴン特有のスキルだ。クリスタルドラゴン、ドラゴンズバレーにしか生息していない、最上位のドラゴンがなんでこんなところに現れたのか。
付近には小さいながらも温泉町がある。こんな辺境の警備隊じゃワイバーン一匹すら手に余るというのに。たまたま俺が立ち寄っていなかったらどうなっていたんだ。
「英雄イークス、腕の見せ所といきたいが……」
今の俺じゃ簡単に勝てる相手じゃない。魔王軍にいて葬送騎士をやっていた頃は、死の武器商人が作ったあの鎧とバッドスレイヤーがあったから十二将魔もけん制出来た。あんな危なっかしいもの、とっくに処分して今は準オリハルコン製の剣だ。
長い首に長い胴体、二本足で立つ全身鏡が張り付いたようなそのドラゴンは俺を少しずつ追い詰める。こいつのあの装甲は幾多の金持ちも欲した程だったか。破産した貴族に全滅した討伐隊、これにはそんな曰くばかりが付きまとっている。もはや誰にも入手できず、幻ともいわれる素材だ。
別に欲の皮を突っ張らせてこんなのを狩ろうとしてるわけじゃない。いろいろとやりきれなくて辺境の温泉町でゆっくりと一息つこうとした最中でのこれだ。そう、すぐそこには町がある。
【イークスのスラッシャーワルツ! クリスタルドラゴンに2650のダメージを与えた! HP 8752/26000】
「まだまだぁ!」
【クリスタルドラゴンの攻撃! イークスはひらりと身をかわした!】
リズムに乗って続けて斬り込もうとしたが、それを許すほど愚鈍な相手じゃない。首を鞭のようにしならせて振り、かわした俺との距離を空けた。奴も手負いだ、あと一息。しかし手負いのドラゴンほど怖いものはなかなかない。魔物の頂点に立つと言われているドラゴン様だ。一個師団を派遣しても足りない化け物、クリスタルドラゴンは他の超獣の例に漏れず、手負いになって初めて放つスキルがある。
【クリスタルドラゴンのミラーシールド!】
「チッ……反則だよなぁ、それ」
斬り込んだ相手やスキルを投影させて反射してお返しする特大スキルだ。これを知らずに追い詰めたなどとほざいてはいけない。透明な鏡がドラゴンを囲み、俺を誘っている。
英雄と持て囃された人間が見せちゃいけない醜態だな。相手がどんな化け物でも関係ない、勝って当たり前の英雄だ。そして結果が出ないと民衆は途端に手の平を返す。などと、葬送騎士へ落ちる前の感情が噴き出しそうになるほどこの状況には参ってる。更に町では英雄が見事、ドラゴンを打ち取って凱旋するところを待つ人間がいるんだ。
何もかも忘れる為にこんな田舎に来たはずなのに、ここでも結局忘れる事が出来ない。どこまでいっても俺は英雄でいたいんだな。期待がどうとか気にしている時点で否定できない事実だ。
「俺に憧れて外の世界に出た子供が今じゃ、国の英雄なんだぞ! お前にわかるか! 本能のままに生きている魔物風情にゃわからんか!」
こんな化け物に当たり散らしたところで、唸り声が返ってくるだけだ。一度は捨てた冒険者人生を思い出させてくれたのがあのリュアだから、仕方がない。そして戴冠式の護衛すら任されずに憤慨した時に初めて自分がまだ冒険者への未練を残している事に気づいた。情けない話だが、リュアが皆から必要とされているのを見て火がついちまった。英雄なんて疲れるだけなのに、それでも求めるのはあいつのせいだ。あんなに楽しそうに生きているのを見ると、返り咲きたくなるじゃないか。
田舎に来て忘れようとしていただけだった。この英雄が戴冠式の護衛にすら呼ばれないだと、そんなちっぽけなプライドが生きていたからだ。もうとっくに俺の時代じゃないというのに。
「そう、俺の時代じゃないんだ。今はあいつの――――」
【???のネックハント! クリスタルドラゴンの首をはねた!】
突然長い首が切断され、胴体と共に地面に伏した。それが絶命したとわかるまで少し時間が必要だったみたいだ。俺の後ろに、国をも脅かしかけない化け物を仕留めた奴がいる。まったく気配を感じさせず、しかもそれは一人や二人じゃない。
