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第186話 希望を胸に その10

◆ アバンガルド城 研究施設 実験体保管庫 ◆


「私が……?」

「うむ、お主にはその力があるかもしれん」


 きょとんとするクリンカにハスト様は自信に満ちた張りのある声でもう一度言った。かもしれん、という割にはすでに確信しているような感じ。いきなりそんな事言われたってクリンカだってどうしていいかわからない。


「お主の回復魔法のおかげでワシはこの通り、魔法に関しても全盛期に戻った。もう当分は魔法によって寿命を縮める事もあるまい」

「ウ、ウソ。私にそんな力なんて……」

「ワシの予想が正しければ、お主には恐らく"再生"の力が宿っておる。おるんじゃよ、何百年……いや、何千年に一度かもしれん。どういう才か特性かはわからんが、特異な力を持って生まれる者がの」


 湿った壁を見つめながらハスト様は一度、深呼吸をする。揺らめく灯りに照らされたハスト様の顔がなんだか怖い。


「あの勇者一族もそのような力を持っておった。だからこその英雄、言い返せば異端なのじゃ。普通の人にはない力を持ったが故に背負わされた宿命、そして末路。"勇気"の力を持った勇者はいかなる強大な相手にも屈しなかった。その身から溢れ出る力はまさしく何者にも立ち向かえる力、恐怖を完全に克服したが故の力なのかもしれん」

「でも私はそんな大層な人間じゃないです」

「ま、ワシの予想でしかないしのう。じゃが、ええのか? 自分の可能性を自分で狭めるのはとても愚かな事じゃて」


 元々クリンカは引っ込み思案だし自信過剰な子じゃない。ボクと旅をしてかなり変わったけど、やっぱり根っこの部分はまだまだそのままなんだと思う。ボクだって未だに子供だと自覚する事もあるし、成長ほど難しいものはない。

 だけどハスト様の言う通りだ、出来ないと思ったら何も出来ない。洞窟ウサギにすら勝てなかったボクがここまで来たのは出来ないと思わなかったから。復讐心が勝っていたのは否定できないけど、心で勝つというのは間違ってないはず。


「少なくとも、お主はワシの想像を絶する経験を積んできたのでは? それをそこのリュアと共に乗り越えたのじゃろう?」

「でも再生って一体どうすれば……」

「これまでの経験を思い返せば、おのずと見えてくるはず。ワシに言えるのはここまでじゃ。後はどうするか、自分で決めるしかあるまい」


 こんな時、なんて言えばいいんだろう。クリンカなら出来るよ、なんてちょっと無責任だ。だけどそんな言葉以外に何があるのかな。


「リュアちゃん、私どうしたら……」

「やってみてよ。ダメでも誰もクリンカを責めないよ」

「え……本当に?」

「ボクの予想だけどさ、幽霊船の時や魔王城の地下でアンデッドを浄化したのはその力なんじゃないかと思う」

「でもあれはエクソシズムがそういう魔法だから……」

「魔法の事は詳しくないけど、アンデッドに堕ちた人が人間に戻ってお礼を言うなんてありえるのかな」


「エクソシズムは不浄なる者を消し去るだけの魔法に過ぎん。そんな興味深い事が起こっていたとはのう……」


 ハスト様のフォローがありがたい。成長したとはいっても、クリンカは元々子供の頃から控え目でいつもうつむいていたような子だ。自分のせいで元に戻らなかったら、最悪死んでしまったらなんて考えているに違いない。だからクリンカなら出来るよ、なんて無責任な事は言わない。それはプレッシャーにしかならないから。


「私、やってみるね」

「クリンカ……!」


 この暗い空間で、クリンカの凛とした瞳に輝きが宿った。灼譚の杖を握り、鉄格子へと近づいていく。奥で蠢く黒い魔物をどんな思いで見つめているのか、想像はついた。あの人達は10年以上もこんなところで苦しんでいたんだ。自分が救ってあげられるかもしれない、そんな強い意志とプレッシャーが同時にクリンカに宿っている。


「リュアちゃん、この壁を壊してもらえるかな。近づかないとダメかも」

「うん、襲ってきてもボクが何とかするよ」

「ありがとう、頼りにしてる」


 ドアをノックするように静かに壁に拳を打ちつける。瓦礫があの魔物に当たらないよう、何気に細心の注意を払った。程よく人が一人通れるくらいのスペースを開け、そこをクリンカが潜る。


