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第195話 亡霊 後編

◆ ネーゲスタ 王都 中心街 ◆


「とっとと持たんかい!」

「こ、こんなの持てません……勘弁して下さいよ……」

「まったく、何百年経ってもニンゲンは非力よのぅ」


 ネーゲスタ国。全五ヶ国がひしめくリトアピア大陸内でも屈指の治安を誇る、ウーゼイ教発祥の地。ここ王都を除く国内の町や村に住む人間のほとんどがウーゼイ教徒。家畜の類は一切飼育していなくて、生産されている食物はすべて穀物か野菜、それと申し訳程度の果物のみ。

 道を歩くにもきっちりと左右に分かれていて、進むなら常に右側だ。これを乱した奴は即しょっぴかれて修業という名の罰を与えられる。そう、罰。罰を与えない宗派のくせに苦行を強いるという矛盾まみれのアホ国家はご覧の通り。

 今は毛むくじゃらの大柄な犬型の獣人族が幅を利かせていた。偉そうにしていたハゲが、そんな得体の知れない生物にこき使われている。この光景を見ているだけでも笑いがこみ上げてくる。いや、笑う。


「プッ、アハハハ! ちょっと、それはかわいそうだよ。アンタ達は子供でさえ人間の大人よりも数倍の身体能力があるんでしょ? そんなでっかいイノシシなんて担げるわけないじゃん!」

「ハッ、これはエルメラ様。しかしニンゲンはすべて奴隷として扱えとのご命令……」

「人間の労働力なんて知れてるよ。それじゃ死んじゃうから、もう少しソフトに扱ってよ」

「わかりました……」


 アタシに一礼をした後、獣人はハゲを乱暴に呼びつけてまたどこかへ連れて行った。かわいそうに、よろよろしちゃって。あれじゃ近いうちに自殺しちゃうかもね。何せ獣人族は系統によるものの、大体血の気が荒い。殺すなとは厳しく言いつけているけど、うっかりって事もあるかも。

 それにしても見晴らしのいい光景だ。王都中、至るところで人間が獣人族にこき使われている。中には逃げ出さないようにするためか、首輪をつけられて引っ張られながら歩いている人間もいた。それでも子供は比較的可愛がられている傾向にあるみたいで、もっふりした腕に抱かれて眠っている。


「くっはぁ! きんもちいぃ!」


 これこそがアタシ達ファントムが目指す理想の生態系だ。かつてこの地上で最も繁栄している種族はもちろん人間、そしてその次に巨人族や獣人族ときてドワーフ、最後にエルフだ。後は話でしか聞いた事がない竜人族、だけどこんなのはアタシ達が生きていた時代でさえお目にかかった事がない。ただし個の力としてはぶっちぎりらしくて聞いた話によると五神の一つ、竜神と一緒に世界を滅ぼしかけた事もあるとかないとか。

 そんな眉唾の話を除けば次に強いのは獣人族だ。犬や狼、猫や鳥だとかいろいろなタイプがいる。どれも人間みたいに二足歩行に適した進化を遂げたらしくて、その卓越した身体能力と五感で常に人間を寄せ付けない独自のテリトリーを築いていた。動物だから縄張りみたいなものかな。知らんけど。

 それとタメを張る巨人族は比較的、人間とうまくやっていたような気がする。地域にもよるけど、それなりに共存出来ていたみたい。そして最後に最も戦いに向かない種族、それがドワーフとアタシことエルフ。ドワーフは地下洞窟、アタシ達は森の奥地でひっそりと暮らしていた。

 別に人間は嫌いじゃなかったし、避けていたわけじゃない。ただ静かに暮らしたかっただけ。いや、嫌いになるほど知らなかった。人間という種族を。


「エルメラ、こんなところにいたのか」

「あ、バルバスがいる。エルメラとバルバスってなんとなく似てない?」

「どこかだ。それより、例のニンゲンはどう始末つける? それにまた奴らが勝手な事をしていたようだ」


 そこらを闊歩する獣人族よりも更に大きい、具体的に言えば民家の一階部分に入ろうものなら余裕で頭で天井をぶち破るくらいでかい奴が正面から登場した。狼タイプの獣人族らしく、チャームポイントの犬耳だけが可愛らしい。だけど、全身を覆うブラインのぼさぼさ体毛と血に飢えたような細く鋭い眼光はまったく可愛くない。それに加えて、丸太何本分だってくらいの太さをした手足が見る奴すべてに破壊的なイメージを持たせる。筋肉犬、そんな表現がピッタリだけどさすがのアタシもそれは絶対に口にしない。獣人族という奴らはとにかく好戦的で、おまけに冗談が通じない種族だ。言葉の節々一つとって自分への侮辱だと決め付けるような連中だから、アタシもギリギリのところでからかってる。