「竜神とかいうのが引き連れてた奴がはぐれたんだろうな。シム副隊長補佐、いつもの手筈でやってくれ」
「はい。しかしクリスタルドラゴンの素材の価格も暴落していて価値があるかわかりませんよ?」
「それはしょうがないだろう。価値がなくなりゃまた何か見つけてくればいいだけさ。今の俺達は誰にも負けないんだからな」
アバンガルド特務隊、なんでこんな田舎にまで来ているのか。今、クリスタルドラゴンを殺ったのはあの副隊長のエンカルだ。以前はBランクでそこそこ名の通っていた奴ではあった。だが当然、あのドラゴンを単独で倒すほどの実力はない。
「おや、これはこれはもしかして英雄……んー、確かイークスさんでしたっけ?」
「……感謝する」
「いやいや、こちらこそ英雄とまで呼ばれた方があんな魔物に苦戦するはずもないのに、余計な真似をして」
短く礼だけ言って立ち去ろうとする俺に案の定、追撃の言葉を浴びせてくる。前なら俺やリュアが道を通ろうとするなら、端っこに寄るような奴らだった。こんなでかい口を叩けるようになった理由が本当にわからない。その力はどうやって手に入れた。
「まぁ、失敗はあるさ」
「こちらの処理はやっておくんでイークスさんはご自分で避難させようとしていた町の人達を誘導してくれませんか?」
「あ、あぁ……」
いちいち言葉に刺どころか刃を含めてきやがる。大人の対応で通すつもりだったが、さすがに誰にだって我慢の限界はある。だがあのリュアだってもう少し我慢するはずだ。大人のお兄さんの俺が出来なくてどうする。
「わかった」
「それとですね。メタリカのハートレスやヴァンダルシアの手下の残党を始めとして、今のドラゴンのような凶悪な魔物が各地で散見されているんですよ。ウロウロされるのは結構ですが、特務隊の仕事にさしつかえるので今後は多少なりとも自重なさって下さいね」
「グッ……!」
マジで何なんだ、こいつら。知りたい、ここまで傲慢になれるほどの強さを手に入れた理由が。敬語なんて使う柄じゃないだろうに、わざとらしいのがやたら鼻につく。
首狩りエンカルのさっきのスキルもまるで目視できなかった。悔しいがここで争っても勝ち目は薄い。まったく、魔王軍の葬送騎士時代から考えたら情けない事この上ない。
あいつら、特務隊という役割の割にはワイワイとまるで冒険者パーティをやっているような感覚だ。笑いながらクリスタルドラゴンを解体し、これから酒場で打ち上げでもしそうな雰囲気さえある。結局、どこまで行ってもあいつらは冒険者なんだ。
「しっかし、英雄イークスも情けないな。聞けばあの瞬撃少女にヘラヘラと迎合しているらしいじゃないか。気のいい年長者を気取ってはいるが、向こうだって内心見下してるんだろうな。俺達にそうしたようにさ」
「聴こえますよ、エンカルさん……」
「聴こえたっていいさ。どうせ今は俺達のほうが強いんだから」
立ち去ろうとした俺の足が止まった。自分の今の実力だとかプライドなんてのはどうでもいい。今、俺が出来る事。やりたい事。たとえ泥水をすする事になろうとも、俺は決めた。
「なぁ……」
「あん?」
俺を嘲笑していた連中は話しかけても、慌てて取り繕う様子もない。俺はここでやる。
◆ アバンガルド王都 高級住宅区画 ◆
「やぁリッタ、ただいま」
「お帰りなさい……」
リビングは広々とした空間、座れば腰ごと埋まりそうなふかふかのソファー、何かの鉱石で出来たテーブル。日用品だけじゃなくて今は棚や至るところに用途不明の高級な置物がある。必要じゃなくてもお兄ちゃんが次々と買ってくるから。
「今月の給料も弾みそうだよ。わざわざ遠征してクリスタルドラゴンまで狩ったんだからね。いやぁ楽だったなぁ、何せエンカル副隊長が一人で倒してしまったからさ。で、今日の食事は何かな? 使用人さん、いるだろ?」