「……エンジェルヒール」


 いつも見ている最上級回復魔法がより一層、静かに放たれる。同じプリーストでも、この魔法による回復効果は天と地ほど違うとは聞いた事があった。傷は癒せても後遺症が残ってしまったりなんか日常茶飯事みたいなのに、クリンカのエンジェルヒールは瀕死の重傷でも完全に癒す。ボクがえぐったティフェリアさんの肩だって完治した。ハスト様の言う再生の力がそこに働いているなら、もしかするかもしれない。

 そして淡い光が魔物を包み込む。突然の光で、呻いてからびくりと体を震わせた魔物もすぐに大人しくなる。しばらくは横たわったその体に何の変化もなかった。


「ハスト様……」

「黙って見守るんじゃ」


 光が強くなり、壁がくっきりと見えるほどになったところで黒い魔物の肌の色が変わり始める。刺々しくて硬そうな肌の表面が柔らかくなり、足先と手先から本来の姿を取り戻す。爪が縮み、完全に肌色を取り戻した手足。


「こ、これって」

「落ち着くんじゃ、まだまだここからかもしれん」


 ボクは瞬きすらも忘れて魅入った。ほんの一瞬だろうと奇跡の瞬間を見逃したくない。人間の筋肉質な胸板が露になり、残した顔も縮むようにして人の目や眉、顎などの骨格を形作っていった。クリンカが息を吐いて力を抜いた時にはもう魔物はどこにもいない。

 黒々としたおじさんの髪、太い眉。忘れもしない、この人は隣に住んでいたボンゴおじさんだ。お父さんと仲がよく、しょっちゅう家に来ては一緒にお酒を飲んでいたのを覚えている。そうなるとボクなんかは退屈で、よくわからない大人の話を何気なく聞いていた。だけどそのうち寝てしまって、気がつけば朝だ。そういう時はいつもお母さんがボクをベッドに運んでくれた。

 鮮明に甦る記憶の中でもボクはお父さんとお母さんの事を想っている。さっき泣いたのにまた涙が出そうだ。


「おじさん……おじさん!」

「これ、衰弱しておるかもしれんのに」


「ん、む……」


 酔いつぶれた後の目覚めのように、ボンゴおじさんは静かに目を開ける。寝返りみたいに反転して天井を見上げ、心ここにあらずといった感じだった。


「……ここは一体。俺は……それに君らは?」

「あの、まずは落ち着いて聞いて下さい。イカナ村で最後に起こった事、覚えていますか?」

「イカナ村……あぁ、俺が住んでいる村だ。待てよ……俺は何でこんなところにいる? 俺は確か村で……んん?」


 頭痛でもしているかのように、ボンゴおじさんは頭を押さえて何かを考え込んだ。寝起きで寝ぼけているような感じ。やっぱり記憶がないのかな、そうなるとボク達の事も忘れているかもしれない。いや、ちょっと待って。忘れているどころじゃない、ボクは何か重要なところを見落としている。


「そうだ、村に王国の刺客が来て俺達を殺そうとした。俺達は村を守ろうとして……ダメだ、そこからの記憶がない。一体何がどうなっているんだ? 君らは何なんだ?」

「お初にお目にかかる、ワシは賢者ハスト。ウィザードキングダムの賢者といえば一度は聞いた事があるじゃろう」

「賢者ハスト……イカナ村みたいな辺境にもその名声と書物は届いている。まさかお会い出来るとはな」

「あなたの身に何が起こったのかは後で説明しよう。クリンカ、他の者も頼めるか?」

「はい、がんばります」

「クリンカ……そういえば、俺の村にも同じ名前の子供がいたな……」


 同じ名前どころか同じ子だよ、なんてボクが言ったところで混乱させるだけかもしれない。わざわざボクを止めて、自分からボンゴおじさんに名乗り出たハスト様の意図は何となくわかったから。

 何か言いたい衝動を必死で押さえた。ボンゴおじさんも何も聞かずにクリンカの謎の光を凝視しながらも、ボクのほうをちらちらと見てくる。この人の中には5歳のボクしかいない、だからもしここで隣に住んでいたリュアだと言ってもすぐには信じてもらえないと思う。