 そんな風貌と凶暴さを合わせ持った、腰布一丁のバルバスは獣人族の長だ。獣人族はクソミソにプライドが高いし、自分より弱い奴には絶対に従わない。そんなノリの奴らの頂点に立っているんだから、その実力もお察しだ。どれだけいきり立った獣人も、こいつの一声で確実に黙る。現にこいつの登場で、さっきまでニンゲンを連れ回していたり、何らかが原因で一触即発になりかけた他の獣人もいきなり大人しくなった。怖い怖い。なんでこんなのがアタシに従ってんのか不思議なくらいだよ。いや、そんなのはハッキリとしてるか。


「例のニンゲンってあのハゲ? けんせーとかいうの」

「驚いたものよ。我ら獣人族を容易く蹴散らせるニンゲンが存在したとはな。力でねじ伏せるとなれば恐らくオレでなくては話になるまい」

「じゃあ、ねじ伏せてよ」

「殺すなと命じたのは貴様だろうが」

「殺さないでねじ伏せて」

「オレにそんな芸当が出来ると思うか?」


 出来ないね。何せこいつらという種族は手加減というものを知らない。手加減して狩りを行う奴がいるかと言われてぐぅの音も出なかった。つまりそういう事だ。


「もー、どうしよっかなぁ。殺しちゃってもいいんだけどぉ」

「……人間という奴らは実に不思議だ。個体によっては我らと張り合うほどの者もいる。かつて魔族を壊滅に追いやった勇者という人間……この時代にいるのならば、ぜひ狩ってみたいものよ」

「あー! そうだ! 魔族で思い出したよ! どうもおかしいと思ったらさ! あの糸野郎! あいつ、何勝手にファントムの名前使ってんのさ!」

「オレもちょうど、それを言いに来た。しかしあの糸使いは魔族ではあるまい……」

「どっちにしろ魔王軍だったんでしょ。で、なんだっけ? 粘土みたいな名前。あいつ、今どこよ?!」

「知らん」

「とっちめて、ギッタンギタンにしちゃる! フー!」


 あの粘土、どうもファントムの名前を使っていろいろやってくれたみたい。瞬撃少女の話によると、うちの人間を使って襲撃させたみたいだしホント最悪。その辺は全部、前々から粘土に任せていたけどまさかそんな意味わからん事までするとは思わなかった。あのね、そこらの人間があの化け物少女を殺れるわけないでしょ。ていうか誰が殺せっつった。マジであの粘土、どこいった。


「あの魔族連中だけは御しきれんわー……。自由すぎ」

「望むならオレが殺ろうか?」

「殺すな。あのアボロだけはアンタでも楽にはいかないでしょ」

「どうだろうな」

「アンタは粘土をとっちめておいてね。アタシはけんせーのところに行く。じゃあねーっ」

「む、待て。まだ話は……」


 元々烏合の衆だってのは理解してるし、統率なんてとれやしない。それはわかっている。だけどアタシにはどうしてもやらなきゃいけない事がある。それはもちろん、この世界の。


◆ ネーゲスタ王都 王宮 ◆


「腹が減った、肉をよこせ」

「申し訳ありませんが、我が国では」

「貴様の肉でもいいんだが」

「ひっ! た、ただちに!」


 王宮に帰ってきたオレは、かつてここでこき使われていた使用人をこき使っている。粗食主義らしいがオレにはどうでもいい事だ。こいつらは奴隷でオレのほうが上。オレがファントムとして加わったのも、この世界の本来の姿を取り戻したいからでもある。弱肉強食、それこそが有るべき姿。あんな骨と皮だけしかなく、使い道となればダシにするくらいしか思い浮かばないような連中は生かされているだけでも感謝するべきだ。

 あの時代では人間社会に溶け込んでいる連中も多かったが、オレは一切関わる気がなかった。中には目を見張る連中もいたが人間など基本的に眼中にない。食うだけなら他に価値のある生き物が余るほどいる。食用としても生物としての魅力を俺は人間に見出せなかった。

 だからこそだ。オレ達が上で人間は下、今一度知らしめてやるのだ。このたるみきった世界に。興味のなかったオレ達にこうまで高ぶった感情を抱かせたのは貴様達人間だ。繁殖力と虚栄心だけで勢力を広げたような劣等種に追い詰められるハメになったのも、元はといえばオレ自身の不甲斐なさでもあるのだが。