「お兄ちゃん、あのね……」
「不出来なものを出したらクビにしてやる」
私の話なんか聞こうともしないでお兄ちゃん、ニッカはキッチンへと向かっていく。お兄ちゃんが特務隊に抜擢されて以来、確かに暮らしは楽になった。
「あぁ、今日はタイガーフィッシュのムニエルだとさ。本当はもう少しランクを上げてほしかったんだけど、及第点にしておこう」
「お兄ちゃん、私も仕事したい」
「何を言うんだ、リッタ。女の子が兵士なんてやっちゃいけない。それに暮らしに必要なものは全部お兄ちゃんが買ってきてやる。お前もあの汚らしい兵舎から出られて幸せだろ?」
「こんなの嫌だ。お父さんとお母さんとの思い出の品も全部捨てちゃって……残ったのは何の価値もない高級品ばかり。昔のお兄ちゃんはどこへ行っちゃったの?」
確かに暮らしは楽になったどころか、何一つ不便がない。だけどもう耐えられない。アバンガルド特務隊発足のおかげで兵隊の数は極端に減らされ、残ったのはお飾りの警備と見回りだけ。下手をすると城内清掃なんてのもやらされる。
おかげで非番の日ばかりでこうして一日中家にいる事も珍しくない。外に出ようにもお兄ちゃんが、女の子がフラフラと出歩いて危険な目にあったらどうするだなんて怒る。私だって強くなったのに。こんな事の為に兵士をやってきたんじゃない。
「……リッタは弱い兄のほうがいいのか。闘技大会でもボロボロにされて、魔王軍の幹部にも太刀打ちできず。妹一人守れない情けない兄がさ」
「まだ気にしているの……? そんなの過ぎた事でしょ」
「君が大好きなリュアだって力を振るって守りたいものを守っている。君の憧れだって結局は力なんだよ」
「私はやりたい事をやりたいだけ……。守られる生活なんてしたくない」
「なんと思われようと、お前に苦労はさせない。年頃の女の子が汗臭く命をかける必要もない。僕が一生懸命考えて考えた結果なんだ。僕がお前を守る、お前には生きていてほしいんだ」
豪華な空間に佇むお兄ちゃんの姿はどことなく空しく見える。ここにあるのは興味もない高級な置物ばかり、派手に飾って力を見せつけているようにしか思えない。この前は何の魔物を退治したとか特務隊の誰それはすごいだとか、食卓で上がる話はそんなのばかり。何を言われても頼りなく笑っていたお兄ちゃんに時には苛立つ事もあったけど、今はそんなのもなくなった。
アバンガルド特務隊、異常な実力であっという間に世間を魅了したけど私にはこれこそ納得できなかった。悪く言いたくないけど絶対に何か裏がある。その裏があるとしたら私は知りたい。それがもし邪悪で醜悪に満ちた手段だったとしたら、私は許さない。あのお兄ちゃんをここまで変えたそれを。すがりたくなる力、それはかつて私自身も汚染された本当に醜いものだから。
「さてさて、食事が出来たようだ。リッタ、お前もお食べ……ん? まずいッ!」
「ひっ! ふ、不手際があったでしょうか?!」
「味が薄いんだよ! 僕もリッタもこんなのは好みじゃない! 作り直せッ!」
「す、すぐに!」
お兄ちゃんが高級なお皿を料理ごと床に叩きつけて、おびえる使用人を威嚇する。私がいくらなだめて、これおいしいから大丈夫といっても兄は絶対に作り直させる。このやり取りにも疲れてきた。
「お兄ちゃん……ひどすぎるよ」
「雇われを甘やかすとどんどんつけ上がる。高い金を払ってるんだからね、まずは上下を徹底させて立場をわからせないといけないんだ」
「特務隊でもこんなひどい態度をとってるの……?」
「ひどい? どこが?」
皮肉じゃなくて本気でわからないといった顔をしているから、もう付き合うのはやめた。筋力を維持するために最低限のトレーニングをしただけで今日はほとんど動いていない。食欲なんてあるわけがない。
「リッタ、どこへ行くんだ?」
「使用人さん、私の分はいらないです。またお兄ちゃんが怒ったらやめていいです、私がお金出しますから。こういうの退職金っていうんでしたっけ」