 ボクはここでハッとなった。それはお父さんとお母さんにも言える事で、もし二人が元に戻ってもボクの事がわからないかもしれない。大好きだった二人に知らない人のように扱われる、考えただけで胸の中で不安が渦巻いた。心臓が高鳴り、ひたすら消耗を続けるクリンカの心配すら忘れていたほどに。


「こ、ここは……?」


 誰もがボンゴおじさんと同じ反応をする。元に戻った人が増えるにつれて、村の皆は互いに状況を確認し合っていた。ハスト様が名乗ったおかげで混乱はしないで済んでいるけど、ここにきて未だにボク達の事がわかった人はいない。

 今一度、ボクはクリンカを見る。すべての壁はボクがすでに壊した、残りはあとわずか4人。もしこの4人がボク達の両親じゃなかったら。


「う……」

「クリンカ!」

「へ、平気。まだまだ大丈夫」

「一応、ワシも回復魔法でお主を支援しておるが無理はするな。少し休んだほうがいいかもしれん」

「やれます、だから続けさせて下さい」

「そうか……」


 意識が飛んだかのように倒れかかっている時点で平気なわけがない。これはボクが思っている以上に消耗が激しい。このまま続けさせていいんだろうか。大切なクリンカだからこそ、一度休ませたほうがいいんじゃないかな。こんな時、回復魔法を使えない自分を久しぶりに不甲斐なく思った。思えばボクはあまり器用なほうじゃない。使えるスキルや魔法だって少ないし、やれる事の多さでいったら五高やティフェリアさんのほうが遥かに上だ。特にあの多彩さは思わず見とれてしまうほどだった。もしボクにあれだけのセンスがあったら、奈落の洞窟も楽に攻略できたかもしれない。今更悔やんでも仕方ないけど。


「ク、リンカ……?」

「パパ……?」

「いや、人違いか……すまない。私の娘はまだほんの5歳だ……。しかしよく似ていたのでつい」

「クリンカだよっ!」


 どよめきが起こる。なんと四人のうち、二人がクリンカの両親だった。抱きついてくるクリンカに戸惑うクリンカのお父さん。お母さんのほうもうまく言葉が出てこないのか、ただ二人を見比べるばかりだった。


「一体、どういう事だ?」

「ご、ごめんなさい! うれしくてつい……。あの、少し待ってくれる?」

「あ、あぁ……」


 うれしさのあまり、自分だけはしゃいでしまった事を恥じているようだった。ボクに気を使ってくれたんだと思う。もしボクがクリンカの立場だったら同じ事が出来たかわからない。すぐにクリンカは最後の二人を戻しにかかった。額に流れる汗がクリンカの消耗を表している。ボクはずるい人間だ。クリンカの再会を喜んでやれずに、かといって疲れきっているクリンカを止めるわけでもなく。クリンカの優しさに甘えてしまっている。一言でも、もう休んだほうがいいよと言ってあげたい。だけど、あと少しで。


「クリンカ……」

「黙ってて。あと少しだから……」


 ボクの心配をどう受け止めていいのかわからないのかもしれない。だけどここで何を言ってもクリンカは絶対にやめない。そんな決意が見てとれた。

 その後ろではざわつく村の皆にハスト様が少しずつ、かいつまんで説明している。さすがの賢者様なだけあって、この異様な状況に置かれた皆を納得させつつある。中にはほんの少しだけ記憶があった人がいたのも助けになった。


「そうか、力の制御がうまく出来ずに我々は……」

「村はどうなった? あれからどれだけの時間が流れた?」

「子供達は全員ここにいる。いや、二人ほど足りないぞ。そうだ、ジューク夫妻の娘だ!」

「パメラさん、あんたのところの子供はいるか?!」

「クリンカは……ええと」


 まだそこにいる女の子が自分の娘だとわかっていない様子だ。そしてあの時は同じ年齢の子供だったのにボク達だけが成長しているという悲しい事実。一緒に遊んだ事もあるはずなのに、今じゃすっかり知らない人を見る目だ。でもそれは子供達に限った話でもなくて、全員がそう。


「あと少し……」


 最後の2人を包んだ眩い光で思わず、目を瞑ってしまう。何かが弾けるような音と一瞬で暗くなる空間。閉じていた目を無理矢理開けて確認すると、そこには横になっているクリンカがいた。