「お帰りなさいませ、バルバス様」

「うむ」


 オレの右腕でもある雌猫の獣人ニースは獣人族でも珍しいほど冷静な奴だ。必要以上に力を振るわず、感情も滅多に表に出さない。例の同盟相手の挑発にも乗らず、自分達や相手にとって何が利か。それを見極めた上で交渉をやってのけた。見た目に反してその真摯な態度が伝わったのか、オレ達以上に単純なあいつらはすっかり気を良くしていたのを覚えている。何かと争いがちなオレ達にとって、常に適切な判断を下せる貴重な奴だ。


「オレがいない間に何か問題はなかったか?」

「ドワーフの連中が、南の国にいるという一流の鍛冶師の噂を聞いて旅立ちました。酒と鉱石と鍛冶にしか興味のない陽気な連中、外見もニンゲンと酷似しておりますので問題は発生しにくいでしょう」

「フン、やはりエルメラの奴に統率できるはずがなかった」

「彼女ですか……。ハッキリ言って幼すぎる」

「あぁ、それはオレも感じていた」

「やり口も、あまりにも早計です。一時的にはこの国を制圧しましたが、近隣の国々は黙っていないでしょう。そうなると私達の現状の戦力で太刀打ちできるかどうか」


 ニースの言う、幼いというものの見解がオレとは驚くほど違っていた。オレが感じていたのはそうではい。長寿な種族ではあるが、さすがに何百年と経てば外面と共に更に美しく成長するのがエルフだ。だがあの娘はその両方に成長が見られない。まるで幼子のように感じる時さえある。外見以上に成長しない、その中身がひどく不安定なのだ。


「幼少の頃から成長が進んでいないかのような、危ういもろさを感じます。長はあの娘が笑っているところ以外を見た事がありますか?」

「いや、ほぼない」

「何らかの原因で心が壊れてしまった可能性があります。何か、ひどく耐え難い事が過去に起こった……とか」

「考えた事もなかったな。だがオレ達は従わざるを得ない、そうだろう?」

「はい。あの危うさがいつ私達に降りかかるかどうか……」


 オレ達がエルメラに従っている理由はそこだ。屈したのだ、オレ達は。その力と狂気の前に、ただ頷く事しか出来なかった。


「あそこで従わなければ、間違いなく殺されていた……」


 地下で繁栄を続けていたオレ達が今日まで生きていられたのはある意味、エルメラのおかげだ。オレ達、獣人族はエルフほど寿命が長くない。個体差もあるが、せいぜい生きられて300年程度だ。エルフが他の種族と比べて長寿なのは何も生物的な問題だけではない。その膨大な知識から生み出された数々の秘薬を常用する事によって生き長らえていたのだ。以前、人間が不老長寿の薬を求めてエルフ狩りを行ったと聞いた事があるが、あながち嘘ではなかった。

 それだけの力があるにも関わらず、エルフはオレ達とは違って争いを好まない。慎ましく、森の奥地で暮らしていた種族のはずだった。


「オレが奴に挑みかかろうとした時、止めてくれたな。礼を言う」

「いえ、私に出来る事といったらその程度ですので」


 オレ達、獣人族がエルフに従うなど本来ならば考えられない。いきり立つ獣人達の中でただ一人、ニースだけが率先して服従の意を示した。瀕死の同胞が転がる中で怒りを覚えずに冷静にそうした獣人など、かつていただろうか。その灰色の毛を逆立てずに、ただ粛々と。


「私が下手に出れば後は単純なものです。気をよくしたエルメラは私達に至れり尽くせりで、あの地下で快適な生活を営めましたね」

「……ニースよ。たとえどのような結末が待っていようとも、ついてきてくれるか」

「あなたの歩く道が続くのならば当然の事」


 忠実な俺の側近はオレが期待する以上の返答をしてくれた。長としてのオレを支えてくれるのは彼女だけだ、失うなど考えられない。側近としてだけでなく、どこかもどかしい感情を覚えながらもオレは力強く笑みを浮かべて見せた。


「元より私達は亡霊、世界から抹消された存在です。結末など恐れる必要がありません。そう、この世界は亡霊に殺されるのですよ」


 オレですら背筋が凍るほどの冷笑だった。普段は表に出ないニースの感情を一瞬だけその顔に写し出したのだ。頼もしすぎる、そんな奇妙な満足感に浸っていた時には人間に肉を持ってこさせた事などすっかり忘れていた。

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