「何を勝手な事を!」
「雇われている立場なら、そういうのもあって当然ですから」
まだお兄ちゃんが何か喚いているけど私はすぐにいなくなりたかった。二階の無駄に広い自室のベッドに飛び込み、頭をぼんやりとさせる。
考えてみたら私はお兄ちゃんが冒険者をやっている事に反対していた。私がお兄ちゃんを心配するのと同じだ。命をかける仕事なんてやってほしくない。ましてや、あの弱いお兄ちゃんが。そう、そんな心配がお兄ちゃんをより強固にしてしまったんだ。頼れる兄として振る舞う、そんな気持ちが暴走しているんだ。
「お兄ちゃん……私、気づいた。本当の強さってそうじゃないんだって……」
今のお兄ちゃんに言っても絶対にわからない事を呟き、目を閉じてそのまま眠るように努めた。
◆ イカナ村 中央広場 集会小屋 ◆
「まずい、非常にまずいぞ諸君」
村長が唸っている理由はもちろん、村の収入。蓄えがいつまで持つかわからない中で相変わらず村の作物だけが売れない。ボク達も今日こなした依頼はどれもDランクが請け負うようなのばかり。村どころか家族ですら食べていけない収入だ。
こんな事態だというのにあの変な姉妹は変なやり取りをしているし、プラティウが寂しがってついてくる始末だ。予想通り、暇そうにして今はテーブルに突っ伏している。
「……こうなったら新しい王様に取り入るしかないんじゃ」
「でもリュアとクリンカが聞いた話ではこの村だけじゃなく、二人もターゲットにしているらしいじゃないか」
「そんな事言ってる場合か? 大体、二人がそこで我慢できれば……」
村人同士の言い争いが始まりそうなところで止まる。気まずい発言だと思ったのか、申し訳なさそうに俯いて黙ってしまった。我慢できなかったのは認めるけど、あんな裸の言いなりになるのは絶対嫌だ。
「メリアさん、何かいい考えない?」
「私に聞きます?」
「だってもうどうしようもないよ……」
「……本当に?」
覗き込むように見つめられるとその先を続けられない。本当に全力で考えているのか、そう言いたいのかもしれない。いや、この人の事だからこうやって精一杯考えさせているのかも。でも村の一員なんだから少しは協力してほしい。
「わかりました。エルメラ、想像魔法でお金を作って」
「いいの?」
「それか国中の人達の認識を変えればいいのよ。イカナ村を大切にしようって」
「どっちも出来ない事もないけど、なんかお姉ちゃんからそういう発言が出るとは思わなかったなー」
「いいよ! やっぱりボク達がなんとかするから!」
何とか出来るけど穏便には済まない。それにボクが止めた途端、メリアさんはにっこりと笑ってテーブルに肘をついて見守り始めた。
「……難しくない」
「どうしたの、プラティウ。眠くないの?」
「眠い」
ただでさえじっとりとした目がトロンと落ちている。夜も遅いし無理もなかった。と思ったらむっくりと頭を上げる。
「特務隊と同じ事をすればいい」
「どういう事?」
「だから」
ごにょごにょと話してからプラティウはふらりとまたテーブルに突っ伏す。静かに寝息を立てたプラティウをボクが背負ったところで話し合いは終わった。そうだ、ボク達は今まで冒険者である事に拘りすぎていた。それで皆が完全に納得したかどうかはわからないけど、この場でお開きになったという事は任せてくれるんだ。
◆ シンレポート ◆
ぷらてぃう こいつ ちゃくじつに ぶれーんと なりつつあるです
これは しんの おかぶを うばうも どうぜん
ゆゆしき もんだい
もともと じぶんで へいきとか かいはつするような がきです
こんなのが むのうなはずが ない
おのれ どうしてくれよう
キャラ紹介
・ニッカ
リッタの兄でAランク冒険者。闘技大会本戦でヘカトンに敗れ、重傷を負う。流星の異名を持ち、縦横無尽に動いた戦いを得意とする。武器はリッタと同じ槍。