「だ、だ、大丈夫?! ハスト様! クリンカが! クリンカがー!」

「落ち着けい。ちと無理をしすぎたせいだ、少しの間は安静にさせておくのじゃ」


 顔中に水滴のように流れている汗を見て、ボクは罪悪感でいっぱいになる。こんなにも無理をしていたのに、ボクはただ見ているだけだった。結局、こういう時は何も出来ない、ハスト様やユユさんみたいに豊富な魔法や知識を持っているわけじゃないし、出来る事といったら魔物を倒すくらいだ。奈落の洞窟以来の無力感だった。


「クリンカ……ごめん」


「リュア……そこにいるのか?」


 クリンカの光から解き放たれた二人の影がのっそりと起き上がった。その静かで野太い声が10年振りにボクの耳に入る。その瞬間、体の中心から言い知れない暖かさが広がった。身震いしそうなほどの興奮、夢にまで見た光景。

 そこにいるのは確かにボクの両親だった。ボロ切れみたいな服を着て、寝起きたかのような二人だけどそこに確かにいる。


「ボ、ボクがわかるの?」

「待て、これは夢かもしれん。少しだけ時間をくれ。なぁ母さん」

「え、えぇ」


 時間をあげる余裕なんかボクにはなかった。クリンカ以上に見境なく二人の間に飛び込む。喋りたくても喋られないほどに涙が止まらない。


「お父さん、お母さん! ボクだよ、リュアだよ! わかるよね! 今、15歳なんだよ!」

「私がお前に対して大声を上げて怒った時が何度かあるが、それはどんな時だ?」

「ええと、庭に大きな穴を掘った時とお皿を割ったのに黙ってた時と……それと」

「……クリーちゃんは元気か?」

「だ、誰それ?」

「ほれ、お前が一番仲良くしていたあの子だ。覚えてないのか?」

「クリーちゃんなんて知らないよ! クリンカはあそこにいるよ! ねぇ、もしかして」


「ぷっ!」


 二人は合わせたかのように笑い出した。もしかしたらクリーちゃんなんて言ってボクを騙したのか。あまり喋るほうじゃないけど、お父さんはたまにこうやってボクをからかう事があった。


「じゃあ、お前は本当にクリンカなのか……」

「そうだよ、パパ。あれから10年も経ったんだよ……」


 寝ていたはずのクリンカが上体だけを起こして両親と話している。もう休んでいなくても平気なのかな、というより休んでいられないんだ。ボクだってお父さんとお母さんに会えて興奮している。


「それじゃ、あそこにいるのがリュアちゃん? 大きくなったわねぇ」

「いろんな事があったんだよ、あれからね。村から逃げ出して……リュアちゃんなんかあれから奈落の洞窟を10年もかけて攻略したんだよ」


「い、今の話は本当なの?」


 お母さんは昔のボクしか知らないから、きっと信じられないんだ。というかようやくボンゴおじさん含めて、ボク達がリュアとクリンカだと信じ始めた。ボク達を取り囲むようにして、あれやこれやと質問をしてくる。


「リュアー?! ウッソだ! だって胸大きくなってないじゃん!」

「でもクリンカはふっくらだよ?」

「じゃあ、こっちは本物?」


 久しぶりの再会なのにこの子供達の頭をちょっと叩きたくなったのを抑える。別に胸の大きさなんかどうでもいいけど、なんか腹立つ。


「いろいろ疑問はあるが……お前は間違いなくリュアなんだよな」

「間違いないよ!」

「リュア……ごめんなさい、私達が不甲斐ないばかりに」

「なんでそんな事言うのさ……ふ、ふぇ……」


 大勢の村の皆の前でボクはとうとう泣き崩れてしまった。今はただひたすら、感情が抑えられなかった。ミストビレッジの幻覚でもない、これが紛れもない現実だという事を噛みしめたかった。だってボクはやっと会えたんだもの。とっくに死んでいると思っていたし、お父さんとお母さんが生き返ったようなものだ。こんなに嬉しい事が他にあるわけがない。


「リュア、大きくなったな……」


 10年振りのごつごつとしたお父さんの手がボクの頭に触れた。そして10年前と同じように、5歳のボクと接するようにそっと撫でる。不器用な撫で方だったけど、それがより一層ボクの涙を止まらなくした。


◆ シンレポート ◆


なにか かこうと おもったけど まったく かけない

だって れぽが かみが ぬれて

めから へんなしるが とまらなくて

しんも たまらなく むねが ぎゅーっと なったです

しかたない こうなっては れぽなんて かけない

ここは せいかんしておいて やるです

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